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104.記憶

聡子は、そのまま月の宮に残る事になった。

これから先は、勝手な行動は慎み、月の宮の決定に従う事に同意したのだ。

蒼は、年末まではこのまま様子を見る、と宣告し、王としての権限を利用させてもらい、皆を黙らせた。

本来、十六夜も碧黎も、神世の王の言うことなど聞かないのだが、蒼はいつもこの月の宮のために王として他との交流を引き受けて上手くやっていたので、蒼がそう決めたのならと、それに同意して様子を見る事にした。

蒼にも付き合いがあるだろうし、勝手な事をしてそれが崩れるのを避けたのだ。

聡子は、宮の客間に部屋をもらって、そこで毎日何をするでもなく過ごす事になった。

世話人なっていた、炎嘉には文を書いた。

定成を殺せなかったこと、今は月の宮に留められて勝手な事はできないことも、それで知らせた。

炎嘉からは、あの華やかな文字で返事が来た。

特に気にしてはいないが、出て行くのなら一言欲しかった、とだけ知らせて来ていた。

聡子は、悪かった、と思った。

炎嘉は何とか自分を生かせないかと考えてくれたからこそ、対応が遅れていたのだ。

それなのに埒があかないなどと勝手に宮を飛び出して、炎嘉の顔に泥を塗ってしまった。

だが、あの時は居ても立ってもいられなかったのだ。

今は、碧黎が居るのでここから逃れることなど無理であるし、それに留められて何もできないので、かえって落ち着いていた。

流れが停滞していても、自分のせいではないからだ。

聡子だって、何もできない自分に言い訳が欲しかったのだ。

月の宮は、十分に聡子を籠めておける場所であるし、その理由に相応しかった。


涼夏は、いつものように出勤して行った迅を見送って、迅の屋敷に居た。

迅は、じっとしているのも落ち着かないからと、やはり蒼の軍神として働く事を望み、一時は皇子として扱われていたのを、また軍神として仕えて過ごしている。

ここのところ、なぜか落ち着かない。

陸の宮も安泰に見え、定成が特に怪しい動きもしていない今、焦ることなど何もないと思っていたのに、何やら焦燥感が胸をついて苦しいほどだ。

迅も、毎日順調なはずなのにイライラとしているように見える。

昌士は上手くやっていて、あちらはもう危惧することなどないはずだった。

それなのに、何かが迫っているようで、怖い。

こんな感情は初めてだった。

涼夏が窓辺でボーッとそんなことを考えていると、目の前に十六夜が浮いた。

「?!」

涼夏は、驚いて跳び上がると、窓を開けた。

「十六夜!どうしたの、何かあった?」

十六夜は、浮いたまま言った。

「言うのが遅れてすまねぇが、もう師走だし話しとこうと思ってな。聡子が、今宮に居るんでぇ。炎嘉の所を出て来たから、こっちに来いって呼んだ。お前、話したいって言ってただろ。」

涼夏は、口を押さえた。

「え、いつから?!」

十六夜は答えた。

「先月から。」と、地上に降りた。「親父に話したら、話すぐらいいいだろうって。聡子にゃ聞いてないが、行くか?宮の客間だ。オレなら瞬間的に送ってやれる。」

涼夏は、何度も頷いた。

「行く!連れてって!ずっと話したかったのに、全然文にも返事をくれなくて…。」

ということは、聡子は、話したくないのかもしれない。

だが、こちらは話したかった。

自分勝手かもしれないが、聡子は答えを持っている。

友だったんだから、少し頑張れば話してくれるはずなのだ。

十六夜は、頷いた。

「分かった、じゃあ送ってやる。だが、あんまり期待するなよ。前の聡子とは違う。ちょっと話したらすぐ帰す。何しろ、今は聡子と面会できるのは、月の眷属だけって決められてるんでぇ。蒼が許さないと話せねぇ。お前は、前から友達だったし一回ぐらい良いだろうってさ。」

涼夏は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

何しろ、聡子は詠み人なのだ。

軽く教えてくれると考えている、自分の考えを見透かされたような気がした。

「…変な事は聞かないから。自分の事を聞きたいだけなの。」

十六夜は頷いて、手を上げた。

「だったら行け。一応言っとくが、会話はオレも親父も聞いてるぞ。じゃあな。」

つまり、私がおかしな事をしないようにってことね。

今さらそんな事があるはずもないのに、と、涼夏は目の前の景色が消えて行くのを感じていた。


次に視界が開けた時には、目の前に広い庭が見え、それが南の客間の前の庭だと分かった。

客間と言っても、ここは天黎や碧黎の居る部屋が近いので、滅多に客を入れない場所だ。

そこに飛ばされたということは、ここに聡子が居るということなので、つまりは監視しやすい場所に入れられているということだ。

客間の窓の方を振り返ると、少し大人びた雰囲気になった、聡子が驚いたようにこちらを見て立っていた。

「聡子殿!」

涼夏は、思わずそちらへ駆け出した。

聡子は、驚いていたようだったが、表情を引き締めると、窓を開いてこちらへと足を踏み出した。

「涼夏殿。」

その落ち着いた様子に、涼夏は思わず足を緩めた。

てっきりこうして会えば、あちらも喜んで飛び付いて来てくれると思っていたのだ。

だが、十六夜が言ったように、聡子は前までの聡子ではない。

涼夏は急に冷静になると、頭を下げた。

「…今は我は軍神の妻でしかありませぬ。失礼しました。」

聡子は、首を振った。

「…陸様が迅殿を皇子だとおっしゃる限りは、いくら蒼様に仕えておろうと皇子であられますわ。あなたは妃。我と同じですわ。」

涼夏は、そろそろと顔を上げた。

こうして見ると、見た目は変わらず幼いのに、雰囲気が歳月を感じさせて落ち着き過ぎていて、戸惑う。

涼夏は、言った。

「…十六夜が話をさせてやると。我をこちらに運んでくれましたの。」

本来聡子とはもっと砕けて話していた。

だが、違う神を見ているようで、涼夏は他人行儀な姿勢を崩さず言った。

聡子は、頷いた。

「でしょうね。今は誰とも話す事を許されておらぬのに、あなたがこちらへいきなり現れたので。」と、息をついた。「…それで?黄泉の事はほとんど覚えておらぬのだと聞きました。あなたは我と何を話したいのですか?」

涼夏は、気軽に黄泉での事を教えてもらおうと思っていたのだ。

だが、聡子の雰囲気はそれを許してくれそうになかった。

「あの…あなたは知っておるのですよね?黄泉での我らの事を。言える事だけでも、教えてはもらえないかと。無理なら良いのです。覚えておらぬ我らが悪いのですし…。」

聡子は、息をついた。

「…良いのです。もう、その記憶はなくなる決まりがあります。今さら知ったところで、仮に覚えておったとしても全て消えるのですから。聞く必要はないかと思いますよ。」

涼夏は、え、と固まった。

なくなる決まり…?

「…どういう事ですか?自然になくなると…?」

聡子は、首を振った。

「いえ、消されるのです。事が全て終わったら、頭に残る過去の記憶は全て取り出して処分される事に、あなた方は同意したから記憶を持って降りて来られました。そうでなければ、定成と同じ。存在してはならぬものとして黄泉へ帰らねばなりませぬ。本当に、何も覚えておらぬのですか?」

覚えていない。

涼夏は、ショックで後ろへ二歩三歩と下がった。

記憶を持ったままでは生きられない…定成を止めるために降りたから、終わったら全部消されるというの…?!

「そんな…何も、何も覚えておりませぬ!全部消さないと、生きられないのですか?この、月の宮でも?」

聡子は、重々しく頷いた。

「存在自体が脅威となるのです。それでも、あなた方には生きる道筋があります。過去の記憶は玉にできるので、消し去る事ができるのですよ。我にはそれがない。もちろん、定成にも。だからこそ、あなた方の記憶が全て過去になるまで解放されなかったのですから。」

そうだったのか…!

涼夏は、フラフラと更に後ろへと下がった。

記憶が消される…そうでなければ生きる事を許されない。

そんなことを、降りて来る時に約して来たなんて覚えてもいない。

迅との絆は、きっと記憶が無くなったら消え去るだろう。

そうなった時、迅は全てを忘れて己の宮へ帰りたいと思うだろうし、涼夏を妻にしている意味もなくなる。

元々、恋愛感情があって結婚したのでもなければ、そもそもが婚姻関係はまだ結んでいない。

迅から見て、自分は女性ですらないのかもしれないのだ。

蒼も十六夜も、自分が過去の記憶を持っているからこそ尊重して話してもくれるが、それが無くなったらただの侍女の一人でしかないだろう。

今の全てが、その記憶一つで消え去ってしまう…。

あの小説の記憶は、今の自分の全てなのだ。

涼夏が絶句して聡子の顔を信じられないという顔で見つめ、フラフラと尻餅をつくようにその場にへたり込んだ瞬間、十六夜の声が、言った。

《…もう、話は終わりだ。戻すぞ。》

涼夏は、その場からスッと消えて行った。

聡子は、険しい顔からフッと悲し気な顔になって、また部屋へと戻って行ったのだった。

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