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4-3

 ユノが玄関を開けると、見慣れない女性ものの靴が一足綺麗に揃えて置かれていた。

(誰かお客さんが来ているのかしら?)

 来客自体が珍しく予想をつけられないまま居間へと向かうと、ユノは静かにドアを開けた。

「あら、おかえりなさい」

 ユノにそっくりの母親がそう言って出迎えると、ドアに背を向けて座っていた来客がユノの方へと振り返った。

「ユノちゃん、久しぶりね」

「京子叔母さん、お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」

 ユノがぺこりと会釈をすると、京子は小さく手招きをしてみせた。久しぶりだからお話ししましょう? と誘われれば断るわけにはいかず、ユノは京子の座るカウチへと腰を下ろした。母親の妹に当たる京子は、母に似た笑顔でユノを迎え入れた。

「急に仕事でこっちに来る事になったの。それで久しぶりだから寄らせてもらったのよ。ユノちゃんにも会えたし、来てよかったわ。元気そうね。いくつになったんだっけ?」

「十七です」

「十七ってことは……もしかして今度“運命の日”を迎えるの? それは大変ね」

 京子は笑いながらそう言うと、

「あなたは本当に大変だったわね」

と、キッチンの奥から母親の辟易とした声が聞こえた。

「大変? どうしてですか?」

 ユノは言葉の意味が分からず素直にそう口にすると、京子はきょとんとした表情をしてみせた。

「どうしてって……ユノちゃん、今彼氏はいる?」

 京子の質問にユノが首を横に振ると、京子は一瞬意外そうな顔をしてみせたが、じゃあ別に大変じゃないかもね、と笑ってみせた。

「恋人がいると、やっぱり“運命の日”っていうのは複雑なのよ」

「どうして? 選ばれればそれでいいし、その人が相手じゃなくても「赤い糸」が忘れさせてくれるんでしょう?」

 ユノが当たり前の事実を口にすると、京子は、今の子って昔に比べて淡泊になったって本当なのね、と嘆かわしいと言わんばかりに大袈裟に溜息を吐いてみせた。

「まあ、現実はそうなんだけど、もしこの人が相手じゃなかったらどうしようって考えたら夜も眠れないし、運命の日が近づけば近づくほど不安で仕方なかったわ」

「ほんと、あなたは毎日喚き散らしてたわね」

 いつの間にか輪に加わっていた母親が当時を思い出して大きな溜息を吐くと、仕方なかったのよ、と京子は恥ずかしそうに笑ってみせた。

「だって、あの時はほんとにそれが全てだったし、もし彼が相手じゃなくて別れなきゃいけないかもなんて考えたら、泣けてしかたなかったのよ」

「……それって、「赤い糸」は幸せじゃなかったのかしら?」

「ええ、不幸だったわ」

「……」

 きっぱりと言い切った京子にユノが驚きで言葉を失っていると、京子はペロっと舌を出して見せた。

「あの当時は、って事よ」

「え?……」

「結局その当時付き合っていた彼は運命の相手じゃなくて、それが分かった瞬間は絶望的だったわ。心臓が張り裂けると思うくらい辛かったし、涙が止まらなかった」

 懐かしむ様な京子の表情に、ユノの口が思わず動いた。

「それは今も悲しくなるものなの?」

 答えを知っているものの、そう聞かずにはいられなかった。案の定京子は小さく首を横に振った。

「いいえ、悲しくないわ。ユノちゃんも知ってる通り、“運命の日”、“赤の契り”によって子供時代の感情は全て綺麗に昇華されるわ。だから今こうやって笑って話せるのよ。それに、「赤い糸」はちゃんと幸せをもたらしてくれたわ。主人と子供に恵まれて、今とても幸せだもの」

そう言うと京子は本当に幸せそうに笑ってみせた。

「急にどうしたの? もしかして、好きな人がいるのかしら?」

「ユノ?!」

 敬虔な運命教の信者である母親は急に目くじらを立てた様な顔をしてユノを見たが、ユノは先ほどと同じ様に小さく首を横に振ってみせた。

「いないわ」

 あからさまにほっとする母親を横目に見ながら、ユノは京子の反応を待った。

「そう。それは残念ね」

「残念?」

 予想もしていなかった京子の言葉にユノが不思議そうに眉根を寄せると、京子はちらりと母親の方を一瞥してから口を開いた。

「子供の頃に感じたあの感情は、なんだか特別な気がするのよ。もちろん、主人の事は愛しているし、何の問題もないわ。ただ、何の理由もなく、どうしようもなく誰かに惹かれてしまうあの気持ちを、ユノちゃんにも知っておいてほしいなと思っただけよ」

「どうしようもなく、惹かれてしまう?」

「ええ。気がついたらずっとその人の事ばかり考えてて、何も手がつかなくなっちゃう。それが恋よ。まあ、今の子供達はもっと軽く考えてるんでしょうけど」

嘆かわしいわ、と京子は大きな溜息を吐いてみせた。

「……それは、「赤い糸」で出会った相手には、そうはならないの?」

「うーん……もしかしたらそういう人達もいるかもしれないけど、でも違うんじゃないかしら」

「違う? 京子叔母さんは、叔父さんにはそうはならなかったの?」

 ユノが純粋な目で京子を見ると、京子は少し困った顔をしてみせ、内緒よ、と言って話を続けた。

「ならなかったわ。でも、これは本当に個人で違うのよ? だからあくまで一例として聞いてね。運命の日を迎えて散々泣いた後、それでも、相手にそれを期待してみたけど、残念ながら違ったわ」

「何が違ったの?」

「恋はしなかったわ」

「恋?」

「ええ。だって恋は、心が動くんだもの」

「心が、動く?」

「そうよ。でもそれと「赤い糸」は別物だもの。でも、今幸せな事に変わりはないわ。だからそんな顔をしないでちょうだい」

(それって、どういう事なのかしら?)

 ユノが更なる質問を京子に投げようとした時、パンパンっと手を叩く大きな音がそれを遮った。

「京子、そこまでよ。ユノに変な事吹き込まないでちょうだいっ! ユノ、あなたは「赤い糸」が選んでくれる素晴らしい相手を待てばいいのよ」

「そんなに目くじら立てないでよ、姉さん。まあ、人それぞれだから、今の話はあんまり気にしないでね。ごめんね」

 京子はそう言って両手を合わせてポーズを作ってみせた。

「……大丈夫。気にしていないわ」

 ユノは小さく頭を横に振ると笑顔を作った。その言葉は嘘ではなかったが、京子の言葉によってユノの心の中には小さな染みの様な何かが広がった。

(「赤い糸」が、不幸だなんて)

 それは今まで考えた事もない言葉だった。


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