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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第8話:宰相の野心

 ゴルシュタット王国宰相ベルトラム・シュレンドルフ。ゴルシュタットの実質的な支配者とまで言われる傑物である。歳は50を越えるが、まるで戦場の武人のような貫禄を持つ。いや、実際若き頃は軍勢を率いる将軍としても武名を上げていた。


 戦場にある頃はその戦いぶりから、北方の獅子などと呼ばれていたが、今では次のような異名を得ていた。『二ヶ国宰相』と。


 リンブルク王国がデル・レイ王国に攻められた時、当初彼は本心からリンブルクの援軍として出陣する積もりだった。それが、デル・レイと裏取引をしその方針を180度変えた。その結果小国リンブルクは、晩餐に供される肉のように切り分けられ、2大国の胃袋に収まってしまったのである。


 リンブルクの南半分がデル・レイの領土となり、領土が半分になったリンブルクはゴルシュタット王国の属国と化した。そして彼はリンブルクの宰相を兼ねたのだ。


 リンブルク王国宰相としての仕事は、一般的なものとは程遠い。いかにゴルシュタット王国の為に役立たせるか。搾取するか。それがリンブルク王国宰相の使命なのだ。デル・レイ王国の攻撃から国を守る為と、要所を守る将軍を己の息のかかった者に交代させ、内政についてもゴルシュタット王国に利するような政策を実行する。


 当然、諸侯の反発は大きいが、大国ゴルシュタットに表立って逆らえる者は殆どいない。だが今日は珍しく、その殆ど以外の者が来ていた。


「シロスクを御自身の領地となさるですと? 貴方がいくら大国ゴルシュタットの宰相であり、今はこのリンブルク王国がその属国に甘んじているとしても、そのような横暴許されるものではありませんぞ!」


 リンブルク王国の宰相府の執務室で、王国の領地を管理する大臣のドスタルが叫んだ。老齢の痩せたその男は肩を震わせ、すっかり白くなった頭髪の下の目を赤く血走らせ宰相を睨むが、睨まれた宰相は椅子に座し、硬い樫の机を挟んだ相手を平然と見返した。


 シロスクとは、リンブルク王国の根幹を成す穀倉地だ。半減したリンブルク王国の現在の国力は1万の軍勢を整えられる程だが、その軍制は王国直属兵と諸侯の私兵の混成軍。王国直属兵だけならその半数にも満たないが、それは問題ではない。各国多少は違うが同じようなものである。だがシロスクを奪われては話が違う。王家が動員する兵力は、国内の大貴族にも劣るものとなる。


「人聞きの悪い物言いはお止め頂きたいものですな。私はゴルシュタット王国の宰相ではなく、リンブルク王国の宰相として、その役目を全うするに相応しい領地を頂きたいと申しておるのです」

「リンブルク王国の宰相としてならなおの事、リンブルク王国の為を思っては頂けませぬか。それをしてはリンブルク王家の屋台骨が崩れると申しておるのです!」


 まあ、正論だな。とベルトラムは考えたが、それを分った上で強行するのだ。所詮ドスタルの言葉など痛くもかゆくも無く、むしろ予測済みだ。


「リンブルク王家の屋台骨が崩れると申しますが、何がどうなると言うのですかな?」

「どうなるなどと……。王家の力が弱まり、諸侯を抑える事が出来なくなると申しておるのです」


 何故こんな当たり前の事をわざわざ聞くのかと、白髪頭の大臣は憮然としているが、ベルトラムは望んだ返答を得られ内心ほくそ笑む。


「まったく貴方は……。それはリンブルク王家の御威光を軽んじる言葉です。リンブルク王国諸侯の王家への忠誠心とはその程度のものなのですか? いえ、そのような事は御座いますまい。多少王家の力が弱まったからといって、それを持って諸侯が王家に従わなくなるとは。まったく不敬の極みですぞ!」

「ま、まさか。そのような事を申しているのではありません。王家とは諸侯の上に君臨してこその――」

「ですから。王家はその御威光を持って諸侯に君臨していると申しておるのです。それを疑うような言葉を吐くとは。貴方こそ王家を侮辱してると、どうして分からないのです」


 ドスタルは己の失敗を悟った。ベルトラムの言い分など詭弁であり、問題のすり替えでしかない。しかし一度蹴躓いた以上、軌道修正は難しい。この論点での勝利は難しいと撤退を決意し、別方向からの攻撃を試みる。


「だいたい貴方はゴルシュタット王国にも広大な領地を持ち何不自由ない。それを我が国にまで領土を得ようとは、余りにも貪欲では無いですか」


 だがこの方面の攻撃もベルトラムは計算済みだった。大国ゴルシュタットの宰相であるベルトラムと小国の一大臣とでは、所詮器が違うのだ。


「これはしたり。調べて頂ければ分かりますが、ゴルシュタット国内に私の領地など土くれ1つすらありません。領地はすべて息子に譲り、身一つでリンブルクに参っております。領地を賜りたいのも、このリンブルクに骨を埋める覚悟を示す為です。それにお気付きではないようですが、シロスクはこのリンブルクの宿敵たるデル・レイ王国との最前線に位置します。そこに領地を頂き屋敷を構えるは、リンブルク王国の盾とならんが為」

「し、しかしそうは申しましても――」

「もし貴方がシロスクに領地を得ず、さらにデル・レイとの最前線で守ると仰るなら、やってみては如何ですかな?」

「そ、それは……」


 ドスタルは口を噤んだ。実際そのような事が出来る訳が無いのだ。大領地であるシロスクを拝領できるなら奮起しやってみようかという気にもなるが、それを言っては己の主張の根拠が無くなる。ドスタルは、この方面の攻撃も失敗に終ったと悟り、では次の攻め手と頭を巡らすが、その作戦が決まる前にベルトラムが口を開いた。


「私はゴルシュタット王国の宰相も兼ねております。ですが、その私だからこそ最前線たるシロスクに領地を持つのに意味があるのです。他の方なら、所詮リンブルク王国とデル・レイ王国との戦いになるでしょう。ですが、ゴルシュタット王国の宰相でもある私が立ち塞がる事により、彼らは手出し出来なくなる。ゴルシュタットとも正面から戦う事になるからです。そうではありませんか?」


 ベルトラムには、次にドスタルが吐こうとする台詞など予測がついていた。自分がシロスクを拝領したいとは言えず、他のリンブルク国内の有力貴族に任せろと言い出すに決まっている。だが、もはやこの男の相手をするのが面度になってきたベルトラムが、先回りし口を封じたのだ。


 そしてベルトラムの望みどおり、ドスタルはぐうの音も出ない。押し黙りしばらく俯いていた後、それでも一応は小声で退室の挨拶をし部屋から姿を消した。


 一作業すんだベルトラムは、やれやれと椅子の背もたれに大きく体重を掛けた。彼の体躯に頑丈なはずの樫の椅子が僅かに軋む。ドスタルのような者を今まで何人も相手にしてきた。多くは無いが、1人、2人ではなく、まさにベルトラムにとっては作業である。


 ゴルシュタット王国内の領地とリンブルク王国内の領地。その2つを合わせれば、ベルトラムは個人で4千の軍勢が動員できる。小国の王家単独で動員出来る軍勢に匹敵するほどの数だ。実際、半国となる前のリンブルク王家の動員兵力に近く、半国となった今ではそれを凌駕する。ベルトラムは一国の国王に匹敵する力を得た。とも言える。


「王か……」


 二ヶ国宰相の小さな呟きは、己以外、部屋に影を落とすものが居なくなった執務室に思いのほか響いた。


 領地を譲り身一つでリンブルク王国に来たとは言ったが、息子はよく教育し父に逆らわない。ゴルシュタット王国は現在、内政、軍事共に差し迫った問題は無く、日々大過なく運用すれば良いだけであり部下に任せておけば問題ない。自分が不在の間に己こそは宰相に、と暗躍する者を抑える為取り締まらせてもいる。実際2名ほどの不埒者がいたが、それを罰し刑場に送った後は新たに表れていない。


 後顧の憂い無く、リンブルク王国をじわじわと締め上げ搾り取っていく。大国ゴルシュタットの力を背景に、ベルトラムの権力は絶大である。リンブルク王家など既に存在していないも同然なのだ。


 現リンブルク国王ウルリヒ・シュトランツは、宰相が進言する政策に頷くだけの人形と化し、臣下達は嘆くと同時に、情けなき王よ、と冷淡な目を向ける者も多く、その権威は地に落ちている。リンブルク王国は現在のシュトランツ朝ではなく、将来はこのベルトラム・シュレンドルフの元、シュレンドルフ朝となるのでは? と予測した貴族達が、密かに忠誠を誓ってきてもいる。


 ゴルシュタット王国属国、シュレンドルフ朝リンブルク王国という訳だ。現在のゴルシュタット国王の自分への信頼なら、王を名乗らせて欲しいと願い出れば聞き入れられるだろう。ゴルシュタット王国の宰相として人生が終る事に満たされぬものを感じ、王位をと、その野心が微かに芽生えたのも事実。それが叶う。


 そのはずなのだが、ベルトラムの心は羽ばたき飛翔せず、むしろ風穴が空いたように虚しいものが吹き抜けていた。それは名馬を渇望し追い求めた挙句、道端で年老いた駄馬を拾ったような空しい心境だった。確かに馬ではある。だが違う。そうではないのだ。追い求めるのは風すら抜きさる駿馬であり、駆けるのすらままならぬ老馬ではない。だが、名馬は遠く老馬は手中にある。


 リンブルク王と成れば、さすがにゴルシュタットの宰相とは兼務出来ない。子孫の繁栄を考えれば小国といえど王となった方が良いのだ。だが己自身を考えれば、大国の宰相して絶大な権力を振るうのと、小国の王として大国に付き従うのと、どちらが1人の男としてやり甲斐があるのか。リンブルク王となれば、後任のゴルシュタット王国宰相の顔色を伺わねばならぬかも知れぬのだ。


 ベルトラムの王位への野心は、確実なものではなかった。だがリンブルク王国の王位。それに手が届く。そう思った瞬間、それが現実味を帯び夢ではなくなった。にもかかわらず、手にして見れば余りにも容易く小さな存在だ。自分が望んでいるものは、これほど取るに足らぬものなのか。ベルトラムの野心は昇華するどころか、むしろ不完全に燻る。自分が望んだ王位とは……ゴルシュタット王国の王位ではなかったのか。


 いや、何を大それた事を。いかなゴルシュタット王国で権力を振るおうと、それはあくまで宰相であるからなのだ。それを王を裏切り自分に味方しろと、諸侯に訴え激を飛ばしたところで誰も自分に付き従ったりはしない。気がふれたと嘲笑を浴び、宰相の職を解任され、ただの男となった愚か者が断頭台の階段を上るだけなのだ。


 ならば、道は2つ。このままゴルシュタット王国宰相として大国で権力を握るか、リンブルク王の地位で満足するか。だが、ベルトラムの出した結論は、そのどちらでもなかった。

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