壱
【登場人物】
・大島英弥…19歳。東都大学一年生
・田中誠也…19歳。英弥の幼なじみ。東都大学一年生
・伊藤麗華…20歳。東都大学一年生
..第一章
着慣れないスーツに戸惑いながら、大島英弥は東都大学の赤門をくぐった。
「……十時から【第一ホール】で【入学式】……♪あぁー夕暮れーすぎてー♪……」
英弥はその日のスケジュールを確認しながらイヤホンから流れてくるいつもの音楽を口ずさんでいた。予定を淡々にこなすことが英弥の取り柄であった。
「……ここか。」
英弥がホールに着くと、既に人で溢れかえっていた。群馬県の田舎で育った英弥にとっては、見知らぬ土地で見知らぬ人間―それも自分と同じかそれ以上の知力をもった―がこれほど集まっている状況は生まれて初めてであったので、激しく気後れした。脇の下から汗が滴り落ちる。
『……俺ならダイジョブ。』
これからむかえる大学生活に不安を抱きながらも、今まで培ってきた知識を英弥は信じていた。
「おい!……おーい!ひでやん!」
聴き覚えのある声を耳にした英弥は入り口の方に目をやった。
「うおーいおいおい。うすー。誠也じゃん!」
英弥と同じ高校で、文科一類に合格した田中誠也が入り口から逆進してきた。誠也は一八〇センチの長身で、人混みの中でもすぐに目がつく。
「よ!理系も同じ時間なんだね。」
英弥は理科一類に合格していた。
二人はホールの中へ入った途端、異様な空気に圧倒された。
「……なんか、皆、頭良さそーだね。」誠也が呟いた。
「そうでもないっしょ。どうせお受験お勉強ができるだけだよ。」
英弥は中学生の頃から東都大学に入ることを目指して一心不乱に勉強してきた。マスメディアやインターネット掲示板などで、大学生の生活や就職の状況が芳しくないことなどはなんとなく知っていた。今では大学のブランド力は疎か、大企業に入れたとしても将来に保証はない。近頃では大学の教授や入試制度そのものへの疑念は氾濫している。「立派な人間になりなさい。」と両親云われ続けてきた英弥にとっては、自信と不安が入り乱れる日々が続いた。
『―受験勉強ができるだけ……』それは英弥自身に云っていることでもあった。
「……大丈夫大丈夫……」英弥は小さく頷きながら云った。
「えっ?なに?」
「んーいやいや。」
二人は空いている席を探した。座っている人たちは、レジュメを読んでいたり、スマートフォンをいじったりしていた。会話をしている人は少ない。
「あれ?ひでやん背伸びた?」
「……はい、伸びてません。はい。」
「えっまじで?いや伸びたでしょ?」
「いやいや、いいからそういうの。もう成長期止まったし。」
英弥の身長は一六〇センチ弱であり、それでいて顔もブサイクだった。目はえらい小さく、肌は面皰の跡だらけで、運動もろくにしないので筋肉という言葉を知らないようなガリガリ体型であった。太っているよりは良いのかもしれないが。しかし、勿論云うまでもなく、彼女などできたことは無いし、女性と話したこともほとんど無かった。
「おっ空いてる。ほら、あそこ。」
誠也が見つけた席に二人並んで座った。かばんを置くやいなや、英弥はスマートフォンを取り出してゲームアプリをやり始めた。それを見た誠也が、
「またやってんの?飽きないの?いつも同じやつやって。」と少し呆れ気味で云った。
「……」
そのゲームは数独に似た類のもので、英弥にとってはある種のトレーニングのつもりでもあった。
「あっ、そういえばどうする、サークル。」
誠也は手にまとめて持っていた数枚のビラを思い出したように見て、英弥に訊いた。
「……入るよ……」英弥はアプリを止めて小さな声で応えた。
「いや、うん。で、何の?何系?」
「……まだ決まってない。」
英弥はサークルに入るという断固とした決意だけは持っていた。何のサークルかは全く決めていないのにも拘らず、自分の現時点での様々な力量とサークル内のメンツを含め総合的に判断し、己が確実に『活躍できる』サークルに入りあわよくば女性と関係が持てれば御の字、という妄想―彼曰く条件の欠けたシミュレーション―が彼の頭の中を巡り廻っていた。
入学式が始まった。立ったり座ったりを繰り返して国家を斉唱したり…。誠也は人並みに従っていたが、英弥の頭の中はサークルのことでいっぱいだった。
「ねぇ、ほら、こんなにあるよ。」式がひと通り落ち着いてくると、誠也が新入生勧誘用のチラシを見せてきた。「さっき入り口の近くで配ってたんだよ。」
「へー。どれっどれ。……うーん、誠也決まってんの?」英弥は落ち着いた素振りをしながら尋ねた。
「うーん、というか、入るかどうかもわかんない。だってさ、ほら、俺バイトしなきゃいけないし……あとレポートも大変そうじゃん。」
誠也の家は、貧乏だった。英弥もその事は知っていた。お金絡みの話はなるべくしないで今まで過ごしてきたが、これからは増えてきそうだ、と英弥は悟った。
「……ひでやん、これなんかいいじゃんか!ほら!」誠也が話を逸らせた。
「えーなになに?」英弥はさっきよりも食い気味に話に乗った。
誠也から手渡されたチラシには、
【東軽パンクス!偏差値御免!】
と書かれてあって、角の四隅に写真が印刷されてあった。―マイクを握りしめ先端を口に突っ込んでいる男。ステージに向かってダイブする大勢の裸体の男達。ギターらしきものでバッティングセンターのバッターボックスに立っている男。男、男、男。
「ぶはっ!何これ?何?バンド?けいおんってやつー?うけるよねーよくできるよねこんなこと。」英弥は完全に馬鹿にしていた。
「でもオモシロそ―じゃーん。ひでやんロックしちゃいなよー。」
誠也はさっきの会話を少し引きずっているのか半ばぎこちない顔をしていた。英弥も何か言葉を発しなければと思い、話題を探したがなにも浮かんでこない。と、その時だった。後ろから、透き通った瑞々しい声が、二人の間を通り抜けた。
「ねぇ!ロック好きなの?」
二人は驚いて後ろを振り返った。そこにはひとりの女生徒が身を乗り出して座っていた。