第1話:群雄達
冬も終わり、温かい日差しが草木のみならず人をも心地よく照らした。城下町の大通りには行商の者が集い商品を並べ、それを求める者も多い。その中を1人の男が馬に乗り数名の従者と共に進んでいた。男は器用に人ごみを避けている。
年は30をいくつか過ぎたばかりだ。従者が引く馬にはかなりの荷物が乗せられ長旅であった事を表しているが、男は茶色がかった髪を整え紺の礼服にも埃一つない。
宿でひと時だけ部屋を借り旅の埃を払い身支度をした。面倒な事ではあったが、男が向かう先を知れば誰もが納得するだろう。彼はこの国の王城を目指している。その使命は小さくない。主の命を受け、この城を支配する者に遣わされたのだ。名目上のではなく、実質上の支配者にである。
城門を前に人の波が途切れると、指示を与えるまでもなく従者が城門の前に立つ衛兵に取り次ぐ。しばらくすると巨大な鉄門が外観にそぐわず思いの他静かに開かれた。些事ではあるが、万一籠城という時、城門はまさに守りの要。よく整備され軋み一つなく開閉される城門は軍規が厳しく守られている証しだ。
隙はなさそうだ。敵に回すと厄介らしい。と、衛兵の横を通り過ぎながら男の顔に皮肉な笑みが浮かんだ。
王城にふさわしい厚みのある城壁は日に照らされても温まらず、ひんやりとした冷気が男を包んだ。くぐりぬける城門は長く、せっかくの陽気に温まった身体が冷えるには十分過ぎ、男は小さくくしゃみをした。従者に聞かれぬように悪態を口腔に飲み込む。
城門を過ぎるとそこに従者と馬を置き、1人控えの間に案内された。ベルトラムが宰相の地位に着いてから国は富み栄えている。綺麗に掃き清められた廊下を渡り通された控えの間には、その国力にふさわしく一流の調度品が据えられ、必要な物はすべて整えられ居心地良い。ただしそれも短い間ならだ。
使いの者を先行させ数日前には本日の到着を伝えたにも関わらず、男が待った時間は短いものではない。明らかに悪意を持っての仕打ちに好意を持ちえず、この豪奢な控えの間も他国の使者に国力を誇示せんが為のこけおどしだ、と皮肉に考えた。
もっとも客観的に見て、男の言い分はずうずうしいものだった。男の主とベルトラムとの立場を思えば、城門を通されただけでも感謝すべき関係なのだ。最悪、城門をくぐったそのまま刑場に引かれてもおかしくは無い。
相当な時間待たされた後、やっと宰相の元へと通された。宰相というには体格が良く、年の割に髪は黒々とし綺麗に後ろに撫でつけられている。顔の皴は深いが、それは老いの為ではなく将軍として戦塵を浴び続けた故、見た者にそう思わせる風格があった。その視線は何の感情も浮かべない代わりに、十分すぎる威圧感を発する。
ゴルシュタット王国宰相ベルトラム。文武に長じ、若き頃は将軍として内外の敵を蹴散らし武功を重ね、さらに文では王に代わり良く国を治めた。すでに50を過ぎているがその覇気衰えず、国内で比肩する者なき実力者である。
「宰相閣下には、ご機嫌麗しく存じ上げます。デル・レイ王国国王アルベルドの使者としてまかり越しました。ラウル・コルネートと申します」
城門をくぐった時の悪態、待たされた時の皮肉をおくびにも出さず、宰相からの威圧に耐えながら芝居がかった動作で大仰に一礼する。その様を宰相は胡散臭げに眺めた。
「デル・レイ王国のご使者と言うが、私に何を求めての御来訪ですかな? アルベルド陛下が求めるもので、私がお力になれるものなど無いように思われるのですが」
「これはこれは宰相閣下もお人が悪い。我が王が何を求めているか、閣下が一番お分かりで御座いましょう」
「いや、一向に分かりかねますな」
あくまで白を切る宰相に、コルネートは内心舌打ちした。ここで引くのは負けたようで気に食わないが、このままでは話が進まぬ。まあここでの勝ち負けなど些事と自身を慰め、相手も十分承知しているはずの本題に入る。
「我が王は、宰相閣下が派遣なさろうとしているリンブルク王国への援軍を、どうか取りやめて頂きたい。そう申しております」
だが、自身も十分予測しているであろうこの申し出に、ベルトラムはワザとらしくも目を剥き驚きの表情を見せた。
「これはこれは、まさかそのような申し出とは。いやはや、アルベルド陛下は御英明な方とお聞きしておりましたが……。いやこれは失礼。しかし陛下は、本気でそう願い、貴殿を遣わされたと仰るのですかな?」
コルネートは、外に出さぬよう少なからず自制心を発揮しつつ再度内心舌打ちをした。
「はい。アルベルド王は、そう願っております」
「それは願うでしょう。リンブルク王国を攻める軍勢を率いてるのは、他でもないアルベルド陛下ご自身であらせられるのですからな。しかし、願う事と、それが叶えられると信じる事は等しくは御座いますまい。そのようなデル・レイのみに利する願いを、どうして他者が叶えてくれるのか。失礼ですが、アルベルド陛下は人の善意を信じ過ぎでは御座いませぬかな」
コルネートが仕えるデル・レイ国王は、数ヶ月前リンブルクに侵攻した。その領土の半分はかつては我が領土であったと、数百年前の地図を持ちだしての主張だった。もっともその主張を、攻められたリンブルクどころか、攻めたデル・レイすら空々しいと考えていた。かつてはデル・レイ王国の領土であったが、それを治める王朝は移り代わっており継続性は無い。家を移り住んだ後、前の住人の別荘の権利を主張しているようなものなのだ。
とはいえ国力を見れば、両国の差は歴然とし比べ物にならない。単独では攻め寄せる大軍を防ぎきれないと判断したリンブルクは他国に援軍を求め、隣国の平和は自国の防衛に利すると、ゴルシュタット王国が応じたのである。
長い前置きにうんざりし掛けていたコルネートは、口元をさりげなく手で隠した。皮肉に笑み作るのを隠す為だ。やっと本題に入れるのだと、控えの間で待たされている間も何度も頭の中で反芻していた交渉の台詞を思い浮かべた。
「いえ、アルベルド王は、自身の益のみを求めているのでは御座いません。宰相閣下のお身を案じ、私を遣わしたので御座います」
「私の身を案じですと?」
「はい。その通りです」
ベルトラムの問いにコルネートは首肯し、探るような目を向けた。あえてその先は言わない。今度はベルトラムが内心舌打ちする番だった。だが、予想外の言葉の、その真意を知りたいという誘惑に抗えない。
「アルベルド陛下が、どう私の身を案じて下さっているのか、お聞かせ願えませんかな?」
一本とり返してやったとの笑みを隠すため、コルネートは大きく一礼した。顔を上げた時には、いかにもベルトラムの為というように真摯な表情を作っている。
「宰相閣下は、若き頃より武勲を重ね、政にも秀で、今日の地位を得るに至りました。ですが、今回リンブルク王国に援軍し武功を成したとして、いかな地位を得られるのでしょうか。宰相の上には既に王位しかなく、万一軍勢を損なえば、今の地位を失います。宰相閣下には、あまりにも割に合わぬ仕儀では御座いませんか」
その言に、ベルトラムは発し掛けた言葉を飲んだ。屁理屈のようでもあるが一理ある。勝っても益は少なく負ければすべてを失う。そのような勝負はするだけ無駄であり、避けられるなら避けるべき戦いだ。しかしベルトラムとて、自身の保身のみを考えている訳ではない。
「随分と見損なわれたもので御座いますな。私が己の地位に恋々とし、国としての利益を考えぬ愚か者であると、アルベルド陛下は仰るのですかな?」
「いえいえ。まさかそのような……。リンブルク王国に援軍をせぬは、ゴルシュタット王国にとっても利する事で御座います」
「なに?」
演技ではなく、まぎれもなく関心を示した様子の宰相に満足しつつ、コルネートは暗記しきった台詞を一語一句間違えず諳んじる作業を開始したのだった。
2ヶ月後。ゴルシュタット王国宰相ベルトラムが率いるゴルシュタット軍は準備が遅れ救援に間に合わず、アルベルド王率いる軍勢は要衝の地であるエーデを落とし、この陥落によりリンブルクは国土の半分を失うに至ったのである。
その後ゴルシュタット軍はリンブルク王国王都に入り、それ以上のデル・レイ軍の進撃を阻んだが、油断は出来ない。再度軍を進める事も考えられる。ベルトラムはそう唱え、本隊は王都に置いたまま諸隊を王国各地の要衝に派遣した。各城塞の将軍達は、援軍を称して入城を求める軍勢を拒む言葉を持たなかったのだった。
この行為にリンブルクの群臣、皆顔色を変えたが、外ではデル・レイの脅威にさらされている状態で内とも闘うなど不可能。リンブルク王国救援を称している為形だけの存続は認められているが、実質、リンブルク王国はゴルシュタット王国の属国と化したのだった。
ゴルシュタット王国では、一本の矢も射ず、剣を切り結ばず、盾を掲げる事もなく、一国を支配下に置いたベルトラムの名声はさらに増した。民衆は歓喜し、国王からも手厚い言葉と恩賞が贈られ、その信頼はさらに篤くなる。日頃から地位揺るがぬ宰相に近づき目溢し願おうと考えていた貴族達も、良い機会であると入れ替わり立ち代り大小の宴を催しベルトラムを持て成す。
その連日の祝いの酒に、ベルトラムは酔いに酔っていた。日頃身近に仕える下人が、ご主人様はどうなされたのか? と訝しいむほどだった。だがその疑問を同僚に話しても、ご主人様だって、たまには酔いつぶれるほどうれしい事もありなさろう、と歯牙にもかけない。下人もそういうものかと納得し、それ以後は気にしないようにした。だが、下人の考えは当たっていた。ベルトラムは胸中に飛来するある思いを打ち消さんが為、連日酔いつぶれるほど酒を浴びていたのだ。
「さすがは宰相。陛下の信任もますます篤く。その地位も安泰で御座いましょう」
合う人々、すべての者からそう言葉をかけられるたびに、ある思いが浮かび、ある言葉が思い出されるのだ。
戦場を駆ける将軍としてはともかく、政治家としては脂の乗り切った年齢である。今まで一つ階段を上るたびに充実感、達成感を覚え生きてきた。そして今宰相の地位にあった。これからずっと、10年、20年そうなのか。ここが終着なのか。それはベルトラムにとって人生の終わりだった。
宰相の上には、すでに王位しかない。




