第9話:西国の妖貴妃
冬も近くなってきたある日。めっきり冷え込むようになってきた中、その日は珍しく暖かい日差しに木々が包まれていた。サルヴァ王子の後宮の寵姫達も最近では部屋に篭る日も多かったが、まるで春を待っていた蝶のように庭に出て花々の間を散策している。
その蝶の群れから少し離れた場所に、毛色の違った蝶。アリシア・バオリスもいた。
「エレナ。やっぱりみんな同じ事を考えるのね」
そう言って、少し遅れて着いてくる侍女にため息を付く。
せっかく良い天気なのだからと庭に出てみると、庭中色とりどりの蝶の群れである。以前のように他の寵姫からいびられる事はなくなったが、やはり生まれつき人種が違うのだと近寄らないでいるのだ。
「はい。だって今日は久しぶりに良いお天気ですもの。皆さんだってお庭に出たいと思うのは当然です」
「それは、そうなのでしょうけど」
「アリシア様は、みなさんのお仲間にお入りにはならないのですか?」
小柄な侍女は遠慮がちに問いかけたが、僅かに期待する響きも含んでいる。貴族のご令嬢達を見る彼女の瞳は憧れに輝いていた。
彼女はアリシアの故郷の村長の娘だった。都会での暮らしに憧れこの王都にやってきたのだ。しかも目の前には、夢にまで見た大貴族のご令嬢の群れ。是非ともお近づきになりたいところだ。
元をただせば村娘でしかないアリシアと村長の娘。身分を比べれば、本来アリシアこそエレナを目上の者と立てなくてはならないところだが、この村長の娘はアリシアを尊敬していた。
アリシアは両親を流行り病で亡くし、騎士の称号を持つ貴族オルカ家に引き取られ、それが今では大国の後宮の寵姫である。まさにアリシアは、芋虫から蛹、そして蝶へと変身したのだ。それを田舎の村で伝え聞いたエレナが、村長である父にどうにかして自分も後宮に行けないかと頼み込んだのだ。
「馬鹿者! 若い娘が後宮に上がりたいなど……。そんなふしだらな娘に育てた覚えは無い!」
父は顔を赤くし烈火の如く怒鳴ったが、娘はさらに顔を赤くし叫んだ。
「ち、違います! お父様こそ何を言い出すんです! 後宮に侍女として上がりたいのです!」
「なに、そうなのか?」
「当たり前です! 私なんかが寵姫になれる訳ないじゃないですか!」
怒鳴り否定しつつ、出来ればなりたいという心底をポロリと溢する娘に、父も髭に包まれた顎に手を向けた。考えるときの癖なのか、白い物が増え始めた顎鬚を指でさする。
王家の方々の身の回りのお世話をするのだから、どこの馬の骨とも分からぬ者は雇えない。王宮の侍女には、それなりの社会的地位ある家の娘しかなれないのだ。それだけに王宮に務めたとなると素行も良く、家柄も良いと王国からお墨付きを貰ったといえるのだ。
現に数年前、山を隔てたある町の町長の娘が王宮での勤めを終え帰ってくると、貴族の奥方に迎えられたという。それは王宮に出仕できぬ程度の下級貴族だったが、庶民が貴族になれたのに違いはない。
親として、娘には出来るだけ良い男と結婚して欲しいと願うのは当たり前だ。後宮の侍女とはいえ、王宮に上がれば娘にも箔が付く。自分よりも大きな村の村長の跡取りなどから引く手あまたとなる。いや、それどころか王宮で、どこぞの貴族に見初められるかも知れん。
「しかしだ。私は小さな村の村長でしかない。その娘が後宮に上がれる訳が無かろう」
「ですからアリシア様に手紙を書いて下さい。後宮の寵姫であるアリシア様からお声が掛かれば、私だって侍女として召抱えて頂けるかも知れません」
「ふむ。なるほど」
こうして村長は昔の誼とアリシアに手紙を出し、アリシアも渡りに船とこの話に飛びついた。今まで付けられていた侍女は、本来村娘でしかないアリシアを馬鹿にし仕えるのを嫌がり、あまり良い関係を築けてはいなかったのだ。
自分を崇拝する侍女を得て以前より過ごしやすくなったアリシアだが、1つだけこの忠実な侍女に不満があった。アリシアを他の寵姫達と仲良くさせようとするのだ。しかも出来るだけ爵位の高い寵姫とである。
「コスティラの公爵家からいらしたナターニヤ様が、一度アリシア様とお茶をご一緒したいと仰っていたそうですよ。せっかくのお誘いですので、お受けしてはどうですか?」
「ナターニヤ様が私と?」
「はい。ナターニヤ様の侍女とお話しする機会があって、そこでお聞きしたのです」
小さな村の村長の娘でしかないエレナより、他の寵姫の侍女の方が当然家柄は良い。アリシア以外の寵姫達は王宮から派遣された侍女ではなく、それぞれ実家から侍女を連れて来ているが、その者達すら王宮に入るには家柄、素行などを入念に調べられた者達ばかりなのだ。だが、エレナがその侍女達に爪弾きにされる事は無かった。
実はアリシアの侍女とは仲良くするように、と彼女達は主人である寵姫から厳しく言い付けられていたのだが、それを知らないエレナは、なんて良い人達と素直に彼女達に感謝し日々幸せに暮らしている。
自分の主人と公爵令嬢がお茶を一緒にするなら、特別人を遠ざけない限り自分はその後ろに立って控える。もしかしたら、自分も公爵令嬢とお近づきになれるかも知れないと、侍女の瞳は光り輝く。
アリシアにとってもエレナは可愛い侍女である。元々人に奉仕されての生活とは無縁の彼女だ。自分の身の回りの世話をせっせとしてくれるエレナに、侍女だから当たり前とは思わず感謝もしている。とはいえ、公爵令嬢とのお茶会など出来れば避けたい。
「ナターニヤ様から直接お誘いを受けたのならともかく、その侍女から聞いた話なんかでは駄目よ。お受けしますって答えて、もしナターニヤ様がそんな積もりじゃなかったら恥をかいてしまうもの」
と、アリシアは遠まわしに侍女の提案を断った。
そう言われるとさすがに上流階級に憧れる侍女も食い下がる事は出来ず、
「そうですか……」
と渋々引き下がった。ただしこの場に限っては。
「コスティラのお茶は、こっちとは少し違った入れ方をするそうですよ!」
浮かれ、侍女にも拘らず主人の前を跳ねるように進むエレナの背にアリシアはため息を付いた。あの後、それならばとエレナはコスティラ令嬢の侍女に会いに行き、
「ナターニヤ様からの正式なお誘いならばアリシア様もお受けするそうです」
と伝えてしまったのだ。
後宮の寵姫達はみなサルヴァ王子という、文字通りの白馬の王子様の心を射んと狙っている。そしてその前に馬を射んと、アリシアとお近づきになる機会も狙っているのだ。自分が馬扱いされているのを察し、アリシアは極力彼女達と関わらないようにしていたがこうなっては仕方が無い。
エレナが、正式なお誘いならお受けすると先方に伝えてしまったのだ。それを断っては、エレナの立場が悪くなる。まあ、一度きりだとアリシアは耐える事にした。
お茶会は、後宮の庭の一角で行われた。
白い肌にプラチナに近い淡い金髪の美女が、微笑みながら膝を折ってお辞儀をする。
「今日は、良くおいで下さいました」
「こちらこそお招きに預かり、ありがとう御座います」
と、アリシアも礼儀として膝を折った。
アリシアに椅子を薦めたナターニヤが、客が座るのを確認し自分も座った。その後ろにはそれぞれの侍女が控え、エレナは公爵令嬢を間近に頬を高揚させた。
エレナが視線を感じ見ると公爵令嬢の侍女と目が合い、その侍女が微笑み小さく頷く。このお茶会は彼女らの仲介で実現した。これからも仲良くしましょう、というところだ。エレナもこれからの公爵令嬢と自分の主人との、侍女共々の友誼を夢見つつ微笑み返した。
今日は乗り気でないアリシアだが、公爵令嬢の
「アリシア様がお茶に来て下さるなど滅多にない事と、他の皆様方もご一緒させて欲しいと言って来ていたのですが、アリシア様は大勢の人の前に出るのは好きでないと聞いておりましたのでお断りさせて頂きました」
という言葉には、
「それは、ありがとう御座います」
と本心から感謝した。。
もっともこの妖精の化身のように美しく優しげな美女と、他の寵姫との会話をアリシアが聞いていれば、その感想も根底から覆されただろう。
「アリシア様とのお茶会に、是非私もご同席させて頂けませんこと?」
お茶会の前日、ある寵姫から言葉遣いだけは上品にずうずうしくそう言われナターニヤは妖精の笑みを浮べた。
「アリシア様は騒がしいのがお嫌いなのです。まず私がアリシア様と親しくさせて頂き、アリシア様のお心を解きほぐしますので、その時になれば貴女方もお呼び致しましょう」
この上からの物言いに、寵姫は自分のずうずうしさを棚に上げ悔しさに内心地団太踏んだが、宮廷の淑女たるもの取り乱してはそれこそ負けである。余裕を持った態度を取り続けた者が勝者なのだ。
「あら、それもそうですわね。それではナターニヤ様にお任せいたしましょう。私もアリシア様とご一緒するのを楽しみにしておりますので、粗相の無いようにお願い致しますわね」
と、貴女など前座なのよと、扇で口元を隠し上品に微笑む。しかしナターニヤは微塵も動じず、蒼い瞳が妖しく冷たい炎のように光った。
「ええ。お任せくださいませ。もっともアリシア様にも、近寄りたくも無い方もいらっしゃるでしょうし、それは私などではどうする事も出来ませんけど」
アリシアと同席できるかは自分の胸先三途という事を忘れるな。と、微笑む目が言っている。これには寵姫も降参するしかなく、
「いえ、ナターニヤ様。貴女ならきっとアリシア様と親しく出来ますでしょうし、その時は是非、良しなにお願い致します」
と頭を下げざるを得なかったのだった。
この事はアリシアの耳には入っていなかったが、もし聞いていれば、やれやれと首を竦めただろう。ナターニヤはこれを機会に今後もアリシアと親しく付き合い、サルヴァ王子へとつなげようと考えているが、アリシアはこれっきりの積もりだ。存在しないアリシアの親しい友人の座を巡っての戦いなど呆れるばかりである。
もっとも、コスティラの公爵令嬢もアリシアがこれっきりにしようと考えているのは察し、その上で勝負に出ているのだ。得意の話術でアリシアを篭絡しようと早速話題を提供する。
「コスティラでは、こちらとは少しお茶の入れ方が違うのです」
「少し聞いた事があります。確かお茶にジャムを入れるとか」
侍女のエレナから仕入れた知識をおぼろげに思い出しアリシアが答えると、ナターニヤは我が意を得たりとばかりに微笑んだ。まるで餌に魚が食いついた瞬間の釣り人の心境だが、その笑みはあくまで妖精のように透明無垢である。
「皆さんそのように仰いますけど、本当は違うのです。コスティラではお茶に蜂蜜を入れるのです」
「そうなのですか?」
「ええ。お茶に甘い物を入れるという事で勘違いした人が、それをそのまま広めてしまったらしいのです。私もこちらに来てすぐお茶会に誘われ参加した時、わざわざコスティラ風のお茶にして下さったという事でしたが、中にアプリコースのジャムが入っていて、戸惑ってしまいました」
ナターニヤはそう言って、優しく苦笑を浮かべる。
「アプリコース、ですか?」
アリシアは、聞き覚えの無い単語に首を捻った。話の流れから何かの果物とは思うが、少なくともランリエルでは聞いた事が無いのでコスティラの果物だろう。たかがお茶会でわざわざコスティラから取り寄せるとは、ご令嬢方はよほどお金と暇を持て余しているらしい。もっともこれはアリシアの誤解だった。
「あら。こちらでは杏と言うのでしたね。すみません。つい」
そう言ってナターニヤは、今度は自分自身に苦笑を向ける。
「ランリエルとコスティラとは、少し言葉が違うのですね」
「はい。色々と違います。初めは戸惑う事も多かったです。今はもう慣れましたけれど。そういえばアリシア様。アリシア様は、好きなお花などはありますか?」
「花ですか? それなら菫が好きですけど」
「それは、コスティラではフィアールカと言うのです」
「え? そうなのですか。面白いものですね」
と、アリシアの顔も自然と微笑む。
意外とアリシアとナターニヤとの会話は弾んでいるが、それはナターニヤの話術が巧みな為だ。
実はナターニヤは、初めは後宮に入るを嫌がった。コスティラの支配者となったランリエルの次期国王と親しくなって損は無いと考えた父の命令で仕方なく来たのだ。そして、せっかく来たのなら頂点を、王妃を望む。その野心を抱いた。その為、ランリエルへと出発するまでの間にわざわざ話術の教師をつけ、その技術を身に付けていた。
「他にもランリエルとコスティラでは、呼び名が違う物が沢山あります。よろしければ、また次の機会にお教え致しましょう」
「そうですか。よろしくお願いします」
あ。と思った時には自然と口から出ていた。これは次に誘われた時も参加すると答えた事になるのだろうか。やられたと思ったが、ナターニヤは優しく微笑み、騙したような素振りは無く自然な会話の流れに見える。
穿って見すぎなのかとアリシアは反省したが、やはり彼女の勘は当たっていた。まさにナターニヤはアリシアを引っ掛けたのだ。もっともそれを悟られるような間抜けではない。コスティラから来た公爵令嬢は、ランリエル貴族令嬢達より遥かに強かだった。
「そろそろ良いみたいですので、お茶を頂きましょうか」
妖精の仮面を被った詐術師は、花瓶のような形状の湯沸かし器に形の良い手を伸ばした。中央部に炭が入れてあり、その熱でお湯を沸かすようになっている。その上に小さなティーポットが置いてあり白い指が取っ手を摘む。
ティーポットにはお茶の葉とお湯が半々に入っており、かなり濃いお茶が出来ていた。ナターニヤはそれをアリシアのカップに少し注ぎ、自分のカップには三分の一ほど注ぐ。カップに僅かしか入っていないにも関わらず、底が透けないほど色が濃い。
「随分と濃いお茶ですのね」
アリシアが感想を漏らしカップに手をかけると、ナターニヤが微笑み制した。
「お待ち下さい、アリシア様。それはこのお湯で薄めて飲むのです」
そう言って湯沸かし器から、アリシアのカップにさらに熱いお湯を注ぐとお茶は琥珀色となった。熱の所為なのか、辺りに紅茶の良い香りが漂う。
「それでは、蜂蜜を入れてお召し上がり下さい」
アリシアは彼女の言うとおり蜂蜜をいれ、カップに口をつけた。普通の砂糖を入れるお茶と違い、なにやらコクがある気がする。
「コスティラのお茶も美味しいですわね」
とナターニヤに目を向けると、彼女は紅茶の入ったカップと、その半分くらいの大きさのカップに交互に口を付けていた。
「それはなんですの?」
「こっちのカップには蜂蜜が入っているのです。別にこっちが正しい飲み方という訳ではないですが、蜂蜜をお茶に入れずに、こうして飲む方法もあります」
「色々と飲み方があるのですね」
そう言って思わずアリシアは微笑んだ。なるべく他の寵姫達とは関わりたくないと考えている彼女だが、相手からにこやかに話しかけられも、冷たくあしらえるほど冷淡ではない。普段は、初めから近寄らない、という手段を取っているのだ。
ナターニヤの気を引く言葉と動作、それについ反応してしまうアリシアは、どうもコスティラ令嬢の思い通りに会話が進んでいると自覚しつつも、少なくとも表面上は楽しくお茶会は進んだのだった。
「楽しかったですね!」
お茶会の帰り道、跳ねるように歩く侍女が浮かれている。ずっと後ろで立っていただけで何がそんなに楽しかったのかアリシアには分からないが、エレナは喜んでいる。もしかしたら貴族のご令嬢というのを珍獣かなにかと思っているのかとアリシアは思った。それだったら少しは理解できる。
かつての親友、ランリエル公爵令嬢セレーナも言っていたが、貴族の紳士、淑女の方々は宮廷を舞台にとし、まるで演劇のように貴族然とした立ち振る舞いを演じているらしい。アリシアから見れば確かに奇妙な生き物だった。
「アリシア様。次のお茶会は、いつが良いでしょうか?」
跳ねながら言う侍女に、アリシアはため息を付いた。