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1-5

 室内に足を踏み入れると、ひんやりとした空気がユノを迎え入れた。部屋中に行き渡った冷気は、夏本番を控え毎日じわりと上がる気温対策だろうか? と思ったが、何台もあるディスプレイ画面を確認すると、機械の保管の為か、とユノは納得した。室内はとても簡素で、僅かな家具が確認出来るくらいのとても無機質なその空間は、生活の匂いが少しもしなかった。

「適当に座って」

 ユノの後ろから部屋に入ってきた男はそう言うと、ユノの横をすり抜けて大きな銀色の扉の冷蔵庫の前まで歩いていった。扉に手を掛けそれを開けると、中からミネラルウォーターの瓶を二本取り出す。

「こんなものしかなくて申し訳ないけど、どうぞ」

 男はそう言うとユノの下へ戻り、青色の瓶を手渡した。ユノの手の中にそれが収まるのを確認すると、男は真っ白なソファの方へと歩みを進め、静かにそこへ身を沈めた。

「ありがとう」

ユノはそう言って男の前のソファに腰掛けると、男は小さく息を吐いた。

「僕が言うのもなんだけど、こんなに簡単に知らない男についてきて大丈夫?」

 男が瓶の蓋を捻ると、プシュ、と小気味良い音が室内に響く。男はその麗しい見た目にそぐわず瓶のまま口をつけると、よほど喉が渇いていたのか、ごくごくと喉を鳴らしながらあっという間に半分くらいの水を飲みほした。

「昨日あそこに居たって事は、君運命教の信者なんだよね?」

 あえて音に出さずとも、男の言葉には、純潔主義の、という意味が含まれていた。ユノは少しだけその物言いが気に入らなかったが、手にしていた瓶を目の前のガラスのテーブルにコトリと置くと、無表情のまま口を開く。

「ええ、そうよ。でも、あなた大人じゃない」

「……」

 ユノが呆れた様にそう言うと、男は驚いた様に目を見開いた。

「あー……なるほど。そうやって「赤い糸」は子供の信用を買う事も出来るんだね」

 感心した様に男はそう言うと、でも、とまだ未開封のユノのミネラルウォーターを指差す。

「じゃあそれを飲まない理由は? もしかして嫌いだった?」

 ユノは小さく首を横に振った。

「あなたが大人だから私に性的興奮を覚えないとしても、私を騙さないかどうかまでは分からないわ」

 運命の日に行われる誓いの儀式、指輪交換ならぬパルカイを通しての薬剤(タブレット)交換によって、大人となった子供達は選別された配偶者以外の者には心も体も反応しない身となる。薬剤投与時のパルカイの画面の色から“赤の契り”と呼ばれるそれは、実際には年齢差や居住地の違いがある者もいる為相手を目の前にして行う儀式ではない為味気なくもあるが、それによって「赤い糸」は完結するのだ。

だからユノは自分が襲われる心配はしていなかったが、その他の事については目の前の男への警戒を解いてはいなかった。

「……すごい。君みたいな美少女の口から性的興奮なんて言葉がサラっと出てくるって、なんかそれこそ興奮しちゃうね」

「…………」

「あーっ! そんな軽蔑した目で見ないでっ!!……なんて言えばいいのかな? 新鮮、なんだよ。僕にとっては」

 緊張感の無い男の反応にユノが怪訝そうに眉を顰めると、男は慌てて両手を体の前で振って自分の発言に言い訳をしてみせた。

「新鮮?」

「そう。この体で経験する事は全て、ね」

「……?」

 またもや男の予想外の言葉にユノが困惑した表情を浮かべると、男は楽しそうに笑いながら、後で説明するよ、と言っておもむろに立ち上がった。フローリングの床をぺたぺたとユノの前まで歩いてくると、でもさ、と見下ろす様にユノの前に立ちはだかる。

「そんなに警戒してるなら、やっぱりこんなに簡単に男の部屋に入るもんじゃないんじゃない?」

 男の声に釣られる様に顔を上げると、口許にうっすらと笑みを浮かべた男の瞳と目が合った。顔には影が落ち表情を読む事は出来なかったが、得体の知れない何かを感じ、ユノは少しだけ自分の早計から来た行動に小さく息を呑んだ。

「……」

「……なんてね。冗談。怖がらせてごめんね。分かりにくいけど、顔引き攣ってるよ」

 男はそう言うと無防備なユノの頬にそっと指先で触れた。思いがけぬ行動にユノの体がビクリと反応すると、男はそれに一度目を丸くし、クツクツと笑った。

「慣れてないなら、僕以外、二度と知らない男には付いて行かないようにね」

わかった? と男はにっこりと笑って見せると、ユノは不本意だという表情を浮かべながらも素直に頷いた。

「べつに、普段だったら知らない人の誘いになんて乗らないわ。私はただ、あなたが見せたものの正体を知る為に来ただけよ」

 ユノはまだ自分の頬の上に置かれていた男の手を手の甲で避けると、男はまたそれに目を大きく見開き、面白そうに笑いながらそれを引っ込めた。

「なるほど。さすが運命教の信者というべきか、教義を覆すものの存在は放っておけなかったってわけだ。不思議だもんね、これ」

「!」

 男はそう言うと、自分の右手に嵌まっているパルカイをぬっとユノの目の前に突き付けた。それには昨日と変わらず0の一文字だけが表示されており、ユノはじっとそれを確認した後、ゆっくりと視線を上げた。

「国民に振り当てられた十一桁の数字で管理されている「赤い糸」。それなのに、ゼロ一桁だけの人間がいるなんて、納得いかないって顔してるね」

「……ええ、その通りよ。納得いかないというより、不思議だわ。あなた、今までどうやって生きてきたの? あなたの配偶者(あいて)は、どうやって決められたの?」

「……」

 全く引かないユノの瞳に、男は驚いた様にぱちぱちと瞬いてみせた。突きつけていた腕を引っ込めると、ユノから近いソファにどさりと座る。

「やっぱり、君を選んで正解だったよ。とてもいいサンプルになってくれそうだ」

「……サンプル?」

 人に対して失礼な物言いにユノは睨む様な視線をやると、男は弾く様にぱっと表情を変えると、あー、と低いうなり声を上げた。

「違う。言い方が悪かった。えーと、つまり、良い協力者になってくれそうだ、って、そう言いたかったんだ」

 自分の失言に頭を抱える様に男は眉間に手を当てて宙を仰ぐと、はあ、と小さく息を吐いた。

「知識として知ってるのと、実際に使ってみるのとでは、随分と難しさが違うんだね。これは少し時間がかかりそうだ」

「……あなた、何を言っているの?」

 怪訝そうにユノが顔をしかめると、男は慌てた素振りで立ち上がった。ユノが帰るとでも思ったのか出口に通じる道を塞ぐと、顔の前でぱちりと両手を合わせる。

「お願いっ! ちゃんと話すから帰らないでっっ!!」

「……」

 ユノはコロコロと変わる男の態度に戸惑いながら瞳を瞬いた。

(そういえば、昨日もこんな事があった気がするわ。精神的に不安定なのかしら?)

 昨日男は心を落ち着かせる為に教会に来ていたのかもしれない、ユノはそう思い到ると男へ同情的な目を向ける。

「……帰らないわ。だって、私まだあなたから何も聞いていないもの」

 ユノが小さく息を吐くと、男はパっとまた表情を嬉しそうなものへ変える。

「ありがとうっ! でも、やっぱり少しだけ不安になるな。僕にとってはありがたい事だけど」

 男は苦笑しながらそう言うと、ああこういう事を言っているからまたややこしくなるんだね、と自省の言葉を口にした。

「昨日君が言ってた事だけど、僕の顔に見覚えがある?」

 男はそう言うと、掛けていた黒縁眼鏡を外しユノに目線を合わせる様にしゃがみ込んだ。突然至近距離に現れた男の顔にユノは少しだけ体を後退させると、それでも、言われた通りに男の顔をまじまじと見返す。切れ長の漆黒の瞳に鼻筋の通った造りものめいた美しい顔は、男に会った覚えはなくとも、だが、ユノの頭の片隅のどこかに以前から存在している様な気がした。

(どこかで、よく、見た気が……)

「!」

 その瞬間、ユノの体を雷に打たれた様な衝撃が走った。今脳内に浮かんだある人物に、ユノは驚きで鶯色の瞳を開く。信じられないものを見る様な顔で男を見ると、男はにっこりと笑ってみせた。

「……あなた、父なる神に、似ているわ」

(そうよ。あの、銅像の……)

 男の顔は、ユノが幼少の頃から毎週教会で目にしている、「赤い糸」考案者である父なる神、敷島博士にそっくりだった。

(でも……どうして?)

 ユノは男の顔を見つめたまま小さく首を傾げた。なぜこの男の顔は父なる神にそっくりなのだろう? と、まるでそれを確かめる様にユノは無意識に男の顔へと指を伸ばすと、指先が男の頬に触れる直前、ふっと男の頬が緩んだ動きに、ユノは伸ばしかけた指を慌てて引込める。焦点を男の漆黒の瞳に合わせると、それは緩やかに弧を描いた。

「さすが敬虔な信者だね。そう。僕は君達が父なる神と呼んでいる敷島博士の、クローンなんだ」

 男はユノの正解に、嬉しそうにそう言った。


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