付き合い始めた先輩が、思っていた以上にグイグイ来る
「私たち……付き合い始めて、一週間経ったわね」
「そうっすね、先輩。改めて云われると、ちょっと照れますね」
学校からの帰り道。私は先輩と一緒に帰っていた。
私、野井那々花と、綾川千夏先輩は、先週お付き合いを始めた。
私たちは幽霊部員も多い美術部で、良く一緒に絵を描いたり、お互いをモデルにしたりとか、仲良く部活動をやっていて、一週間前に、先輩から告白されて……今に至っている。
ちょっと抜けたところもあるけれど、何事についても自分を厳しく律している、格好良い先輩だと思っていた。
……思っていた。
「……今日、私の家に、来ないかしら」
「え? いいんすか」
千夏先輩の家には何度か遊びに往ったことがある。
絵ばかり描いてる人かと思っていたけれど、意外にゲームが充実していたり、少年漫画も多かったり、面白い発見があった。
ただ、恋人になってから初の訪問なので、ちょっと緊張しちゃうなぁ。
「今日は親もいないし」
「ああ、なるほど」
私、対戦系のゲームをやると結構声出しちゃうタイプで、迷惑になってないかいつも心配してたんですよね。
まぁ、開き直って大声出したりとかはしないけど、少し気が楽。
そう思ってにこにことしたら、突然先輩は、声を張り上げた。
「そ、その! えっと、べっ、別に、変なことはしないわよ!? 居ないってだけ!」
びっくりして思わず身体が震えてしまった。
突然何を云い出したんだろうと首を傾げた後で、千夏先輩が云わんとした意味を徐々に察した。
「え!? いや、別に考えてませんでしたが! 敢えて云われると逆に警戒しますよ」
あはは、やだなぁ、と笑いながら手を振る。
先輩も変な冗談を云うのだなと思って。
「そんな、ねぇ、まだ……もう一週間だし」
「ん? なんで云い直したんすか?」
「そうね、一週間経ったし」
「なんでちょいちょい云い方変えてくるんすか」
にわかに香ってくる本気な感じ。
これもしかして、冗談じゃないのかな?
「……ちょっとくらいは」
「あれ理性負けた!?」
どうやら本気だったっぽい。
私はこの時まで、先輩はキリッと真面目で、どんな時どんなものでも、自分を律している人だと思っていた。
でもどうやら、恋人になったからなのかは判らないけど、私に対する、その……欲求については、あまり律せていない様子が見て取れた。
それ自体に幻滅とかはしていないよ? ただ、ちょっと、びっくりしただけ。こんな、弱点のようなものがあるんだな、って。
「いえ、いえ!? そんな、理性が負けるなんて、そんなことないわ! 大丈夫、ちょっとだけだから!」
「結局負けてる!? なんか少しずつ緩和してるじゃないすか!」
先輩自身が葛藤しているのか、私を丸め込みたいのか、量りかねる感じ。
品のない云い方をすれば、いわゆる「先っちょだけ」と同レベルに聞こえる。
「だ、だって……学校でも、学年違ってなかなか会えないし……通学路とかのデートじゃ、キスもできないし……キスもできないし」
あぁ、すごくしたそう。
「んん。まぁ、そうっすけど……キスくらいなら、そうっすね、先輩の家に往ったら、良いっすよ」
「ありがとう!」
本気の感謝だった。
「那々ちゃん。私もね、私だって、どうしたら良いのか判らないの。胸が苦しいから、勇気を出して那々ちゃんに告白したのに……付き合えたとなったら、もっと苦しくなるんだもの」
「千夏先輩……」
「今だって、手を繋ぎたいし、キスもしたいし、抱き締めたいのよ……でも、通学路でそれは、ね」
「我慢して貰えると、そうですね。助かります」
そう云うのに関しては、性別云々以前に単純に恥ずかしいので、私の方がNOと云っている。
道ばたや電車内、そういう公共の場で堂々といちゃつけるようなメンタルは、私にはない。
「でしょう。だから……泊まってく?」
「展開が早い! 待って、さすがに朝帰りは無理っす!」
キスくらいはと、ついさっき云ったばかりなのに先輩の押しが強い。
今の状態の先輩と泊まって、キスだけで済むとは到底思えない。
「女の先輩の家に泊まるって云えば家族も安心!」
「事実ではあるんすけどね」
今は親に疑われる心配以上に、自分の貞操が心配。
ごめんなさい先輩。私、性欲は弱い方だし、キスより先は、興味より不安の方が強い。
「駄目、かな」
「少なくとも今日明日で突然泊まりは無理っす。親も心配しますし」
「ちゃんと那々ちゃんの分の歯ブラシも寝間着も替えの下着も用意してるよ?」
「用意が良すぎてちょっと怖い!」
用意の良さに、先輩の本気を感じる。
すると、私の反応を見て、千夏先輩がパンと手を打つ。
「あ、寝る時何も着ない派だった?」
「着る派です。下着もパジャマも」
「そっか。一応お揃いのベビードールも買ってあるけど」
「着ないっすよ?」
そういえば、付き合うよりも前に、いつだったか、スリーサイズと身長を聞かれたのを思いだした。
あれを憶えていて、恋人になってから買ったのだろうか。
……よもや付き合う前に買ったわけではないですよね?
「まぁ、それはそれとして。それじゃあ、家に往きましょうか」
先輩は希望に満ちた目で、先導を始める。
一方で、私は今、かなり怯んでいる。
往ったが最後、閉じ込められてしまったりしないかな、などと。
「ちょ、ちょっと先輩、今日はまだ私、心の準備が」
「あら。一緒にゲームするだけよ」
「信じませんよ?」
千夏先輩のほんのり赤らんだ頬と、上がっているテンション。
この普段通りじゃない様子を見て、素直に言葉を鵜呑みに出来るほど無邪気じゃない。
「そんな……! あ、ピザとか取る?」
「少なくとも夕飯までご一緒する気ないんですけど!?」
「そんなぁ……両親が不在で、お夕飯一人だけなのよ。それに、少しでも那々ちゃんと一緒に居たいの。いいでしょ?」
「そ、そう云われると嬉しいですし、私も一緒に居たいっすけど」
先輩の顔が近付いてくる。肌綺麗だなとか、思ってしまう。
あ、にきびだ。
「そうでしょ。あ、お風呂はちょっと狭いかもしれないけど」
「だから展開早過ぎるって云ってますよね!? 夕飯前には……夕飯食べたら帰りますから!」
「えええ……」
「そんな不満そうな顔しても駄目っす」
私も我が身が可愛いので、断固としてNoと云う。
化粧はさておいて、毛の処理とか、何かある場合は事前に色々やっておきたいし。
「判った。私の方が那々ちゃんより大人だし、聞き分けるわ」
「一歳差っすけどね」
「ベビードール着てくれたら我慢する」
「なんで我慢の対価要求してんすか!?」
子供か!
「だって、恥ずかしかったのよ!? スケスケのベビードール買うの!」
「スケスケなんすか!?」
より一層着たくない! というか良く買えましたね!?
「一回で良いの!」
拝まれる。
通学路で、他に人が居ないとは云え、人に拝まれている状態は恥ずかしい。
「や、やめてください、き、着ないっすからね!? なんでそんなもの買ったんすか!」
「恥ずかしがってる那々ちゃんが見たかったから」
「当然でしょ、みたいな目で見ないで欲しいんすけど!?」
今日、このやりとりで、だいぶ先輩の印象が変わってきていた。
……そしてそれと同時に、「こんなに求められ嬉しいとか」とか思い始めていて、度し難いなぁなんて、思ったりした。
「お願い、それさえ着て貰えたら、私、なんでも我慢できる気がする」
「嘘だ、絶対嘘だ! 絶対歯止め利かなくなるやつだ!」
そんな風にぎゃあぎゃあ喚いたものの、私は千夏先輩の家にお邪魔した。
千夏先輩から告白されたとはいえ、私も惚れしまっているから……惚れた弱み、というやつだった。
結果だけ云うと……着たし、泊まった。