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14.どうにもならない子

涼夏は、とにもかくにもまだ無事である、父の宮へと戻って来たのは、思っていたよりホッとした。

もっと荒れ果てているのかと怯えていたのだが、よく考えたらまだ自立を申し渡されただけで、祖父も支援を打ち切るわけではないし、とにかくは百年の時間を与えられてはいるのだ。

つまり、今すぐこちらが変わるはずなどないのだ。

誰も声を掛けてくれないので、仕方なく輿から、痛む体を引きずって自分で出ると、向こうから兄の涼と筆頭軍神の嶺が急いで飛んで来るのが見えた。

涼が、脇で無表情に控えている、輪に言った。

「輪か。何があった。急にどうしたのだ。」と、涼夏の右腕が何かに掴まれたように赤く腫れており、髪も乱れて着物もあちこちはだけているのを見て、驚いた顔をした。「…いったい、涼夏はどうしてこのような姿に?」

襲撃でもあったのだろうか。

涼が怪訝な顔をする。

涼夏は、言った。

「安峰殿に掴まれて放り投げられました!だからこのような!」

いくら何でも、妹をこんな目に合わせたのだから、苦情の一つは言うだろう。

それに、いくら宮の格が違うとはいえ王族の涼相手に、輪が強く出られないのも知っていた。

涼が、涼夏の言葉に輪をじっと見ると、言った。

「それは誠か?」

輪は、全く動じずに頷いた。

「はい。安峰様は、後程夏奈様に文をお送りすると申しておりました。それから、王からは事の次第を涼弥様にご連絡するとのこと。お荷物は、後程こちらへお送り致しますとのことです。我はこちらへ連れて参るように命じられただけですので。失礼致します。」

輪は、それだけ言うと踵を返した。

涼の言葉を、聞くつもりも答えるつもりもないらしい。

涼も、何かを察したように黙り込んでいて、隣りに立つ嶺と何やら視線を合わせただけだ。

そのまま、輪は誰にも咎められないまま、空の輿を持って飛び立って行った。

涼夏は、言った。

「お兄様!我がこのような扱いを受けたのに、どうして黙っておられましたの?!」

涼は、涼夏を見下ろした。

「主…何かやらかしたのではないのか。母上から聞いておる。お祖母様が主の様子を知らせて来ておった文の中で、何やらただの民のような考えでとても矯正できぬ、皇女としては難しい性分のようだと書いてあって、母上も嘆いておったのだが、もしやいよいよ見切られたのではないのか?」

言われて、涼夏はぐっと黙った。

確かに普段は好き放題していたが、きちんと授業を受けている時はそれなりに振る舞った。

演技でも、できたら良いのではないのか。

維月だって、それでやっているのを知っているのに。

「そんな…我は、充分に言われたように振る舞っておりました!それは、普段の生活まではそうはいきませんが、お祖母様の前ではきちんとしておりましたの!」

涼は、ハア、とため息をついた。

「もう良い、それどころではない。戻って来たのなら部屋に帰っておれば良い。今から、父上と臣下の精査を始めるのだ。邪魔をするでないぞ。宮の未来が掛かっておるのだ。」

涼夏は、臣下の精査とは…?と、目を見開いた。

「え…臣下を、どうなさるのですか。」

涼は、踵を返しながら言った。

「役立たずは宮から出すのだ。そうして少しでも負担を減らす。共に励める者は残す。主とてそうであるぞ、涼夏。宮の評判を落として負担を掛けるような皇女は要らぬ。もし問題を起こしたら、臣下にでも降嫁させて宮から出すぞ。分かったの。」

お兄様まで、そんなことを。

宮へ帰って来ても、もう居場所がないのだろうか。

涼夏が座り込んだまま茫然としているのに、臣下も軍神も、誰も近寄って来る者は居なかった。

思えば、自分の専属の侍女は、咲耶しか居なかったのだ。


臣下達は、王族の世話どころではないようだった。

涼夏に誰も寄って来なかったのも、本来なら気付いた誰かの侍女でもいくらなんでも来るのだが、全てが謁見の間に集められているようで、皆怯えてしまっているのだ。

涼夏が勝手の違う奥宮に入って行って、自分の部屋へと入ると、そこはここを出る前と全く変わらなかった。

ただ、スッキリと片付き過ぎていて、少し落ち着かなかった。

それでも、自分の部屋だとホッとして椅子へと座ると、赤くなった腕を擦った。

あんな風に、あからさまな敵意を向けられたのは、初めてだ。

安峰は、本当に宮が涼夏一人のことで、失われるとか思っていそうな風情だった。

そんなはずないじゃない、と思いながらも、本当にそうだろうか、と涼夏は考えた。

ここは、あの小説の世界なのだ。

こうして現実として自分はここで生きているが、あの世界では最上位の王達の決めたことは絶対で、何かの弾みで不興をかってしまったりしたら、簡単に切り捨てられるような世界だった。

維心は、臣下が連れて来た妃候補を、臣下諸共切り捨てたことがある、と普通に書いてあったが、思えば理不尽な話だ。

その連れて行かれた皇女からしたら、親から行けと言われて臣下に連れられて来たのだろうに、気に入らないからと斬り捨てられたらたまったものではない。

そんなことをしても、龍王の逆鱗に触れた、運の悪い神、で済まされてしまう。

それだけ、大きく神世を守るのを龍王に頼っているからだとは分かるが、それでもそんな事がまかり通っている世界なのだ。

涼夏が宮の序列に影響するというのなら、安峰はあっさり切って捨ててしまうかもしれなかった。

…これぐらいで済んで、良かったのかもしれない。

涼夏は、思いながら傷を見つめた。

最初の日に、祖母が言っていた言葉が急に思い出された。

…これができぬと、神世では殿方に軽んじられるのです。より品が良く身分の高い女が、王であっても尊重して頂けるのです。

つまり、自分がこんな風だから、安峰にもこんな扱いをされたということなのかしら。

涼夏は、思った。

輪の対応もとても乱暴だった。全く礼儀など無く、ただ物のように運ばれて、放り出されてしまった。

それはつまり、涼夏が礼儀など弁えていない女なので、それで自分達も礼儀を弁えないで良いだろうということだったのだろうか。

涼夏は、ため息をついた。

自分は間違っていたのだろうか…でも維月は…。

涼夏がじっと座っていると、扉の方から声がした。

「涼夏様。」

涼夏は、弾かれたように顔を上げた。

まさか…そんなはずはない。

だが、涼夏は扉の方へと応えた。

「咲耶…?」

すると、扉が静かに開いて、咲耶が顔を覗かせた。

「やはり。涼夏様…嶺様から、密かに涼夏様がお戻りだと聞いて、居ても立ってもいられなくて…。でも、我は宮を辞した身ですので、長く奥宮に居るわけにはいきませぬ。」と、涼夏の腕を見た。「まあ!お怪我を?」

涼夏が、ホッとして涙をボロボロ流しながら、頷いた。

「安峰様に…我に品位が無いから、宮に居たら宮が危ういとか言われて、腕を掴んで放り投げられたの。我は…でも、あちらでいろいろ学んで、できるようになったのよ。それなのに…。」

咲耶は、頷いた。

「はい。聞いておりましたわ。でも、涼夏様には常にそれではお疲れになってしまわれるのか…普段は、とてもではないが表に出せる状態ではない、と、伝わっておったようです。嶺様が、そのように聞いて来られておりました。」

つまり、筒抜けだったのだ。

父も母も、全部知っていてこちらも大変だったし放置していたのだろう。

だが、こうして送り返されてしまった。

どこへ行っても、今の自分は厄介者なのかもしれない。

咲耶は、薬箱を持って来て、涼夏の腕に薬を塗った。そして、包帯を巻いてくれながら、言った。

「…はい。本来、治癒の神が治療するのでしょうけれど、今は宮も大騒ぎで、皆が皆謁見の間に集められておるのでそれも敵いませぬ。しばらくはこれでご辛抱くださいませ。それから…」と、涼夏の手を握った。「涼夏様。次はいつお会いできるか分かりませぬ。これを最後と、お聞きくださいませ。」

涼夏は、嶺と共働きでもいいのではと思って来たところだったので、咲耶のその言葉に驚いた。

咲耶は、ここへまた戻る気はないのだ。

戸惑う涼夏に、咲耶は続けた。

「…どうか、学ばれた通りにお振る舞いください。きっとおつらいでしょうが、それが涼夏様の御身を守る、ただ一つの方法です。今、神世は大きく変わろうとしております。何かの役に立つ生き方ができねば、排除されてしまうような動きが、あちこちで出ておるのです。最上位の王達の決定は絶対です。王ですら、抗えないこの動きの中、か弱い皇女様などひとたまりもありませぬから。涼夏様は愛らしいお姿なのですから、美しい所作さえ維持されたら、他の神達に尊重されるはずです。二度とこんな目に合われないために、完璧に演じてくださいませ。」

…お祖母様と同じことを。

涼夏は、涙を流しながら、咲耶を見つめた。

「咲耶…。」

咲耶は、手を放した。

「もう、行かなければ。我は宮に居てはいけないので。嶺様が、少しだけお時間を作ってくれましたの。」

涼夏は、慌てて咲耶の袖を掴んだ。

「咲耶!行かないで!」

咲耶は、困ったように微笑んで、その手をやんわりと放した。

「我はもう、涼夏様の侍女ではないのですよ。これからは、ご自分の身はご自分でお守りになるのです。では。」

咲耶は、そのまま逃げるようにそこを飛び出して行った。

「咲耶!」

涼夏は叫んだが、咲耶が答える事は、もうなかった。

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