プロローグ
「――ッ」
――なんで、泣いているのだろう?
何もない白い空間だった。
そこで自分は泣いていた。
なぜ泣いているのか分からなかった。
そも、自分が何者なのかすら分からなかった。
けれども、この胸に湧き上がる感情が悲しみだということは分かった。頭が理解するのではなく心が理解していた。
なにかあったはずなのに、なにがあったか思い出せない。でも忘れてしまったことが大切なことだったのは感じることができる。そして、それがとても――とてもとても悲しい出来事だったことも感じることができる。
それを感じた瞬間泣き出してしまった。それは赤子が悲しい理由も分からず、感情表現を泣くことしか知らないようなものに似ていた。叫ぶように、慟哭するように――何もない空間で泣いていた。
――泣き疲れることもなくどれだけ泣き続けただろう?
「――ッぅぁ」
気づけば喉が潰れ、声が出ず、嗚咽を漏らすだけになっていた。
そうして泣き続けた青年は、何も考えたくないと、何も感じたくないと言わんばかりに、深い深い眠りについた――
――困ったことになった……。狭く薄暗い店内で青年は顔には出さず内心ぼやいていた。
特徴のないいたって普通の青年だった。いや、訂正しよう。この世界においては特徴といえるものが青年にはあった。黒髪黒い瞳というこの世界では珍しい特徴の青年だった。背丈は180セク程度であまり筋肉がついているとは言えない中肉中背という言葉がぴったしな体格をしており、現在顔にはひきつったような笑みを浮かべていた。
――時を遡ること数時間前時間前
青年はホクホク顔でダンジョンを出た。
ダンジョンは5年前突如としてこの世界に出現した謎の建築物である。なぜ出現したのかも不明、どういったものかも不明といったものであった。しかし、それがもたらしたものは絶大だった。その最たる例が魔法だ。原理も分からず、どうすれば再現することができるのかも分からない。しかし、それが戦い、戦争において絶大な効果をもたらしたことは筆舌に尽くしがたい。ダンジョンが現れるまで戦闘と言えば剣で切りつけあい弓で射るだけだった。しかし、魔法が知られてからは戦闘スタイルが劇的に変わっていったといえるだろう。魔法を込めた一太刀は数十人を軽く両断し、放たれた矢は数十人をまとめて射殺すほどの威力を誇るようになり、魔法を使用した者とそうでない者とではそれこそ一騎当千と言えるだけの差がつくようになった。魔法が知られるようになってから5年、当然魔法は貴重な資源として扱われるようになった。特に誰でも使える魔法武器の需要は当然、際限なく高くなっていった。そして魔法武器が手に入るのはダンジョンの中だけである。故にダンジョンで多くの戦利品を手に入れた青年がホッコリしながら1時間前、手に入れた物を店で売ろうとしたことは仕方ないことと言えるだろう。たとえ青年が市場価格の底値以下で買いたたく性質の悪い店で売ろうとしていたとしても……
――時は戻り現在
青年は吹っ掛けられたと言える値段を戦利品に付けられ困り果てていた。店主が提示した金額は5000セニで、これは街で日雇いで1日働いた金額の半額程度であった。命を懸けてダンジョンに潜り一日かけて街で労働する半分の金額。さすがにおかしいと言い募る青年に店主が説明した内容はこうだ、
「この程度の魔法アイテムならこの街には腐るほどある。この値段だってかなり良心的な価格だぜ?」
正直な話をするならば青年はダンジョンアイテムの正確な値段を把握していなかった。それもそのはずで青年は今日初めてダンジョンに潜ったからだ。しかも、ダンジョンアイテムは基本即座に軍や冒険者に買われるもしくは卸されてしまうため民間人にほとんど出回らないため適正価格が分からないというのが、青年が店主を疑う理由であった。
結論を言ってしまうなら店主は適正価格で買い取ろうとしていた。他を探せばもう少し高く買い取ってくれる店もあるかもしれないが、平均をとれば店主の提示した価格は適正と言えるだろう。
そんなこんなで店主と青年が互いに譲らず睨みあって数分が経過した頃だろうか。
その声は唐突にかけられた。
「その店主が言ってることは正しいよ。」
そう声をかけてきたのは腰に刀と呼ばれる武器を下げ、金色の瞳と長い紫紺の髪を頭の後ろで一括りにした
少女だった。
これが後に最強とまで言われた冒険者戦隊を立ち上げた2人の出会いだった。