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とりあえず自己紹介からするね、と男は元いたソファに座り直すとそう口を開いた。
「僕のオリジナルの名前は敷島圭吾。君も知ってる通り「赤い糸」の考案者だよ。僕は彼のクローンで、ついこの間目覚めたばかりなんだ。だから言葉にちょっと不慣れで、って、ああそれはもう知ってるよね」
難しいよ、男はそう苦笑しながら肩を竦めてみせた。
「…………」
(クローン? クローンって、あのクローン? でも、それって、禁忌なんじゃ……)
人口減少が問題視された日本であっても、現在に至る歴史の中でクローン技術が許可されたという事実は一度もなかった。そのクローンだと、目の前の男は言っているのか。
(胡散臭いわ……)
「……それを信じろと言うつもり?」
「え? ああ、うん。そうだけど……あ、そういえばまだ君の名前聞いてなかったね。教えてもらっていいかな? 僕も今まで名乗らなかったのにあれだけど、話しにくいし」
男はユノの訝しげな態度に気づかないのか、はたまた気づかないフリをしているのか、ユノの問いに応じようとする素振りすら見せなかった。それどころか、何かを思い出した様に、あ、と小さく声を漏らすと、
「とはいっても、僕の事を敷島圭吾で呼ばれるのはちょっと色々困るから……」
自称敷島博士のクローンだという男はそこで言葉を切り、ちらりと自分の右手に視線を落とした。
「あ。ゼロでいいや。僕の事はゼロって呼んで」
「ゼロ?」
「そう。分かり易いでしょ。君達だって、「赤い糸」上では識別番号で呼ばれてるんだからさ」
そう言ってゼロと名乗った男はユノのパルカイを指差した。ユノは釣られる様に視線を落とすと、ディスプレイに映し出された自分の十一桁の数字を見やる。ゼロの言う通り、確かにこれは、「赤い糸」上でのユノだ。
「……わかったわ。でも、あなたの事を信じるのは、あなたの話を聞いてからよ」
「うん。それでいいよ。逆に、さすがにそこまで無防備じゃなくて安心したよ。それで、君の名前は教えてくれないの?」
「……直江ユノよ」
ユノが素直に自分の名を告げると、ゼロはなんとも言えない顔をして諦めた様に小さく息を吐いた。
「ユノちゃんね。じゃあ、君が知りたがってる話を始めようか」
ゼロはそう言うと、勿体つける様にコホンと一つ咳払いをした。
「まず、どうして敷島博士のクローンである僕がここにいるかというと……実は僕は定期的に存在しているんだ」
「定期的?」
「そう。クローンは「赤い糸」が実装されてからずっと、二十五年毎に生まれてるんだよ。ある目的の為にね。ちなみに僕は八人目。記念すべき二百周年だね」
「……」
(八人目?……確かに、今年で「赤い糸」が実装されて二百年になるけど……)
ゼロの言う通りであれば、確かに計算は合っている。だがそんな作り話は小学生でも出来るもので、ユノは無言のままゼロの次の言葉を待った。
「じゃあ、どうして二十五年毎に僕らが生み出されているかだけど……どうしてだと思う?」
「え?……さあ。わからないわ。そんな事、考えた事ないもの」
「今考える気もなさそうだね。まあいいや。えーと、それはね、「赤い糸」の監視をする為なんだ」
「監視?」
「うん。システムが人類にとって正常に働いているかどうかを、確かめるんだよ」
ゼロはそう言うと真っ直ぐにユノの瞳を見つめた。その瞳に曇りはなく、それだけを見ると、ゼロが嘘を吐いている様には見えなかった。
「確かめるって、どうやって? 何をもって正常だと判断するのかしら?」
「……僕の言ってる事を信じてくれるの? 嬉しいけど、やっぱり心配になるね」
素直に話を聞くユノにゼロは少し困った様に眉を寄せると、ユノはむっとした様な視線を返す。
「勘違いしないで。まだ信じたわけじゃないわ。でも、あなたの目は嘘を吐いている様には見えないの。だから、最後まで聞いて判断するわ」
「……やっぱり、君を選んで正解だったよ」
ゼロは嬉しそうに少しだけ口許を緩めると、続きを話し始める。
「君も知ってのとおり「赤い糸」は人口減少に歯止めをかける為に実装されたけど、実はそれに付随した様々な問題も同時に解決してるんだ。だから人口が順調に増加しているか、また、その時代に生きている人々は「赤い糸」との共存によって幸せな生活をもたらされているか、それを確認するんだよ。僕が目覚めてから運命の日まで、その時代に生きる人間の目を通してね」
「人間の、目を通して? それって……」
「そう。それが、僕からユノちゃんへのお願いだよ」
ユノが視線を上げると、ゼロのそれと真正面からぶつかった。ゼロの瞳は先ほどから変わらずくすみ一つ無く真っ直ぐで、作り話だと決めつけるには重い空気だった。
「ユノちゃんがどこまで知ってるか知らないけど、敷島博士の脳は「赤い糸」のマザーコンピューターの核になってるんだ。だからクローン(ぼくら)は、目覚めた瞬間、それまでの知識を全て共有する事が出来る。パルカイを通してね」
そう言うとゼロは自分のパルカイを指先でトントンと叩いてみせた。
「でもクローンは、その時代を生きてきたわけじゃない。やっぱりどうしても知識は実体験には適わないんだ。僕自身、言葉を話してみてそう思ったよ」
ゼロはそう言うと、ほんと難しいよね、と苦笑した。
「だから、その年に運命の日を迎える人を選んで、その人の目を通して「赤い糸」を見てみる事にしてるんだ。「赤い糸」と共に生きてきた人間が、「赤い糸」を受け入れるかどうか」
「それが、今回は私なの?」
ゼロは深く頷いた。ユノはその回答に、少し考える様に視線を左へと逸らす。
「……でも、それって、正しい判断なのかしら?」
「どういう意味?」
「選ばれた人間によって、きっとその考えは偏るわ。それで正常かどうか判断するのは、少し危険じゃないかしら?」
無作為に選んだ人間が「赤い糸」に公平だとは限らない。現に今でも少数ではあるが「赤い糸」を良く思わない人間達がいる事も事実だ。もし彼らの内の誰かが選ばれたとしたら、きっと批判的な意見ばかりになるだろう。はたしてそれは正常な判断と言えるのだろうか? ユノが眉根を寄せると、ゼロは、そんな事は大した事じゃないと言わんばかりに小さく息を吐く。
「別にそれでいいんだよ。その為にクローンがいるんだしね」
「……どういう意味?」
今度はユノが聞き返す番だった。
「僕らは敷島博士のクローンだから。それはすなわち、考案者の目で選んだ人間による判断、って事になるんだよ。人選の時点で少なからず敷島博士の思考が影響してるんだ。だから、その心配には及ばないよ。あまりにも偏った思想の人間が選ばれる事はないからね。それに、僕も間違った人選だとは思ってないよ」
「……」
ユノが黙り込むと、ゼロは、あ、そうだ、と自分のパルカイの0の表示をユノに見せた。
「これは、僕が敷島博士のクローンだっていう証拠ね。ゼロはシステムに干渉しないものの証なんだよ。まあ、それでも信じられないなら、政府の機関に確認してみてもいいけど」
「政府?!……国も、あなたの存在を容認しているの?」
「あー……うん、まあね。この行為自体は敷島博士の独断でやってる事だから政府は関係ないんだけど。そもそも「赤い糸」自体は政府へ献上したシステムだしね。クローンの存在も知ってるし、目的も知ってるよ。ただ、「赤い糸」に関する全ての権利は敷島博士に帰属している為政府はそれに口を出せないから、代わりにこれを着けさせたんだ。勝手な事をさせない為にね。だから政府に0番のパルカイの事を尋ねればきっと教えてくれるはずだよ。ただ」
セロはそこでふいに言葉を切ってユノを見た。
「それはクローンと接触した事を意味するから、政府から目をつけられる事だけは覚悟してね」
「!……脅しているの?」
ユノが怪訝そうに顔をしかめると、ゼロは慌てた様に瞳を丸くした。
「まさか。そんなつもりはないよ!……それに、そんなに難しい事を頼んでるつもりもないんだけどなあ……これから運命の日まで、僕と話をしてくれるだけでいいんだ。ユノちゃんやその周りが「赤い糸」についてどう思ってるか。たったそれだけの事だよ」
「それだけって……そんなに簡単に言うけど、でもそれって二十五年間の日本人を代表するって事でしょ? 荷が重いわ」
「大丈夫だよ。今まで特に問題は無かったんだ。今回も何も起こらないよ。そう思わない?」
「……」
ゼロにそう言われると、確かにユノの頭の中に過去「赤い糸」にまつわる問題が具体的に浮かぶ事もなく、ユノもなんとなくそれには同意せざるを得なかった。ゼロはそれを肯定と受け取ったのか、ぱあっとまた表情を明るく変化させる。
「じゃあ、協力してくれる?」
「……即答するのは軽率だと思うけれど、今の所断る理由がみつからないのも事実だわ……本当に、あなたと話をするだけでいいのね?」
ユノは再度確認するようにゼロを見ると、ゼロは大きく頷いてみせた。期待に満ちた瞳にユノは根負けしたと言わんばかりに小さく息を吐く。
「……いいわ。あなたに協力するわ」
「ありがとうっ!!……良かった。断られたらどうしようかと思ったよ」
ゼロはほっと胸を撫で下ろすと、安堵の息を漏らした。ユノはその姿を見ながら、ゼロに対してずっと感じていた事をつい口にした。
「あなた、感情がとても豊かなのね。クローンの人って初めて会ったからよく分からないけれど、皆そういう感じなのかしら?」
「さあ? 僕も自分以外知らないからなんとも言えないけど、僕は少し人間味が強いのかもしれないね」
「少なくとも、私よりはずっと表情が豊かだわ」
ユノが感心した様にそう言うと、ゼロは、そうかな? と首を傾げた。
「確かに、ユノちゃんは少し分かり難いかもしれないけど、でも、君の言葉はとても真っ直ぐで、ユノちゃんの心を素直に表していると僕は思うけど」
「……そんな事言われたの、初めてだわ」
「そう?」
ユノが弾かれる様に瞳を瞬くと、ゼロは楽しそうに笑った。そして、じゃあさ、とまた自分のパルカイをユノへと見せる。
「これからは自分の心を知りたい時はパルカイを見るといいかもしれないよ。見て。ユノちゃんみたいな可愛い子が引き受けてくれたから、僕の心拍数、平常値より上がってるでしょ?」
ほら。すごく速い、とゼロは楽しそうに示された数値を眺めていたが、ユノは困惑気に首を傾げる。
「……あなたの心拍数の平常値を知らないから、上がっているかどうかはわからないわ。それに、今までに自分のパルカイを見た事はあるけれど、特に変化があった事はなかったわ」
ユノがゼロのパルカイを一瞥した後しごく真面目な顔でそう返すと、ゼロは一瞬ぽかんとした顔をした後、突然、あははは、と声を上げて笑い始めた。
「そっか。こんなにも完璧にスルーされちゃうんじゃ、ユノちゃんの心臓は僕のより鈍いのかもしれないね。じゃあ、これからは分かり易くなる様に、ユノちゃんには僕の心臓をあげるよ」
「え? どういう……!!」
ゼロは楽しそうにそう言うと、おもむろに自分のパルカイを外してみせた。そしてユノの腕にそれを嵌めると、代わりと言わんばかりにいとも簡単にユノの腕からユノのパルカイを外し、何事もなかったかの様に自分の腕に嵌めた。
「今度見る時が楽しみだね」
「……あなた、今、何をしたの?」
(私のパルカイ、どうなってしまうの?!)
咄嗟に自分のパルカイを掴むと、ユノは呆然と自分の腕に嵌まったゼロのパルカイを見つめた。パニックになりそうな頭でどうにか声を絞り出すと、だがゼロは少しも悪びれた様子もなく平然と口を開いた。
「そんな死にそうな顔しなくても大丈夫だよ。ほら、見て。僕のはゼロだし、ユノちゃんのはちゃんとユノちゃんの番号が表示されてるでしょ?」
「……」
ユノは言われるままに自分の腕に嵌められたパルカイに視線を落とすと、確かにそこにはユノの識別番号が表示されていた。
「……どういうこと?」
「ほとんど知られてないけど、パルカイはちょっとした仕掛けで取り外しが出来るんだよ。この本体自体が個別認識されてるわけじゃないから、すぐに自動設定されて嵌めている本人のデータが反映されるんだ。ごめん、ちょっとした冗談だったんだけど」
「……冗談にしては性質が悪いわ」
ユノはほっと安堵の息を一つ漏らすと、少し睨む様にゼロを見た。ゼロもさすがにやり過ぎたと思ったのか、もう一度、ごめん、と申し訳なさそうな顔をしてみせた。
「でも、だとしたら、あなたのパルカイを嵌めても結局今までと変わらないって事ね」
「……え?」
「あなたのパルカイなら私の心が分かり易くなるって言ったけれど、でも結局私のものになってしまうのなら、きっと今までと変わりないわ」
「……」
ユノはそう言って自分の腕に嵌まった元ゼロのパルカイをそっと撫ぜると、ゼロが静かに息を呑む音が聞こえた。
「ゼロ?」
ユノが視線に気づき視線をそちらへやると、ゼロはそれが交わる前にパッと視線を逸らし、なぜか自分のパルカイを隠す様に押さえていた。
「ええーっと……あ、そうだ。随分話がそれちゃったけど、じゃあ、教えてくれる? ユノちゃんは「赤い糸」の事、どう思うの?」
視線を合わせないままゼロは早口でそう捲くし立てると、まるで話のついでの様に本題を突きつけた。ユノは突然の話題転換についていけずパチパチと瞳を瞬くと、それでも、小さく息を吸い込んで、
「私は、「赤い糸」を信じているわ」
と、短くそう告げた。