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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第45話:総司令の望み、王子の決断

 大国の軍勢の本陣として、戦中でも多くの火が灯されていた。その中、ランリエル軍総司令官、サルヴァ・アルディナは重大な決断をしようとしていた。


 バルバール軍総司令からの提案に乗るべきか否か。

 サルヴァ王子もすぐには判断しかねた。利だけを考えればランリエルに益する。それは間違いない事だ。そしてバルバールにも。コスティラだけに、すべての犠牲を押し付ける事になる。


 長年の仇敵に対して援軍として参戦し、それが裏切られる。自分がその目に合うと考えれば、とても許せる行為ではないのだ。利はともかく、人の情として受け入れがたい提案だった。


 傍らにいるギリスも、黙って王子を見守った。ギリス率いる帝国軍もこの戦いには参加している。無関係ではなく意見を述べる権利は有している。それでも王子の決断を待った。


 この戦いでランリエルに援軍せず、その背後を襲うという選択肢もギリスには有った。ランリエル軍の退路を断っていた敵軍を討たず、むしろ使者を遣わして加勢を申し入れていれば、サルヴァ王子を討ち取る事も可能だった。


 実際ギリスも戦場に到着しランリエル軍が危機であると知った時、まったく迷わなかった訳ではなかった。しかしランリエルに味方すると決意し、帝国を発した。それは帝国支配の実権を握るサルヴァ王子に帝国の未来を託したとも言える。十分熟慮し考えた末の決断だった。それを目先の誘惑に駆られ、捨て去る事はしなかった。


 甘い誘惑。サルヴァ王子にとっても、バルバール軍からの申し出はそう言えるものである。その誘惑に乗るか否か。それを持って改めてサルヴァ王子の器量を計る事もできる。もし嬉々として提案を受け入れるような事があれば、王子がその程度の者であれば、自分には人を見る目が無かったという事だ。到底、帝国の未来を託す事など出来ない。ギリスはそう考えていた。


 微動だにせず思案に更ける王子の横顔を、ランプの火が照らす。王子の目は見開かれてはいるが、その瞳には何も映ってはいないだろう。すべての意識を、思考のみに集中させているはずだ。ギリスも微動だにせずそれを見守り続けた。


「フィン・ディアスに、会わねばなるまい」

 長い沈黙の後、サルヴァ王子がポツリと言った。ギリスもそれに頷いた。


 ギリスと同じように黙って王子の言葉を待ち、後ろに控えていたルキノに、王子は振り向いて言った。

「フィン・ディアス殿にこちらにお越し頂けないかと、書簡を携えてきた使者に伝えてくれ」

「は。分かりました。早速」

「いや。ならば、書簡を届けに来たというその男を呼び寄せましょう」

「御使者を?」


 ルキノが訝しげな顔をギリスに向け戸惑っている。そちらの総司令を呼び寄せて欲しい、という事を伝える程度、わざわざ使者を連れてくる必要は無い。だが、ギリスの言葉にサルヴァ王子も何かを察したようだった。

「そうだな。その使者をここに呼んでくれ」

 と、ギリスの言葉に同意した。自分だけが取り残され、僅かながら不快なものを感じた副官は、ギリスを一瞥し本陣の天幕を後にした。



 ルキノに伴われやって来た使者は、足を引きずっていた。古傷という訳ではなく今回の戦いで傷を負ったらしい。巻かれた包帯からは血が滲んでいる。わざわざ負傷している者を使者に出さなくてもと、ルキノは相手が敵陣営の者とはいえ気の毒に思いながら案内してきた。


 サルヴァ王子とギリスは、その使者の一挙手一投足を見逃さないように視線を送った。だがルキノには両総司令がなぜそこまでこの男に関心を持つのかが分からない。足の負傷を別とすれば、特に変哲もない。いや、むしろ軍人としては勇猛そうには見えず、使者が必要な時に、と従軍した文官が戦闘中に負傷した。そんなところかと考えていたのだ。


 使者が王子の目の前で進んだが、礼儀に反し跪かない。もっとも負傷している足の為だろうと、ルキノは理解し咎めようとも思わなかった。むしろサルヴァ王子とギリスが僅かながら姿勢を正したように見えた。

「ランリエル軍総司令官。サルヴァ・アルディナだ」

「カルデイ帝国軍総司令。エティエ・ギリスと申します」

「バルバール軍総司令。フィン・ディアスです」

 唖然とするルキノの前で、三国の総司令は一堂に会したのだった。



 ただの一使者と思っていた男が、ランリエル軍を敗北寸前にまで追い詰めた敵将であると一瞬立ち尽くしたルキノだったが、我に返るとすぐに会談の用意を行った。さすがにサルヴァ王子にその能力を認められて、副官を務めているだけはある。


 ディアスが足を負傷している事もあり、三司令官は卓を囲み椅子に腰かけて会談を行う事になった。もっともギリスは傍観の構えである。サルヴァ王子の左横に座り左肘を置いている。右腕は卓の下だった。まずサルヴァ王子が口を開いた。

「総司令自らが敵陣に乗り込んで来るとは、大胆な事をするものだ」

「両軍の本陣を行き来する時間はありません。夜明けまでには行動を起こさなくてはなりませんので。それにサルヴァ殿下もギリス将軍も、私自身が使者となっている事は、察しておいでのようですし」


 夜が明けても戦いが再開しなければ、コスティラ軍も不審に思う。コスティラ軍を差し出しての降伏。その決定と行動は、その前に行わなければならない。それを持ちかけたディアスが急ぐのも当然だった。


「それで、あの降伏の条件についてだが……本気なのか?」

 確かにバルバールに利する決断ではある。総司令自身が敵陣までやって来ておいて今さらなのだが、卑劣過ぎる手段でもある。本気でやる気なのかと、サルヴァ王子は問わずにはいられなかった。


 そのサルヴァ王子の心中を知らぬかのように、

「本気です。そうしなければバルバールが窮地に陥りましょう」

 と、ディアスは事も投げに言った。ディアスとてこの行為が、後ろ指差されるものである事は分かっている。だがここで弁解するような事を言っても仕方がない。そんな事をしても見苦しいだけである。


「勿論、バルバールだけにではなく、ランリエルにとっても利する話です。そうでなくては降伏の条件とはなりません」

「つまり、コスティラ王国を差し出すという事か?」

「はい。そうです」


 ランリエル王国への降伏。当然バルバール王国は、ランリエル軍が国内に入るのを是としなくてはならない。その状況でコスティラ軍2万がここで壊滅すればどうなるか。コスティラは、周辺諸国への抑え以外の全戦力を投入しているのだ。それが消滅すれば丸裸である。


 国内の軍勢を集結させたとしてもコスティラの戦力は3万。決死となり、貴族達から無理やり集めても精々4万から5万といったところだ。それに対しランリエル軍は、バルバール海軍からの攻撃を受けなければ10万以上を集められる。さらに帝国軍とバルバール軍が加わる。ほぼ4倍の戦力が投入できる。


 しかもそれを統率するのは、サルヴァ王子にエティエ・ギリス。そしてフィン・ディアスなのだ。勝負にならないはずである。


「だが、そうなるとバルバール王国は、我がランリエルの勢力に両端を抑えられる事になる。それこそ絶体絶命の窮地なのではないか?」

「はい。もし殿下が我が国を攻める気になれば、バルバールは今以上の危機に陥りましょう。ですが、我が国もそう短期間で滅びるものではありません。戦いが長引けば、せっかく獲ったコスティラ王国、それを手放す事になります。それでは割が合わないでしょう」

「つまり、コスティラの方がバルバールより大きいのだから、欲をかいて小国などに手を出さず、大国を取ったという事に満足しておけ。そういう事か?」

「ありていに申しますと、その通りです」


 やはりそうか。ディアスがどこまで考えているか、それを知る為の質問だったが、ディアスの答えは王子の予想通りだった。小国が大勢力に両端を抑えられる、その危険を、小国であるという事を逆手にとって回避しようというのだ。


「確かに貴国にも、我が国にも利する話ではある。だが、その生贄の羊となるコスティラ王国が憐れとは思わぬのか?」

「憐れ?」

 ディアスの口元に一瞬冷笑が浮かび、すぐに消えた。だがそれだけに、それが本心からの物とサルヴァ王子は察した。そしてその冷笑が、自分に向けられたもののようにも感じたのだった。

 小国が生き残る為、形振り構わない手段をとるのは当たり前。それを大国が非難するのは強者の論理。アリシアはそう言ったが、やはりディアスもそう考えているという事か。そして小国を攻めた大国という事ならランリエルも同じなのだ。ディアスにしてみれば、大国の王子に非難される筋合いはない、そういう事なのだ。


「大国コスティラは、過去長きにわたり何度もバルバール王国を攻めてきた。それを考えれば、一度の裏切りなどいかほどの事があるのか。そう言いたいのか」

「そういう事もあります。ですが、それ以上に、余りにも彼らは考えが甘い」

「甘い?」

「そうです。過去コスティラは何度も力に任せて攻めてきた。こちらは一度でも負ければ国が亡ぶ。それほどの戦力差です。何度も殴り続けてきた、いや、殺そうとしてきた相手が、どうして自分に素直に従ってくれると思うのか。信用する方がおかしい。とは思いませんか?」


 そうは言いながらも、ディアスの本心から言葉ではなかった。ディアスの行動原理はバルバール王国とその民を守る、ただそれだけであり、今回のコスティラ軍への裏切りも、その方法の一つでしかない。たとえばカルデイ帝国から攻められた事など一度もないが、バルバール王国を守る為ならば帝国を売る事も厭わない。


 だが自分の行為が常識的には受け入れられないものである事も、ディアスは理解していた。それにはまずその行為を、正当とまでは行かなくとも、やっても無理はない、そう思わせる事が必要だった。


「だが、軍人としての貴公の誇り、名誉はどうなる? 今回の行為により今まで築き上げてきた貴公の名声は汚泥に塗れよう」

 その言葉に、ディアスは目を瞑り、微かに俯いて首を振った。

「殿下。大国に狙われた小国には、その誇りや名誉を考える余裕すらないのです」


 それを考えられるのは、誇り名誉を考えて戦い、なお勝てる強者の慢心というものだった。だからこそ、小国であるバルバールがランリエルやコスティラといった大国と五分に渡り合えたのだ。勿論、一個人、一軍人ならばそれを考えても良い。むしろそれが無くては、軍隊はただの野盗と化す。しかしそれを率いるディアスには、手段を選ぶという事が禁じられていた。


「今回の事は、ランリエル、バルバール共に利する事です。確かにコスティラ一国にすべてを負わせる、という事になるでしょう。ですが、それは彼らの油断です。彼らが、自分達の勝利というものを真剣に考えれば、他にも取るべき道もありました」


「それはバルバールに味方しないか、味方すると言いながらも戦場を遠巻きにし、両軍が疲弊した時に討つという事か?」

「いえ、違います。少なくとも私がコスティラ軍に居れば、他の方法を取るでしょう」

「ほう。では、その方法とは?」

 ディアスが何を考えているのか。サルヴァ王子は興味が引かれた。ギリスと共に戦い勝てた事により、フィン・ディアスとて知略において、自分達よりはるかに優れている訳ではない。そうは考えてはいるが、思想に大きな違いがある事も分かっている。そしてその思想の違いが、生み出す戦略に大きな差となっている事も。


「失礼ながら殿下。私がコスティラ軍に居ても、やはり貴方の命を狙う事になるでしょう」

「しかし私が死ねば、バルバールはコスティラと組む必要が無くなる。それはコスティラに取って、ありがたい話ではないと思うが」


「はい。それだけならばそうでしょう。ですが殿下を討った事をしばらく秘匿し、隙をついて国境まで後退、封鎖するのです。コスティラ軍2万といえど国境は険峻な地形。4万のバルバール軍でも短時間で抜くのは不可能です。その間に殿下を討たれ復讐に燃えるランリエル軍に、バルバール軍は皆殺しに合うでしょう。ランリエル軍が全軍集結すれば戦力差は絶望的です。そして軍勢が消滅し空となったバルバールを制圧するのは、2万で十分。バルバールはコスティラの物となるでしょう。そしてランリエルも殿下が討たれたとなると、帝国との関係も怪しくなります。外征どころではありません」


 サルヴァ王子は黙って耳を傾け、ギリスも興味深そうに視線を向けている。ディアスがここまで説明するのにも訳がある。コスティラも上手くやれば、多くの利益が得られた。それを説明する事により、それをしなかった彼らの落ち度、そう印象付けようと考えていた。


「コスティラ、バルバールを合わせればその海軍力は圧倒的です。ランリエルが帝国と争っている間にバルバールを鎮める事が出来れば、さらにランリエル、帝国をも、その手にする事も可能だったでしょう。彼らはその機会がありながら、それに気付かず見逃したのです」


 ランリエル、バルバール。その両国を敗北させコスティラのみ勝利する、それが彼らには可能だった。それを見過ごした為、コスティラのみが敗北する、その状況を招いた。ディアスはそう主張しているのだった。


「しかしそう上手くいくものか? かなり幸運に恵まれなければ、私を討ち、さらに隙を突いて国境を封鎖するなど不可能と思えるが」

「いえ、殿下。私は幸運などを期待しません。危機を打破する為には、どうなっていれば良いのか。その状況を作る為には、何が必要なのか。それを考え実行するだけです」


 状況を作る為必要ならば、卑怯、卑劣と言われる事すら意に介えさず実行する。そこまでディアスは言わなかったが、耳を傾ける両総司令には伝わった。ランリエルとカルデイ帝国は長年にわたり戦ってきた。両国の国力はほぼ互角である。コスティラという倍する国力の国に攻められ続けていたバルバールに比べ、どこか甘いところがあると言うのか。


「確かにディアス殿の言われる通り、コスティラにも勝機はあった。それを見逃したのも彼らの落ち度、それもその通りかもしれん。だが、それとコスティラを滅ぼすかはまた別の話だ。国を滅ぼすほどの落ち度、とは私には思えないが」

 ディアスの言う事もわかる。しかしランリエルがそれに付き合うかは、別の話である。


 やはり一筋縄ではいかないか。ディアスは若干落胆したが、表情に出さず抑え込んだ。勿論諦める積りもない。ランリエルの再度の侵攻をバルバールは防ぐ事が出来ない。その危機を乗り越える為には、ランリエルがバルバールを攻めるその理由をなくすべきだった。それはランリエル軍がバルバール王国を通過する事。ディアスはそう読んでいた。


 サルヴァ王子はバルバール攻めを急いた。もう少し時をかければ、海軍力にしてもバルバールを圧倒出来た。その時間を惜しんだ。それはバルバールを征服するのが終着点ではなく、その先がある。それを物語っていた。ならば、通してやれば良いのだ。コスティラを攻め、滅ぼし、さらに進めばよい。


 確かにディアスの推測は当たっていた。少なくとも王子がバルバール攻めを決断した時には、老将ダヴィーデが危惧したとおり、バルバールの先にあるコスティラどころかさらにその先。自らの力が及ぶ限りすべての国々を征服する。その積もりだった。


 だが、ディアスも薄々感じてはいた。調査した過去のサルヴァ王子と、現在のサルヴァ王子。その人物に違いがあるのだ。それは戦いが始まってから気付いた。気性が激しく、戦いを求める。そのはずが、いざ戦ってみると極力戦闘を避けるかのように見えたのだ。それからすると、バルバールを征服せずに通過させ、コスティラを滅ぼし先に進む。その提案にサルヴァ王子が乗ってくるのは難しい。


 サルヴァ王子にバルバールを攻める気がなくなった。それならそれで当面は大丈夫だ。バルバールは以前と変わらずコスティラのみを相手とし、ランリエルはその国力を帝国支配に集中する。問題はその後である。サルヴァ王子の気が変わらないという事をディアスは信じてはいなかった。たとえ王子の気が変わらなくとも、その次の世代がバルバールを欲するかもしれない。


 その時になって、バルバールを通過しコスティラを攻めろと提案しても、そう簡単には行かない。コスティラの国力が万全の体勢ならば、いかな大軍といえども倒すのは難しい。コスティラとの国境は険峻な地形。倍する国力のコスティラからの攻撃をバルバールは防ぎ続けた。その逆の事が起こる。


 バルバールを通過しそのままコスティラを制圧出来るのは、現在の状況であってこそだった。バルバール王国の運命は、今この時。夜が明け、戦いが再開するまでの間に決まるのだ。


「殿下。私にとってバルバール王国を守るという事は、他に変えがたい事です。殿下にとって、ランリエル王国を守るという事は、そうではないのですか?」

「勿論私にとってもそうだ。しかしだからと言って、他の国に何をして良いというものではあるまい」

「ですが、そうしなければランリエルが滅びるとすれば、いかがなさいますか? 他国に酷い事は出来ないからと、ランリエルを滅ぼすと言うのですか? どのような手段を使ってでもバルバール王国を守る。私が考えているのはそれだけなのです」


 ディアスにしても、情に訴えるのは本意ではない。しかしバルバールを守る為には手段を選ばない。それはディアスに取って偽りのない決意だった。自身の心情すらも枷にはならない。


「自身に取って大事で無いものに配慮した挙句、大切なものを失う。それはおかしい事だとは思いませんか? 殿下」

「しかし、コスティラを攻めるという事は、単に軍勢と戦うという事ではない。その民を、無辜むこの民を攻めるという事だ。味方したはずの軍勢に裏切られ、また民が虐げられる。それをどう思う」

 バルバールを攻めたのは自分も同じ。それを考えれば、どの面を下げて、そうは思いながらもサルヴァ王子は言わずにはいれなかった。バルバール攻めを決めた時の自分では、考えもしなかった事でもある。それが変わったのは、アリシアと出会ったからだろうか。それとも、セレーナとの別れの為だろうか。


「コスティラの無辜の民を攻める。確かにそうでしょう。否定はしません。ですが、それではバルバールの無辜の民はどうなるというのです? 大国が、強大な力を持って正々堂々と戦い勝ち、無辜の民を攻めるのは良く。小国が、卑怯な手を使って勝ち、無辜の民を攻めるのはいけない。それが、正しい事なのでしょうか。いえ、正々堂々と戦うのが正しいのでしょう。そして、卑怯な手を使うのは、やはり正しくはないのでしょう。ですが、小国は卑怯な手を使ってでも、生き延びなければならないのです」


 ディアスの提案を受ければ利は有る。しかし人の道として正しくはない。だがディアスは、正しい事に何の意味がある、そう言っているのだ。正しくはなくとも、小国は、人は生きて行かなくてはならない。


 ディアスのその言葉を受け、サルヴァ王子の脳裏に、アリシアの姿が浮かんだ。

(強い者が弱い者に、戦い方まで求め、それを外れれば非難する。それは傲慢、と言うものではないのですか?)戦いの最中、一度王都に帰還した時、彼女はそう言ったのだ。ディアスの言う事も、そういう事なのだ。


 どちらが正しいか。それを考えても意味が無いというのか。利を考え、ディアスの提案を受ければコスティラの無辜の民が攻撃を受ける事になる。正しくないからと提案を拒めば、いずれバルバールの無辜の民が攻撃を受ける。次期国王たるサルヴァ王子とて、自分の次の世代の事までは確証出来ない。どうすべきか。


 しかし、まだ疑問がある。

 バルバールを通過しコスティラを征服しても、確かにすぐには収まるまい。コスティラを抑えるだけの戦力を常時置いておく事も、経済的負担を考えれば不可能だ。精々何か有った時に、ランリエル本国からの救援が来るまで持ち堪える。それだけの戦力しか置けない。ゆえにその間にあるバルバールと事を構える訳には行かない。そのような事が有れば、コスティラに置いた軍勢は皆殺しの目に合う。


 だがそれも、いつかは終わる。コスティラが大人しくランリエルに従うようになる日も、遠い日ではあろうがいずれ来るのだ。その時こそバルバールは両端から攻められ、滅びる。ディアスはその可能性に気付いていないのか。その時、バルバールの無辜の民は、やはり攻められるのではないだろか。サルヴァ王子の次の世代か、その次の世代に。


「我が軍がコスティラを滅ぼし、そして無事に収めきった時、それこそバルバールは滅亡の危機に瀕するのではないのか? それは考えないのか?」

「確かにその危険は有ります。ですがそれも先の話です。少なくとも、数年後にコスティラとランリエル。両大国に挟まれる事に比べれば。遥かに未来の事と言っていい。その間に何があるかは、それこそ誰も見通せないのです」


 言外に、たとえコスティラを取ったとしても、その統治が上手く行くとは限らない、そう言っていた。それはある意味サルヴァ王子への挑発とも取れる。本当にコスティラを従える事が出来るかは、サルヴァ王子の手腕次第。そういう事なのだ。


 王子には、それが挑発である事は十分理解できた。そして傍らにいるギリスにも。

「ディアス殿。私がいる事をお忘れなく」

 突然割り込んだギリスに、サルヴァ王子とディアスの視線が向いた。1人は意外そうに、もう1人は探るように。


 ディアスには、ギリスのいう事の意味が瞬時に理解できた。無論、ただ自己の存在を主張したという事ではない。サルヴァ王子に征服された国の軍総司令が、その王子の援軍として今ここにいる。その意味を考えろ。そう言っているのだ。


 ディアスは、今まで王子に向けていた身体を、僅かながらギリスへと向けた。

「今回の事でコスティラが征服されたとすると、彼らは我等に強い憎しみを抱くでしょう。助けて欲しいと求めた挙句、バルバールはそれを裏切るのですから。ランリエルに対しても、初めから打ち合わせていたのではないのか。そう考えるでしょう。その統治は難しい。力で抑え付ければ、逆にその憎悪の火は燃え上がる。それを消すには、余程の善政を敷くしかありません」


 今度はギリスが、探るような目をディアスに向ける番だった。

 貴方のいう事など分かっている。ディアスの言葉から、そう感じ取った。しかしならば、それこそバルバールは滅亡である。ディアスはそれを是とするというのか。


「善政を敷いた国に東西を挟まれる。その善政を敷いた国が小国を攻めるのか。それとも攻めないのか。そのどちらになるかまでは私には分かりません。攻められないのなら運が良い。そう考えるしかありません。攻められるとするならば……。バルバールは滅亡するでしょう。それこそ抵抗する事すら、無意味なほど容易く。戦わずして降服する。それも考えられます」


「それが、お前の……。いや、貴公の望みというのか」

 サルヴァ王子は、ディアスの考えに一瞬、我を忘れるほどだった。ディアスの使命はバルバール王国とその民を守る事。だが大国に挟まれ、王国の命運は尽きたと言っていい。それでもディアスは、民を守るという事を諦めた訳ではない。その手段として、善政を敷く圧倒的な大国に戦う事なく、民を戦火に晒す事なく降服する。それを望んでいた。


 大国の国力を背景に、大国コスティラに連年攻められているバルバールをさらに攻めた。滅亡を覚悟させるほどに小国を追い詰めたのだ。その責任がサルヴァ王子にはあった。今バルバール攻めを取りやめたとしても、いずれ他の者が『サルヴァ王子すら無し得なかった、悲願であるバルバール攻めを成功させる』そう唱えて再度侵攻する事も考えられる。

 無かった事に出来るものではない。


 サルヴァ王子の問いに、ディアスは答えず静かに目を閉じた。ディアスは今回の事で拭いきれない汚名を着る。それを招いた自分が、正々堂々と戦う事に執着し、綺麗なままでいようと言うのか。


「分かった。コスティラを攻めよう」

 その言葉にディアスは目を開け頷いた。ギリスが卓の下で剣の柄から右手を放した。サルヴァ王子が利のみを考え、コスティラ攻めを決断するなら、斬る積もりだった。

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