キャメロン・フィッツモーリス
アリソンが目を開けると、そこにはジェイデンに似た美形だが、少し下卑た印象を与える若い男と高慢そうな中年の女性が立っていた。
その両脇に見覚えのある赤髪と紫髪が控えている。エイドリアンとチャーリーのジョンソン兄弟だ。
「ふん!これが銀髪の乙女か?髪の毛が茶色じゃないか!」
男がアリソンを値踏みするように見つめながら、エラそうに宣う。
(これが多分ジェイデンの弟のキャメロンだろう・・・。本当に皇帝の座を狙って銀髪の乙女を手に入れようとしているのか?)
「彼女はいつも髪の毛を隠して茶色いカツラを被っていました。彼女が銀髪の乙女に間違いありません」
とエイドリアンが言う。
「ジョンソン先生。まさかこんなところで先生にお目にかかれるとは思っていませんでしたわ」
アリソンが皮肉を言っても、エイドリアンは完全に無視をした。
代わりにチャーリーが
「お前のせいで酷い目に遭った。お前みたいな女が銀髪の乙女なんてちゃんちゃらおかしい!」
とアリソンに憎々しげな視線を向けるが、エイドリアンが「おい、彼女には絶対に手を出すなよ」と小声で牽制している。
「アリソン。これを腕につけろ」
と差し出された腕輪は魔道具らしい。
「これは魔力を封じる魔道具ですか?」
アリソンが尋ねるとエイドリアンは
「ほぅ、さすがよく分かっているな」
と口を歪めた。
(やっぱり、魔法が使えなくなるのか・・・)
アリソンは途端に不安を覚えるが、今は抵抗しない方が無難だと判断した。奴らは抵抗された場合の準備をしているに違いない。
素直に腕輪をつけるアリソンにエイドリアンが意外そうに目を瞬いた。
「へぇ、大人しく従うとは・・・バカではないようだな」
という呟きを今度はアリソンが無視をした。
「この女を手に入れれば、キャメロンが皇帝に就けるのよね!?そういうことなんでしょ?」
中年の女がヒステリックな声を上げる。
(彼女が恐らくキャメロンの母親。先帝の側妃か・・・)
アリソンは冷静に周囲を観察し続ける。
「はい。そうです。早い方がいい。キャメロン殿下。今夜中にアリソンをものにして下さい」
エイドリアンの言葉に、アリソンの背筋がゾッとして鳥肌が立った。
「こんな女と二人っきりにしてキャメロンに危険はないの!?」
喚く側妃に
「魔法陣は金属や魔道具をはじきます。武器は持って来られないはずですが、ご心配なら侍女に身体検査をさせましょう」
とエイドリアンが言い、侍女がアリソンの体を念入りに調べて武器を仕込んでいないことを確認した。
キャメロンは先刻からニヤニヤと下卑た嗤いを浮かべて、アリソンの全身を嘗め回すように見つめている。
アリソンは気持ち悪さに吐き気が止まらない。
「魔力封じの腕輪も付けています。魔法が使えなければ普通の女と同じ。キャメロン殿下、どうか良い夢を」
芝居がかった礼をするエイドリアンに唾をかけてやりたいと考えながらも、アリソンは無言でキャメロンに続いて部屋を出た。
(ここはどこなんだろう・・・?皇宮ではないことは確かだけど。ジェイデンたちが把握できなかった秘密の建物なんだろうけど・・・)
部屋にも廊下にも窓がまったくない。場所の手がかりになるようなものがなく、また脱出するにもどこに向かったら良いのか分からない。
アリソンは焦った。
両脇と後ろに護衛の騎士がついているので、今は手を出す訳にはいかない。
(反撃はこれからだ・・・)
アリソンは拳を固く握り締めた。
***
ゴテゴテと飾り付けられた豪奢な寝室に通されると、三人の護衛騎士が
「ドアのすぐ前におります。何かありましたらすぐに駆けつけますので」
と慇懃にお辞儀をして扉を閉めた。
キャメロンは涎でも垂らしそうな勢いでアリソンに近づいてくる。
気持ち悪さに思わず突き飛ばしてしまいそうになるが、ここは大人しくしておいた方が良いと深呼吸をして彼の腕を受け入れた。
肩に触れられるだけでも気持ち悪い。
「キャメロン殿下・・・ちょっとお待ちください」
そう言いながら、アリソンはシニョンにしていた茶色い髪を解き放った。
サラサラした長い茶色の髪が豊かな胸元に落ちる。
「ははっ、これはカツラなんだろう?」
と笑いながらキャメロンは茶色い髪を一房摘まんで口元に寄せた。
その瞬間、アリソンはバッとカツラを外し、それをキャメロンの口元に押しつけてそのままベッドに押し倒す。
「っ・・・・・、ぐっ・・・・苦しい・・・・なんだこれは・・・」
とモゴモゴ叫ぼうとするキャメロンに
「このカツラには毒がついています。魔法で作ったのではない、植物から抽出した毒です。叫ぼうとすると余計に口の中や鼻の穴の粘膜から体に吸収されていきます」
と囁いた。
この毒は嚥下する必要がない。目や鼻や口の粘膜から体に吸収される。つまり、息を吸っただけで体が毒を取り込んでしまうということだ。
パニックに陥ったキャメロンは手足をジタバタさせながら抵抗するが、アリソンは力で抑え込む。
徐々に抵抗が弱くなり、皮膚がどす黒く変色していくのを確認してからアリソンはキャメロンからカツラを離した。
キャメロンは速く浅い呼吸をしながら苦しそうに咳込んでいる。顔は土気色で起きる気力もなさそうだ。
致死量ではないが、それを言う必要はないだろう。
部屋の中の異変に気がついたのか扉が開き三人の騎士が飛び込んできた。
「で、殿下っ!!!この女っ!!!」
と叫んで剣を抜く騎士たちを避けながらヒラリと飛び上がる。同時にカツラの中に隠し持っていた竹串を手でつかんだ。
一人の騎士の顔にまだ毒の残っているカツラを押しつけ他の騎士の剣を持つ手の甲に竹串をぶっ刺す。
竹串は魔力が込められている訳ではない。アリソンが丈夫な竹を探してきて丁寧に手作りしたものだ。更に先端には僅かだが植物由来の猛毒も塗られている。
騎士たちは大声で喚きながら床に倒れて悶え苦しんでいる。
騒ぎを聞きつけた側妃やエイドリアンたちが駆け付ける。
部屋の惨状を見て絶句する面々にニッとアリソンは笑いかけた。
(魔法が使えないからって反撃できないわけじゃないわ!)
「お、おまえ・・・どうやって・・・魔法も使えないはずなのに・・・」
驚きのあまり凍りつくジョンソン兄弟に対して、側妃は寝台に横たわるキャメロンに泣きながら走り寄った。
「この女っ!!!キャメロンに何をしたの!?許せない!殺してしまいなさい!!!」
と喚く側妃に
「私を殺したら解毒剤は手に入らなくなりますよ」
とアリソンは冷たく告げた。
「げ、解毒剤!?毒を!?毒を盛ったの!?」
「まさか!?毒を精製するには魔力が必要だ!魔力を帯びたものは魔法陣を通さないはず・・・」
「あのね。植物の中には自然に強力な毒を持つものがあるのよ。そこから抽出した毒だから魔法は必要ない。だからと言って軽い毒ではない。解毒剤がないと死に至る猛毒よ。キャメロンの命はそうね・・・大体あと数時間というところかしら?」
それを聞いた側妃がヒステリックに喚き散らす。
「あんたたち!?話が違うじゃない!?魔法が使えなかったらただの女だって・・・毒だって検出できるって豪語していたのは誰よっ!!!今すぐキャメロンを救う解毒薬を持ってきなさいっ!!!」
前世、パークレンジャーとして働いていた頃、オーストラリアの森の中には死に至るような猛毒を持つ植物が幾つもあった。例えばギンピギンピという植物は近づいて息を吸っただけで気管が炎症を起こし、触れると神経毒で死ぬ可能性もあると言われていた。
修道院での生活では森の中で薬草を摘むことも日々の修行の一つだ。この世界の森にも似たような植物があり毒があることは確認済みである。
植物由来の毒物については帝国での研究の方が進んでいるので、ジェイデンに相談して毒物を手に入れてもらったのだ。
「この毒の解毒剤は皇帝ジェイデン陛下しか持っていないわ。あなたの息子の命が惜しかったら皇帝陛下に頭を下げることね」
視線で殺せるなら殺してやりたいというような憎悪の籠った眼でアリソンを睨みつけた側妃は床に転がっている騎士たちを蹴とばした。
「あんたたち!!!あの女を捕まえて酷い目に遭わせてやりなさいよ!」
と命令する彼女に
「騎士たちにも毒が回っています。それに私に危害を加えたら皇帝陛下は絶対に解毒薬をあなたに渡さないでしょうね」
というと、形容できないような叫び声をあげて喚き散らす。
エイドリアンとチャーリーも憎悪をむき出しにしてアリソンを見つめるが、現状キャメロンの命を人質に取られている状況で下手な手出しはしない方がいいと考えているのだろう。その場を動きはしない。
「それから解毒剤と引き換えにエイドリアンとチャーリーの二人はランカスター王国に引き渡すこと。私を安全に戻すことが条件になります」
アリソンの要求を聞いて、突然逆上したチャーリーが彼女に向かって強い攻撃魔法を繰り出した。
雷のような鋭い魔法の波動がアリソンの肩を引き裂く。
強い痛みを感じた瞬間、傷口から血が飛び散った。
「おい!?銀髪の乙女を傷つけてはダメだ!!!攻撃を止めろ!彼女を傷つけるな!!!」
エイドリアンの叫びを無視してチャーリーは攻撃を繰り返す。
「このっ!くそっ!この女のせいで全てが滅茶苦茶だ!いつもこの女が邪魔をするんだ!」
為す術もなく傷つけられる理不尽さに怒りがこみ上げてくるが、魔法封じの腕輪のために反撃が出来ない。
傷から血がどんどん噴き出してくる。恐らく失血のせいだろう、脳が上手く機能しない。視界が薄れてきた。
エイドリアンが
「おい!止めろ!」
とチャーリーを羽交い絞めにしているのがぼんやりと見えた。
側妃たちもあまりに凄惨な光景に呆然と目を瞠っている。
(魔法さえ使えたらこんな奴に負けないのに・・・悔しいっ!!!)
と心の中で叫んだ瞬間にドガンッという大きな音と、人々の悲鳴や喚き声が聞こえてきた。
「助けてっ!!!魔物がっ!!!突然現れてっ!!!」
「・・・しかも増えてるっ!!!」
「魔物たちが建物を壊して・・・」
あまりに大きな騒動にチャーリーも一瞬動きを止めて、部屋の中の空気が完全な静寂になった。
・・・・その瞬間、
扉だけでなく壁ごと、ガラガラと大きな音を立てて部屋が崩れていく。
それらを破壊した強大な力。
グルルルルルッ
崩壊した壁の向こう側に何十頭もの魔物が青白い炎を立ち昇らせながら唸り声を響かせていた。