第47話:バルバールの総司令
サルヴァ王子とギリスがコスティラ軍の移送と軍勢の集結を行っている間に、ディアスもコスティラ王国侵攻に向けて動いていた。
サルヴァ王子を戦場で討ち取れない時はコスティラ軍を生贄に差し出す。それはバルバール王国国王ドイルにも伝え、全権を与えられていた。しかし表向きは、全権を与えられている事をよい事にディアスが独断で行った。そういう事になっている。
あまりの卑怯な手段に国内にも反対者が続出するのは目に見えていた。止める為暗殺という手段に出る事も考えられる。許可を与えた国王と実行するディアス。そのどちらかを暗殺すれば阻止する事が出来る。その状況よりはディアス1人を殺せばよいと思わせた方が守りやすいのだ。卑怯な国王と玉座に就け続けるのはバルバールにとって汚名。そう考える者もいる。
ディアスを信頼する事篤いグレイスに守られ王都に帰還した。国境から王都までに点在する領主達も今回の事はすでに聞き及んでいる。反対派が軍勢を派遣しディアスを討ち取ろうとしてもおかしくはないのだった。
猛将グレイスに守られている事もあってか、襲撃される事も無く王都に辿り着いた。自邸には幼い新妻が待っているが、ディアスは立ち寄る積もりはなかった。
王城へと続く街道。ここを曲がれば自邸に向かうという道を、ディアスが直進するとケネスは驚いた顔を上官に向けた。
「よろしいんですか? その……ミュエルに、あ、いえ、ミュエル夫人に会わなくて」
ケネスは、ディアスとミュエルが結婚した後もミュエルを呼び捨てていたのだが、最近になってそれが対外的によろしくないと気付いたらしい。慌てて言い直した。
「いや、いいんだ。今は一刻も争うんだからね。新妻に会う為に職務を疎かにしたと後ろ指を指されたくはないよ」
肩を竦めて言ったディアスに、確かにとケネスは赤面した。しかしディアスの本心はそれだけではなかった。ミュエルはどう考えているだろうか。それが気に掛かっていたのだ。
小さく可憐で優しい妻が、今の自分には心の支えになっている。それはディアスも自覚していた。その優しい少女は、コスティラへの裏切りをどう思っているのか。バルバール王国とその民衆を守る為。その使命を全てとしてディアスは行動している。そしてバルバールの民衆の中には、確かにミュエルも含まれるのだ。
ディアスもミュエルは信じている。自分を信じてくれていると。だがそれでも生来の優しさから控えめに抗議するのではないか。「幾らなんでも」と言って。ディアスとて鉄の心を持っている訳ではない。柔らかい心を、使命を鉄の鎧として守っているに過ぎない。
もはやディアスにとってミュエルはバルバール民衆の象徴だった。その彼女に僅かながらでも否定されては、その鉄の鎧が砕かれかねない。それゆえに今は妻に会う事を避けたのだ。
王城に着くと文武の閣僚達と会議を行った。
ランリエル軍によるコスティラ王国侵攻を遺漏無く進ませる為には、全閣僚の協力が必要だった。ランリエル軍がコスティラ攻略中にバルバールの反対派がその退路を断てばどうなるか。それでランリエル軍が壊滅するならよいが、圧倒的軍勢を持つ彼らである。食料はコスティラ国内で徴収すればよく、武器すら軍事拠点を落とせば手に入る。
今更バルバール軍が何をしてもコスティラ侵攻を妨害するだけの域をでず、その代償はバルバールの滅亡である。必ず全閣僚の同意を得なければならない。
「バルバール王国は東西を大国に挟まれている。そのどちらかと組み、防衛するという事も考えられる。だがまったくの善意のみで力を貸してくれる訳がない。必ず我らにその代償を求めてくる。軍事費の提出、領土の割譲。相手の国を攻めるその先兵に我が軍が借り出される事もありえる」
「確かにそれらは求められるだろう。しかしそれでも一時の事。とにかくコスティラは我が国に援軍してくれたのだ。それを裏切ってランリエルにコスティラを攻め滅ぼさせようなど、到底承知出来ようはずもない。ランリエル軍が我が国内に入る。それも好ましくない」
ディアスの発言に早速カンナスが反論した。文官で民生を担当する大臣である。国内に入ったランリエル軍が裏切り、コスティラではなくバルバールを制圧する。それを危惧している。
「いや、一時の事じゃない。おそらく永遠にだ。険峻な東西の国境。その片方だけを防衛するなら守り続けられる。それは我らが証明してきた事だ。戦いは永遠に続く。それにランリエルを拒んでも、現在の彼我の戦力を考えれば彼らは力ずくで国境を突破する事も可能だ。万一にではなく、それこそ間違いなくバルバールは滅亡する。今ランリエルを拒んでも意味は無い」
「確かにそうでしょう。もはや我が軍の戦力ではランリエルに対し得ない。しかしコスティラと組み続けていれば、ランリエルを国境で防ぐ事も出来たのではないですか」
「その通り。国境で防ぐ事はできた。しかし再度の侵攻に備えなければならない。コスティラに対しても必要な時だけ手を結ぶのは不可能だ。常から彼らは要求するようになる。国境付近の領土の割譲。それを提示されても、断ればランリエルとの戦いに援軍しないとなれば飲まざるを得ない。コスティラ軍がバルバール国内に入るのも容易となる。今ランリエルに降服するのと大差はない。それに――すでにコスティラとの関係を修復するのは不可能だ。今更コスティラと組んでの防衛を想定しても意味は無い」
ディアスの反論にカンナスは苦々しい顔で押し黙った。コスティラとの関係を悪化させた当のディアスの言葉は確かにずうずうしいと言えるものだろう。
文官を中心としたディアスへの反論はなおも続いた。軍の実戦部隊の最高位であるディアスに、武官達は遠慮があるように見えた。しかし意外にも、そこに1人の武官が発言した。
老将のラポラだった。老齢の為今回の戦いには参加せず、予備役として王都に控えていた。しかし軍の古老としてその影響力は侮れない。深い皺の奥に見える目が鋭くディアスを射抜いた。
「コスティラ軍を生贄にしランリエルに降服する事がバルバールに利する。総司令のお言葉でそれはよう分かり申した。しかし人には利ばかりではなく、誇りというものも御座いましょう。我が身可愛さで他を差し出し保身を計るとは、誇りある行為とは言えませんな。人には、死すとも護るべき物がある。とは思われぬのですかな」
そう思うなら、お前1人で戦えばいい。ディアスはかろうじてその言葉を飲み込んだ。
誇りの為に戦うといえば、多くの軍人達が立ち上がる。名門の貴族、それらの者達も名を汚さぬ為と参戦するに違いない。だが国民の多くは、その軍人でもなければ貴族でもない。彼らの誇りの為に、大多数を占める民衆に被害を出す事は出来ない。
もっともディアス自身、バルバールを代表する武門の名流の当主である。そのディアスが軍人としての誇りや名誉にとらわれないのは、望んで軍人になったのでは無い事が大きく影響していた。
そしてこの会議はディアスを除けば、誇りや名誉を重んじる者達だけが参加していると言えるのだ。精々彼らの面子が立つようにして収めなければならない。
古老のラポラに対し、幾分丁寧にディアスは答えた。
「確かにバルバール騎士としての誇りを忘れる訳にはいかない。だからこそ、今の屈辱と汚名に耐えるのです。今激情にかられ戦えば、バルバールは滅びるでしょう。国を滅ぼして何の名誉と言えるのですか。今は雌伏し、他日を期して真の独立を目指す。それこそが名誉あるバルバール騎士の取る道とは思われませんか」
「確かに国を滅ぼすなど、王国を守る騎士として言語道断。しかし我らが死を覚悟し奮戦すれば、いかなランリエルが強大でもいかほどの事があろうか。打ち破り追い返してくれるわ!」
「死を覚悟してと言っても、それだけで勝てる相手ではありません。いや、死を覚悟し多くの犠牲を出して勝てたとしても次の戦いはどうするというのです。結局はバルバールの軍人が死に絶え、それで滅亡するだけではないですか」
「何を言うか! 我が国には国を憂う男子など幾らでも溢れておるわ! 敵が来ればそれらの忠義に士を徴集し敵に当たらせればよい。いずれ敵も根を上げ諦めよう。そうすればバルバールは守られる。みなもそう思うであろう!」
ラポラは激しく怒鳴ると参加者を見渡した。その勇ましい激に多くの武官が頷き、文官達も異論はなさそうだった。
侵略される度に全軍死兵となり敵に当たる。死んだ分だけ次々と兵士を徴集する。確かにそこまでの狂気を行えば両大国を相手にしても守りきれるかも知れない。ディアスとてそう思った。だがそこまでして守ってどうしようというのか。
農村は働き手を失い田畑は荒れ果てる。国力は低下し動員できる軍勢も減る。兵士を集めても、それを食わせるだけの国力が無くては戦場には連れて行けないのだ。そして減った軍勢を補う為には、さらに死兵とならざるを得ない。
いずれ両大国はバルバールを攻めるのを止めるだろう。諦めたからではなく、獲る価値のない荒廃した土地と判断されてだ。
確かにバルバール王国という名称は残る。荒廃した死の国の代名詞として。それこそが、真の滅亡ではないか。それから数百年の歳月をかけ復興し、豊かな国土を取り戻せたとしても、そうなればまた大国からの侵略である。そしてまた死の土地となるまで抵抗するというのか。それをさせないが為のランリエルへの降服なのだ。
閣僚達への説得は難航を極めた。彼らの発想は何処までも王国を守る事が第1である、その次に国を豊かにし民を守る事である。言うなれば、民を守る事は二の次とも言えるのだ。
会議は平行線を辿った。始まった時には東にあった太陽が、大きく西に傾いていた。多くの者が怒鳴るようにしてディアスを詰問し続け、ディアスは冷静に答え続ける。今まで目を瞑り口を噤んで他の意見に聞き入っていた宰相のスオミの、白い顎鬚に隠れた口が動いた。
「国王陛下の御裁断を仰ごう」
その声に怒鳴り声を上げてた武官は口を閉ざし、みなの顔が宰相へと向いた。
「なるほど。それは良いお考えです。ランリエルに降服するかどうかは、陛下に――」
「そうではない。フィン・ディアスの総司令罷免についてだ」
追従する若い文官を遮った老宰相の言葉に、多くの者が狼狽した。降服するという意見には反対だが、実際戦うとなるとやはりディアスだのみ。その思いがあったのだ。
「フィン・ディアスは陛下から全権を与えられていると称し、ランリエルに降服を申し入れている。それを違える事は、王国としての違約となる」
みなの視線が宰相からディアスへと移る。王国としての違約と取られずに降服を反故とするならば、ディアスの独断であったと内外に説明しなければならない。ならばディアスが総司令の職に留まる訳には行かないのだ。降服の反故とディアスの解任。それは同義語なのである。
バルバール王国国王ドイルに、決断が委ねられる事となった。
文官、武官、皆の視線が集まる中、バルバール王国国王ドイルは謁見の間に静かに姿を現した。玉座にたどり着くとゆっくりと座る。
その前に、バルバール軍総司令フィン・ディアスが跪いていた。
国王が玉座に座したのを確認すると、左右に居並ぶ群臣達からディアスへの糾弾が始まった。
「ディアス殿は、降服せねばバルバールの生きる道はない。そのように訴えておりますが、私にはそうは思えません」
「その通り、ランリエルに降服してしまうなど、全く何を考えているのか! 売国奴としか言いようがありませぬ!」
「しかも、援軍としたコスティラ軍をも売り渡すとは人とも思えぬ所業!」
「まったくです。過去のわだかまりを捨て味方してくれた者を売るなど、常人なら考えもせぬ行い。人々はそう申しております!」
「バルバールの名は、地に落ちましたぞ!」
そして、その原因を作ったディアスを総司令からの更迭、いや、処罰しろと訴えたのだ。会議の場とはみなの口調も大きく変わっていた。ドイル国王は軍事、政治に関しては適任者に任せ、その後はそれらの者の進言に首を縦に振るだけと言われている。国王に軍事、政治的判断力など無いとみなは考えているのだ。
それゆえに、理ではなく場の勢いで持ってディアスを罷免させようとしているのだった。ディアスへの罵詈雑言は激しさを増していった。
元総司令となるべき男への糾弾は長く続いたが、遂に吐く台詞も言いつくした群臣達は、国王陛下の判断を待った。
ドイル国王は、語呂の少ない人物としても知られていた。言語能力に独創性をまったく持たず、あらゆる式典で述べる言葉の数は、その式典の種類しかないと言われている。戦勝、祝賀、年末年始の臣下との席。それらはすべて、名詞と年号が違うだけの同じ言葉なのだ。
この時も国王は、全く独創性の欠片もない言葉を発した。
「バルバール軍総司令は、フィン・ディアスである」
そして王座から立ち上がると、謁見の間から退室してしまったのだ。主の居なくなった王座に向い、現総司令は深く頭を垂れた。