人質交換
ジェイデンは乱雑に物が散らばったフレヤの部屋を見回して呆然としている。
明らかに揉み合った形跡がある。
フレヤは自分の意思に反して攫われたのだろう。
その場にいた全員が凍りついたように立ちすくんでいた。
「・・・どういうことだ?何故シャープ大司教が?!」
ニックの声に悲痛な色が滲む。
教会で育ったニックにとって枢機卿や大司教は信頼できる存在であった。フレヤが誘拐されて平静でいられるはずがない。
「ニック、確証は持てない。だが、シャープ大司教が密輸組織と内通していた可能性を除外するわけにはいかない」
そう言うアランの顔色は悪い。
「内通っ!?まさかそんなこと・・・あり得ないだろう。なら、なんでこんな風に誘拐されるんだ!?」
ニックが呆然と呟いた。
「分からない。交渉が決裂したのかもしれないし、シャープ大司教は相手がそこまで悪質だと知らなかったのかもしれない。エイドリアンとチャーリーには国の中枢に協力者がいるはずだと思っていた。まさかシャープ大司教だとは予想できなかったが、帝国皇女であり教会の中枢にいるシャープ大司教が内通していたとしたら商人たちが俺たちを出し抜けたのも納得がいく」
ニックがギリッと奥歯を噛んだ。アリソンも衝撃を隠しきれない。枢機卿のローガンが頼りにするフレヤのことをアリソンも信用していたからだ。
「アラン・・・まさかローガン様まで・・・」
アリソンは『裏切っている可能性は?』という恐ろしい言葉は口に出せなかった。自分の声が震えるのを感じる。
「いや、俺もそこまでは考えていない。いずれにしてもシャープ大司教を救出しないと・・・」
アランは途方に暮れたように呟いた。
アランたち代表団は滞在を延期するしかなかった。仮にも大司教を置いて安否も確認せずに帰国する訳にはいかない。
その日の夜、アリソンたちは今後について話し合った。
「・・・エイドリアンとチャーリーについてはジェイデンに捜索を任せようと思っていたんだが、シャープ大司教の安全を確保するまで俺たちも捜査に参加すべきだと思う。正直、俺はあの二人が大司教拉致に関与していると疑っている」
アランの言うことは尤もで、全員が同意した。
***
しかし、翌日になってジェイデンに呼び出されると、差出人不明の脅迫状がジェイデンの執務室の机に置いてあったと伝えられた。
「フレヤが皇宮に戻ってきた形跡はないから魔法を使ったんだろうな。でないとそんなところに置けるはずがない。やはりエイドリアンとチャーリーが関わっているのだろう」
ジェイデンが深く溜息をついた。
『皇女であるフレヤ・フィッツモーリスを人質にとっている』
『アリソン・ロバーツ男爵令嬢と交換でフレヤ・フィッツモーリスを返還する』
『今夜十二時までに取引に応じない場合、フレヤ・フィッツモーリスを殺す』
『一切の交渉を受け付けない』
という内容の脅迫状にジェイデンたちは頭を抱えたが、アリソンは人質交換に応じて欲しいと率先して伝えた。
ジェイデンとアランはアリソンを危険に晒せないと主張し、ニックやリズたちもアリソンを引き渡すことに同意するはずがない。
フレヤ救出部隊を編成し派遣すると早口でまくしたてるジェイデンに対して
「ジェイデン様!時間がないんです!今夜の十二時までなんて・・・相手の居場所すら掴めない。犯人は一切の交渉を受け入れないと言っています。私は皆さんを信用しています。人質交換で戻ってきたフレヤ様ならどこに監禁されていたか分かるでしょう?居場所を突き止めたら、どうか私を助けに来て下さい!」
とアリシアは訴えた。
「ダメだっ!アリー、脅迫状には人質を魔法で転移させるためのやり方も指示されている。こんなことが出来るのは間違いなくエイドリアンたちだ。あいつらが君に何をするか・・・想像もしたくない!!!」
ニックの顔が泣きそうに歪む。
「大丈夫。私は魔力が強い方です。それに体も鍛えてきました。武器を仕込んでおけば身を守ることくらいは出来ると思います」
(いざとなったら舌を噛んででも・・・)
という覚悟は口には出さない。
「いや・・・脅迫状には転移用の魔法陣の設計図が詳細に描かれているが、金属や魔道具を排除するような構造になっている。だから武器を身につけたら魔法陣が機能しないだろう」
「そうか・・・じゃあ、何か別な方法を考えないと」
アリソンは忙しく頭を働かせ始めた。
「くそっ・・・・こんな時にも、俺は役立たずだっ!!!」
とニックが拳を握りしめる。強く握り過ぎて掌から血が滲んでいる。
(この優しい人が自分を責めなくて済むように・・・私は生きて帰って来なくては!)
「ニック!皆さん!私を信じて下さい。絶対に無事に帰ってきます。自分の身は守れると思います。だからフレヤ様から居場所を聞いた後の救出部隊の手配はお願いしますね?」
本当は指の先が冷たく強張るくらい怖かったけど、それを表情に出さないようにアリソンは大きな笑顔を作った。
ジェイデンがアリソンに向かって深々と頭を下げる。
「アリソン・・・。本当にすまない。君の勇気に心から敬服する。早急に精鋭の救出部隊を手配する。何があっても必ず君を救い出す!」
アランはやはり心配で堪らないという表情だ。
「エイドリアン・ジョンソンの魔力は強い。奴は魔術を知り尽くしているし、アリーの魔力を封じる道具を持っている可能性もある・・・俺は・・・個人的にはアリーを引き渡すことに反対だ」
(エイドリアンは『カラー・ソワレ』の攻略対象なんだから強いに決まってる。戦うにはどうしたら・・?)
アリソンは不安を押し殺して、考えを巡らせた。
脅迫状には人質交換の方法が細かく指定されていた。
向こうの詳細な指示に合わせてこちら側で魔法陣を作成し、相手方でも同様の魔法陣を描く。
相手の緻密な設計図により、こちら側の魔法陣に入るのはアリソン・ロバーツ、相手方の魔法陣に入るのはフレヤ・フィッツモーリスでないと魔法陣が効力を発しない。
アリソンとフレヤ以外の生物、金属、魔力を帯びる魔道具なども受け付けない設計となっているのだ。
アランとニックの反対により、彼らはまだ魔法陣を作り始めていない。
敵方の設計図通りに魔法陣を作るのが相手の取引の応じるという返答になってしまうからだ。
ジェイデンは死に物狂いでフレヤの行方を探っているが、全く足取りが掴めない。
ジョナサン・コナーを始めとする商会の建物、キャメロンやその母親である元側妃の実家が所有する屋敷まで思いつくあらゆる場所を捜索したのだが、何の手がかりも掴めず捜査は行き詰まっていた。
どうやっても、その日の十二時までにアリソンと人質交換せずに事態を打破する方法は見つからないだろう。
アリソンは自分を差し出すよう再三要求し、ギリギリまで反対したアランも最終的にそれに同意した。
それでもニックは反対していたが、
「私はあいつらにとって利用価値がある。だから、決して殺さない。でも、人質交換に応じないままだとフレヤ様は本当に殺されてしまうかもしれない。私はそんなの耐えられない!」
とアリソンが涙ながらに訴え、ニックも已むを得ず首を縦に振るしかなかった。
***
真夜中の十二時近くなり、アランが脅迫状に同封されていた緻密な設計図を基に魔法陣を描き始めると、それに呼応するかのように自動的に魔法陣が浮かび上がってきた。
「・・・こっちで要求に応じる準備が出来たと相手に伝わったということだな。こちら側からは索敵できない設計になっている。さすがエイドリアンというべきか・・・」
悔しいがランカスター王国でもこれだけの精度の魔法陣が描ける人間はそうはいない、とアランは奥歯を噛みしめた。
アリソンは茶色のカツラを被って行くことに決めた。茶色い髪を慎重にシニョンに纏めて後れ毛がないように気をつける。
ニックが世にも情けない顔つきでアリソンの手を握った。
(せっかくニックに触られるのは大丈夫になったのにな・・・)
彼の手が震えているのを感じて、アリソンは切なくなる。
「ニック。私は絶対に大丈夫。無事にあなたのところに帰って来るわ」
特に根拠があったわけではないが、そう言わないとニックが壊れてしまいそうな気がして自分の心を奮い立たせた。
アリソンだって怖くないはずがない。
しかし、逃げるよりも戦うことを選んだ。
もう逃げたくない。ニックのためにも戦って無事に帰ってきたい。
「アリー、でもナイフとか魔道具とか、そういった武器は持って行けないんだろう?」
ニックが不安そうに尋ねる。
「うん。金属はすべて魔法陣で探知されるみたい」
「シャープ大司教が戻ってきたら、奴らのアジトを聞きだしてすぐに助けに向かうから!」
「フレヤ様は無事に戻っていらっしゃるかしら・・・?」
「あの魔法陣の設計図によると生きている人間でないと発動しないようになっているらしい。信じられないくらい緻密で良く出来ているとアランが感心していた。シャープ大司教は大丈夫だ。俺はそれよりも君の方が心配だ」
「それを聞いて安心したわ。大丈夫。あいつらは銀髪の乙女を傷つけるようなことはしない・・と思うわ」
奴らの意図が何であれ、銀髪の乙女は丁重に扱われるだろうというのがジェイデンやアランの意見でもあった。
覚悟を決めてアリソンは魔法陣の中に足を踏み入れる。
全員深刻な面持ちだが、特にニックの表情は酷い。青ざめた顔に凄惨な目つきで、その焦点が合っていない。あまりに痛ましい表情は見るに忍びなかった。
「みんな、そんな顔しないで。早く迎えに来てね。待ってるわ」
と笑顔を向ける。
そのまま数十秒経ち、魔法陣が光を持ち始めた。足元が温かくなり、ジンジンと痺れるような感覚を覚えた時に、アリソンは魔法陣によって転移してどこかに飛ばされた。