7話
ガイル砦から少し離れた森の中、既に襲撃の準備を終えた魔物達の中心で、ルナと呼ばれた少女が立ち尽くしていた。
「遅いっすね……」
いつかの時とは立場が逆転していた。
今回彼女は「お前に任せたら、どれだけ計画を延期する事になるかわからないからな」と言われて、有無を言わさず留守番役にされてしまったのだ。
(さすがに料理屋巡りはやめといた方が良かったっすかねー)
ルナは、留守番役にされ、頭蓋骨が割れる程のお仕置きを受ける原因となった出来事を思い出して苦笑する。
だが、後悔はしていない。
食事を何よりの楽しみとする魔狼族から進化した魔族である彼女には、例えあの日に戻れたとしても、あの誘惑に耐えられたとは思えなかった。
……しかし暇である。
待たされる者の気持ちを知った事で、今度からはもう少し早く帰ろうかなと、思わなくもなくもないルナであった。
──とその時、彼女の上司にあたる男が戻って来た。
「あっ、お帰りなさいっす先輩。いやー、待たされる方ってこんなに暇なんすねー。今度からはアタシももう少し早く帰って……」
そこまで言った所で、ルナは彼の状態に気づき、言葉が止まる。
「先輩!? どうしたんすか!? ボロボロじゃないっすか!?」
彼は血まみれで、一人では歩けないのか、部下の一人である狼に運ばれていた。
ルナはすぐに彼に近づき、回復魔法をかけ始める。
……酷い状態だった。
身に着けていた鎧は上半身が砕け、胸には大穴が空いていたのを無理矢理塞いだかのような大きな傷ができていた。
その上、彼から感じる魔力が普段と比べて、酷く弱々しい。
おそらくは胸の傷を塞ぐ為に、苦手な回復魔法を多様してしまったのだろう。
致命傷を回復魔法で治すには大量の魔力がいる。
いくら莫大な魔力を持つ『上位魔族』の彼であろうとも、ここまで衰弱する程の魔力が。
「すまない……、ルナ。助かる……」
「先輩、何があったんすか? 化け物みたいに強い先輩がこんな状態になるなんて……」
「ふっ、偵察の途中でやけに強い剣士に遭遇してな……。その仲間もなかなかの者達だった……。馴れない事はするものではないな」
「何やってんすか……」
ルナは呆れたように言いながらも、その声には心配の色が強い。
偵察の仕事は情報を持ち帰る事だ。
強そうな敵がいれば、関わらないのが正解。
しかし、上位魔族にまで進化した彼が傲ってしまったのも無理のない話だとも思っていた。
「魔王様に合わせる顔がないな……。魔族の力をいただき、幹部の席まで賜ったと言うのに、この体たらく……。誇り高き魔狼族の長として情けない限りだ……」
「猛省してください。先輩は確かに強いけど、無敵じゃないんすから。つきましては、命の恩人であるアタシに対する接し方をもう少し優しく……」
「……ふっ、それは断る。お前を甘やかすと碌な事がなさそうだからな」
「酷いっす!」
ルナはあえてふざける事で、今にも自害しそうな彼の気持ちを立て直した。
彼もまたルナの気遣いをわかった上で、今だけは彼女に甘える。
……なんだかんだ言って、相性の良い二人であった。
「それで? これからどうしますか?」
「……少し休む。その後は予定通りだ」
「……了解」
こんなボロボロの体で尚も戦おうとしている上司に対して、少しだけ不満に感じながらも、ルナは反対しない。
魔狼族は何よりも誇りを重んじ、一族の長に対して絶対の忠誠を誓う一族だ。
その長が誇りを持って選んだ道ならば、ルナは付いて行くだけだ。
……いや、ルナだけではない。
魔族の域にたどり着けていない、他の部下達もそれは同じだった。
……こうして、かつてのラオルート帝国滅亡の時以来となる、
大量の魔物による大攻勢が始まった。
◆◆◆
魔物達の襲撃が始まってから、数日後。
ミネルバにハゲと罵られていた男こと、ガイル砦守将ダストンは憔悴しきっていた。
魔物達は防衛線の突破という、普段の目的を完全に無視し、数に任せて砦を完全に包囲しながら、じわりじわりと、此方の戦力を削りにきている。
指揮官でもいるのか、魔物の癖にやたらと知恵が回る。
ゴブリンやオークなどの有象無象の魔物を盾にして、精鋭と思わしき狼の魔物達が、暴れ回るのだ。
そのせいで、砦に籠もっているにも関わらず、門を守る部隊や壁の破壊を阻止する部隊が多大な被害を受けて、ほぼ壊滅状態。
残っていた僅かばかりの魔術師達は、とっくの昔に魔力枯渇に陥っている。
最早、死を待つだけの状況で、ダストンは現実から逃避するかのように、ひたすら無意味な責任転換を続けていた。
「クソッ! それもこれもミネルバの奴が何も策を出さなかったせいだ! それどころか、砦を捨てて一人で逃げ出しおって! 全部あいつのせいだ! クソッ! クソッ!」
醜く喚きちらすダストンを諫める者は誰もいない。
元から左遷させられて送られて来たに過ぎないお飾りに期待する者などいないのだ。
そして当然ながら、ミネルバが逃げたという証拠はない。
彼女を含めて、見回りに出ていた部隊は一つ残らず帰ってこなかった。
任務中に敵の襲撃を受け、既に戦死を遂げていると考えるのが自然だ。
しかし、ダストンにそんな事は関係ない。
彼は只、八つ当たりの矛先が欲しいだけなのだから。
喚きちらすのに疲れたのか、今度は魂が抜けたかのように、ぼーっと執務室の窓から外を見始めたダストンの目に、奇妙なものが映った。
「……なんだ? あれは?」
外一面にいる魔物達の外側から、土煙を上げて近いて来る、何か。
敵の援軍かと思ったが、様子が変だ。
近づいて来た何かは、そのまま魔物の群れに飲み込まれ、
──ドーーーーン!
直後、そんな音と共に、魔物の群れが爆散した。
「……は?」
ダストンはその様子を、只、呆然としながら見ている事しかできなかった。
◆◆◆
ユウトがステイシアとタクトを連れて、ガイル砦に向かったという報告を受けたバロンは、セレナと共に愛馬である『ジェントルマン』に乗って、必死に彼らを追いかけていた。
「ちっ! 本当に碌な事しねぇ勇者様だなぁ! おい!」
おそらく、ガイル砦関連の会話を三人の内の誰かに盗み聞きされていたのだろう。
精神的疲労のせいで、周囲に対する警戒が疎かになっていたのだ。
二人にとっては一生の不覚である。
「おい、セレナ! 大丈夫かぁ!」
「うっ……」
セレナは乗り物酔いですっかりダウンし、バロンの腕の中で、青い顔をして呻いていた。
ジェントルマンは速度と体力に関しては絶対の自信があるが、乗り心地は最悪に近い。
その上、今日はいつも以上に飛ばしているのだ。
乗馬に慣れた者ですら即座に墜ちる、悪魔の乗り心地だった。
「そろそろ見えてくる筈なんだが……、この分だと、あいつら既に到着しちまってるかもしれねぇなぁ……」
──ドーーーーン!
バロンが嫌な予感を覚えた時、それを肯定するかのように、少し遠くで爆裂音が鳴り響いた。
「ちっ! 嫌な予感程、よく当たりやがる!」
バロンは、なんとか間に合う事を願いながら、ジェントルマンを更に加速させた。
……直後、セレナが吐いた。
◆◆◆
魔物の襲撃による音を遠くに聞きながら、カイルはひたすらに眠る二人の看病をしていた。
「頼むから、起きてくれよ……」
カイルの懇願に対しても、未だ、二人が起きる気配はなかった。