111.潜む場所
一方、迅はいち早く人の服を手にして甲冑は湖に捨てて来た。
悪いと思ったが、洗濯物を拝借し、後に懐剣を置いて代金にして来たのだ。
人は不思議がるだろうが、これしか方法はなかった。
街中に出ると、混雑した人並みの中で適当にあちこちから髪の毛を掠め取り、前に涼夏から聞いた術を使って気の色を付けた。
お陰で、膜を被る必要がなくなった。
思えば、今回の逃亡は涼夏に大きく助けられている気がする。
また会う事があったなら、その点では礼を言わねばと迅は思っていた。
もともと髪も目も黒い迅なので、特にあちこちいじる必要はないと思っていたのだが、背が高いのとそもそもが見た目が美し過ぎるので、目立って仕方がなかった。
なので、ここでは外国人ということにして、観光客として大陸へと渡る事にした。
そこでも、月の宮での勉強は役に立った。
人工衛星が機能しなくなるまでは、全ての人のデータは衛星にあったが今は違う。
昔ながらのパスポートが使われているらしかった。
姿を見せずにいれば、簡単にどこにでも出入りできる迅は、あっさり自分のパスポートを作って日本を出る事に成功し、無事に大陸へ、ヴァルラムの統治する土地へと、人として足を踏み入れる事ができた。
しかし、ここからだった。
見た目は肌を浅黒く、髪は金髪にしていたが、顔はまだ迅のままだ。
誰かに似せて変えた方が良いので、適当にそこらの人の顔を真似て変換し、もう気すら変わった迅のことは、誰も迅だとは思えなくなってしまっていた。
…きっと、これで死ぬまでは見つからないのだろうな。
迅は思ったが、それで自分を偽って生きて何が楽しいのだろうか。
死にたくないのではなく、迅は昌士が落ち着きさえしたら、戻っても良いと思っていたのだ。
記憶など、無くてもいい。
そこが、涼夏とは違った。
自分はただ、この手であの宮を滅ぼしたくないだけなのだ。
…百年ほど様子を見て、出頭しよう。
迅は、そう思っていた。
そして、人の並みに乗って大陸の奥へと進んで行ったのだった。
涼夏は、次の日の朝目が覚めて、服を着替えようとしたが、何もない。
驚いて昨日借りた服のまま食堂の方へと向かうと、朱理が居て、言った。
「あら、起きた?朝ごはんは居間で食べるのよ、お父さんにも朝話しておいたからね。」
涼夏は、躊躇いながら言った。
「あの、私の服は…?」
朱理は、微笑んだ。
「ああ、お洗濯してる。」
昨日の夜着たばかりだったんだけどな。
涼夏は思ったが、頭を下げた。
「すみません、何もかも。」
朱理は、笑って手を振った。
「そんなの気にしないでってば。私の服を貸すわね。今は朝ごはんよ。ほら、行こう?」
涼夏は、頷く。
そうして、朱理と共に居間だという部屋へと向かった。
そこには、亮太と50代ぐらいの男の人が座っていた。
朱理と涼夏が入って行くと、初老の男の方がおや、という顔をした。
「なんだ、亮太が人形みたいに綺麗な子だっていうから、またこいつはと思っていたが、めちゃくちゃ綺麗な子だな。外国人か?目が青い。」
涼夏は、ハッとした。
そうだった…目の色を忘れていた。
だが、もう見られてしまったのだから仕方がない。
なので、言った。
「あの…ハーフなんです。母が…ヨーロッパから来てて。」
確かいろんな国の名前が変わっていたはずだし、変な事は言えない。
なので、適当な事を言った。
亮太は、頬を赤らめた。
「明るい所で見たら、ほんとあり得ないぐらい綺麗だよね。びっくりした。」
女神だからね。
涼夏は、思っていた。
そもそも神世にはもっと美しい女神がたくさんいるのだ。
人として見たら、それは美しいと言われるだろう。
涼夏が黙ったので、男が言った。
「さ、座って。」涼夏が座ると、男は続けた。「涼夏ちゃんだったね。オレは健太。この二人の父親だよ。母親は亮太を産んで亡くなったから、それから親子三人でな。一時は住み込みの子達も大勢いたもんだが、今はこんな北の端までなかなか来てくれなくてな。できる範囲でやってるんだ。君が手伝ってくれるなら嬉しいが、親御さんには言わなくていいのか?一応、お預かりするし、事情があるだろうが筋だけは通しとかないと。」
言われて、涼夏は困った。
親といっても…片方は自分の命を狙っているし、片方は死んでしまった。
大体人世に降りるなど、生きていても許してはもらえなかっただろう。
なので、言った。
「…二人とも、事故でもう。つい最近でした。」
亮太と朱理が息を飲む。
だからこんな所に一人きりでと思ったのだろうと思われた。
健太は、バツが悪そうに言った。
「そうだったのか。すまないな、そんなことだとは思わなくて。でも、成人してるんだよな?二十歳だって聞いた。」
涼夏は、頷く。
「はい。もう、死ぬつもりで…携帯も財布も、全部海に捨ててしまったのでIDとかもないんですけど。亮太さんに声を掛けてもらって、それでここへ来てしまったので…お邪魔なら、出て行きます。」
あれこれ面倒だと困るし、またIDとか偽造してから別の所で働くしかない。
一応女神だから、偽造ぐらいはお手の物だった。
「いや、出てけとか言ってない。」健太は慌てて言った。「じゃあ、ここで働いてくれたらいい。気持ちが落ち着いたら、また帰ればいいから。こっちも働き手がいた方が助かるしな。何しろ部屋は有り余ってるし。」
朱理が、何度も頷いた。
「そうそう!いくらでも居たらいいのよ。大丈夫、落ち着いてから話したくなったらいろいろ話してくれたらいいの。気にしないで。もう大人なんだし、別に保護者とか必要ないじゃない。好きなだけここで居て、手伝ってくれたらいいの。」
朱理の優しさが逆につらい。
涼夏は、思った。
自分はこの優しい人達を騙しているのだ…何しろ、誰が神様がこんなところに家出して来ると思うだろうか。
しかも、追われているのだ。
だが、ここでそんなことを打ち明けたところで、誰も信じず、頭がおかしいのだと思われるのがオチだ。
涼夏は、深々と頭を下げた。
「ご迷惑をかけて申し訳ありません。追々、お話して参りますので。我…私は、今はまだ、心が落ち着かなくて。」
亮太が、うんうんと頷いた。
「いいんだって、そんなに畏まらなくても。」と、健太を見た。「親父が親とか言うから。成人してるんだって言ってるのに、そんなの別にいいじゃないか。」
健太は、渋い顔をして言った。
「別にそんなつもりじゃ。オレは良いんだよ、こんなかわいいお嬢さんが働いてくれるなら嬉しいし。でも、親御さんに攫われたとか言われたら駄目だからって思って。」
確かにそう言われたら困るだろう。
健太は、間違ったことは言っていないのだ。
涼夏は、言った。
「健太さんが悪いんじゃありません。私がこんな風だから…IDも、また役所へ行って再発行してもらって来ます。」
コンピュータをハッキングして中身から良さげな人で、もう亡くなった人のIDを書き換えて使おう。
涼夏は、そう思っていた。
健太は、そんな事を言い出して自分が悪いと罪悪感を感じたのか、言った。
「うちで一番良い部屋を使ってくれたらいいぞ。そうだ、飯食おう、飯!朱理、今日はゆっくりしてもらって明日から手伝ってもらう事にしよう。」
朱理は、頷いて炊飯器を開いた。
「さ、ご飯にしましょ。もうこんな話はお終いよ。」
涼夏は頷いて、何とか話題を明るくしようと頑張る健太と亮太、朱理に気遣われながら、おいしく朝食を食べて、朝の時間を過ごしたのだった。




