第四話 「私の姉は凶暴です…よ?」
姉さんがおかしくなった。
いや、もっと別の言い方があるのだろうけど、今の私にはそうとしか言えなかった。
入学式当日、最後に写真を撮って分かれるまではいつもの姉さんだった。だけど、その後家に帰ってきた姉さんは、明らかに変っていた。
丁度姉さんが帰ってきた時の私は、居間で教科書のさわりの部分に一通り目を通していた。別に優等生を気取る訳ではないのだけど、今日は勇一郎の家に招かれているということもあり、外出を何度も繰り返す気も無かったので時間をつぶしていたのだ。まぁ先に行くという手もあったけど、今日は私と勇一郎のお祝いの席だ。一人勝手は慎まないとね。
高校が別になってしまったことで距離が離れてしまった中学時の仲の良かった友達とメールしていて、美和と佳奈美とメアド交換するの忘れてたのを思い出した。明日はちゃんと聞かないと…と思いながら教科書をめくっていると玄関の方から物音がした。
そうして玄関から鍵を開ける音が聞こえ、「ただいま帰りました」の声と共にいつも通りに居間へと姉さんが入ってくる。ちなみに鍵はここで暮らすようになってから必ず施錠するようにしている。女性だけで暮らす一軒屋だ。何かあってはご近所にも迷惑だし、私達も常日頃から防犯意識を持つようにする事が必要だと、さち枝お祖母ちゃん、千鶴子姉さんからきつく言い渡されていたからだ。
ガサガサと買い物袋の音をさせながら私の後ろを通り過ぎ、そのまま台所へと向かってゆく。ここまではよくある、何時もと同じ光景だった。だけれど姉さんが後ろを通り過ぎた後、ふわっと何時もと違う香りが漂ってきた。一瞬だったので気のせいかとも思ったのだが、顔を上げて台所で買ったものを整理している姉さんを見た瞬間、思わず固まってしまった。
姉さんは妹の私から見て、身内贔屓を差し引いても『美人』と言える人だ。それは常の姿勢の良さや、歩き方、マナーなどもある。このあたりはさち枝お祖母ちゃんが私達が小さい頃に徹底して私達に教えてくれたことだ。それまでがそれまでだったこともあり、マナーのマの字も知らない私達は、よく怒られたものだ。
また、私は師事しなかったけれど、姉さんは薙刀までさち枝お祖母ちゃんから習っていた。その運動の成果だろう、非常に整った体つきをしている。たまに着替えを見ることがあるが、大き過ぎずも小さすぎもしない綺麗な胸、くびれた腰、丸くキュッと上がったヒップ、総じて女性らしい曲線美は正直ため息物だ。
ただ惜しむらくは姉さんは基本表情があまり表に出ない。私と居るときはコロコロ変るのだけど、瀬尾野先輩曰く、私と居ないときの姉さんは鉄扉面が如しだそうだ。でも無表情とは言っても肌が白く、しっとりとした黒髪と相まって、お人形のような綺麗な印象だ。
だが、今、台所で買い物の整理をしている姉さんは、それに輪をかけた別人だった。
長い黒髪なので顔が隠れることが多く、表情が出難い姉さんは、ともすればちょっと暗い顔に見えがちだった。だが今の姉さんの顔色は透明感のある明るい肌色、ごくごく薄いピンクのチーク。元々細めではあったけど、肌色が整えられたことで自然な太さで薄く見える整えられた眉。はっきり色は出ていないけど、艶っとしていてナチュラルな唇。明らかにさっきとは違う、メイクして整えられた顔だった。
おもわず見とれた。
「………ね、姉さ…ん?」
語尾に疑問符がつくような尋ね方で声をかけてしまった。だってしょうがないじゃない?いままで美人だ美人だと思っていた人が、更に輪をかけて美人になってるとか、子供体形で子供顔な私に対するイジメですか?っていうか私と別れてから数時間の間に一体何が起こったんですか?新手の顔面神経痛?それとも雷にでも打たれた?
さまざまなどうでも良いことが瞬時に頭の中を駆け巡る。それほどの動揺が私の中で起きたのだ。説明するにはどうしても言葉が足らないが、例えるなら、朝起きたら自分の理想とする容姿をした異性に自分がなっていたと言えば、動揺の想像がつくだろうか。
「ん?ああ、遅くなってすまない。ちょっと買い物が長引いてな。直ぐに用意するから今日はさなちゃんはゆっくりしていると良い」
「あ、いやそういうんじゃなくて…」
今日は疲れただろう?と穏やかに笑みを浮かべる姉さん。何が起きたかは分からないけど、いまの姉さんは何をしても表情が絵になる。なぜだかどきりと心音が跳ね上がり、思わず目線がさまよって言葉が尻すぼみになった。
「どうした?顔が赤いぞ」
挙動不審な私が気になったのか、手を止めて私の方へやってくる。
「な、なんでもない!なんでもないから!!」
「そうか?体調が悪いなら直ぐに言うんだぞ?」
私の言葉に安心したのか、もとの買い物整理に戻ってゆく姉さんをみてホッとする。今の姉さんに近寄られたらなんか色々とマズイ気がする。なんというか、押し倒してしまうかもしれない。あ、いや、しないですよ?しないったら!!
そうして買い物を整理し、着替え、料理を始める姉さんをずっと私は目で追っていた。ストーカーとか変な性癖がある訳じゃないですよ?ただ、ちょっと追いつけたかもしれないと思っていた姉さんがまた遠のいた気がして、目を離すと更に遠のいてしまう気がしたのだ。
「そうだ、さなちゃん」
「…なに?」
急に声をかけられてちょっとどもりそうになったが、なんとか平静を装って返事をする。うう、なんで家族なのにこんなにドキドキビクビクしなくてはいけないんだ。内心頭を抱えつつも姉さんの様子を窺うと、ちょっと済まなそうに姉さんがお願い事をしてきた。
「今日取った写真、プリントをお願いしてもいいか?勇のご両親に渡さないといけないからな。光沢紙はさっき買って帰ってきた」
「デジカメは?」
「パソコンの横に置いておいた。とりあえず、お渡し用とうち用で、2枚づつで良いだろう」
「うん、わかった」
「あ、さなちゃん一人の写真は個別に大判で頼む」
「……恥ずかしいからダメ」
思わず口から出た素っ気無い言葉と、何時もの調子の姉さんの言葉にようやく我に帰った。
(……そうよ、居なくなるわけないじゃない。届かないわけじゃないんだから)
落ち込んだ風に肩を落として「いいもん、後で自分でするから…」とぼやく姉さんに苦笑しつつ、私は居間を後にした。
何を気弱になっていたのだろう。まだ始まったばかりで、ついさっき『やれることはやる』と決意を新たにしたばかりだと言うのに。コレくらい……いや、今回は仕方ないけど、ともかく都度動揺していては始まらない。
それに姉さんの無双振りは今に始まったことではないのだ。
姉さんはああ見えて意外と負けず嫌いなのだ。昔から私が何か聞いたときや、勇一郎が何か聞いて姉さんが答えられないことがあったり、出来ないことがあったりすると、あとで必ず出来るようになってくる。無論アッサリ出来るようになっている訳ではない。姉さんは努力の人で、そうして今の才色兼備な姉さんが出来上がっているのだ。きっと瀬尾野先輩と何かやり取りがあったのだろう。だからまた何時もの様に姉さんのギアが2~3段上がったんだなぁと、そんな風に姉さんの変貌にあたりをつけて自分を納得させた。
そうして姉さんに言われた通りに写真の印刷に取り掛かった。デジカメのデータを全部パソコンに転送して印刷を開始する。無論私一人の写真を大判で印刷することはしない。けれど、こっそり勇一郎だけの写真と、私と勇一郎が写った写真は3枚印刷した。何でかって?聞かないでよ。
そうして印刷した写真の枚数を確認している時、思わず手が止まった。
手に取ったのは姉さんと勇一郎が映っている写真だ。明らかに緊張した顔つきで顔を赤くして直立不動で写っている勇一郎。一方姉さんは、肩を並べて安心しきったような柔らかい表情を浮かべていた。
桜を背景に寄り添う二人。思わず私と勇一郎が写った写真と見比べてしまう。こちらの勇一郎の顔は、入学式後だから幾分か引き締まった表情をしているけれど、何時もと変らない表情だ。私との背丈の差もあって、なんだか兄妹っぽい。
(まさか、ね)
思わず浮かぶ考えに慌てて頭を振るう。勇一郎が入学したから、彼のために外見を整えた、なんて。爪が食い込みそうなほど手を握り締める。また棘だ。考えてはいけない。無理やり考えを意識の外に追いやり、ちょっと乱暴に写真をかき集めて私はその場を立つのだった。
◇
ちょっと気恥ずかしく感じつつも気合をそれなりに入れて帰ってきたのに、華麗にさなちゃんにスルーを頂きました千鶴子です。
今日の晩御飯は何だろう~?正解は冷~めても美味しいラタトゥイユで~す。
スルーされた悲しみから、心の中で良く分からんリズムに乗せて変な即興の歌を歌いつつ料理を続ける。しかしお化粧程度では何も言われないか……。まぁ確かに世の女性の基本中の基本だからな。私がしたとしても然程気になるようなことでもないのだろう。少しアプローチの仕方を変えなければならないのかもしれない。
頭の隅で色々とシュミレートしつつ、手先は料理に集中させる。ラタトゥイユは本来は夏野菜とかで美味しくいただくものだけれど、冷めても美味しいので持込する時等、主菜に副菜にもなれる意外と重宝するメニューだと思っている。
それに、メインのお料理なんかは勇のおば様が用意されるので、私は主に副菜担当だ。何時もは茶系というか、御煮しめやお浸しなどの日本料理が多い我が家ではあるのだけど、今日はお隣にお呼ばれするのだ。ちょっと見得張って洋風にしたって仕方ないですよね。でも実際は野菜煮てるだけですけどねー。超お手軽であるが手は抜かぬよ。それに野菜のチョイスで彩りも鮮やかになるから、お祝いの席でも問題ないはずだ。
ちなみに勇は剣道部でもあるので結構な量を食べる。そして大概の男の例に漏れずマヨネーズ味とか鶏の唐揚げが大好きなヤツだ。だが、私やさなちゃんはそんなには食べれないし、脂っこいものは控えなければならない。なぜかって?そりゃ太るからだ。女性の体になって初めて分かったが、男と違って女性は色々と苦労が必要なのだ。いくら食べても太らないんですよね等と言うヤツは死罪である。なので、さなちゃんをぽよんぽよんと丸っこくする訳にはいかないので料理にも気を使うのだ。いや、丸いさなちゃんもそれはそれでアリかもしれんけどね。
さて料理だが、実は昨夜のうちに勇のおば様と何を担当するか調整済みだ。ただ、油物系ばかりでも胃にも優しくないので、キャベツを使った青じそ入りのさっぱり系サラダも用意しておく。意外と多い量になるかもしれないけれど、おじ様に勇と男が二人も居るのだから大丈夫だろう。
料理も出来たし、写真も用意できた。あ、ちなみにさっき写真をさなちゃんにお願いしたのは、勇の写真が欲しいんじゃないかなぁと思っての事だ。私が料理をしているから台所から離れられないという状況なので、安心して欲しい写真を印刷できる筈。『計画通り』と思わず笑みがこぼれる。ぬふふ、お主も悪よのぅ。
そうして大体用意が出来た頃には5時過ぎになっていた。そろそろ行って、おば様のお手伝いをしなくてはならない。服装は今回はあくまでさなちゃんが主賓なので、柄なしアンバランスデザインのラウンドネック長袖Tシャツと黒のパンツでシンプルに。
そういえば服装も今後力を入れないといけないな。メイクするなら服も調えないとね。今までは着回しばかりで安く済むようなことばかり考えていたけれど、そうもいかない。さなちゃんの手本となるにはそういった事にも注力せねば。かといって無駄遣いばかりするわけにも行かないので中々の難題そうだ。だが、いままでお小遣いなるものは殆ど貯めてきたので余力はある。だが無駄遣いは敵と考え育ったのだ。よくよく吟味してからそろえねばなるまいて。
「さなちゃん、そろそろ出かけるぞ」
「わかったー」
料理後なのでメイク崩れが無いかを一応確認し、居間で準備を整え終えた頃、さなちゃんもパタパタと居間へやってきた。
(か、可愛い~!!)
思わず叫びそうになるが勤めて平静に。袖の短めな白のレディースシャツに、着丈が若干長めのツイストパターンVネックベスト。パステルトーンのふんわりしたイメージがさなちゃんにぴったりだ。スカートはプリーツのミニ。生脚がまぶしいですよ、さなちゃん!グッド!と思わず人差し指で差しそうになる。やらないがな。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
そうして勇のお宅へお邪魔して、楽しい夜を過ごした。
おじ様に「女の子二人居ると華やかで良いなぁ~」とはやし立てられ、「あら、私は女の子じゃないのかしら、あなた」と仲睦まじい夫婦姿を見せられつつ、おば様と私とで作った料理を「美味しい美味しい」とかき込む勇に苦笑しながら、学校の印象などを楽しそうに話す勇とさなちゃんの話を聞き、撮影した写真を皆で見てあっという間にお開きの時間近くになった。
ふと気がつくと、さなちゃんと勇が庭に出て二人で楽しそうに笑いあっている。
本当に一緒に居ると楽しくて暖かくなる家族だ。将来さなちゃんがこの家族の一員になると思うと胸熱である。あらやだ、いけない涙が。女の体はどうにも涙脆くていかんな。
「ど、どうしたの?」と慌てておじ様、おば様が声をかけてくださる。「ちょっと目にゴミが入って…」などと嘘くさい事を言ってしまった。そんな楽しい時間に水を差すような事をしてしまう私をお二人は責めることなく「きっと2人を見て喜んでいると思うよ」と、逆に何か察したように優しく声をかけてくださった。
本当に良い人だ。
良い友人に、良い家族。さなちゃんには沢山の幸せが待っている。
そうしてさなちゃんが幸せであれば私は十分幸せだ。
ますますをもって明日からを頑張らなければならない。今日の決意を改めて胸に浮かべ、私は気を引き締めながら、楽しそうに笑う二人を見つめ続けた。
◇
姉さんがおかしくなった。
え、最初と言ってる事が同じ?いや、だってそうとしか言い様が無いんだから仕方ないじゃない!
ちなみに現在4月末。
入学して既に3週が経った。当初の慌しさやら色々なイベントなどで浮ついた感があった教室も今は皆落ち着き、高校生ライフを満喫している。
特に今週末からゴールデンウィークに突入する事もあって、いまは皆G・Wの話題で持ちきりだ。かく言う私も美和と佳奈美とでG・Wに遊びに行く計画を立てている。女子三人で水族館に行く予定だ。シャチの赤ちゃんが4月末から一般公開されるらしく、見に行きたいと美和が言ったことが事の起こりだ。ただ、G・W後は中間試験があるんですけどねー。
ちなみに私を含め、美和、佳奈美、三人とも部活には入っていない。
美和はお菓子作りが趣味といっていたから、てっきり料理系の部活に入るのだと思っていた。既に数度彼女の作ったお菓子をもらった事があるのだが、明らかに店売りのお菓子と違っていた。そんな彼女が「部活は入らないんですよ~」と言ったので驚いた。
理由を聞くと、確かに昔の将来の夢はパティシエだったのだが、どうにも太りやすい体質らしく、増えた体重のため、経営に回る事を夢にしているからなのだと、恥ずかしそうに教えてくれた。うん、思っては悪いのだろうけど、美和は確かにちょっとふっくらしてる。でもそんなのは、ほんわかした彼女を引き立たせる魅力の一つだと思うのに。しかし本当にもったいないなぁと佳奈美と二人で言うと、「だったら毎日お菓子漬けにしてあげますよ~?」と、妙に迫力ある声で提案をされてしまった。無論丁重にお断りして、月2回にしてもらった。そこ、結局食べるんかいとか言わない。お菓子は乙女のガソリンです。
そして佳奈美。彼女もてっきり陸上部に入るのだと思っていたら、こちらも入らなかったので驚いた。美和と同じタイミングで理由を聞けたのだが、彼女の場合はちょっと理由が重かった。
確かに中学2年まではスポーツ一筋だったらしい。だけど脚を故障した。お医者様から、このまま続けるのは無理だと言われ、スポーツの道に進むことを諦めてしまったのだそうだ。だけれど、自分と同じような故障経験をした人がスポーツ用品開発に取り組んでいることを知り、故障した自分でもスポーツにかかわる事が出来る、自分の経験を人に活かせると分かって、スポーツ一本から勉強一本に方向転換したのだそうだ。将来の夢はスポーツ用品メーカーの開発なのだと、彼女は最初に会ったときと変らず生き生きと目をきらきらとさせてそれを語った。
で、私はというと……実は剣道部のマネージャーになろうかと思っていた。うむ、下心満載とか突っ込まないで。確かに勇は剣道部に入部したよ。一年のホープだって期待されてるらしい。だがマネージャーは募集していなかったのだ。冬桜は珍しく男女の剣道部でフォローしあっているというか、冬桜高校はそういう風にお互いをフォローするような部同士の協力活動をすると活動評価が高くなるらしい。なので現在はマネージャーが不要なのだそうだ。残念。っていうか、その体制を取り入れたのは姉さんらしい……むぅ。
あと、これは私の気の回しすぎだとは思うが、私が入ることで姉さんに何かしらの不利益が出そうな気がしたのだ。今のところ皆に私が姉さんの妹だとはバレてはいないが、生徒会長の妹が部活に入るとか、変な色眼鏡で見られる可能性が高い。私にとっても、姉さんにとっても、その部活にとっても迷惑なことになる可能性が高い気がして、結局部活には入らなかった。ちなみに中学の時は書道部だった。賞とかはとれなかったけど。字が綺麗と言われる事が、もしかしたら私の中で唯一自慢できることかもしれない。
そんな訳で三人仲良く帰宅部に籍を置くことになったのだ。うん、そんな部活無いけどね。まぁそんな話はさておき、姉さんの話だ。
で、一体何がおかしいかと言うと、生活スタイルというか雰囲気が激変したのだ。
姉さんはあまりヘアスタイルや服装に拘りを持っていなかった。ちょっと貧乏臭い言い方になるのだけど、着回しを第一に考えて、出来るだけ組み合わせしやすく、落ち着いた風合いの服とかを選んでいた。ヘアスタイルだって頓着している訳ではないし、似合っているけれど、基本ストレート一本だった。
そんな姉さんが激変した。まず家の洗面台に見慣れない洗顔用石鹸とか化粧水とか乳液が置かれた。そして、この間姉さんが髪のカットに行って帰ってきたのだが、何時も毛先を整えるだけだった姉さんだったのに、顔周りがマッシュ状にカットされ、極ゆるパーマがかかった凄く柔らかそうなヘアスタイルに変って帰ってきた。間を置かずして何時もと違うボディソープ、シャンプー、トリートメントがお風呂場に現れた。それと呼応して姉さんのお風呂時間が延びた。一緒に姉さんの化粧台にヘアクリームが増えた。そこ、ストーカーみたいとか言わない。
うん。つまりメイクをし始めたのだ。
さらに家の本棚にもファッション誌などが増えた。まぁ私も買っているのだけど、それにもう1冊加わった。姉さんが買う雑誌なんてお料理関係とかばかりだったのに。
さらにさらにどーでもいいことだが、下着がカラフルになった。姉さん今まで殆どシンプルなデザインで、色も白か淡いブルーのフルカップとかのみだったのに、たっぷり刺繍の着いた物やフリルブラなんかが増えた。色合いもバリエーションが増え、ピンクとかグリーンまで追加されていた。先日洗濯物当番だったので一緒に畳んでいたら、タグに目を疑いたくなる値を見てしまった。Dだった。その後に訪れる絶望を無視して、思わず自分の胸に当ててしまった。物理的な意味と精神的な意味と、なにやってんだ…私的な意味で危なく泣くところだった。もし姉さんに見られていたら、最後のガラスをぶち壊して飛び出していたかもしれない。それほどに衝撃的だった。…泣いてない。泣いてないったら!
そして一番の変化は日常での表情だ。瀬尾野先輩から姉さんは無表情で居ることが多いと聞いていたのに、私が学園で見かける限り、何時も柔らかい笑みを浮かべて居た。先日の朝礼での時も、始終にこやかに6月に行われる体育祭の概要報告をしていた。なんというか、角が取れたと言うべきなのか、可愛いのだ。てか美人で可愛いってなによ!新手のUMAですか!?
学内新聞でゴシップ記事のように『鋼鉄の生徒会長になぞの異変!?理由は一体!?』などと変貌が取り沙汰されていた。てか姉さん、鋼鉄の生徒会長なんて呼ばれるほど無表情だったのか……。コレについては思わず家に帰って苦言を呈したのだが、姉さんは「大丈夫だ、問題ない」と、そんなの何処吹く風と言わんばかりに笑ってスルーしてた。
で、最近噂に聞くところ、告白者が出てきたらしい。今まで出てなかったのも驚きだが、そりゃ文武両道で優しい(という風に見える)となれば男達は放っておけないのだろう。特に先日の入学式の動画が学内ネットに掲載されてから噂に上っていたらしい。あんな表情を見ればそういう気だって起きちゃうのも仕方ないと思う。だが今のところ受け入れられたという話は聞いたことは無い。それは当たり前だ。だって勇一郎いるんだし……。
そうして、『何か姉さん凄いことになってるなぁ』と蚊帳の外気分で居たら、思いっきり巻き込まれた。
事が起きたのは水曜日のお昼だ。
「終わったー!お弁当だー!」
授業が終わった途端、お弁当箱を持って私の席へやってくる佳奈美。お昼は私と美和の席をくっつけて三人で一緒に食べるのが常だった。そうして今日も同じように席をくっつけ、スクールバックからお弁当を取り出そうとして、鞄のあまりの軽さにお弁当が入っていないことを気がついた。
「お、お弁当………忘れた…」
「な、なんだってーーー!!」
「佳奈美さん、そんなに驚くことじゃないですよ」
冷静な突っ込みの美和、オーバーリアクションで驚く佳奈美。イメージ的逆だと面白いのになぁとか思ったのはさておいて、はてどうした物かと考えた。
まず取りに帰るとかは無理だ。お昼休憩が終わってしまう。購買に行くにしても、すでにお昼が始まって5分経過している。今行くとお昼争奪戦に巻き込まれてしまう。お昼争奪戦に当てになるのは勇一郎なのだが、既に戦場へ向かったようだ。そもそも彼を頼る訳には行かない。だが終わり頃に行ったとしても残っているのは不人気なパンだけだ。誰よ、ヨモギロールとか考えた人は…。餡子ならともかく生クリームとかどういう取り合わせよ……とはいえ、お昼抜きはつらい。やはり手を出すしかないか…と考えていると、如来様が如き提案を美和がしてくれた。
「佳奈美さん、お弁当を私と合わせて3等分しませんか?」
「そだねー。ま、今日は体育もないし大丈夫大丈夫」
「え、いいの?」
「もちろん!」
「こういうのも何だか良い思い出になりそうですし」
「そそそそそ!」
(ああ、神様!二人と友達にしてくれて本当に感謝します!)
西欧的な神様は信じてはいないけれど、とりあえず八百万の神様に心の中で感謝を述べて素直に二人の好意に甘えることにした。
「あ、でもお箸が無いねー」
「そうですね~。あ、私が食べさせてあげますよ」
「ちょ、流石にそれは恥ずかしいって」
そんなやり取りをしていると、「東条さん」と不意に肩をたたかれた。
振り返ると女子クラスメイト…確か旭さんだった…が立っていた。
「どうしたの?あ、少しうるさかった?」
「いえ、そうじゃないですよ。それよりも東条さんにお客さんですよ」
「へ?」
あちらです、と旭さんが体を横へ開けて指し示す方向に、黒髪の女性が、居た。
「さなちゃーん」と、にこやかに入り口で私に手を振る人が見える。
むぅ、おかしい。私の視力は両方とも2.0の筈なのに幻が見える。姉さんは「さなちゃんを煩わせるようなことはしない」とクラスの方へは極力行かないと言っていた筈なのだ。
思わず固まっていると、姉さんの幻は「失礼する」と一声かけそのままクラスの中へ入ってきた。途端に人が左右に割れる。人が避けると言うことは、どうやら実在の姉さんらしい。最上級生が下級生クラスへ、それも生徒会長、さらに今現在最も噂されている人がやってくれば、まぁ至極陶然の反応なのかもしれない。ざわめく教室の中をブレの無い歩みで歩いてくる姉さん。何人かのクラスの男子達が顔を赤くして体を寄せ道を空ける。なによ、このリアルモーゼ現象は……
そうして姉さんは私の元へと辿り着いた。
「……ど、どうして?」
「はい、お弁当」
呆けている私の前に見慣れたピンクの巾着がトンと置かれた。
「今朝は私の方が出るのが遅かっただろう?で、私が出るときに居間に忘れているのに気がついたからな。流石にお昼抜きは辛いだろうと思って持ってきたのだが……」
そこで一度言葉を止め、姉さんが左右に目を走らせた。
「もう、問題は解決済みだった…か?」
目の前には付き合わされた2つのお弁当。それを3人で囲んでいるということに何となく察しが着いたのだろう。姉さんはちょっと困った風に笑っていた。うっ、その困った顔も卑怯だ。なんか可愛い。くそぅ。
「……ちょっと、早苗っ、早苗ってば」
「…早苗さん、早苗さん?」
私をつついてくる二人の小声で漸く我に帰った。
「あ、うん。いや、だ……大丈夫。まだ食べる前だったから…」
「そうか」
ほっとしたように笑う姉さん。だが、話はそこで終わらなかった。寧ろここからが本番だった。今にして思えば、ここで「ありがとう」と言って直ぐに帰ってもらうべきだった。そうすれば被害は最小限で済んだはずだったのだが、もはや後の祭りだ。
「そういえば、そちらのお二人は前に言っていた友達かな?」
姉さんの視線が美和と佳奈美に注がれる。その瞬間、バネのように二人が立ち上がった。
「西ヶ谷美和です!早苗さんには日頃から大変お世話に」
「五所川原佳奈美です!私こそご迷惑ばかり」
二人して同時に勢いよく喋るものだから、ちょっと姉さんが驚いている。それも束の間。慌てる二人を落ち着けるように二人の肩に手を載せ、ゆっくりと座らせた。
そうして静かになった教室に響き渡るように姉さんが言葉を発した。
「挨拶が遅れて失礼した」
相手は下級生だと言うのに、両手を体の真横に下ろし頭を下げる。それだけでざわめきが教室に広がる。そうして顔を上げ、静かに自己紹介という名の爆弾を投下した。
「私の名前は東条千鶴子。こちらの東条早苗の姉だ。至らぬ身だが生徒会長も務めてさせてもらっている。どうかよろしく」
入学式に浮かべたような喜色満面の笑み。髪形が前と変って可愛さが倍率ドン!更に最近はじめたメイクで更に倍!もうやめて!私のライフは0よ!!
そうして『生徒会長の妹』ということが発覚したこの日。
私はこの先度々起こる、姉さん絡みイベントの度に後悔した。
例えどんな小さなものであっても、これから先、絶対に忘れ物だけはしない……と。
な、なんとか邂逅編入り口へとたどり着きました…
でもまだ全然会話させれてないです…
つ、次こそは……真・邂逅編ということで……
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2013/3/10 一部誤字修正 さんちゃんって誰だ…orz
閑話
「由梨絵……」
「どうしたのよ、地球外生命体でも見たような顔をして」
「ある種似たような物だ。ほら、これ」
「なに、この薄い本みたいなの?」
「漫画研究部の子から渡されたんだ。お二人のお陰で出来た作品なので是非にと」
「はぁ?……なに、この『会長様が見てる』って」
「正確に言うと『会長様が見てる-副会長ver&生徒会長ver 同時収録版-』だ」
「(ペラペラ)………な(ペラ)……な(ペラ)……何よこれぇ!?」
「まぁ……世の中は広いな、由梨絵……」
「西条と瀬野尾原ってどう見ても私達じゃない!!」
「所謂ガールズラブ?という物らしい」
「……あなた、コレ読んだの?」
「ああ、頂いたものなんだ。目を通さないと失礼だろう?」
「……で、感想は?」
「由梨絵となら意外と………ってなぜ急に距離をとる?」
「あなたとは短い縁だったわ」
「ちょっと待て」
「いいのよ、私は個人の恋愛観を否定しないわ。自分が対象じゃない限りはね」
「いや、だから冗談だって。女同士なんだ、起こり得る訳無いだろう」
「でもあなた、尽く男子生徒からの告白を断っているわよね?」
「…………」
「赤くなってモジモジするな!ていうか、そこで黙られると不安になるでしょう!」
「冗談だ、冗談。赤くなる由梨絵なんて珍しいから、つい、な」
「……悪趣味ね」
「すまないって。だがしかし、コレはどうしたものかな」
「捨てなさい、そんなもの」
「いや、頂いたのだ。そのようなことは出来ない」
「じゃあ責任持ってあなたが持ち帰りなさいよ」
「いや、これをさなちゃんに読ませる訳にはいかない」
「……どうするのよ」
「……どうしよう」
「とりあえず金庫の中にでも入れておきなさい。誰の目にも着かないように……」
「ちなみに『生徒英雄伝説-冬桜高の双璧-』というのも貰ったのだが…」
「返してきなさぁぁぁい!」
オチなし!