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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第4話:執務室にて

 その日、サルヴァ王子は軍部の執務室で何をするでもなく、椅子に座り茶を飲みながらぼんやりと考え事をしていた。


 実質、ランリエルの軍事だけではなく内政まで掌握する王子である。軍総司令と宰相を兼務しても良いのだが、権力を一手に握りすぎるとそれは避けていた。


 政策については、宰相のモンタルドと話し合い方針を指示した後は、詳細は彼に一任してある。中間報告で王子の考えと大きく逸脱する場合には再度話し合い修正を施す。老齢の宰相は温和で、自分の孫ほどの年齢の王子の指示を良く守っていた。そして戦いの嵐がなりを潜めている今、軍総司令はそう激務ではない。考え事をする時間は十分にあるのだ。


 次期国王に見初められるのを夢見る侍女が運んできたお茶を、その心中を微塵も察する事無く受け取り一口啜る。茶は最高級の物を取り寄せ、舌に心地よい苦味と甘味を与えるが、日頃飲みなれている王子にしていれば改めて感動するほどでもない。


 侍女は言いつけ通り茶を運びもうこの部屋には用は無いはずなのだが、床に落ちた僅かな糸屑などを拾っている。王子に目をかけて貰うと粘っているのだ。その中々部屋から出ない侍女を王子は視線の片隅に捕らえ、よく働く者だ、と彼女が聞けば狂喜乱舞する感想を抱いた後、すぐにそれを忘れて自身の考えに没頭した。


 大仰な事を考えている訳ではない。先日酒を共にしたバルバール軍総司令との会話を思い出していたのだ。


 各国の要人を集めた会議の夜、余人を遠ざけ秘蔵の葡萄酒を持ち出したサルヴァ王子は、惜しげもなくディアスに振舞った。


 ディアスは年長であり、さらに立場的にも程度を弁えて飲んでいたが、王子は大戦の昔話を肴に大いに酔った。2人は2年前、敵として戦ったのだ。希代の英雄と讃えられる王子である。今は落ち着き、以前のように戦いにより己の力を誇示しようとする気も失せているが、やはり戦話となると血が騒ぐのは抑えられない。


「しかしくどいようだが、あの戦いでは何度も敗北を覚悟したものだ。貴公に勝てたのは運が良かった。いや、帝国軍の来援があったからこそだ」

「確かに帝国軍が居なければ殿下を討つ事も出来たでしょう。ですが、なぜ帝国軍が来たのか。それを考えれば決して運が良かった、そればかりではありません。あの戦いは、間違いなく貴方が勝ったのです」


 自らを討ち取ろうとした敵将へ素直に賞賛を述べる王子に、当のバルバール軍総司令はそう言って首を振った。


 当時、双方動員できる兵力はランリエル軍12万に対しバルバール軍4万。戦力比は3対1であり、誰が見てもランリエル軍の圧勝かと思われた。だが、戦況はその予想を覆した。


 両国の主力は険峻な山岳地帯の国境で膠着状態となり、そしてランリエル王国沖の制海権はバルバール海軍に奪われたのだ。ディアスは少ない兵力を更に割き、ランリエル王国海岸線の村々を襲った。国内には多数の流民が溢れ、民を守る為ランリエル軍は、長大な海岸線に兵力の大半を向けざるを得なかったのである。


 それでもまだ国境で向かい合う軍勢は、ランリエル軍が僅かながらも上回っていた。そして――ディアスは帝国の海岸線を攻撃したのだ。


 当時すでに帝国はランリエルの支配下にあり、軍備は縮小され独力で海岸線を守る力は無い。解決方法は二つ。資金援助し独力で対応できるだけの軍勢を帝国に整えさせるか、援軍を派遣しランリエル軍に海岸線を守らせるか。資金援助すれば帝国軍の力が強くなり支配体制が揺るぐ。援軍を送ればバルバール軍との戦いに劣勢となるのだ。


 どの道を進んでもランリエルには不利となる。どちらの道を進むべきか。サルヴァ王子はどちらの道も選ばなかった。いや、両方の道を進んだのだ。


 帝国に資金援助をし軍勢を整えさせる一方、軍勢が整うまでの間の防衛にと援軍をも派遣したのである。当然、国境での戦いは不利となる。事実王子は敗死寸前にまで追い詰められたのだ。そこに帝国からの援軍が現れた。ディアスの言葉は、それを踏まえての事だった。王子の行動の結果なのだ。運ではない。


「決して善意だけで帝国に援軍を送った訳ではない。帝国の軍勢が整った後、派遣した軍勢をこちらに呼び戻し

、貴公との決戦の切り札とする計画だったのだ。結局派遣した援軍は戻ってこず、代わりに帝国軍がやってきた。しかも私に伝令すら寄越さずにだ」


 目を逸らし、不機嫌そうに言う王子にディアスは苦笑した。どうやら武略を褒められるならともかく、この手の話は苦手らしい。


「ギリス殿ですか。私も彼にはいっぱい食わされました。ランリエルの援軍は来る。それは想定していましたが、帝国軍がやって来るとは考えても居ませんでしたから。貴方を討ち取るどころか、危うく私が討ち取られるところでした」

「ああ。我が国が帝国と戦った時には、私も奴には殺されかけた」

「聞いております。中々の激戦だったとか」


「そう思うと、ここに奴が居ないのが残念だな。居れば2人でつるし上げてやるものを」


 ディアスは頷き、この場に居ぬ3人目の総司令に2人の総司令は愚痴を吐きつつさらに杯を重ねた。



「殿下は、ご結婚はなさらないのですか?」


 不意にディアスが言った。戦談義とギリスへの愚痴が一通り終ると、話題は無難に身近な事柄へと移っていた。


 20歳以上も年下の妻について根掘り葉掘り聞かれたディアスが、後ろめたさから話題を逸らそうとしたのだ。すれた者なら、いやいやそんな事より、と、さらにディアスを追及しただろうが、生真面目なサルヴァ王子は、ディアスの問いに考え込んだ。


 とはいってもすぐに結論は出た。後宮に寵姫は数多く居るが、単にその気になれないだけなのだ。王子がそう答えると、ディアスがさらに追及の手を伸ばす。攻撃は最大の防御である。ディアスとて、他人の女性問題に興味は無いが、自分の妻の話題になるのは避けたいところだ。


「ですが、その中でも特に親しい女性も居るでしょう」


 ふっと、すぐさま王子は鼻で笑った。


「あやつはとてもではないが、王女などというものが似合う女ではない。私に対しても信じられぬくらい無礼な態度をとる女なのだからな」


 親しいと言われ、瞬時に頭に浮かんだのは赤毛の女の顔だった。


「無礼……ですか?」

「そうだ。私が他の寵姫の部屋に通うのに皮肉は言うは、そういえばこの前など――」

 と、普段漏らす相手が居らず鬱積してたのか、サルヴァ王子の愚痴は続く。酔いも手伝って留まるところを知らない。だがディアスの目尻の笑った視線に気付く。


「どうした?」

「つまり妃にしたい女性はいらっしゃるが、そうするには礼儀作法を知らず殿下は困っている。という事ですか?」

「なっ!」


 思わぬ言葉に、王子は目を見開き絶句した。


「違うのですか? そういう話だと思い、聞いていたのですが」

「今の話でどうしてそう思うのだ! どうしてあやつが妃になどという話になる!」


「ですが、一番親しい方の話ではなかったのですか?」

「た、確かに親しくないとは言わん。だがあれは寵姫と言える者ですらないのだ」


「寵姫では無い? では、もしや城で働く下働きの娘か、城下の者なのですか?」

「いや、そうではない。寵姫ではあるのだが……。あれは寵姫では無いのだ」

「はぁ……」


 取り乱し謎かけのような言葉を吐く王子に、ディアスも常に無く憮然とした表情を見せた。


 その後、どうやらサルヴァ王子の触れてはいけない部分に触れてしまったらしいと感じたディアスは口をつぐみ、王子も取り乱したのを恥じるように黙々と杯を重ねた。酒宴はそのまま若干しらけた雰囲気の中幕を閉じたのだった。




「アリシアか……」


 1人きりの執務室で王子は呟いた。王子に見初められようと部屋に居座っていた侍女は、床のゴミを拾いつくし、調度品の僅かな歪みもすべて正した後、名残惜しげな視線を王子に向けつつ既に姿を消していた。


 大国の次期国王。その妃はそれに相応しい者であるべきだ。家柄も皆が納得するものが必要である。それに外れるにしても、外交的に必要なのだ、などといったもっともな理由がいる。それを自身の独断で妃を決めれば、国の体面や国益を考えぬ自侭な独裁者。その謗りは免れない。大国であるがゆえにそれは重要だった。


 妃にするには礼儀作法すら知らず殿下は困っているのか? というディアスの言葉は、その意味も含んでいるのだ。アリシア・バオリスは名門の出身どころか下級貴族ですらなく礼儀作法もなっていない。


 百歩譲って、王子が虜になってもおかしくないほどの絶世の美女というならば、他の者達も仕方が無いとある意味納得もしようが、アリシアがそうかと言えばそうでもない。


 彼女も水準以上の美人ではあるのだが、大国の次期国王の心を魅了せんと国内外から選りすぐられた美女を集めた後宮では、サルヴァ王子がどう贔屓目に見てもアリシアの美貌は下から数えた方が早いのだ。


 その点、かつてサルヴァ王子の妃となると目されていたセレーナ・カスティニオ嬢は非の打ち所がなかった。身分は公爵令嬢であり、その美貌はランリエル一の華と謳われ、そして内面すらも、伝説の賢婦人に並ぶとまで称されていたのだ。


 ふと、我に返ると、王子は自身の思考に驚きの顔を作った。自分はいったい何を考えているのだ。アリシアが王妃になれるかなど考えても意味は無いのだ。アリシアを妃にするならば、それ以前に――。


「何を馬鹿な。ありえん話だ」


 サルヴァ王子はそう言うと、特に急ぐ必要の無い仕事に取り掛かった。だがその独り言にしては大きな声は、まるで自身に言い聞かせるかのようだった。

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