114.生活
迅は、二階へと上がって、言われた通り奥の一室以外で、自分が滞在する部屋を探した。
二階には確かに多くの部屋があって、奥の一室を除いて5室もあった。
その内、バスとトイレが付いているゲストルームらしい一室を見つけて、そこにすることにした。
トイレは必要ないが、風呂は欲しいので部屋にあったら助かる。
そこは、少し埃っぽかったが、窓を開いて中の気を流すと少し、マシになった。
ポンポンとベッドのカバーを叩いてみると、ここは埃は積もっていなかったので、定期的に交換されているようで、それはホッとした。
迅は、とにかく明日には宿もチェックアウトして、ここで落ち着いて過ごせるように励もう、と、その夜はそのまま、一気に疲れが出てぐっすりと眠ったのだった。
次の日の朝、目が覚めてとりあえずシャワーで体を流すと、昨日と同じ服を着て、ヤーコフが目を覚ましているだろうかと階下へと階段を降りて行った。
すると、暖炉の火は安定した様子で良い感じに燃え盛っていて、その近くのソファに、既にヤーコフは居なかった。
どこへ行ったとキョロキョロしていると、キッチンの方から声がした。
『起きたか?』振り返ると、ヤーコフがパンを手に立っていた。『朝飯ができてるぞ。こっちだ。』
迅は、食事はしなくてもいいのだがと思いながらも、ヤーコフの好意を受けて、人らしく言った。
『すまないな。そこまでしてもらわなくてもいいのに。』
だが、ヤーコフは首を振った。
『いいんだ、雇う事になったら、うちは家族と同じように扱うって決めてる。食事は一緒に摂るんだよ。食費はこっちで負担だ。いい条件だろ?』
迅は、頷いたが今時の人には、少し重いかもしれないな、と思った。
食事があるのはいいだろうが、毎回雇い主と食事を共にしなければならないとしたら、面倒だと考えそうだった。
だが、あいにく迅はどうあってもここに居座らなければならない。
なので、一緒に食事をするぐらいなんでもなかった。
『良い所に雇われた。』迅は、わざとそう言った。『料理なんかからっきしだし、毎回出してもらえるなら助かるな。ホテルはチェックアウトしてくるよ。IDは要るか?』
初日にきっちり偽造を済ませてある。
だが、ヤーコフは、手を振った。
『そんなの後でいい。さあ座れ。料理ができないなら食事当番は任せられないな。オレがやるさ。』
そう言いながらも、なぜかヤーコフは嬉しそうだ。
迅は、目の前に並べられた結構なボリュームの食べ物を、ヤーコフと共に食べたのだった。
食事を終えて、片付けくらいはしようと流し台に食器を運ぶと、ヤーコフは上機嫌で言った。
『片付けはしてくれるのか?助かる。』
迅は、頷いた。
『世話になるんだしこれぐらいはな。』
迅がじゃぶじゃぶと食器を洗っていると、ヤーコフは言った。
『お前さんはまだ二十歳なんだろう?苦労してるんだな。もっと歳上かと思った。』
確かに苦労はしている方かもしれない。
迅は、首を振った。
『今まで親に頼りきりだったからな。日本に居ても良かったが、心機一転母親の国に行ってやり直そうと思って。全部捨てて来た。』
ヤーコフは、神妙な顔で頷いた。
『オレもそうだった。』迅が皿を洗うのを見ながら、ヤーコフは続けた。『父親がどうしようもない奴で、母親が逃げるようにオレを連れて別の土地に行ってなあ。働き過ぎてオレが十代の時に死んじまって、そこからこっちへ来た。母親が死ぬまで行ってた学校で建築は習ってたから、一からここでやり始めたんだ。結婚もしたさ。娘が一人居て…もう結婚して別の土地に居る。』
迅は、皿を水切りカゴに収めて、水道を止めた。
『奥さんは?亡くなったのか。』
ヤーコフは、首を振った。
『オレにもどうしようもない親父の血が流れてたってことさ。』ヤーコフは、迅から目を反らして言った。『…女に引っ掛かって。家族を蔑ろにしてしまった。その間に妻と娘は家を出たのさ。後から娘は連絡をくれたが、妻は再婚して今は幸せにしてる。あいつらが出て行った後親父が亡くなったと聞かされて、目が覚めた…オレは親父と同じだって。だが、遅かったがな。それから、時々従業員を雇うが皆続かなくて基本、オレはここで一人で住んでるんだ。』
ヒトの人生は短いもんな。
迅は、ヤーコフに同情した。
五十代ぐらいに見えるが、やり直すにはもう難しい。
やろうと思えばできるものだが、ここから新しい家族を持って育てるのは、子供の歳を考えても難しいだろう。
迅は、手をタオルで拭きながら言った。
『ヤーコフはいくつなんだ?』
ヤーコフは、答えた。
『51。』と、苦笑した。『分かってる、ここから結婚して新しい家族ってのも子供が成人したらもう老人だ。そこまで健康にやっていけるかもわからない。もう諦めてるさ。』
迅は、頷いてどう言えば良いのかも分からず、仕事の話をしようと言った。
『…さて、仕事だな。オフィスは向こうか?』
迅は、昨夜この家の玄関扉が二つあるのを見て知っていた。
こちらが住居なら、隣りは事務所だろう。
ヤーコフは、笑った。
『おいおい、今日はクリスマスだぞ。いくらなんでも、レフだって今日は休みだ。あいつは気のいい奴で、孫が来るのにイブの夜だけは、オレ達みたいな行き場のない奴らに居場所を作ってくれるのさ。確かに一人暮らしだが、あいつんとこは上手いことやって、毎年息子が孫を連れてやって来る。クリスマスの日だけだがな。』
そうなんだ。
迅は、人情というものを知った。
ここは、皆が労り合って上手くやっているのだ。
『だったら今日はホテルに置いてる荷物を取って来る。休みをもらってもやることもないし、できたらどんな資格を持っている方が良いのか教えてくれないか。早いとこ覚えて仕事をしたいんだ。お荷物にはなりたくないからな。』
学ぶ速度は人に比べてかなり早いはずなので、何を持って来られても丸暗記する自信はあった。
ヤーコフは、苦笑してため息をついた。
『だったら後でオフィスに行こう。早いとこホテルを引き払って来い。』
迅は頷いて、そうして昨日まで滞在していた安宿へと荷物を取りに向かったのだった。
ホテルをチェックアウトして荷物を持って外へと出たが、荷物と言ってもここへ来て数着買った、服だけだった。
上下三つぐらいを着回しているだけで、そんなに数は無いのだが今の迅には貴重な人らしい姿を保ってもらうためのアイテムだ。
その他、着ていた甲冑は途中の街で売って来たが、そこそこ良い金になった。
それはもしもの時のために取ってあるのだが、最近では人から金をくすねるのも悪いと思い始めて、ホテル代をそこから支払っていたのでそろそろまずいと思っていたのだ。
つくづく、人としての対面を保つためには、金が重要だった。
働き出したら、慎ましくしていれば金に困る事は無い。
何しろ、迅は食物は必要ないし、いざとなったら同じ服で森にでも入っていれば、特に問題はなかった。
それでも、人に紛れて完全に人として生きていた方が、見つからないのは確かだ。
今は、気の色も偽装しているのであちらは探す術もないはずだった。
ここまで、上手く行くとは思っていなかった。
迅は、思っていた。
だが、このまま神世が自分達、過去の記憶を持つ者達を、諦めるだろうか。
何しろ、維心達はこんなことが起こる度に、何とか方法を編み出して解決して来たのだ。
その処理能力が、今は恨めしかった。
どの方向から来るのか、迅には分からないだけに対策の取りようがない。
今は、出来る限り人に紛れて、なるべく人らしく生きるしかなかった。
…何にも恥じる事の無い生き方をして来たつもりだったのに。
迅は、自分の運命を嘆く事もできたが、とにかくは自分ができることをするしかないのだと、前を向いてヤーコフが待つ、家へと帰って行ったのだった。




