1.
薄明りの豆電球の下で、僕は自重トレーニングを開始する。
緊張と緩和。収縮と弛緩。
お笑いと筋トレはなんとなく似ている気がしていた。
ふんっ、ふんっと、荒い呼気が狭い室内に充満していく。
夕暮れの陽光が部屋を照らしていて、そこだけがクローズアップされる。
次第に身体が熱くなってくる。僕にその光は当たらない。
いつも、そうだ。
僕は誰にも求められていないのだ。
そんな脆弱な心がふっと顔をのぞかせる。
今日はお笑いのライブがあった。僕は前座としての出演だった。
お客さんは誰も僕を求めていない。誰も僕を見ていない。
上映前に流れる映画の予告シーンみたいに、「本編はまだかな、まだかな」っていう期待感だったりとか、会場の熱気だったりがビシビシと痛いほどに迫ってくるだけで、もしかしたら僕なんていてもいなくてもあまり変わらないんじゃないかって思ってしまう。
規則正しくインターバルタイマーが鳴って、僕はその都度トレーニングの種目を切り替える。部屋の熱気と網戸越しの冷気が交互に入れ替わっていく。その折に、街中の喧騒や子ども達の楽しそうな笑い声が届いてきて切なくなった。
今日のライブ出演でも結果を残せなかった。
ステージに上がる。スポットライトが当たる。
照明を一身に浴びているはずなのに、誰にも見てもらえない恐怖。
そして後輩芸人が堂々とメインやオオトリで出演して爆笑をかっさらうのだ。
僕はカツ丼で言うところの、せいぜい漬け物みたいな存在感だった。
主役には、なれないのかもしれない。
だとしたら何のために、お笑い芸人なんてやっているんだろう。
トレーニング終了の合図が鳴り響く。やっと終わった。
今日はなんだか身体が重たい。
低脂肪牛乳にプロテインを混ぜて一気に肉体に流し込むと、お腹の辺りでぎゅるると吸収されているのがわかった。
キッチンの照明を明るくして、窓を閉めてからクーラーの暖房をつけた。
この頃は朝夕の冷え込みが激しい。
トレーニング後であっても、油断をすれば風邪を引いてしまう。
お笑いの活動はともかく、アルバイトでは必要とされている実感がある。
マニュアル通りの接客しかしていないが、その方がお客様に喜んでもらえるのであれば仕方がない。僕が奇天烈な芸を披露して場を白けさせてしまうのは、数少ない営業先での一発ギャグや、新米芸人の試金石として用意されたお笑いライブの前座でショートコントを披露するときだけで十分だった。
「さて、そろそろ料理でも作ろうかな。もう少しで彼女が帰ってくるはずだ」
そうおもむろにレジ袋から乾麺を取り出す。鍋に水を入れて強火で沸騰させる。その間にベーコンを細かくカットして、フライパンに油を敷いて換気扇を回して……。今日はカルボナーラを作ろう。あれ、おかしいな、玉ねぎを切っていないのに涙がにじんでくる。
悔しいな。自分だけが取り残されている気がする。
仲の良い同期は、レギュラー番組を何本も抱えているのに。
悔しいな。自分だけは誰にも必要とされていないんだ。
僕はそんな嗚咽や鼻水が漏れないように調理を続けた。
大好きなカルボナーラの香りにむせかえりそうになった。