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光を一切遮断したそこは、今が昼なのか夜なのか分かる手立てが一つもなかった。その中央、家庭用にしては随分と大きなモニターに映し出される映像を、男はその正面に座りじっと見ていた。
『今こそ「赤い糸」による選民意識をなくそう!!』
『どうして人間が機械によって振り分けられなければならないんだっ!!』
『何を持って“劣性”などと勝手に決めつけるのかっ?!』
国会議事堂を取り巻く、ざっと見ても数百人を超えると見られる人間の姿が引きで撮られた映像が映ると、一旦スタジオへとカメラが切り替わった。
『えー、今ご覧いただきましたのは、先日国会議事堂前に集まりましたデモの映像です。「最適配偶者選別システム=通称:赤い糸」により、交配に適していない遺伝子、すなわち、“劣性”とみなされた人々によるこういった活動が最近頻繁に見られる様になったという事ですが、一体、その背景には何があるのでしょうか?』
女性アナウンサーは一旦そこで言葉を切ると、スタジオに並んでいるコメンテーターと名打たれた初老の男性陣へとカメラが向いた。
『システムが定着する事によって、まあ単純に、“劣性遺伝子”と呼ばれて弾かれる者の数が昔に比べて増えてきた、ということでしょうな』
和服に身を包んだ白髪の目立つ評論家の肩書を持つ男は、知った顔でそう語った。
『まあ確かに数が増えたというのももちろんですが、彼らが訴えている通り、“劣性遺伝子”だと言う事で差別的環境に置かれている事実もありますからね。僕は彼らの主張の全てが悪いとは思っていませんが』
ぴっちりと七三に分かれた頭に眼鏡をかけた弁護士と呼ばれる男がそう言うと、隣に座っていた恰幅の良い医者の男が口を挟んだ。
『昔ね、優性遺伝子を持つ者と劣性遺伝子を持つ者とを同じ条件の下で能力テストをした事があるんですよ。そうするとね、申し訳ないけれど、いわゆる“劣性”と呼ばれる者の方が処理速度も精度も劣っていた、という事実がありましてね。一概には言えませんよ? でもね、そういう事実もあるんですよ』
『それは個人差というものもあるのでは? そういった考えを公で述べる事によって、またあらぬ誤解を生む事になるんじゃないでしょうか? それがこの不満に繋がるんですよ』
『いやいや君ね、これは考えじゃなくて事実だから』
『えー、ご意見が白熱しているところ申し訳ございませんが、ここでもう一つVTRをご覧いただきましょう。今までは各地でバラバラと小規模で行われていた劣性遺伝子を持つとされている人々のデモ活動でしたが、最近、一人の男の出現によって、その様相が変わりつつあるようです。ある意味異様なこの男、正体は一体何者なのでしょうか? それでは、ご覧ください』
弁護士と医者の白熱してきた会話をぶった切る様にアナウンサーがそう言ってぴっと指先まで真っ直ぐ伸びた手をカメラへと向けると、それはまた録画映像へと切り替わった。
『あー、あー、ねえ、ボクの声聞こえる?』
拡声器によって拡張されたテノール寄りの声が響くと、口々に抗議を上げていた声がしんと静まった。
『ありがとねー』
男は軽やかにそう礼を述べると、カメラのレンズが注目する中、その姿を現した。デモの中心部隊の前にあったブロックへひょいと乗ると、男の全貌が明らかになる。
スラリと伸びた体躯は優に百八十センチを超えており、男はグレーのパーカーを頭まですっぽりと被っていた。それだけ見るとその辺にいる若者と何ら変わりはなかったが、その中で異様に目を惹くのは、男の顔に狐面が被せられている事だ。
『暑さに負けずにこんなにも集まってくれてありがとう。君達の声は必ず届くよ』
参加者全員が見守る中発せられた男の第一声に、すぐさま歓声と奮い立った野太い声が発せられた。デモ参加者の中には男の風貌に疑問を唱える者は一人もおらず、男の出現に鼓舞し、
『ニールっ、ニールっ』
と、男の名を連呼し、その共感を伝える者もいた。
『またもうすぐしたら彼等が“運命の日”と呼んでるバカげた日がやってくるね。またくだらない犠牲者が生まれてしまう前に、システムに分けられた世界がこんなにも無意味だと言う事を、皆で教えてあげようね』
ニルがデモ参加者に向けそう呼びかけると、共感を表す雄叫びがドっと湧いた。
『ニル様―っ!!』
若い女性の熱の籠った声が響いたところで、カメラはまたスタジオへと戻された。
『今映像に映っておりました男は、ニルと名乗る自称“大人”の男で、半年くらい前に突如現れて、今までバラバラだったいわゆる“劣性遺伝子”と呼ばれる人々を急速に束ね始めた人物だと言われていますが、身元は明らかになっておりません。何かご存じの方はいらっしゃいますか?』
『こんなの愉快犯でしょ。くだらない。そもそも自分の顔を狐面で隠してるなんて、そんな男に束ねられているから、劣性遺伝子たちはその程度だと……』
評論家を名乗る男の話の途中で、プツン、とテレビの電源が落とされた。モニターの前に陣取りその映像を眺めていた男は手にしていたリモコンを雑に投げると、それは何度か跳ねてソファの上に収まった。それと同時に、室内の明かりがパッと点く。
「身元が明らかになってないって、そりゃそうだよね。だって、ボクはこの世に存在してないんだからさ」
男はカウチのクッションに身を委ねると、顔に嵌めた狐面が宙を仰ぐように上を向いた。
「それにさ、隠さないと目立っちゃうから、仕方ないんだけどなあ。ねえ?」
男はそう言って傍に立っていた黒いスーツの秘書風の女に同意を求めると、頭まですっぽり被っていたグレーのパーカーをパサリと落とした。襟足の長めな見事な銀髪が露わになると、男は頭の後ろで結んでいた面の紐をするりと解いた。
「お姿を現しになればよろしいのに」
秘書風の女は努めて冷静な声でそう言うと、少しだけ口惜しそうにそう言った。
「えー、アンちゃんそういう事言うの? まだいいよ。色々めんどくさいし」
男は右手を面に沿えると、ゆっくりとそれを取り払った。真っ赤な双眸がアンと呼ばれた女を捉えると、楽しそうに弧を描く。
「ニル様。その容姿で、更なる支持者も増えるというもの」
「ああ、褒めてくれてるの? でもさ、だったらもっともったいぶって教えてあげた方がいいよね? システムで弾きだされた者が、何を生み出したか、って」
ニルは面白そうにそう言うと、手にした狐面と同じ様に、にっこりと笑ってみせた。