恋心
二人きりになったアリソンとニックは中庭のベンチに腰かけた。
急に走り出したニックについて来たのでアリソンの息は弾んでいる。
アリソンが座って呼吸を整えているとニックが心配そうに
「ごめん!」
と頭を下げた。
「え?え?どうして謝るの?」
「アリーには沢山謝らないといけない。まず、リリア・テイラーがアリーに酷いことを言った。全部俺のせいだ。俺の目が節穴で簡単にあんな嘘に騙されたせいで・・・本当にすまなかった!」
「え、いや、そんな・・・ニックのせいじゃない・・・」
モゴモゴ口ごもるアリソンに、もう一度深く頭を下げて
「もう一つは、そのせいでアリーを危険な目に遭わせたこと。取り返しがつかないことになるところだった。悪かった!」
と謝罪する。
「え、いや、本当に大丈夫よ。無事だったんだし、ニックがあの時駆け付けてくれなかったら攫われるところだった。ありがとう」
アリソンの言葉にニックは目を潤ませた。
「・・・・すまないっ。リズが言ったのは本当だ。アリーは俺にとって世界で一番大切な女性なんだ。護衛だって仕事でやっているだけじゃない、アリーが大切だから守りたかったんだ!それなのに不甲斐なくてごめんっ!」
「本当に・・・?」
アリソンの目の奥がジンと熱くなる。
「ああ、本当だ。それから・・・あの部屋から逃げる時にアリーの手を直接握ってしまった。それも悪かった。咄嗟に手袋を持っていなくて・・・」
ニックにそう言われてアリソンは驚いた。
(そうだ・・・直接手を握られたのに・・・平気だった。というか気がつかなかった)
「本当にすまなかった。怖い思いをさせたんじゃないか?」
不安そうなニックの瞳にはアリソンへの思い遣りの気持ちが溢れている。
同時に深い愛情を感じて、アリソンの頬も熱くなった。
「あ、大丈夫だった。気がつかなかったっていうか・・・。すごく自然だったから、変に意識しないですんだし・・・」
「意識しないですんだ・・・喜ぶべきか?」
ニックは複雑そうに独り言ちた。
「あの、ニックだから大丈夫だったの。ニックなら同じ部屋にいても安心できる。触れられても嫌じゃないって思えるの。だからニックは特別なんだわ」
アリソンの言葉にニックがぽっと頬を染める。
思わず言ってしまってからアリソンの顔や耳も熱を帯びた。
(そっか・・・ニックは私にとって特別な存在なんだ。初めて過去の辛い経験を受け止めてくれた人。私が嫌がることを絶対にしないように気をつけてくれた人。この気持ちはきっと・・・)
「その・・・特別ってどういう特別?」
先ほどのリリアの告白を聞きながら、アリソンは罪悪感を覚えていた。
もしかしたら、自分もリリアと同じなのかもしれない。
アリソンはリリアと話をするニックを見たくなかった。『リリ』と親しげに呼んで欲しくなかった。
(これって・・・・ヤキモチだよね?)
アリソンもリリアと同じように、ニックへの恋心が心の底にあるのかもしれないと初めて自覚した。
リリアは恋愛感情を告白することでニックを遠ざけてしまった。
もし、アリソンも恋心を打ち明けてしまったら、ニックは自分から離れていってしまうかもしれない。
でも、ニックの傍にいたいからってそれを黙っているのは卑怯だ。
リリアのように、私も告白しなくてはいけないとアリソンは決意した。
その結果、ニックから距離を置かれるようになっても仕方がない。受け入れるしかない、と覚悟を決める。
「あのね。ニック」
「ん?」
ニックの顔が堪らなく甘い。トロリと蕩けるような表情に胸がぎゅんぎゅんときめいた。決してキュンなどという可愛いものではない。
(ああ、私はこんなにニックに惹かれていたんだな)
アリソンは反省した。
一生誰も好きにならないって、そんなことを言っていた自分が恥ずかしい。
「ニック。私ね、リリアさんにヤキモチ焼いてたの。ううん、ヤキモチなんて可愛いもんじゃなくて、もう嫉妬、みたいな」
そう言った時のニックの顔は一生忘れないと思う。
両目を大きく見開いたニックはそのまま表情を硬直させた。
その後、ゼンマイ仕掛けの人形のように首をカクカクと振り、引きつった笑顔を作ると
「あ、ごめん。アリー。今幻聴が聞こえたんだ。もう一度言ってくれる?」
とアリーに頼んだ。
「えっと、私はリリアさんに嫉妬してました。私がニックを避けてたのはそのせいなんです!」
誤解がないように耳元で叫ぶと、ニックの頬がみるみる紅潮した。あっという間に完熟トマトよりも赤くなる。
「え・・・っと。まだ幻聴が聞こえるようだ。困ったな。アリー。悪い。もう一度・・・」
と言いかけるニックの背中に手を回して、アリソンは抱きついた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
全身が完全に硬直するニック。
アリソンも生まれて初めて男性に抱きつくという経験をしてどうしていいか分からず固まっている。
「あ、あああああありー?どうした?何があった?・・・夢か?これは白昼夢か?」
パニックになっているニックにアリソンはもう一度言った。
「私はニックが好き。ごめんなさい!どさくさに紛れて抱きついちゃいました!もう嫌われちゃったかもしれないけど、ごめん。最後に・・・記念で!もう二度とニックには近づかないようにするから!今だけ!許して!」
と叫んだ瞬間、ニックの大きな手がアリソンの背中に回り、骨も折れよとばかりに強く抱きしめられた。
「うぐっ」
と声が出てしまうほど息がつまりそうな抱擁に、ニックが「ごめん」と腕の力を緩める。
「アリー、夢じゃないんだよな?」
「現実です」
「ホントに?本当にアリーが俺のこと好きって言った?夢じゃないのか?」
「現実です」
耳元で囁くニックの吐息が熱い。
「ごめんなさい。ニックが恋愛なんてしたくないのは分かってるんだけど、自分の気持ちを隠してニックの傍にいるのはずるいと思って・・・。ごめんね」
小さな声で言うと、ニックがバッと体を離して、アリソンの顔を覗き込んだ。
「なにを言ってるんだ?」
「え?だってリリアさんには・・・」
「俺は彼女に対しては何の恋愛感情もなかったから、あんな風に怒ったんだ。特に彼女は俺に恋愛感情を抱くことは一生ないとまで言ってたんだぞ!」
「わ、わたしも一生誰のことも好きにならないって言ってたのに・・・その、ニックが好きって言ったら嫌な気持ちにならない?」
「ならない!!!!!俺は元々アリーのことが好きだったんだ!」
「え・・・・・!?」
思いがけないことを言われてアリソンは固まった。
「うーんと、再会した時、私のことが大嫌いって・・・?」
「あれは!アリーが卒業したら修道院に入りたいとか言うから・・・。また俺のことを捨てるのかって腹が立って・・・本当は子供の頃からアリーのことがずっと好きだった。初めて会った時からずっと俺は君のことしか好きになれなかった」
あまりに予想外のことでアリソンの情報処理能力が限界を超えた。彼女の瞳から涙がポロポロと溢れ出す。
「・・・・ひくっ、ほ、ほんとうにっ?」
「本当だ。そもそも俺は好きでもない奴との恋人役なんて絶対に引き受けない」
「・・・・・ひくっひくっ、そ、そうだったんだっ・・・?」
泣き続けるアリソンの背中をニックはそっと優しく撫でる。
そして、アリソンが落ち着いたのを見計らって地面に跪くと
「アリー。君を心から愛している。俺の命を、人生を、生涯を、すべてを君に捧げる。だから、修道院に戻らないで俺とずっと一緒に居て欲しい」
と告白した。
彼の真っ直ぐな瞳には一筋の迷いもない。彼の誠実な思いに、自分も誠実に答えなければならないとアリソンは思った。
「私もニックが好きです。修道院ではなくてあなたの傍にいたい。それが今の私の気持ちです」
そう答えた時、ニックの瞳からホロリと一粒の涙が零れ落ちた。
幼い頃に初めて会った時に見たような、宝石のように美しい涙だとアリソンは思った。