常識的な考え方
「今日も儲かった。スリとひったくりで、財布が三つ。所詮若者だと舐めていたが、いやはや最近の高校生はバイトを頑張っているらしいな」
老人は一人、ニヤニヤと笑っている。手にした財布から札束と小銭を抜き取り、大事そうに数えていた。
老人は十年以上も前に定年退職し年金生活を送っていたが、どれほど切り詰めようと僅かな年金では到底足りず、無いに等しい貯金も底を尽きかけていたころ、ついうっかり軽い気持ちでスリに手を染めた。
前を歩く中学生の、大きく開いたリュックサックから、やたらと派手な財布が覗いている……。
もちろん普通の年寄りの緩慢な動きで気づかれぬはずも無く、何をしているのかと財布の持ち主に問い詰められてしまう。周囲の人々が集まり始め、もう逃げられないと悟った老人は、何を思ったのか突然、
「これは、ワシの財布じゃ!」
と声を張り上げた。
言ってしまってから、まずい、これで罪が重くなったぞと後悔したが、事態は思わぬ方に転がっていった。
「ってこたぁ、この若造が可哀想な爺さんの財布を盗もうとしたってことかぁ!」
中年男性の声に、民衆の矛先が、老人ではなく本来の財布の持ち主だった中学生に向けられる。
「お前、いくら馬鹿でもやっていいことと悪いことがあるだろうが!」
「本当! まともな教育を受けていないあんたたちみたいな世代は、目上の人を敬うってことを知らないのよ! だから嫌いなのよね!」
「さっさと死ねクソガキ! 今すぐ土下座して死んで詫びろ!」
抵抗も反抗もできず、人だかりの中心で暴行を受ける中学生を置いて、老人は財布を持ったまま逃げていった。
一時は罪悪感を抱いたが、手にした金の前には理性など風前の灯火。それからは老人の思うがままだった。若者だけを狙って、財布を盗み鞄を奪う。もし気づかれても、「あいつが盗ろうとしたんだ」と叫べば大衆はすぐ騙されてくれる。真実を知ることも無い偽善者が、必死に味方をしてくれる。時々、犯行の様子をしっかりと見ていた人もいたが、年長者と年少者、一般人を自称する人々がどちらを信用するかは明らかだった。
だがある日、油断していたこともあってか、若い女性を突き飛ばし鞄を盗んで立ち去る様子が、監視カメラに映ってしまった。
猛威を振るった年功序列も、司法には対抗できない。こうして老人は刑事裁判の場に立たされた。
「高齢者だから犯罪者でない、とは必ずしも言い切れない。こうして証拠が揃った以上――」
「常識的に考えて、経験と徳を積んだ立派な老人が悪事に手を染めるはずなど無い。いいや、考えなくてもわかる当たり前の事……。事実を受け入れず、証拠証拠と騒ぐ辺りが余計に怪しいですなあ」
検察官の反論を、我が意を得たり、といった顔で弁護士は遮る。
「もしかすると、あなた自身が犯人であるのを隠すため、こうやって赤の他人に濡れ衣を着せようとしているのでは?」
「何を馬鹿な事を! 事実を認めていないのはあなただ!」
うるさいなあ、カメラに映っているのだから、常識的に考えて有罪だろう。なぜ年齢にこだわるのか、まったく理解できないな。そんなことを考えながら、検察官と弁護士のやり取りを、初老の裁判官は眠そうな顔で聞き流していた。