幕間 「俺の目指す所」
■ご注意
今回、あまり楽しい話ではないところが多めに含まれます。
キャラクターの今までの印象を崩す恐れがあります。
含有内容:暴力行為表現
コメディなのに済みません……やりすぎたかも……ジャンル、変えるべきかな……
とりあえず上記内容に不安を覚えた方は読み飛ばしてください。
今読まずとも、今後に大きく影響は出ませんし、話が分からなくなることはありません。
今日も日課の夜の素振りを家の庭で行っている。
最近調子がとてもいい。
何の調子かというと、生活全般についてだ。
高校入学を期に改めて奮起することを心に誓い、今それを目指して日々鍛錬している。勉学にも気合充分で、最近の充実感はかなりのものだ。一緒に入学した早苗の方も、俺の朝錬に合わせて通学して朝早くから学校で予習をしているようで、こちらも中々に気合が入っている。
実のところ、日々の生活サイクルについては、中学時代と特に大きく変わったところは無い。朝起きて走りこんで、朝錬行って、勉強して、放課後は部活、家で勉強と自己鍛錬。休日は息抜きしつつ勉強と自己鍛錬。
やはり目標とする人が身近にるという事が大きいのだと思う。
俺の目標とする人、東条千鶴子さん。
そして、俺が好きな人だ。
◇
何がきっかけで好きになったかは、実のところ覚えていない。ただ、好きだと確信したのは中学時代に起きたとある出来事だ。
切欠は些細なこと。
それは珍しく3人で家路につけた時の事だ。千鶴子さんはこのとき高校1年生。夕方、丁度街中へ出ていた千鶴子さんと、同じく街中へ出ていた早苗と俺がばったりと出会い、そのまま一緒に帰宅しようとしていた。
そうしてその帰り道、俺が背負っていた荷物に誰かが軽くぶつかった。
これが事の始まりだ。
「ちょいー?ぶつかってシャザイなしですかー?」
ちょっと道を踏み外した思春期を殺した青年、所謂不良と呼ばれる類に絡まれたのだ。
なんというベタな……と思うかもしれないが事実なのだから仕方ない。どう見ても年代的には同世代か一個上なのが3名。皆顔のそこかしこにピアスがついたりと、非常に愉快……個性的な顔をしている。ズボンがずり落ちるんじゃないかと思われるくらい下に下がっていて、あれで用を成しているのかさっぱり理解は出来ないが、それが彼らなりのファッションなのだろう。
目の前で「シャザイだ、シャザイ」「ん?ビビッて口きけねーの?ダッサ」等と喚いている男達は、改めてこちらの顔を見回すと顔を上げた千鶴子さんを見た途端、馬鹿みたいにはしゃぎ出した。
「って、美人じゃーん?持ち帰りけってーい!」
「はっや!お前直結すぎんだろー。ま、おれもやれりゃいいけどさー」
「おお?こっちの子もかーいいじゃん…ってウチの学校じゃんか」
「マジ?オマエんとこ、意外とレベルたけーじゃん!」
やたらとハイテンションに一方的に喋り続けている彼ら。早苗を見た奴の言葉から察するに、どうにも同級?または上級生が一人混じっているようだった。正直なところ非常に鬱陶しくて仕方なかった。だって久しぶりに千鶴子さんたちと3人で楽しく帰っていたというのに、一方的に喋られて、持ち帰るだとか訳の分からないことを言う。
もうこれ以上付き合いきれないと、俺は無視して二人を連れてその場を後にしようとした。だが、よくあるパターンの例に漏れず、男の一人が俺の肩を掴んで威嚇するように顔を近づけ睨め付けて来た。
「ざっけんな。シャザイがまだだろーがよ!」
そうして一人に感化されてか、残りの二人も威勢よくこちらに詰め寄ってくる。
「オマエはイラねーけど、サイフ置いてけよ、サイフ!」
「とりあえず土下座じゃね?そしたら帰してやんよ!」
「それとオマエ、明日から必ず昼は屋上な?」
多分相手の思う壺なんだろうなーと思っていはいるが、イライラは止められない。多分こうして手を出させて、相手を不利にさせるのが常なのだろう。こういうのは一度付け込まれると多分ずっと付け込んでくる。なので無視するのが一番なのだが、それも相手を増長させるだけだった。
そうして目の前の男の一人が決定的な行動を起こした。
「ほら、おめぇらはコッチくんだよ」
「…イヤッ!」
早苗の手を強引に男が引っ張った。
瞬間、頭に血が昇った。それは過去自分が早苗に対して行った、俺の中でいまだ後ろ暗く感じている行動と同じだった。過去の自分と重なって、まるで目の前にいる男が自分のように見えた。あぁ、きっとあの時の自分も、こんな風に苛立つ自分勝手な子供だったんだな、と。
限界だった。
早苗の手を取った男の前に出て手を掴み、前に出していた相手の軸足を払う。剣道の足払いの要領だ。思わずこんなことに剣道を使ってしまった自分にも嫌気がさしたが、それ以上に過去の自分を直視できなくて、思わず手を出してしまった。もう後には引けない。そして、目の前の男は簡単にコロンとひっくり返った。
一瞬何をされたか分からなかったのだろう。自分が見下ろされていると言うことが分かった途端、顔を怒りに染めて起き上がると俺の制服の襟首を掴み上げてきた。
「テメー!」
「はい、けってー。せーとー防衛ゲットー!」
もういい、構うものかと肩に下げていた竹刀に手をかけようとしたところで、すっと横合いから俺を制するように手が差し入れられた。
千鶴子さんだった。
だが目は俺の方向を向かず、俺の襟首を締め上げている男に向けられている。そうして男の足の甲を、思いっきり学校指定靴の踵で踏み抜いた。
ぎゃっと短くうめいて男は俺から手を離し思わずうずくまりそうになる。そのうずくまりかけた男の顔めがけ、千鶴子さんは持っていた鞄を振り子の要領で勢いをつけて振り上げた。鞄の角が鼻の上を打ち抜く。その勢いで仰向けに倒れる男をそのままに、振りぬいた鞄を再度勢いをつけて円を描くように振り下ろし、その勢いを利用して腰を落として滑る様にもう一人の男の前へ移動。振り回した勢いそのままに鞄が男の股間へ振り上げられた。
流れるように鞄を大きく回し、あっという間に二人の男が地に伏す。そして最初に倒れた方の男の顎を千鶴子さんは容赦なく蹴飛ばした。
「へ、え?」
間の前で行われる全く躊躇が無い行動に、残された男は何一つ対応できていない。倒れた二人が身動ぎしないのを見届けた後、千鶴子さんは残された男に振り返った。
全くの無表情だった。まるで表情の無い、能面のような顔。
「な、なんだよてめぇ!なんなんだよぅ!」
さっきの威勢のよさは既に無い。慌てふためき後ずさる。しかし後ろに回した手が何かを掴んだのだろう。急に顔つきが変った。
そうして男が出したのはナイフだった。
「へ……へへっ。コッチは正当防衛だ。何やったってコッチが有利なんだぜ?」
手に獲物を持つと途端に威勢がよくなるのは誰にでも認められる傾向だ。だけれど、そんなものを手にしたならどうなるか、下に伏している二人を見て想像が付かなかったのだろうか。
千鶴子さんは全く怯むことなく、相手に対して歩を進めていく。
「お、おい。コレが見えねーのかよ!?」
多分千鶴子さんにとって、それはなんでもない物にしか映らないのだろう。そのまま歩みを進め大きく鞄を振り上げようとした。相手はそれをみて、先ほどの光景から咄嗟に手を頭の上に持ってくる。だけれど千鶴子さんの鞄は、上まで持ち上がったところから振り下ろされるのではなく、そのままくるりと周りながら振り回した勢いで空いた脇腹へ吸い込まれた。
予想外の場所への衝撃に男の呼吸が乱れ大きく咳き込むと、おもわず上げた手を脇腹を守るように移動させてしまう。千鶴子さんは殴りつけた勢いでそのまま後ろへ周り込み、足を払った。中腰になりかけていた男はアッサリと尻餅をつき、そのまま仰向けに倒れ込む。そして相手の喉を、千鶴子さんは容赦なく体重を載せて踏みつけた。既に手からはナイフは落ちてしまっており、男はただ腹を守るように咳き込むしかなかった。しかし喉を押さえ込まれて咳き込むことも間々ならない。ヒューヒューとか細い呼吸音を上げながら、男は身動き一つ取れなくなっていた。
あっという間だった。
3人の男を相手取って、千鶴子さんは学生鞄だけで圧倒してしまった。
「勇!おい、勇!!」
「え、あ、はい」
「ぼさっとしない。警察に電話」
「はい!」
そうしてパトカーがやってくるまで、俺も早苗も、ただ呆然と状況の推移を見続けることしか出来なかった。
そしてやって来た警察に状況を説明し、そのまま人生初パトカー乗車を行う事になった。だが、警察での状況説明においてはそんなに時間がかからなかった。なぜなら千鶴子さんも早苗も、事が始まった瞬間から携帯の機能で録音を続けていたからだ。
一緒に連れてこられた少年達が「あっちが先に仕掛けてきたんですよ」等と言っていたが、どうみても音声に残る記録に強姦未遂や金品強奪を思わせる言葉が出ている以上、全く何も信用されなかった。決め手はこちらは素手なのに対し、ナイフを出していたことだ。しっかりと回収されているので、多分言い逃れは出来ないだろう。
そして暫くすると、慌てた俺の両親とさち枝ばあちゃんがやって来た。両親が慌てて俺の元に駆け寄り「怪我は無いか?」と顔や体をぺたぺた触ってくる。早苗は早苗でばあちゃんに抱きついて泣き出してしまっていた。
「お、おばあぢゃぁん!ちぃ姉が!ちぃ姉がぁぁ!」
その言葉にさち枝ばあちゃんが周りを見回す。そう、この場には千鶴子さんは居ない。いまだ取調室だ。理由は……身を守るためとはいえ暴力行為を働いたこと。それについての正当性は録音からは分かるが、やはり男3人の内、2人を行動不能(鼻っ柱を殴られた奴と金的を殴られた奴は両方気絶していた)、もう一人も警察が来たときには足で踏みつけていると言う状況だったのだ。過剰防衛、やり過ぎではないかと揉めていたらしい。
それに薙刀の心得があるというのも少々厄介だったようだ。俺みたいな剣道段位所持者はそれを持って相手を攻撃すると、罪に問われる事がある。ただ千鶴子さんはさち枝ばあちゃんから習っているだけで、正規の道場に通っているわけではないので段位などは持っていない。だが有段者が扱えば、鞄なども凶器として認められる事例も存在する。
そうして千鶴子さんの取調べにさち枝ばあちゃんも呼ばれ、結局最終的に開放されたのは夜9時になってからだった。正直細かいところは覚えていないが、結局千鶴子さんは傷害の罪には問われなかった。っていうかあって堪るかだ。あくまで自衛であり、自身の妹や友人を守るための行動ということでお咎めは無かった。
だが、さち枝ばあちゃんからはきつく叱られていた。
コレには俺も早苗も強く抗議はした。千鶴子さんは俺達を守るために暴力を振るわざるを得なかっただけだと。だけれどさち枝ばあちゃんは静かに首を振ってこういったのだ。
「確かに止むに止まれぬってこともあるんだけどね、勇ちゃん、さなちゃん。良くお聞き。武道を覚えた人間は素人に対しては絶対に振るっちゃ駄目なんだよ。剣道の時にも言われなかったかい?」
確かに言われたとは思う。だけどそれはこっちから喧嘩を吹っかけるとかそういうのだけだったはず。だからどうしても納得はいかない。
「少し古くて難しい話だとは思うけどね。武道は確かに身を鍛えるものだけど、一番は心を鍛えるものなんだよ。だから私はあの子を叱ったんだよ」
心を鍛える?あの中でアッサリと相手の手管に飲まれて最初に手を出し、そのまま暴力を振るいそうになった自分はどうだっただろうか。同じだ。同じじゃないか。
「じゃあ俺だっ…」
「勇」
ムキになって言葉を続けようとした俺を、千鶴子さんが止めた。
「それ以上、さち枝お祖母ちゃんを困らせないで。二人に何事も無かった。私はそれで十分だから、これ以上は止めてほしい」
結局すこし虚ろな表情の鶴子さんを前に、俺も早苗も何も言えなかった。
それから数日。明らかに自分の不甲斐なさが原因でこうなったような気がして、全くといっていいほど何事にも身が入らなかった。だが、千鶴子さんはまったく気にしていない風で、逆にこちらを気遣ってばかりだった。
「勇はさなちゃんを確りと守った。有段者である事を正しく理解して、最後の最後まで正しかった。だから勇は何も間違ってはいないよ」
千鶴子さんの言葉自身に棘はない。だけどそれが非常に惨めで、数日の間だけ素っ気無い行動を取ってしまったのは目を覆いたくなる記憶だ。
話は一応ここで終わりだが、これには続きがある。
そう、所謂一つの『お礼参り』というイベントである。
ここから先は俺と千鶴子さんしか知らないことだ。
◇
どうして、一度で経験しないのだろうかと思う。まぁ確かに矜持というものはあるが、それも時と場合だ。
目の前にいる人間は数が6。皆一様に同じような格好をしているからサッパリ誰が誰だかわからないが、その中に鼻頭にガーゼを貼り付けているのが居た。前に居た奴だ。多分コイツが集めてきたのだろう。
場所は体育館裏倉庫の更に奥。要らない資材などや滅多に使われることが無いものが収められいて、放課後も過ぎ人通りが無い場所だ。
先日の事件から3日経った週の終わり、薄暗くなり始めた時刻。
部活でいまいち気合の入らない態度だったせいか、それを顧問の先生に怒られ、バツとして最後の道場整理を1人でやれと言いつけらた。それが何とか終わったのが7時前。道場の後片付けが終了してさぁ帰ろうかという所で、見知らぬ男子生徒から声をかけられた。妙におどおどして「ちょっと用事があるんでコッチへ」と俺をどこかに連れて行こうとした。
まぁこの辺りで何となく頭の中でピンとくるものはあった。だから場所だけを聞いて、自分ひとりでそこへ向かうことにした。向かう先で起きることを想定して、無論竹刀を手に持ってだ。
先日千鶴子さんにはああは言われたが、自分の中では全く解決していない。だからせめて、状況だけでも千鶴子さんと同じ状態に自分を起きたかったのだ。只の自己陶酔であることは素直に認めよう。
指定された場所に行けば案の定、こうして取り囲まれた。
そこに辿り着いてからの口汚い言葉の掛け合いは省かせてもらう。正直聞くに堪えないし、覚えてもいない。だが「あとであの時一緒に居た女も…」と声を発した時、俺から動いた。正眼に構えたままの竹刀を目の前の男の水月へ容赦なく突き入れ、そして素早く一歩引き上段に構えてから頭へ面を一発。次に横に居た男を竹刀の柄頭で殴りつける。もう剣道とかあったものではない。
だけれど上手く行ったのはそこまでだ。いくら竹刀持ちとはいえ、囲まれてまとめてかかってこられると抑えきれなかった。結局竹刀を奪われ、羽交い絞めにされ、腹を殴打され無様に吐いた。
「うひゃひゃ!サンドバック気持ちいーなーおい!」
「最初の威勢はどうしたよ、おらぁ!」
(結局、駄目か。俺は駄目だ……)
すでに顔は涙と鼻水と吐瀉物でグチャグチャだ。鼻ガーゼ男が奇声を上げながら何度も何度も殴る。そうして段々と意識が朦朧としかけてきた中で、風切り音と何かがへし折れる音を聞いた。
目の前で鼻ガーゼ男が崩れ落ちる。
そして再度響く風切り音と、何かが折れる鈍い音。
一瞬にして二人の男が目の前で倒れ付した。どちらも片足が変な方向へ曲がっていて声にならない声を上げてのた打ち回っている。
「なんだぁ!?」
俺を羽交い絞めにしている男が大声で状況を尋ねるが、誰もそれに答えるものは居ない。そうして夕闇の中から現れたのは、何時もの長い髪を後ろで束ねた、パイプのようなものを八相に構えた千鶴子さんだった。
「ちょ、足、足折れて…」
「てめ何しやがんだおらぁ!」
もう一人が千鶴子さんへ襲い掛かる。だが構えから振り下ろされた一撃が接近すら許しはしなかった。男は避けようとして間に合わず、咄嗟に上げた手で防御を図った。だが、今回千鶴子さんが持っていたのは体育館床不拭き用のモップの柄だった。普通のほうきの柄などとは強度が違い、打撃力は普通の竹刀等の比ではない。結果またへし折れる音がした。そして引き戻し、更に脛へ一撃が加えられる。そのどれもが一切の躊躇も迷いも無い。
あっという間に3人。最初に俺が一撃を加えた奴は未だ回復していないから、あと2人。
「ちょ、おまえ!なんなんだよ!」
「足、手が…ひでぇ!」
千鶴子さんは何も喋らない。ただ無言でパイプを構えるのみ。
残る二人は明らかに動揺して腰が引けていて、最早この時点ですべての勝敗は決していたも同然だった。前と同じような光景の焼き増しで、残る2人も直ぐに地に伏すことになった。
あっという間に事は終わり、俺を取り囲んでいた6人は程度の差はあれ、体の何処かしらを折られ、1人は痛みからだろうか失禁までしていた。
千鶴子さんは無言でそいつへ近寄ると、無造作に折れて庇っている部分を踏みつけた。声にならない悲鳴が上がるが、千鶴子さんはまるで無機物を見るかのように一瞥した後、携帯を取り出してそいつを撮影した。
「……意味はわかるな?」
手にしたパイプを顔に突きつけ、男にそう告げる。男は無言でぶんぶんと肯くだけだった。
「二度と彼と彼に関係するあらゆる人、物に関わるな。視界に入るな。もし何か彼らに問題があったら、原因をお前達と見なす。そうしたら……」
「も、もう、ぢか…づきまぜん…ずみまぜん、許してくだざい!」
残りの人間にも同じように、更に容赦なく追撃まで加えながら、千鶴子さんは「今回はお前達同士の喧嘩の結果であり、私とこの男は全く関係が無いな?」「本名を言いながら関わらないと誓え」と、全ての様子を撮影して全員を土下座させた。やりすぎなんじゃ……と俺が思うぐらい徹底した行動だった。
だが、その時の容赦の無い、だけどその曇りの無い姿に見惚れた。
男なのに、女の千鶴子さんを見て、ああなりたいと思うほどに。
そして千鶴子さんは俺に向かって立てるか?と手を差し伸べ、肩を貸してもらいながらその場を後にした。
◇
「暫くは跡が残るし、痛みも長引くだろうな……内臓は大丈夫だと思うが…腫れが引かなければ一度病院に行く方がいいだろう」
現在俺の家のリビング。あの後そのまま帰ってきたが、ふら付く俺を千鶴子さんが手当てを買って出てくれた。一応断ったのだが、無理にでもとそのまま家に上がりこんできた。母さんは遅くなると留守電に入っており家に居なかったのが幸いだった。
一先ずはシャワーを浴びて来きなさいと言われ、改めて自分の状況を見てみると、シャツは嘔吐まみれだったし、顔も涙とか諸々で見れたものではない状態だった。この状態でずっと千鶴子さんに肩を借りて帰ってきたなんて急に恥ずかしくなって、慌てて風呂場へ駆け込んだ。ちなみに打撲は暖めるとよくないので、温めのシャワーで流してきただけだ。
そうして上がってくると応急セットを広げた千鶴子さんに「ここに座りなさい」と促され、現在上半身裸で腹部に軟膏を塗られ、ガーゼを当てて包帯を巻かれている。黙っていることが辛くて、促されるまでも無く事のあらましを喋っていた。だが、「また助けられた」という自己嫌悪から、折角手当てをしてくれている千鶴子さんの顔を見ることさえ出来ないで居た。
そうして手当てを終えた今、キッチンでは千鶴子さんがアイシングするために、タオルを数枚塗らして凍らせる準備をしている。
(なにやってんだろうな、俺)
結局何も出来ないで、ただ粋がって喧嘩して、無様に負けて千鶴子さんに助けられた。前と同じように、見てただけは嫌だったから行動したのに何も変らなかった。ただひたすらに悔しかった。その事実を改めて考えると、勝手に視界がぼやけてきた。男が泣くなんて更に無様な体を晒す事は出来ないのに、自分では止められなかった。
「勇、泣かなくていい」
いつの間にか千鶴子さんが俺の前に座り込んでいた。少しひんやりする手で俺の顔を挟みこむと、優しい目をして千鶴子さんが俺に語りかけてきた。
「勇は立派だった。それは物の結果だけを指す訳ではない。勇はさなちゃん…自惚れても良いなら私の為にも、ああしてくれたのだろう?だからそれを泣く必要は無い。私はそんな勇が誇らしい」
「でも、俺、何も…」
「言ったろう?結果を指すのではないと。そう思ってくれた。そして行動した。十分だよ」
そうして千鶴子さんは優しく俺の頭を抱いてくれた。
俺の嗚咽は、暫く止まなかった。
◇
そうして漸く落ち着いて、千鶴子さんにあやされる様に抱かれていると気が付き、今更ながらに慌てて離れてもらった。入れ貰ったぬるめのお茶をちびちびと飲みながら、何とか落ち着きを取り戻し、そうしてふと疑問を口にした。
「そういえば千鶴子さん」
「ん?」
「どうして、あの場所へ?」
そういえばそうなのだ。千鶴子さんは中学校を既に卒業して、中の事なんてサッパリ分かる筈が無いのに、どうやって中の事を知ったのだろうか。
「ああ…それはだな」
語られた内容は、殆ど偶然のような内容だった。
千鶴子さんが言うには、最初の3人の中に同校の人間が居た以上、ああいう報復行動が行われる筈だと確信していたらしい。だがそれを早苗に伝えて怯えさせるわけにも行かない。俺にも言おうとしたが、どうも俺がこの数日腑抜けていたので言うに言えなかったらしい。重ね重ね情けない。一応俺と早苗に一人でうろつかないようにと注意はしたらしいが、どうにも俺にはその記憶が無いので聞き流してしまっていたようだ。
そうして何時もより帰りの遅い俺に何だか悪い予感を覚え、中学まで来たところで出かけてくる男子生徒に声をかけて俺の事を聞いたそうだ。そうすると男子生徒があからさまに挙動不審な素振りを見せた。多分俺を呼び出しに来た生徒だったのだろう。詰問し、俺をあの場所へ連れて行くように言われたと聞き出して、慌てて中に入ってきたのだそうだ。
そして結果は先ほどの通りという訳だ。
なんともまぁ出来すぎたような話ではあるが、助かったのだからなんとも言いようが無い。改めて千鶴子さんに感謝の言葉を伝え、俺は深く頭を下げた。
「それはもう良いから…ところで、勇」
「なんですか?」
居住まいを正した千鶴子さんが俺を真正面から見据える。
「少し、私の話を聞いてもらって良いだろうか」
「…はい」
真剣な表情に押され、俺も居住まいを正して千鶴子さんと向き合った。
「勇。私は薙刀を持つことを止めようと思う」
「…え、えぇっ!?」
「私が元々アレを始めたのは、さなちゃんを守る為だ。だがさち枝お祖母ちゃんは、単に強くなりたいという私には教えて下さらなかった。言っていたろ?心を鍛えると。だからその『守りたいと言う心を育てる為』という約束で教えて頂いていたんだ」
そこからの、泥の様に溜めていたものを吐き出すように聞かされた内容は、今まで知りたいとは思った事はあったが、敢えてする事ではないと聞かないようにしていた事だった。
多分、誰かに話したかったのだろう。無論さち枝ばあちゃんには話したのだろうが、同情を買いたいとかそういうのではなく、ただ聞いて欲しい、そんな風に見えた。
そしてそれは第三者にあまり聞かせる内容ではなく、聞いても気分が悪くなる話であった。
今の状況から分かる通り、二人にはご両親が居ない。千鶴子さんが幼稚園の時に交通事故で亡くなった。その後お父さんの兄夫婦に引き取られたが、そいつらは金が目的で二人を引き取って、まったく子育てをしてくれなかったのだ。小さい頃から聡い千鶴子さんは何度か児童相談所などに助けを求めたらしいが、子供の言う事と、外面の良い兄夫婦によって有耶無耶にされ、更に暴力によって外に漏らすなと脅され、誰も信用できない状態だったのだそうだ。さち枝ばあちゃんに連絡が取れなかったのかと思ったが、そも幼稚園児にそこまでを期待しては駄目だろう。逆によく頑張ったと褒めるべきだ。
結局、その兄夫婦が多重債務で離婚するまでその状況は続く。その間4年。ひたすら4年間、早苗を守る為、千鶴子さんは孤軍奮闘していたのだそうだ。そしてさち枝ばあちゃんに兄夫婦が金の無心をしたしたことで、状況が明るみに出た。千鶴子さんはこの日の為に貯めた虐待の証拠や録音データをさち枝ばあちゃんに渡し、そうして最終的に親権の剥奪と、千鶴子さんと早苗の養育権を得るに至ったそうだ。
だが、それまでの過程で生みのご両親の物は一切失われ、早苗は千鶴子さん意外に全く心を開かない子になってしまっていた。
家の外の風の音だけが静かに響く。
そうして一呼吸置いて再び話し出す千鶴子さんの表情は、なぜか酷くやつれている風に見えた。
「だから、私には『家族』と呼べるのは、さち枝お祖母ちゃんと、さなちゃんしか居ない。でも守る為だと言いながら、結局私は心が育っていなかった。一方的に覚えた技術でたたき伏せて、言う事を聞かせただけ。そう、私の育ての親のように」
口の中が乾いて、言葉が出せない。簡単に言葉にして言いものでもない気がする。なんとか声をかけたいが、どう声をかけて良いか分からない。
「だが勇は違う。ちゃんとその辺りを確りと理解している。だから前も今も無用の事を起こさない為に、ああしてくれた」
なんだか少し自虐的になっている千鶴子さんは尚も言葉を続ける。
「勇のように成れればいいのだが、多分“自分”では無理だ。だから、これ以上私は間違いを犯さないためにも、薙刀を止めようと思う。無論自分を鍛えることは辞めるつもりは無いし、どうしても護らなければならない時には力を振るうだろう。でも極力持たないことで、自分を見つめ直すべきだと思うのだ」
何時もの堂々とした雰囲気は全く無く、目の前の千鶴子さんは肩を落として小さく消えてしまいそうだった。
駄目だ。
なんかこのまま行かせては駄目な気がする。千鶴子さんはなんか勘違いをして別の方向へ走っている気がする。その先は断崖しか待っていなさそうな方向へ。そう思ったら、俺は痛みも忘れて立ち上がり、千鶴子さんに宣言していた。
「だから勇にはさなちゃ…「だ、だったら俺が!千鶴子さんと早苗を護れる男になります!」…」
目を丸くして俺を見上げる千鶴子さん。俺は構わず言葉を続けた。
「今は全然だけど、絶対!なってみせます!だから、千鶴子さんは俺に任せて安心してください!」
なんともまぁ根拠不明の小っ恥ずかしい事を言ったものだと我ながら思う。だけど、そんな俺を千鶴子さんは笑うことなく真剣に見つめ返してくれた。そうしてふっと静かに息をつくと、ようやく穏やかに笑ってくれた。
「まったく……勇はあの時から変らないな。無茶をすると思わせて、その実、最良の方向へ向かっている」
「え、いや、そんな事は……」
「そんな事はあるんだよ。そうして勇はこれまでに掛け替えのない物を救ってくれた。……うん、安心できた」
そうして千鶴子さんは立ち上がり、俺の手をぎゅっと握って「ありがとう」と優しく微笑んだ。
そして今の俺を形作っている、言葉が発せられた。
「頼りにしているよ、カッコいい騎士様」
騎士様という言葉に何らかの意味があったかは分からない。
だけど、この時はっきりと自覚した。
昔隣にやって来た女の子は何時でも俺達の中心で、それは小さな憧れから。
だけど、今は違う。
俺は、千鶴子さんが好きだ。
この人に笑って欲しい。悲しい顔をしないで欲しい。どんな時でも傍にいて欲しい。傍に居たい。一人前の男だと認めて欲しい。一度意識すると、独占欲のような思いが胸の中で溢れかえる。途端顔に血が昇るのを自覚したが、俺を優しく見つめてくれる千鶴子さんから眼が離せないでいた。
そして千鶴子さんはスッキリとした表情で改めて笑みを浮かべて、俺に向かって頭を下げた。
「ありがとう、勇。安心してこの方面は勇に完全に任せるよ。私は私が進むべき、やるべき道を進むよ」
「任せてください!」
思わずたたいて見せた胸に鈍い痛みが走ったが、その痛みすら、今の自分には心地良い刺激に感じた。
◇
そうして現在。
学校は未だ始まったばかり。でも気合十分。部の先輩方も厳しいながら確り指導してくれる。クラスでは気の置ける男友達も出来た。早苗もしっかり自分の進むべき道を見つけて進んでいる。
なら、あとは俺が結果を見せるだけだ。
「やってみせるさ!」
そうして俺は一層激しい気合の元、手に馴染んだ竹刀を振り下ろすのだった。
勇一郎の想いの中身曝露回でした。
――――――――――
2013/3/17 誤字脱字、文章の若干の修正実施
2013/3/19 誤字修正
2013/4/2 誤字修正と若干の表現修正
幕間の幕間
「こんばんは~」
「こんばんは…おや、お隣の。どうしましたか?」
「いえ、どうも今ウチで勇一郎とお宅の千鶴子ちゃんが、何か真剣な話をしているようでして……邪魔しては悪いかと思い、こちらにお伺いしてしまいました」
「そうだったかい。中々帰ってこないと思ったら……ともかくお上がりなさい」
「お邪魔いたします」
「で、何の話をしていたか分かるかい?」
「ちょっとだけ聞こえたのですが、薙刀を辞めるとか…直ぐに出てきたものでして」
「…そうかい。あの子も誰に似たのか妙に一本気に育ってしまったねぇ」
「それが良いところじゃありませんか。うちのなんてグネグネしてますから」
「勇ちゃんはもとから確り一本芯が入った子だよ」
「そうだと良いのですけど、親から見るとどうしても心配で。早苗ちゃんか千鶴子ちゃんが一緒に居てくれると、あの子もふら付かないんですけどね」
「うちのじい様もよくふらふらしてたけど、帰ってくるのは私のところだったから人の事は言えないねぇ。…まぁ、帰ってくるまで待ってあげようかね」
「羨ましいです……ところで、折角ですし、久しぶりにこちらでお夕飯ご一緒して頂いてもよろしいでしょうか?」
「それは嬉しいお申し出だね」
「せっかく子供が今正に成長しているのですから、少しは親らしいところを見せませんと」
「えらそうに言わせて貰うけど、十分あんたも立派だと、あたしは思うよ」
「ありがとうございます」