115.家族
涼夏は、無事に正月を迎えられて感無量だった。
月の宮を出た時は、いつ捕まるかとハラハラしてひたすらに北を目指して神の目を気にしながら必死に飛んでいた。
それが、今はこうして落ち着いて、人の頃と同じような生活をしている。
お正月をこうして祝うなんて、本当にいつぶりだろうか。
懐かしい心地に胸を熱くしながら、朱理と亮太、それに健太と共に、お節料理と雑煮を囲んで、正月番組を見ながらゆったりと過ごした。
途中、健太だけは水やりと様子見のためにハウスの方へと向かったが、涼夏も朱理も亮太も、コタツに足を突っ込んで、横になってひたすら休んで過ごしていた。
そんなお正月が当然だった人だった頃、自分は確かに幸せだったのだ。
涼夏は、そう思い出していた。
人世は、いろいろあったが日本は平和で、戦争などもなく穏やかに過ごしていた。
余程の事がないと殺されるという事も無く、社会的なルールさえ守っていたなら命のかかわるほどの大きな事態には、滅多に遭遇しない。
結構な自由もあって、女でも平気で一人で出掛けることができるし、襲われるなど皆無だ。
生きるには食べなくてはいけないので、働いて稼がねばならなかったが職業の選択肢は多く、全ては自分で決めて選ぶことができた。
神世では、違う。
未だに戦もあるし、それを乱すような事をしたり、巻き込まれたりで罰しられ、命も取られてしまうこともある。
不意にやって来るそんな事態に、備えるのも事が大き過ぎて出来ないことが多い。
外を女神が一人で歩けば、はぐれの神に攫われたりする。
人より力はあるものの、人より危ない橋を渡らねばならない事も多くて、一般市民には生きづらい世の中だった。
…私は、やっぱり人なんだわ。
涼夏は、そう思っていた。
女神なんてまだ早かった。本来また人に転生するはずが、定成を追って気負って神に転生したものの、やはりこうなってしまったのだ。
…今が、幸せ。
涼夏はそう思って、のんびりと過ごしていた。
お正月も過ぎて、イチゴの出荷も一旦落ち着いた。
何しろ、ここのハウスは小さくて、そんなに畝があるわけではないのだ。
それでも、涼夏はもう一種類あるアスパラガスよりイチゴの世話が好きだった。
アスパラガスが嫌いなわけではないが、人の頃からそんなに食べたことが無かったし、イチゴの方が愛着があったのだ。
なので、アスパラの世話はもっぱら健太と朱理がやってくれていて、ここのところは朝ごはんは涼夏が担当して作っていた。
味噌汁の作り方や魚の焼き方など、朱理に教わっていると思い出して来て、今では結構料理ができる。
ここ数週間で、大きな成果だった。
遥か昔とは調理器も変わってしまっていたが、使い方を覚えるとそれは便利だ。
いろいろな調理器を試してみたくて、もっぱら料理が涼夏の趣味になりつつあった。
そんな日常を平穏に過ごしていると、もう今日は節分だった。
涼夏が自動巻き寿司機に具財を入れて楽しんでいると、亮太が畑から戻って来て言った。
「二月だなあ。節分の巻き寿司?」
涼夏は、頷いた。
「そうよ。こっちははまぐりのお吸い物、イワシの煮付け。」
亮太は、ふんふんと頷いた。
「結構伝統に忠実だよね。ここんとこ巻き寿司は食べてたけど、他は無かったな。楽しみだよ。」
涼夏は、微笑んだ。
「健太お父さんもそう言ってたよ。ところで、畑はどう?」
健太は、頷いた。
「今月の終わり頃には植え付けられるかなって。広いからねー、トラクターでも耕すのに時間も掛かるんだ。イチゴとは違ってじゃがいもはめっちゃ作るからまた手伝ってね。」
涼夏は、頷いた。
「もちろん。取れたてのじゃがいもかあ。バターを乗せて食べたらおいしいんだよねー。楽しみだなあ。」
亮太は、ハハと笑った。
「まだまだ、梅雨前ぐらいだよ?収穫は。」
朱理が、何かの袋を手に台所に入って来た。
「はあーいい匂い。涼夏ちゃん、めっちゃ頑張ってくれてるじゃない!」と、亮太を見た。「亮太、帰ってるならお風呂のお湯貯めて来てよ。」
亮太は、いい感じに涼夏と話していたのに、水を差されたと頬を膨らませた。
「なんだよ、姉ちゃんが入れて来てくれたらいいのに。」
それでも、ぶつぶつ文句を言いながら亮太は出て言った。
涼夏はそれを、笑いながら見送ったのだった。
夕食の席は、いつものように明るかった。
健太も上機嫌で、ビールを飲みながらイワシの煮付けを箸でつついている。
今日は農協で手伝いをしていた、朱理が言った。
「…そう言えば、大きな犬を見たの。」朱理以外の三人が、顔を上げる。朱理は続けた。「めっちゃイケメンの外国人の人が、犬ぞりの訓練で来たんだって三頭の狼みたいな犬を連れて来てたわ。食品を扱う場所だから侵入禁止ですって守衛さんに止められて、中まで入って来なかったけどね。イケメンと犬、絵になってたー。あ、私一度目が合ったのよー?」
亮太が、へぇ、と呆れたように言った。
「目が合ったってなんだよ。姉ちゃんもそろそろ夢見てないで現実見たら?林さんと今日は会った?」
林は、涼夏もよく見かける農協の職員で、穏やかなタイプで決して美男子ではないが、それでも癒される人だった。
歳は30代ぐらいだろうか。
いつも朱理と親しげに話していたのは見て知っていた。
ちなみに朱理は28なので、歳的には十分釣り合うのだ。
朱理は、途端に顔を赤くした。
「ちょっと!うるさいよ、亮太。」
健太が割り込んだ。
「お前もそろそろ考えていいと思うし、林はいい奴だぞ?父さんもあいつならいいと思うんだがなあ。」
朱理は、ますます赤くなりながら首を振った。
「もう!いいの、林さんの気持ちもあるのに…私なんか、ダメよ。」
朱理は快活そうな愛らしい顔立ちだった。
涼夏は、言った。
「朱理さんはかわいいし、林さんも朱理さんなら嬉しいと思う!思い切って食事に誘ってみたらどう?」
亮太と健太は、ウンウンと頷く。
朱理は、首を振った。
「私からそんなこと言えないわ。」と、イワシに箸を付けた。「それより、私見ちゃったんだ。ほら、最近変なものが見えるって話したでしょ?」
それには、亮太も健太も頷く。
ここ最近、あり得ないものを見るのだ。
夜ならまだ分かるのだが、日中畑仕事をしていても、空になにか人のようなものが飛んで行くのが見えたり、街中なのに甲冑姿の武者が見えたりする。
物凄くオーソドックスな幽霊のスタイルだった。
「…霊感っての?無いと思ってたのに、急に見えるようになったよな。父さんも、今日結構な数の武者が飛んでったって畑仕事中言ってたし。」
健太は、それでも平気そうな顔をした。
「もう慣れた。別に何かしてくるワケじゃなし。」
それは…もしかしたら私を探してる軍神達じゃ。
涼夏は、表情を固くした。
結構近くまで来てる…まだ、あちらで探し回っていると思っていたのに。
だが、今の涼夏を見ても向こうにはわからないはずだった。
気の色も亮太に加えて朱理の色も混ぜて、よりヒトに近い色合いに装っている。
もともと弱い気を極限まで抑えているし、ヒトにしか見えないはずだった。
そもそも亮太や朱理、健太がそんなものが見えるようになったのも、恐らく涼夏のせいなのだ。
同じ家で住んで、涼夏が作るものを食べて、同じ空気を吸って生きているので、自然波長が変わって神が見え始めているのだと思われた。
…諦めて帰ってくれるのを待つしかないか。
涼夏が思っていると、亮太が言った。
「あ、怖かった?ごめん、オレ達だってワケがわからないんだ。でも見えるだけで何もないから。」
朱理も、急いで言う。
「そうよ、家の中じゃ見ないし。平気よ。それにね、今日見たのはすっごいイケメンだったの!黒髪に青い瞳でね、甲冑来て浮いてたんだ。あんな幽霊だったら怖くないなあって。」
え、黒髪に青い瞳…?!
黒髪は、龍に多い。
まさか龍王まで探しに来ることはないだろうから、龍の軍神が来ているのかもしれない。
「…あの、多分、それは私のせい。」皆が驚いた顔をすると、涼夏は続けた。「私、昔から霊感が強くて。一緒に住んでるから、移ったんじゃないかな。」
ええ?!
と皆が目を丸くするのに、涼夏は言わない方が良かったか、と思ったが、この状態だと疑われそうなので、先に人世らしい言い訳を付けてみたのだ。
思った通り、朱理が納得した顔をした。
「そうなんだ。なんか、そんな感じしたのよね、だってほら、涼夏ちゃんが来てしばらくしてからだもんね。」
亮太も、神妙な顔をした。
「だな。何かあるのかなって思ってたから何かスッキリした。」
健太は、イワシを食べながら頷く。
「なんか分からんが害は無いし、見えないより良いかもな。ほら、襲って来ても分かるし。」
「なにもできないけどね。見えるだけだから。」
朱理が笑い話に変えてくれて、その場は和んだ。
涼夏は、しばらくは町にも行かないでおこう、と心に決めていた。




