出発
フィッツモーリス帝国の皇宮へは、王宮から直接魔法陣を使って転移することが出来る。
その事実を知る者は王宮でも限られていたが、今回海外へ正式な訪問団を派遣するために初めて公表された。
訪問団の海外派遣は、厳しい鎖国政策を取っているランカスター王国においては大きな方針転換と言っていい。
これから外国との交流が始まるかもしれない、と国民はその話で持ち切りだ。
同時に、これまでは噂でしかなかった『銀髪の乙女』の存在も公然と発表した。
それもまた大きな話題となっている。
何かが変わりつつある、と国民の誰もが感じていた。
***
代表団が出発する日、アリソンとニックが『転移の間』に入るとそこに居た大人たちが一斉に振り返った。
思えば、アリソンが銀髪の乙女として公の場に出るのは初めてと言っていい。
彼らの視線の中には『銀髪の乙女』の利用価値を見定めようとする欲望が混じっていて、アリソンは居心地が悪かった。
しかし、見知った顔を見つけてホッと安堵の息を吐く。
「アリソン、久しぶりですね。見違えました。美しく成長しましたね」
と優しく声を掛けてくれたのは久しぶりに御目文字する枢機卿ローガンだ。その後ろにフレヤ・シャープ大司教が控え目に寄り添っている。
ローガン付きの白髪白髭のイケジイ侍従は嬉しそうにアリソンに跪いて
「お久しぶりでございます。再びご尊顔を拝する光栄に感謝いたします」
と丁寧に挨拶をした。
「あ、そんな畏まらないで下さい!」
と慌てるアリソンをニックが顔をほころばせて見守る。
イケジイが
「ああ、本当に美しくなられた。それにニコラス殿下もご立派に成長されました。お二人の健やかな成長を拝見すると・・・ジイは・・・ジイは、嬉しくてつい涙が・・・孫の成長を見守る祖父はきっとこのような気持ちなのでしょう!」
とハンカチを取り出し号泣しだした。
ローガンが苦笑しながらイケジイを隅の席に座らせる。
「申し訳ございませんっ・・!」
と言いながらしきりにハンカチで目を拭うイケジイに
「大丈夫だから休んでいなさい」
と優しく諭すローガン。
「彼はアリソンのことを実の孫のように思っているんですよ。勿論、ニックのこともね」
と麗しい笑みを浮かべるローガンにアリソンとニックは軽く会釈した。
イケジイは教会にいる子供たちに常に優しかった。ローガンの使いで教会に足を運ぶ度に色々なお菓子や本を差し入れしながら、髪色や身分で差別をしない人柄のイケジイをみんなが慕っていた。
きっとずっとアリソンやニックのことを気にかけてくれていたんだろうと思うと、心がじんわりと温かくなった。
ニックも同じ気持ちなのかもしれない。彼がイケジイを見つめる視線も柔らかい。
「あの・・アリソン様、お久しぶりでございます」
その時、声を掛けてきたのはフレヤ大司教だ。
「アリソン様。この度は正式にフィッツモーリス帝国への訪問団に参加して下さり、誠にありがとうございます。銀髪の乙女であるアリソン様からも陛下にご進言下さい。わたくしは以前からランカスター王国は鎖国政策を止め、国を開いて国同士の交流を盛んにすべきだと・・・・」
熱に浮かされたように頬を上気させて話し続けるフレヤを咎めるようにローガンが
「シャープ大司教、止めないか。この場には相応しくない」
と静かに、しかしきっぱりと言い放った。
「枢機卿猊下、・・・大変申し訳ありません」
フレヤは頭を赤らめて退いていった。
アリソンは国策に対して何か意見を述べられるほどの知識も経験もない。ローガン枢機卿が止めてくれて助かった、と小さな溜息を吐いた。
***
その時、先触れの声と共に扉が開き、その場にいた全員が膝を折る。
扉の向こうには正装の国王と王太子アランが立っていて、二人はゆっくりと部屋に入って来た。国王が入ってきた途端、重々しい空気にその場が支配される。
その後ろに、騎士服を着たリズとやたらガタイのいい青色の髪の騎士が続く。
ニックが小声で「あれがアーロン、近衛騎士団の団長代行だ」と囁いた。
騎士団長である王弟ノアが国を離れている間の団長代行ということか、とアリソンは考えた。
青髪の騎士団長代行はアリソンを認めて軽く会釈をし、ニックにはウィンクを送った。
ノアが何をしているのか分からないが、国外に出てからもう数か月経つとニックが心配していた。
アランたちも心配しているのだろうが、王族としてそういった個人的な感情を表に出さないように訓練されているのかもしれない。ノアに関して懸念を示す言動はなかった。
国王の合図と共に全員が頭を上げる。
「皆のもの。本日は我が国の重大な岐路となる。フィッツモーリス帝国皇帝からの要請を受け、我々は初めて正式な代表団を帝国に派遣することになった!」
大きな拍手に包まれて、国王は代表団に入るメンバーを発表した。
団長は王太子アラン。
代表団として帝国を訪問するメンバーはアリソン、ニック、リズ、アーロン・グリーンヒル近衛騎士団長代行に続いて、フレヤ・シャープ大司教の名前が発表された。
それ以外にも数名の騎士が護衛として同行することとなる。
アリソンは、フレヤ大司教が代表団に入っていることを意外に感じたが、黒髪のフレヤはもしかしたら帝国の出身なのかもしれないと思った。
フレヤは魔法学院でローガンと同級生だったと聞いたことがあるが、その経歴は知られていない。
ランカスター王国でシャープという貴族名がないことから、フレヤがこの国の平民出身だと勝手に噂する人間が多かった。しかし、外国から来た可能性もあるとこの世界の秘密を知ったばかりのアリソンは考える。
魔法学院は魔力のある貴族の子女向けの学校だ。ニックは王族なので特例として入学でき、魔法実習以外の成績はトップクラスであったと聞いている。
フレヤも優秀だったのだろうが、平民で魔力がない生徒を果たして受け入れてくれるだろうか?そして、大司教まで出世できたというのも不思議な話だと、今更ながらアリソンは思った。
「・・・・それから、アリソン嬢!」
恐れ多くも国王から呼びかけられてアリソンは飛び上がった。
「は、はい。陛下」
と頭を下げる。
「この場にいる者は君が『銀髪の乙女』だということを知っている。帝国も銀髪を期待しているので、その、カツラは外して頂けないだろうか?」
「あ、はい。勿論です!」
そう言ってアリソンはカツラを外してカバンにしまった。水のようにしなやかな銀色の髪が典雅に肩に零れ落ちた。それを見た周囲の人々が感嘆の溜息を漏らす。
「・・・なんと美しい」
「さすが銀髪の乙女」
などという囁きにニックが落ち着かない様子で身じろぎをした。
「皆、頼んだぞ!」
という国王の掛け声と共に代表団は大きな魔法陣の中に集まった。
全員が魔法陣に入ると足元が光を放ち始めた。最初はぼやけた光だったが、徐々に光の輪郭が明確になる。
一瞬地面が崩れて足元から落ちるような浮遊感を味わい、クルクル回転するような眩暈を感じた後、再び堅い床に足が着地した時には全く違う場所に到着していた。
「っ・・!!!!」
と周囲を見回すと壮麗な宮殿の大広間のようなところにいることが分かる。
長い支柱に支えられた天井を見上げると首が痛くなりそうなほど高い。壁や天井は光沢のある黒地に眩い金色の紋様が複雑に施され、ランカスター王国よりも壮大な文明がここにあるのだということを実感した。
多くの人間に取り囲まれ、しかもその全員が黒髪ということでアリソンは圧倒された。
「まぁ・・・・本当に髪の色が・・・銀色。こんなに光り輝くような銀髪なんて・・・」
「白や青も・・・・スゴイな」
などという騒めきの中、彼らに近づいてきたのは背の高い美丈夫だ。三十代くらいだろうか?凄まじいオーラというか威厳を放っている。
真っ黒な長い髪に、黒曜石を思わせる煌めく瞳。男性にしてはきめが細かく真っ白な陶磁のような肌をしている。高い鼻梁と蠱惑的な唇。
超絶美形を見慣れてきたアリソンでも溜息をつきたくなるほどの完璧な造形の容貌だ。芸術作品のような、という表現がピッタリの美青年である。
「ああ、やってきたね。銀髪の乙女!フィッツモーリス帝国へようこそ!私が皇帝のジェイデンだ!」
と美丈夫が叫んだ。