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6-1

 いつもはすぐに教室を後にするアスナがまだ席を立っていない事に、ユノは自分が教室から出ようとした時に初めて気がついた。授業後すぐにアキラはいつも通り委員会に駆り出され、キョウヤは誘いに来た別のクラスの女子生徒とそそくさと出て行ったのは普段の光景として認識していたが、それにアスナが続いていないとは思っていなかった。気づけば二人しか残っていなかった教室内で、アスナは一向に動こうとする気配すらなかった。

「……アスナ?」

 ユノはアスナが座っている席の傍まで戻ると、俯いているアスナにそう声を掛けた。

「……ああ、ユノか」

 アスナは気怠そうに頭を上げると、ユノの姿を確認するとそれだけ言ってまた顔を伏せた。

「どうしたの? 具合でも悪いの? だったら……」

「キョウヤがまた違う女と遊びに行ったの」

 アスナの体調を心配したユノの声を遮るようにアスナはぽつりとそう言った。

「ああ、そうみたいね。さっき迎えに来て、一緒に出て行くところを見たわ。この前見た子とは違ったから、新しい彼女かしら?」

 ユノはそんな当たり前の事を言うアスナを不思議そうな目で見ると、アスナはユノの言葉に気分を損ねたかのようにむっとした表情でユノを見上げた。

「アスナ? やっぱり具合が悪いのかしら?」

 様子のおかしいアスナを気遣う様にユノはアスナの前の席に座ると、熱を測ろうとアスナの額へと手を伸ばした。だがアスナはそれをやんわりと避けると、大きな溜息を一つ吐いた。

「あれ、どうして私じゃないんだっけ?」

「え?」

 普段のアスナらしからぬ発言にユノが虚をつかれた様に目を見開くと、アスナが薄く笑ってみせた。

「なんてね。驚いた?」

「え?」

「今のって、まるで、“嫉妬”してるみたいだった?」

 アスナはそう言うと、普段使い慣れぬ嫉妬という言葉を面白そうにクスクスと笑った。

「アスナ?」

(どうしちゃったのかしら?)

 明らかに普段と様子の違うアスナに戸惑うユノを他所に、アスナは相変わらずケラケラと笑い続けていた。ひとしきり笑うとそれに飽きたのか、はーあ、と大きな溜息を一つ吐くと、体の重心を後ろに掛ける様にして宙を仰いだ。

「なんかね、最近おかしいの。キョウヤが私じゃない女と歩いてるの見ると、なんだか胸がムカムカするの。あーそこどかないかなあ、って思ったりして。なんか私が私じゃないみたいで嫌だなーって最近そんな事ばっかり考えててさ。前はそんな事なかったのにーって」

 アスナはそこで独白を一度切ると、はあ、とまた溜息を零した。

「なんかこれって嫉妬みたいじゃない? そんなのすっごい嫌なんだけどっ……だって、嫉妬なんて一番無駄な感情で、バカみたいなのに、気づけばそんな事ばかり頭に浮かんでくるの」

 アスナはもう一度大きく溜息を吐くと、勢いをつけたまま姿勢を元の位置へと戻した。机を挟んで対峙しているユノの眼前に、アスナの綺麗に化粧の施された顔が飛び込んでくる。

「私が初めて付き合ったのはね、中学一年の時。隣の席に座ってたミナトくんって子だった。何その顔。意外と遅いんだって思ってる?」

 ユノは否定を示す様に小さく頭を横に振った。アスナにしては遅いなと思ったのは確かだが、何かが表情に出ていたとしたらそれは突然変わった話題のせいだ。脈絡のない話題転換に、ユノは戸惑いながらも先を促す様に視線を返す。

「ミナトくんは笑顔が可愛くて優しくて、隣の席になってすぐに、好きだなあって思ったの。だから私から告白して付き合い始めたの。私は初めての彼氏だったから、する事全部初めてで、楽しくて嬉しかった。ずっと一緒にいたいなあって思ってたら、ある日突然フラれたの」

「……どうして?」

「他に好きな子が出来たから。それだけ聞くと、ありふれた別れの言葉だと思うけど、でもその後に続いたのは、でももういいよね? 楽しかったし次の人にしよう? って。その時は何を言ってるのかわかんなかったよ……でも、今なら分かるけどね」

「……」

「ミナトくんは私が初めて付き合う相手じゃなかったし、少し大人びた頭のいい子だったの。よく分かってない私に、こう説明してくれたよ。“どうせ俺達の相手は十八になったら勝手に決められる。だったら、それまでは楽しい事だけを沢山してた方が良いに決まってる。誰か一人に固執して、嫉妬や喧嘩をして無駄な時間使うなら、楽しかった事だけを共有して次に行った方が良いに決まってる。だって、いくらその相手を想い続けたって、ずっと一緒にいられる可能性は0に近いからね。時間は限られてるんだから、楽しい方がいいよね”って。そんな事言われてもその時はやっぱりちょっと悲しかったけど、今なら分かるよ。ミナトくんは、あの時にもう「赤い糸」の事を良く分かってたんだよね」

 アスナが一人納得した様に言った言葉に、ユノは思わず反論を口にする。

「違うわ。「赤い糸」はそんな悲観的なものではないわ。勝手に決めているのではなくて、様々な情報を元に最適な相手を選び出してくれるのよ?」

 アスナが「赤い糸」を良く理解していると言ったミナトは、「赤い糸」ではなく今の子供の生き方を早熟に覚えてしまっただけだとユノは思った。だがそれは本来の「赤い糸」を理解しているわけではない、とユノが更に口を開こうとした時、ムっとした表情のアスナがそれを阻んだ。

「ねえユノ。今私が話してるんだけど? 心配してるんなら話くらい聞いてよっ……あー、何話してたっけ? あー……ミナトくんに感化されたって言われたらその通りかもだけど、少ししたらミナトくんの言ってた通りだなって思ったの。だからそれからは私も同じ様にする事にしたの。最初の頃は別れる時はやっぱり少し寂しかったけど、周りの皆もそうしてたし、それに次の楽しいで埋めればそんなのすぐに忘れちゃった。いつの間にかそれが普通になってて、その内寂しいとかそういうのもよく分かんなくなってきて、ああやっぱりこれが正しかったんだなーって思ってたの」

「……」

 アスナに言われた通り、ユノは今度は口を挟む事なくアスナの話をじっと聞いていた。どうして突然こんな話をし始めたのかはさっぱり分からなかったが、アスナが、多くの子供達が、どうして今の様な生活習慣(生き方)を身に着けたのかは、なんとなく分かった気がした。

「キョウヤと出会った時だってそうだったよ。順番待って、って言われた時に、ああこの人もそーいうタイプだって思って、他の女といても何とも思わなかった。だって、私もその間は他の人で楽しい気持ちを埋めれば良かったし、別にそれで楽しかったしさ。今までもそれが普通だったし」

 アスナはそこで一旦言葉を切ると、何かを考える様に宙を見つめながら、一度大きく息を吸い込んだ。

「でも、あんな約束しないでさっさと付き合っとけばよかった」

(アスナ?)

 ぽつりと零したアスナの言葉に、ユノは自分の耳を疑った。

「どうして? この前はあんなに嬉しそうに、その日が来るのが楽しみだって言っていたじゃない」

 ユノが思ったままをそのまま口にすると、アスナの表情がガラリと不機嫌なものへと一変する。

「うん。楽しみだったよ? すっごく楽しみだった。だって、最後まで取っておけば、それまでずっと一緒にいられるもん」

「え?」

 意外な言葉に、ユノの口から思わず声が漏れた。アスナはユノの驚いた顔が面白かったのか、クスクスと笑い始めた。

「だって、ミナトくんとずっと一緒にいられなかったのは、最初に選んじゃったからでしょ? 十八の元旦まではずっと時間があったから、だから一緒にいられなかった。だったら、次に凄く気に入った人は、最後にしようって思ったの。だって、そしたら、ずっと一緒にいられるでしょ?」

「……」

 アスナの言う事は一部納得できる部分はあったが、今の言葉の中には、今アスナが語ってきた話に矛盾する事が含まれていた。

「アスナは、キョウヤとずっと一緒にいたかったの?」

 ユノは素直な疑問を口にした。アスナの瞳が一度ゆらりと揺れて、口許がその表情とは逆に笑みを描く様に歪んだ。

「そうだよ。ユノはきっと誤解してると思うけど、子供(私たち)にはちゃんと感情があるの。誰かの事を、好きだって思うの。好きな人と一緒にいたいって思うのは、普通だよね?」

「……」

 アスナの口から零れたあまりにも前時代的な言葉に、ユノは思わずアスナを見返した。普段の行動からは想像もしえないそれにユノが接ぐ言葉を失うと、アスナは呆れた様な視線をユノへ向ける。

「あんなに好き勝手してるくせに何言ってんの、って思ってるんでしょ? ユノって、そういうとこ大人と一緒だよね。だって仕方ないよ。そうしないと生きてけないもん。さっき言ったじゃん」

「……だったら、前も言ったけど、キョウヤとずっと付き合っていれば良かったんじゃないかしら?」

 アスナと話しているといつも落ちる結論に、ユノはどうしてそんな単純な事が分からないのだろうか? と不思議そうな視線をアスナへ送る。なぜ自分でも分かっている結論を避けて通る様な事をしているのだろうか? とユノにはその気持ちが分からなかった。アスナはユノの言葉にまるで侮蔑の様な視線を返し、はあ、と苛立たしげに溜息を吐いた。

「ユノだってキョウヤがどんなか知ってるでしょ?」

 低い声から発せられた意図のわからぬ質問に、ユノはそれでもこくりと頷いた。

「キョウヤはね、ミナトくんと同じタイプなの。楽しいを積み上げて、十八までの時間を潰すの。そんな人が私一人に留まってくれるはずもないし、その為に必死になるとかも馬鹿げてる。だって、ユノが言う通りもしキョウヤと付き合ってそれを続けたいって思ったら、寄ってくる女にいちいち嫉妬してそれでキョウヤと喧嘩するの? バカげてるよそんなの。そんな事に時間を使うくらいだったら、他の男の事遊んでた方がずっといい」

「そうかしら? でも、昔の本で読んだ恋愛は、割とそういうものが多かったわ。そうやって、関係性を深めていく事もあるって」

 ユノの言葉に、アスナの頬がひくりと引き攣った。

「はあ? 関係性を深めるって何? どうせ一生手に入らないのに、そんなもの深めて何になるっていうのっ?!」

「え?」

「だってそうでしょっ? 十八になったら「赤い糸」が勝手に相手を決めちゃうのに、その先一緒にいないって分かってる人と、どうして関係性なんか深める必要があるのっ?! そんな為に嫉妬とかして無駄な時間使うとか最高にバカげてるのにっ! どうしてそんなもの感じなくちゃいけないのっ?! どうしてっ……」

「アスナ……」

 言葉ではいくた否定しようとも、アスナはどう見ても嫉妬に苦しんでいる様だった。だが、それを認めたくない自分との間で葛藤しているのだろう。普段笑顔のアスナには珍しく、苛立ちが隠れずにその顔に浮かんでいた。

「ねえ、アスナ。別に自分の感情をそんなに否定する事はないんじゃないかしら? だって、「赤い糸」にあなた達二人が選ばれないかどうかなんて、まだ分からないわ」

 近くに居れば選ばれるという統計もないが、近くに居たから選ばれないという統計もない。アスナがここまで想うのであれば、もしかしたら「赤い糸」に選ばれる可能性だってあるかもしれない、ユノがそう希望を込めて言った言葉は、アスナの顔を今まで見た事のないくらい歪ませた。

「……やっぱり、ユノなんかに話すんじゃなかった」

「え?」

「ユノみたいに、最初から人を好きになる事を放棄してるお人形なんかに、私の気持ちなんかがわかるわけないよねっっ」

「お人、形……?」

「だってそうでしょ? 馬鹿みたいに「赤い糸」が最適の相手を選んでくれるって信じて待ってるんでしょ? それって人形じゃん。自分じゃ何にもしないで、与えられるものをただ待ってるだけでしょ? そんなの人間じゃないよ」

「馬鹿みたいって……酷いわ。だって、それが最適なのは、事実だもの」

「だから? ねえ、最適って何? 私の心が選んでないのに、遺伝子が選んでれば、その方が最適だって言うの?」

「心?」

「なにその、今更そんな事言うのか? って顔。ああ、でもそう言われるのも仕方ないか。だって、そんなもの無いみたいに生きてきたもんね。ユノの目には、自分の心なんて大事にしてない様に見えてた? きっとそうだよね」

 アスナはクスクスと笑い始める。

「でも、そうするしかなかったんだもん。自分じゃどうしようも出来ない事が待ってるのに、その場に立ち止まってどうするの? 泣いて喚いたって、十八の元旦には、自分の好きな人が「赤い糸」に選ばれなければ引き裂かれちゃうのに、その悲しみの為に気持ちを積み上げろって言うのっ?! そっちの方が酷いじゃないっっ!!」

 アスナはそう悲痛な声で叫ぶと、ハアハアと肩で息をする。

「ユノはさ、もしかして子供(私たち)が悲しまないとでも思ってるの? あんな適当に恋愛ばっかしてるんだから、楽しく遊び納めして十八を迎えると思ってるのっ?!」

「え?」

「そんなの、悲しいのが嫌だからじゃん!! 辛いのが嫌だから、見ないふりして過ごしてんじゃんっっ!! こういうの、処世術って言うんでしょ? 子供(私たち)の方がよっぽどまともに生きてるのに、大人達は子供(私たち)の事を非難ばっかりしてさっ……でもそれは、大人がそうしたんじゃないっ!! 大人が「赤い糸(あんなもの)」作るからっ! 子供(私たち)は誰かを本気で好きになる事を諦めなきゃいけなくなったんじゃないっっ!!」

「アスナ……」

 アスナの絶叫がすっかり日が暮れて暗くなった教室内に悲痛に響いた。今まで溜め込んでいた物を爆発させたせいか、アスナの頬に涙の痕が筋を残した。

「……あーあ。やっぱりキョウヤとさっさと付き合っとけばよかったあ。そしたら、ずっと一緒にいるともっと好きになるなんて事、知らなくて良かったのにっ……」

「……」

 俯いたアスナの長い睫毛を伝い、ポタポタと大粒の涙が机に落ちた。ユノは言葉を掛ける事も出来ず、もちろんこの場を去る事も出来ずただその場に佇む事しか出来なかった。

「なに? ユノ。なんで何も喋らないの? ああそっか。ユノには私の気持ちなんてわかんないもんね? だから何て言ったらいいのか分かんないか。あーあ、やっぱり話すんじゃなかった」

 アスナは最後の一言をぼそりと低い声で呟くと、はーあ、と大きな溜息を吐いて目元の涙を拭った。何も言葉を発する事の出来ないユノに構う事なくおもむろに立ち上がると、机に掛けてあった鞄を肩に掛けた。

(……え?)

 チリンと、持ち上げられた拍子に、鞄につけられたキーホルダーの鈴が揺れた。ユノは眼前に飛び込んできた狐面に、思わずアスナを見上げる。

(だから、突然こんな話をし始めたのね)

「アスナ、この前のテレビ、観たのね」

 アスナは一度ユノの方へ視線をやると、ユノの言わんとする事に気づいた様に鞄に付いた狐面のキーホルダーへとその視線を落とした。

「ニルって人、ビックリするくらいイケメンだったよね。観たよ。観たから最近こんな事ばっか考えてるんじゃん。他の皆もそうなんじゃない? だって、諦めてたって事を思い出させてくれたんだもん」

「諦めてた事を、思い出させる?」

 アスナの言う意味が分からず首を傾げるユノに、アスナはまるで可哀想なものを見る様な目を向けた。

「やっぱりユノみたいなお人形には、ニル(あの人)の言ってた事はわかんないか。まあ仕方ないよね。でもさ、もう私達は「赤い糸」なんてなくたって生きられるんだよ? ユノももっと真剣に考えた方がいいよ。わかんないかもしれないけど」

 アスナはそう吐き捨てる様に言うと、ユノを残してさっさと教室から出て行ってしまった。



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