2月限定チョコレートプリン事件
素敵な企画をありがとうございます!
それは2月某日のある日のこと。
「部長先輩、事件です! わたしたちのプリンが1個、誰かに食べられました!」
「プリン? 朝、隣の家庭科室の冷蔵庫に入れてたケーキ箱入りのあれのことかな」
「そうです! 一人あたり二つしか買えない、超美味しくておまけに映えるやつです!」
校庭で頑張る運動部員たちを横目にコーヒーを飲みながら、暖かい部室で好きな本を読む。
そんな俺の最高に贅沢で至福な放課後は、文芸部の部室に飛び込んできた後輩の言葉で中断された。
「なるほど、数少ない部員たちの大事なら俺も読書なんてしている場合じゃないね。状況を教えてくれないかな」
我らが高校文芸部は部員5名の弱小部活である。
2年生は名目上ではあるが部長をやっている俺と友人である2年生の男が1人、そして女子部員が2人という少なさ、1年生に至っては目の前の女子こそが今年度入部した唯一の後輩だ。
部員たちは決して結束の強い集まりではないけれど、執筆や読書成果の発表といった活動を通して性癖や価値観の奥の奥まで晒し合った大切な仲間だ。
その仲間が困っているのであれば助けるのに理由は要らない。
俺は後輩に席を勧め、聞く体制を整える。
因みに我が文芸部はミステリ小説好きの男勢と恋愛小説好きの女勢でやや好みは分かれるものの、基本的に誰もが多読で濫読家だ。
そして、目の前の後輩はそこにさらに後味の悪い作品が好きと言うニッチな性癖をお持ちな変態だ。俺も好きだけど。
「それがわたしもまだ良くわかってなくて。えっと、2年生の先輩方はまだ来ていないんですよね?」
「うん。女子たちは今日はやることがあるから遅れてくると言ってたね。男子の方は、今日はもう少し教室で粘ってみると言ってたから、当分来ないんじゃない」
「なるほど」
後輩はどうやら文芸部の内部犯を疑っているようだった。
けれど、それはないんじゃないかな。
部員達は皆、好きな本を語る熱量はすごいし、時に自己主張の激しい場面はある。
けれど、誰かが買った大事な菓子を理由なく勝手に食べるほどの無礼さはない。
まあ、俺達が好む物語の中には、そういった悪戯をきっかけに初対面のだれかと仲良くなろうといったバイタリティを持つ社交力天元突破の登場人物はいる。
俺もその手の奇天烈な手段でアプローチをかけるキャラクターは大好きで、この前も後輩とでその手の尖った登場人物について激論を交わしたっけ。
「一応確認ですが、部長先輩が犯人じゃないですよね?」
「いや、待っていれば食べられるものをつまみ食いしないでしょ。俺、そんなに意地汚く見える?」
朝、部室の隣の家庭科室の冷蔵庫にケーキ箱入りのお菓子を入れたのは俺も見届けた。
本日の冷蔵庫の使用許可を得るため、部長である俺と顧問の先生のサインが申請に必要で、ついでに立ち会ったからだ。
「あれ、わたしたち、部長先輩方にあげるって言ってましたっけ? あれを買うのにお金出したの、文芸部女子組だけですよ」
「え? もらえないの?」
ショックを受ける。
てっきり今日この日の趣旨を考えるに、冷蔵庫に入れられたあれらの正体は義理チョコ友チョコを兼ねた文芸部のプチパーティ用の品だと思っていたのだけれど。
なんてことだ。
我らが文芸部の女子トリオは、俺たち男どもが静かに本を読んでいるのを横目にテーブルクロスを広げて優雅にティータイムでも始めようとしていたのだ!
これは許しがたい暴挙ではないか。
「いやまあ、一緒に食べてもらうつもりでしたけどね。……ん? あれ、だとするとそこに先輩方がつまみ食いをする動機が生まれるんじゃありませんか?」
動機?
部室内男子いじめの危機が杞憂に終わったことに安心していると、後輩の目がきらりと光った。
ふむ。俺達がやったという動機ね。
ちょっと考えてみよう。
予定通り俺達が相伴に預かってプリンを頂いた場合、女子部員たちの性格からいっておそらく、来月のお返しは礼儀だからと求めてくるはず。
その場合、お返しのプレゼントの内容は間違いなく――”本”だ。
「もしかして、俺たち男組が金欠で本のお返しが買えないからプリンを消してお返しの必要をなくしてしまえ、と考えたみたいな想像をした?」
「おお。部長先輩、中々気持ち悪い想像力ですね。あたってますけど。わたしの脳内をのぞきました?」
「いや、部員ならみんな似た想像はできるでしょ、たぶん。とりあえず俺も男友達も好きな本を買うための予算は毎月余裕をもって確保してるから、それを使えば済む話だね」
今日の厚意はありがたくいただいて、お返しは俺の好きな本を布教がてらプレゼントしようと思っている。
青春あり恋愛ありのミステリもの、最近は結構良いのが多いのだ。
後味悪い系となるとかなり範囲は狭まるけれど。
「では、外部犯ということでしょうか」
「んー、その線はもっとないんじゃないかな」
隣の家庭科室は今日はどのクラスも使用予定はなく、ずっと鍵は閉じていたはず。
特に今日この日に関しては、学校の女子たちが持ち込んだものを好き勝手に冷蔵庫に入れてしまうと困るからと、今年は一日中鍵を教員室に置かず、任命された教員が持ち運んで管理することが決まったことを今朝顧問の先生に聞いたばかりだ。
「私たちが今年冷蔵庫を使えたのって、部長先輩が文芸コンクールで表彰されたお祝いを今日するからってことにしてくれたからですもんね」
「そのあたりは顧問の先生に感謝かな。理由つけたところで、目的は明らかにバレバレなわけで」
「あはは、それはそうですね」
そう。犯人は初めから内部犯に決まっているのだ。
「んー、ならいったい誰が犯人なんでしょう?」
「そういえば、家庭科室にはさっき寄ったばかり? 鍵を教員室に返しに行かないと」
「あ、いいえ。もう返したので大丈夫です。みんなが着いてから私がもう一度借りに行きますよ」
だから、うん。
「君でしょ?」
「へ?」
「君がこの事件の犯人だ」
後輩の目が俺を向く。
驚いたのか、単に困惑しているのか。
「いやいや、部長先輩。それはおかしいでしょう。わたしには動機もないですし、朝、ケーキ箱の中身が人数分揃ってることは女子部員のみんなで確認しているのでそう証言してくれるはずですし!」
「あ、なるほど。最初から一個減らして女子たちでグルになってる感じか。手が込んだことするね」
「いやいや無理やりすぎますよ! というかミステリ好きなら『どうやってやったか』はちゃんと推察してください」
「うん、ごめん。そこじゃないんだ。さっき鍵を教員室に返したって言ってたよね?」
「そうですよ! 部長先輩のおかげで今日は部員なら誰でも鍵を借りられますから!」
うん、そうだね。
それは間違ってない。
その前提で計画を組んだのだろうけど、後輩には一つ大事な情報が欠けていた。
「その鍵、今、教員室にないんだ。文芸部員だって名乗って借りに行けば持ってる先生を教えてくれたはずだよ。その場合、鍵を返すのはその先生にだね」
「えっ」
そんなこと聞いてないという顔だ。
昨日の職員会議で決まったらしいからね。
部員への情報共有を怠っていた俺も悪いけれど、せっかくの計画を「本当は冷蔵庫の中身なんて確認していなかった」という手抜きで台無しにした後輩も悪いと思う。
「で、なんでこんなことしたの? あれかな、謎解きイベントをやりたかったのかな。6個目のプリンを景品にして」
たぶんだけれど、プリンは元々6個用意されていたはずだ。
一人2個まで買える限定プリン、女子部員は3名、男子部員は2名。
女子部員たちで割り勘するのなら全員で2個ずつ買うと計算しやすいし、数量限定のものとくれば上限まで買いたいのが人情だ。
そうして余った一個をこの謎解きイベントで良い推理をした男子勢に後から出すか、どっちもへっぽこな推理をしたなら女子部員でそれをからかいつつ取り出した6個目これ見よがしに食べるか。
5人が食べる分はすでに確保されているから謎解きもゲーム感覚で、それこそ皆でプリンを食べつつ議論しても良い。
うん、普通にありそうだ。
ただ、もしそれをやるなら男子部員二人が揃ってからでないとフェアじゃない気もする。
「謎解きイベント……良い推理ですね、部長先輩。はい、女子部員の皆さんにはそういう風に説明しましたし、協力してもらいました」
どうやら犯人であることを認めるらしい。
ただ、なにか引っかかる言い方だ。
後輩は俺から視線を外し、うつむいたままで言葉を続けた。
「でも、一個だけ違うところがあります。部長先輩が想像されているように人数分の5個じゃありません。冷蔵庫の中のプリンは今、4個だけです」
「え?」
俺の困惑の声を聞いたのか、後輩の口元が小さな笑みの形になる。
「そのプリンを見たら、女子部員の皆さんも驚いたでしょうね。仕掛ける側の想定外ですから余計に慌てたでしょうし、それを見て部長先輩方も心が乱れるほどに慌てたはずです……はずでした」
後輩は俺から視線を外したまま、肩にかけた学生鞄の中を漁る。
そして、言葉を続けながら中のものを取り出した。
「下手すると険悪な空気になるかもしれないので、そうなったらわたしは――真犯人はすぐに名乗り出るつもりでした」
それは小さな紙製の箱だった。
お洒落な枠取りの描かれた、青いプレゼント用の小箱。
とても綺麗にラッピングがされ、作成者の丹念な努力が伺える。
親愛なる――様へ。
箱の表面上部に書かれた名前は、後輩から部長先輩などと呼ばれている俺の名前。
「義理でも、他の人のものは受け取ってほしくない、というのが真犯人の動機。今日は自分のプレゼントだけを受け取って帰ってほしい、という自分勝手なメッセージです」
箱の下部には、見覚えのある名前。
手に持った箱をこちらに差し出しながら潤んだ瞳でこちらを見上げる、後輩の少女の名前だった。
「好きです、部長先輩」
箱の中身は問うまでもないだろう。
手作りの箱、手作りのラッピング。
今日この日、そんなものの中に入れて渡すものなんて、手作りのチョコレート以外にない。
「貴方と本について話す時間が好きです。面倒見の良い貴方が見せる、優し気な眼差しが好きです。わたしのことやみんなのこと、みんなをよく見ていて、言いたいことや考えていることを当ててくるあなたと一緒にいるとドキドキします」
今日のこの計画は、俺のためのものだったのだ。
いつか後輩に言った「奇天烈な手段でアプローチをかけるキャラクター」が好きだという言葉を覚えていて、こうして実行して見せたのだろう。
もしかして、謎解きについてフライングして俺に教えてくれたのは、ミステリーを好む俺のために、自分が滅茶苦茶にする謎解きイベントより前に推理を楽しんでほしかったからなのだろうか。
「だから。……っ。私と付き合ってください!」
チョコレート入りの箱を差し出す後輩のその真剣な眼差しが、その想いの本気さを伝えてくる。
間違いなく今このひとときは、後輩の人生にとって、きっととても大事な意味を持つんだろう。
だから、俺はとても残念だった。
こうとしか答えられないことを、俺は本当に申し訳なく思う。
「ごめん」
後輩の顔がくしゃっと潰れる。
掲げていた箱を胸元に寄せ、震える唇で呟く。
「あ、あはは。先輩、ごめんなさい。うん、部長先輩の返事がそうならこうなっていて結果的に良かったです。計画通りだったら部員みんなの前でこうなっちゃってたし、そうしたら部長先輩に迷惑をかけちゃう」
後輩は、今にも消えてなくなりそうだった。
「私、勘違いしてたみたい。先輩が私のこと構ってくれて、偏った本の趣味とかの相談にも乗ってくれて……一人で舞い上がってたんだ。私、先輩と付き合えると思ってた」
「あ、いや、それはいいんだよ。付き合おう」
「……はいぃ?」
後輩が困惑を越えて混乱の極致とでもいえそうな表情になった。
いや、当たり前だ。俺の言葉が足りなすぎるのだから。
けれどどうか許して欲しい。
俺の方も今、思いもかけない告白を受けていっぱいいっぱいだったのだから。
「いやその、君、後味悪い物語好きじゃない」
「は、はい。まあ」
「だからなんとか後味の悪さを残しつつ告白に応えられるような返事を考えたんだけど思いつかなくて、だから、ごめん」
「その気遣い! 今! いらなああああい!」
後輩が爆発した。
箱を机の上に放り、俺の胸元に後輩の両腕が伸びる。
「とにかく! 先輩は私がその、すすす、す、すきなんですね!?」
「ああ、好きだよ」
「どれくらい!?」
「放課後の読書時間より好きだ」
「そ、そんなに!? じ、じゃあ付き合いましょう!」
「そうしよう」
もう二人とも訳の分からないテンションになっていた。
顔は真っ赤だし、後輩は俺の肩をバシバシ叩くし。
俺の方も先ほどから心臓は鳴りやまないし、頭が混乱しすぎて何を言っているか分からないし。
このまま肩を組んで走り出してもおかしくないような気分だ。
と、部室の扉を叩く音が聞こえた。
他の部員がやってきたのだろう。
これを受け、さすがに俺たちもやや落ち着きを取り戻す。
「部長先輩! ええと、その、話の続きはまた後で!」
「そうだね! あ、五個目のプリンはどうする?」
「自分用に隠してあるので六個目と一緒に鞄の中です!」
「よし、じゃあ俺はプリンの話はまだ聞いていないってことで」
「了解です!」
「ちーっす。あの二人はまだ来てないのな。ん? どうした後輩ちゃん、目が赤いぞ。なんか感動系の物語でも読んでた?」
「はい、そんな感じです!」
落ち着きを取り戻しきれているかは疑問だったが、机の上に置いてあった箱は俺の鞄へ、目元を隠している後輩の手には俺のハンカチを渡し、何とか収集を図った。
そうしていると、さらに部室に二人の女子がやってきた。
「ヤッホー、チョコ数0のもてない男ども、花のJKが来てやったぞー」
「お疲れ様です。みんな揃ってるね。後輩ちゃん、プリン取りに行こう。……どうしたのその顔、大丈夫?」
部員が揃い、雑然とし始める部室。
とても居心地のいい、いつもの文芸部の空間だ。
「ああ、プリン取りに行くなら俺と後輩で行くよ。朝伝えそびれたけど、家庭科室の鍵、今日は教員室にないんだってさ。みんなは部室で休んであったまってて」
「ほほう? 後輩ちゃん気をつけろよー。きっとその部長、あんたの大事なもんを狙ってるぜー?」
「花のJKっつーかおっさんだなお前」
「んだとこら、表出ろや!」
いつものように秒で喧嘩に突入する二人の部員の後始末をもう一人の部員に両手を合わせてお願いし、俺は後輩を廊下に連れ出した。
「じゃあ、行こうか」
「はい。でも、その前にわたし、先輩に一つ謝ってほしいことがあるんですけれど」
目元にあてていたハンカチをどけると、非常にぶすっとした後輩の顔がそこにあった。
不機嫌の理由は想像がついたので、俺は後輩に耳打ちした。
「お前、後味が悪いのが好きなんだろ?」
「それとこれとは別です! 今日は甘いのが良いに決まっているじゃないですか! 全く! 来月は絶対3倍ーーいや、10倍返ししてくださいね!」
全くもう、と拗ねたようにこちらを舐めつけながら、俺の後輩ーーいや、恋人にになった女の子がこう言う。
「だって今日はみんなが甘いのを楽しむ、バレンタインの日なんですから!」
ミステリーも青春も好き。
後味の悪い物語も癖になる。
そんな方にはとてもおすすめな作家様がいらっしゃるので…え、もう知っている?
このたびは本当におめでとうございます!