モントレール街道にて(6)
リーベルとエステリアの目の前に現れた獣は、まるで刃物でも研いでいるかのように自らの爪同士を擦らせている。
「あれは、魔獣なのか……」
エステリアの呟きに呼応するかのように、その獣は雄叫びをあげると、鋭い両爪を振り下ろした。
すると、大気が圧縮されて生み出された斬撃が、リーベルとエステリアめがけて放たれたのだ。
エステリアは、リーベルを抱えこむと、地面に転がりながら、その斬撃から身をかわす。
「お怪我は、ありませんか?リーベル様」
「ええ、問題ないわ」
リーベルとエステリアは、すぐにその場から起き上がる。
斬撃の威力は凄まじく、斬撃が放たれた一直線上にあった小さな岩は砕かれ、地面には斬撃の跡が深く刻まれていた。
即死級の攻撃である事は、容易に見当がつく。
リーベルとエステリアは、自らの武器を構え、再び獣と対峙する。
「我の斬撃を避けるとは、さすがじゃのう」
(魔獣が喋っただと! )
エステリアは、新たな事実に目を見開く。
しかし、リーベルは物怖じせず、その魔獣にステッキを向ける。
「貴方の目的は何」
「我の目的か……。ただ、力を求めて腹一杯喰らう。それだけじゃ」
「人間を喰らう?では、なぜ、病に侵された女性達を助けた」
すると、魔獣は、再び両爪を擦りながら、今度は耳障りの悪い不適な笑い声をあげる。
「助けてなどおらん。女は、病でじっくり体を腐らせて熟成させた肉が美味なだけの事。男も同じじゃ。木に吊るして肉体を熟成させれば何とも芳醇な香りが口に広がるのじゃ。だが、人間の顔は好かん。醜く不味いからのう」
なんとも不快な発言にリーベルの眉は、青筋が入るかのように深く顰められていた。
彼女の態度に、その魔獣は、クックと笑う。
まるで、彼女の態度を楽しんでいるかのように。
「そうじゃ。貴方に見せたいものがあったのじゃ」
そう言うと、魔獣は、左右の獣手を腹部にあてた。
すると、腹部から円状の漆黒の妖気が現れる。
そして、その妖気に獣手を突っ込み、何かを取り出した。
リーベルとエステリアは、その物を目の当たりにし、絶句する。
それは、リラとカイルの母親であるレイアの生首であった。
表情はなかったが、ただ目には悲しみの影が見えていた。
魔獣は、長い舌で、レイアの生首をひと舐めし、今度は舌舐めずりをした。
「レイアは、もう食べ頃じゃったからな。リラとカイルを助けにいくと言って出て行ったのは、好都合じゃった。じゃが、この顔はとても醜くいのう。ひと舐めしただけで不快な味がしよったわ」
レイアの髪を鷲掴みし、まじまじとレイアの顔を眺めた魔獣は、ゴミでも捨てるかのように地面へと投げ捨てた。
だが、その時。
「解き放て!ビエント! 」
エステリアのレイピアが大気と共に緑に輝く。
そして、緑の一閃が、魔獣の中腹部を襲う。
しかし、魔獣は翼を羽ばたかせ、エステリアの攻撃をたやすく回避する。
「今の剣術は、見事じゃ。突き刺さってあれば致命傷だったなう」
「ほざくな!貴様は、私が駆逐する! 」
「素晴らしい意気込みじゃのう。それではワシらの番とするか」
再び魔獣は、両爪を振り下ろし斬撃を放つ。
しかし、エステリアが再びビエントを繰り出し、斬撃を食い止めた。
すると、魔獣は、地鳴りがする程の大きな雄叫びをあげ、リーベルとエステリアめがけて斬撃を間髪入れずに何発も繰り出されていく。
エステリアは、ビエントで魔獣の猛攻を防ぎつつも、次から次へと襲いかかる斬撃に、リーベルを庇うことが出来ない。
一方、リーベルは、魔獣の斬撃から何とか身をかわしていた。
「しぶとい奴らじゃのう。では、これならどうじゃ」
魔獣は、リーベルとエステリアの方ではなく、リラとカイルめがけて鋭い両爪を振り下ろそうとした。
リラとカイルは、アリーシアに襲われかけた際の反動なのか、気を失っている。
リーベルは、咄嗟にリラとカイルを守る為、二人の元へと走った。
「リーベル様! 」
エステリアの叫びも、今のリーベルには聞こえない。
なぜなら、彼女は心に誓ったのだ。
「これ以上誰も死なせたくない」と。
そして、魔獣は、リラとカイルに向けて斬撃を放つ。
リーベルは、リラとカイルを自らの体で覆うように飛び込み、間一髪のところで斬撃から二人を守った。
すると、リーベルがのしかかった衝撃で、気を失っていたリラとカイルが目を覚ました。
「リーベル……お姉ちゃん? 」
リラとカイルは、目の前にいるリーベルを不思議そうに見つめていた。
リーベルは、その場を立ち上がり、リラとカイルの髪を手櫛でくしゃくしゃとすると、二人が無事である事に安堵の表情を浮かべる。
リラとカイルもゆっくりと立ち上がると、カイルがリーベルのローブの裾を引っ張った。
「どうしたの? 」
「リーベルお姉ちゃん、どうして背中が裸なの?」
「えっ、嘘でしょ! 」
リーベルは、慌てて左手を背中に回し、自分の素肌とローブの切れ端を認識した。
どうやら、先程の斬撃が、リーベルの背中をかすめていたようで、ローブを背の部分は大きく引き裂かれていたのだ。
ただ、ここにいるのはリラとカイル、それにエステリアだけ。
自分よりも小さな子と同性に背中を見られても何の問題もない。
そう、リーベルは思っていたのだが……。
「あのー……」
背後から野太い男の声が聞こえ、リーベルの背筋に悪寒が走り、思わずステッキを背後に向ける。
そこには、アリーシアによって捕らえれていたリラとカイルの父親であった。
先程の斬撃が、リラとカイルの父親
リーベルは、すぐにステッキを下ろすと、何度も頭を下げた。
「謝らないでください。私こそ、リラとカイルを救って頂き、何とお礼を申し上げればよいか……」
リラとカイルの父親は、涙ながらにそう言うと、残された力で深々と礼をした。
リーベルは、彼に頭をあげるよう促すと、「リラとカイルの側にいてあげてくだい」と伝え、再び魔獣を駆逐する為、エステリアの元へと向かった。
一方のエステリアは、魔獣と熾烈な戦いを繰り広げていた。
魔獣は、何度もリラとカイルに向けて斬撃を放とうとしていたが、エステリアがビエントで斬撃を打ち消しつつ、持ち前の素早い剣技で魔獣を突き刺していた。
しかし、魔獣は、翼を羽ばたかせ、軽やかにエステリアの剣技をかわしていく。
エステリアのレイピアが、魔獣の体を突き刺したとしても、その傷は浅く、致命傷を与えられていない。
(くそっ!すばしっこい魔獣め! )
何度もレイピアで攻撃を繰り出すエステリアだが、ついにレイピアが魔獣の左腕を深く貫く。
魔獣は、その激しい痛みに、大きな雄叫びをあげた。
”エステリアの攻撃は、効いている”
そう思われたのも束の間、魔獣の雄叫びは、ピタリと止んだ。
そして、魔獣は、右腕を勢いよく振り上げると、エステリアの頭部めがけ鋭い右爪を突き刺そうとした。
魔獣は、わざと自らの左腕を犠牲にして、エステリアの息の根を止めようと考えたのだ。
エステリアは、魔獣の攻撃を回避しようと突き刺したレイピアを引き抜こうとするが、魔獣の左腕に深く突き刺さっているせいかレイピアを引く抜く事ができない。
エステリアの頭部に迫る魔獣の右爪。
「ここまでか……。貴方のお役に立てず申し訳ございません、リーベル様」
エステリアは、小さな声で呟くと、自らの死を悟ったかのように目を瞑った。
その時であった。
「エステリアを離しなさい!解き放て!サンフレイム!」
リーベルが放つ豪火の玉が、魔獣の顔面に襲いかかる。
魔獣は、後ろに飛び立ち、リーベルの攻撃を避けきったかに思われたが、魔獣の左の二の腕あたりに豪火の玉が直撃したのだ。
魔獣がひるんだ反動で、エステリアのレイピアは、魔獣の左腕から抜けた。
エステリアは、すぐにリーベルの元へと駆け寄った。
「エステリア、私は誰も死なせたくないの。だから、あなたがいつも私を守ってくれるの同じように、あなたがピンチの時は、私が絶対守り抜く。あなたは、私に仕える聖騎士であり、私の冒険者仲間でもあるんだからね」
「リーベル様、申し訳ございません。少しでも死を悟った自分が悔しいです」
「じゃあ、その悔しさをあの魔獣に全力でぶつけるのよ!ひるんだ今が、あいつを駆逐するチャンスよ」
「承知しました! 」
リーベルとエステリアは、静かに瞑想を始め、そして同じタイミングで唱える。
「解き放て!サンフレイム! 」
「解き放て!ビエント! 」
エステリアのレイピアの剣身には、緑に光る大気が不規則な流動を描いてまとわりついていき、リーベルの豪火と同化していく。
そして、エステリアは、レイピアを強く握りしめ、魔獣の中腹部へと突き刺した。
突き刺したレイピアは、剣身にまとった赤橙と緑の光の力によって、魔獣の内側から一気に体を破壊していき、魔獣の内に秘められた漆黒の妖気と共に大気中へと発散されていった。
こうして魔獣との戦いは、終焉を迎えた。
天は、リーベルとエステリアの勝利を祝福しているかのように、雷雲は澄み切った青空へと移り変わっていき、温かな太陽の光が、平原地帯を優しく照らしていく。
リーベルとエステリアは、顔を見合わせ、軽く笑みを浮かべると、すぐにリラとカイルの元へと向かった。
二人が駆けつけた時、リラとカイルは、父親の服の裾をギュッと握りしめ、大声で泣いていた。
彼らが目にしていたのは、魔獣が投げ捨てた母親レイアの生首であった。
「リラ、カイル」
リーベルの声が震える。
”リラとカイルを救えたとしても、リラとカイルの心の傷は、救うことが出来なかった”
リラとカイルの姿を目の当たりにしたリーベルは、肩を震わせ、下唇をグッと噛み締めた。
エステリアは、リーベルの肩にそっと手を置く。
だが、その時。
森林の方向から木の葉がざわめく音が聞こえてくる。
先程の雷雨は止み、風はほとんど吹いていない状況であった為、その音は、明らかに不自然であった。
エステリアは、血相を変え、収めていたレイピアを再び抜くと、リーベル達を自らの背後にいるよう促した。
木の葉のざわめきは次第に大きくなっていく。
何者かがこちらに近づいているのが感じ取れる。
息を呑むリーベル達。
そして、木々の影から現れた人物に、リーベル達は目を見開いた。
その人物は、隻眼の聖騎士、アルフレッドであった。
アルフレッドの両腕と両足には、ナイフが刺さり、額からは顔の約半分を覆う程の多量の血が流れ出ている。
「リーベル様、ご無事で何よりです」
アルフレッドは、血の混じった歯を見せて、リーベルに笑ってみせた。
しかし、その直後、彼は、静かに目を閉じ、膝から崩れ力尽きていった。




