8.
「まあ辞める理由については、まあ、自信がないっていうかさ……」
僕はクリアブルーとの一連の騒動を話した。
東野は笑いながら聞いている。
尖ってるねえ、などと相槌を打つ余裕まで見せていた。
「その話は相方からも聞いたんだけどさ」
「知ってたのかよ。それなら先に言ってくれよ!」
「まあそれくらいの度胸がないと芸能界では生き残れないからな。クリアブルーの先輩に対する口の利き方はひどいけど、ある意味では正解の処世術だと思うよ。仕事に繋がる番組プロデューサーに好かれれば、下っ端のADに嫌われるのは致し方なしって考え方は、敵も多く作るけど、どうせ作った敵なんかすぐに目の前からいなくなるしな。昔のバッドセンスみたいやんか」
「そうだけどさ。後輩芸人が台頭していく姿を見ていると、さすがに自信も喪失するよ」
七味唐辛子を小どんぶりにかけてうどんをすすると、のどにスパイスの粉がはりついてむせた。
「そうなんか。お前のポテンシャルは、バッドセンスやクリアブルーにも劣ってない気はするけどな。ひとり漫才が向いてないのかもしれないな。ボケとツッコミのメリハリが全然ないし、とくにストーリー展開に妙があるわけでもないし、キャラも立ってないから見ても忘れられやすいんだろうし」
「めちゃくちゃ刺さってるよ。言葉のナイフがめちゃくちゃ刺ってる。出血過多で、俺死んじゃう」
「まあ、広く浅く万人受けはするだろうけど、熱狂的なファンはつきにくいというかさ……」
「うおーい。勝手に話を進めるな。余計に傷つくわ! まずは救急車を呼べ!」
「もしもし救急車をお願いします。あ、いえ、ゆっくりで大丈夫です。緊急ではないので」
「ゆっくりで大丈夫なら救急車を使うな。確かに救急車をタクシー代わりに使う高齢者がいたけれども」
「お待たせしました。消防隊です。急患ですね、それでは救急車はコチラになります」
「タクシーか! 駅前に配車してありまーすみたいに言うな。歩けねえよ、せめてストレッチャーとかを使って丁寧に運んでくれ!」
「ケガ人か!」
「ケガ人だよ。さっきナイフで刺して来ただろーが!」
なんなんだよ。この怒涛のボケは。
俺じゃなかったら見逃しちゃうぜ。
「やっぱりコンビ芸人の方がいいな。相方候補とかいないのか?」
「養成学校時代の同期は、すでにメジャーデビューしてるか辞めてるかの二択だからな。それに後輩と組んでも変に気を遣わせちゃって気まずい空気になりそうだし、俺としても立つ瀬がないというか、どうしてもうまくいくとは思えないな」
「恋人の女の子がいただろ。組めばいいんじゃないか?」
「はあ?」
「かなり息がぴったりだし、漫才でも行けると思うけどな」
「ふざけんな。ユウコが良いと言うはずがねえだろ!」
「恋愛も漫才も駆け引きが大事だからな。相方を第2の夫婦って呼んだり、女房役って呼んだりするように、恋人を女房役に据えるのは良い考えだと思うけどな」
「確かにその通りだが、彼女とは、まあ、話してみるよ」
僕は言下に否定しようとして、立ち止まった。
バッドセンスの東野はエンターテインメントについてはナイスセンスなのだ。
だからこそ僕もこうやって相談に来たのだし。
それならば実践してみる価値はあるのかもしれない。
「お笑いに必要なのは、下地となるベースだからな。険悪な雰囲気だったらくすりとも笑えないようなネタでも、学校の文化祭だったらバカ受けするみたいな感じかな。その雰囲気作りは、見知らぬ後輩芸人よりも、仲の良い恋人同士の方が噛み合うと思うよ。とりあえずは説得を頑張ってみなよ」
僕は静かにうなずく。お風呂が沸きました。
そんな電子音が、浴室から部屋に向かって響いた。
小さな画面からは、スポーツカーのブレーキ音がしていた。
「そうだな」と立ち上がって僕は玄関のドアを開けた。
寒暖差にやられて大きくくしゃみをしながら暗い階段をゆっくり下りた。