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110.家庭

その男の車は、昔とは比べ物にならないぐらいハイテクだった。

大きさは、見た目は昔見た軽自動車ぐらいだったが、中は物凄く広い。

何しろ、運転席には申し訳程度のハンドルと、パネルしかなかったのだ。

「自宅。」

男が言うと、車が柔らかな女声で答えた。

『自宅へ向かいます。』

そうして、勝手にスーッと動き出した。

…凄い!自動運転だ!

涼夏は、何でもないふりをするのが大変だった。

車が勝手に進んで行くのに、男が話し掛けて来た。

「名前がまだだったよね。オレは小松亮太(こまつりょうた)。君は?」

困った、名字がない。

涼夏は、とにかく名字は伏せてるふりをしようと、言った。

「…涼夏(すずか)。」

男は、何でもないように言った。

「かわいい名前だね。字は?オレは亮、うかんむりに口書いて足があるやつ。太は大きいに点だよ。」

涼夏は、必死に話題を作ろうとしてくれてるんだなと頷いた。

「私は涼しいに、夏って書いて涼夏。」

亮太は、微笑んだ。

「いい名前だね。涼しい夏かあ。まあ、うちは農家だから夏が涼しいと困るんだけどね。」と、慌てて付け足した。「でも一般的にはいいよね。」

何が良いのかわからないが、どうやら亮太は話しベタらしい。

雪が降り積もる道だったが、この車は難なく進んで行く。

それでも、涼夏が生きていた頃に比べると、北海道の最北端にしてはかなり雪が少なくなっていると思った。

温暖化は、止まっていないようだ。

しばらく車内は重苦しく沈黙していたが、この親切な亮太がかわいそうに思えて来て、涼夏は言った。

「…農家なのに警備員してるの?」

亮太は、ハッと涼夏を見て、何度も頷いた。

「そうなんだ。ほら、農家だけじゃあね。この時期は暇だし。午後からあの時間までアルバイトだよ。」

そうか、師走だもんね。

涼夏は、思って聞いていた。

町を抜けてだだっ広い道へと入り、真っ直ぐに進むが、あちこちにポツン、ポツンと灯りが見える程度で、民家はあまりない。

この辺りは、どうやら全部畑のようだった。

そんなポツンとした家の一つに、車は向かって行った。

そして、そこまで来て初めて亮太はハンドルを握った。

『自動運転を終了します。』

また、車が言う。

亮太は慣れたように車を操ってバックさせ、広い車庫に車を駐車した。

そこには、他にも二台の同じ車が停まっており、色だけが違っていた。

「さ、降りて。姉ちゃんと親父に紹介するよ。」

涼夏は、頷いたがにわかに緊張し始めた。

いきなり自殺志願者を連れて帰って来たなんて、家族はどう思うんだろう。

だが、今はとにかく潜む場所が欲しかった。

ふと見ると、目の前の亮太の肩に髪の毛が落ちているのが目に止まった。

「待って。」と、それを取った。「髪の毛が。」

亮太は驚いた顔をしたが、赤い顔で言った。

「あ、ありがとう。」

髪の毛を手に入れた。

亮太は善意だと思っているが、涼夏はそれがどうしても欲しいものだった。

誰のものでも良いから、とにかくその気を発する物を、手に入れたかったのだ。

涼夏はその髪の毛を手に取って、そっと口の中で呪文を念じた。

この、腹の子の気を誤魔化す呪文は、存在することは知っていたが、内容までは小説には記されていなかったのだが、月の宮の図書館で、そういえばあの呪文はどんなものなんだろうと思って興味本位で探した結果、見つけて覚えたものだった。

迅にそれを得意げに話すと、一応夫なので苦笑しながら他の神にそのように申すでないぞ、と窘められたものだった。

だが、それが今や役に立つのだ。

思った通り、それはすんなりと発動して、自分の気の色が変化したのが分かった。

…やったわ!これで膜を被って居なくて済む!

涼夏は、ホッと胸を撫でおろして、被っていた気を遮断する膜を、慎重に破った。

亮太は人なので、何も知らずにまた涼夏に背を向けて、玄関に向けて歩いている。

涼夏は、人の気を取り込めたことで一層、見つかりづらくなっただろうと思って、ホッと肩の力を抜いていたのだった。


「おーい姉ちゃーん!ちょっと来てー!」

家の中の電気はまだ着いていたので、誰か起きているのは分かっていたが、涼夏はハラハラした。

何しろ、この家の時計はもう、12時近くを指しているのだ。

すると、奥から廊下へと若い女性が欠伸をしながら出て来た。

「なにー?あんた、まさか夕ご飯食べてないんじゃないでしょうね。出てく時いらないって言ったよね?もう無いよ?」

亮太は、慌てて言った。

「違うって!っていうか、その飯は食べてないけど…」と、涼夏を見た。「あの、困ってる人が居たから、連れて来たんだ。」

姉は、え、と半分ずれていたメガネをぐいと押し上げた。

そして、まじまじと涼夏を見つめて、目を丸くした。

「え!あんた…どこのお嬢さんを攫って来たの?」

涼夏は、ここは何とか自分が言わないと、この口下手な亮太では拗れるかもしれない、と慌てて言った。

「あの、私東京から出て来て。お金が続く所までって来たら、ここまで来てました。お金も無くなったし、港まで歩いて来てぼうっとしてたら、亮太さんが声を掛けてくれたんです。」

亮太は、思いのほか涼夏が積極的に協力してくれるので、それに力を得て頷いた。

「そうなんだよ!携帯電話も海に投げちゃったって言うし…あのままにしておけなくて。」

亮太の姉は、まじまじと涼夏を見ていたが、言った。

「…そうなのね。分かった、とにかく上がって。亮太、ご飯まだって言ったわね?二人分用意するわ。うどんぐらいしかないわよ?」

亮太は、頷いた。

「うん、ありがとう姉ちゃん。」

うどん…。

涼夏は、懐かしい、と思った。

心底懐かしい言葉が、ここでは日常なのだ。

涼夏が涙を浮かべていると、亮太がそれに気付いて慌てて言った。

「涼夏ちゃん?ほら、良かったらお風呂でも入って来るか?オレは後でいいし、姉ちゃんがご飯準備してる間、入って来たらいいよ。こっち。」

亮太は、涼夏の涙を見ない事にしようと思っているらしく、後ろを向いてズンズンと歩き出した。

涼夏は、亮太に感謝して、その後ろについて歩いて行った。


ここの家は古いらしく、お風呂は大きいが岩でできた感じのものだった。

涼夏は、そこで顔を洗って涙を消し、体もスッキリと整えた。

…一昨日から入ってなかったもんなあ。

涼夏は、そう思いながら湯船につかっていた。

すると、脱衣所の方から、さっきの姉の声がした。

「涼夏ちゃん?だっけ。ここに、私のお古で悪いけど、着替え置いておくわね。寝る時に着る物よ。出たら、廊下を真っ直ぐ行って玄関の所を右に折れて、食堂に来てね。」

涼夏は、答えた。

「ありがとうございます。」

何から何まで。

涼夏は、自分の事など胡散臭い上にどこの馬の骨かも分からない、おかしな女だと追い出されるかもしれない、と思っていた。

だが、亮太の姉はとても優しそうだ。

ここに居る間は、なるべく役に立つようにしようと、涼夏はお風呂から上がって、用意してもらった服に着替えて、食堂へと向かったのだった。


平屋なので、迷う事もない。

涼夏は、おそるおそる歩いて、灯りが漏れる食堂へと足を踏み入れた。

すると、何かを深刻そうな顔で話し合っていた亮太を亮太の姉が、こちらを向いた。

「あら。」姉が、言った。「涼夏ちゃん。私は、亮太の姉の朱理(あかり)よ。朱理って呼んでね。すぐにおうどん入れるから、座って。」

邪魔をしたような気持ちになったが、言われるままに椅子へと座る。

亮太が、言った。

「今、姉ちゃんにいろいろ話してたとこ。涼夏ちゃん、ここで働く気はない?」

涼夏は、驚いた顔をした。仕事?

「え…ここで?」

冬だからアルバイトに出てるって言ってたのに。

涼夏が思っていると、朱理が言った。

「ほら、お金が尽きちゃったって言ってたでしょ?だったらここに住み込みで働いたどうかなって言ってたのよ。うち、冬はそんなにやる事ないんだけどね、ハウスで育ててる野菜が少しあるから、そっちを手伝ってくれたりしたら、助かるかなって。冬は私とお父さんだけでやれる分しか育ててないんだけどね、最近お父さんも腰が痛いみたいで。」

ああ、ハウス栽培もしてるんだ。

というか、きっと気を遣ってくれたのだろう。

涼夏は、言った。

「…いいんですか?いきなり、お邪魔して…。」

涼夏は、自分がどんなに厚かましいのか知っていた。

海に向かってもう終わりだとか、脅迫染みた事を言って亮太に連れて帰らせて、そうしてこんな心配までさせている。

この二人は、人が良いのもほどがあるのだ。

朱理は、首を振った。

「いいのよ、ここらでは求人しても今時全く人が来なくて困ってたから。うちは部屋だけは余ってるから、気にしなくていいのよ?居たいと思うだけ居て、手伝ってくれないかな。」

涼夏は、良かった、と涙ぐんだ。

居場所ができたのだ。

「…すみません、何もかも。ありがとうございます。」

朱理は、頷いた。

「いいの。こっちも助かるもの。さ、食べて。冷めないうちに。」

涼夏は、物を食べるのも久しぶりだったが、懐かしくうどんを亮太と共に啜ったのだった。

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