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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
77/443

第44話:決戦(8):裏切り

 バルバール、コスティラ連合。ランリエル、カルデイ帝国連合。ボルディエス大陸東方地域を、さらに東西に分けた両連合軍の戦いは日の出を待って開始された。

 これまでの戦闘により、西軍と称すべきバルバール、コスティラ連合軍の戦力は約5万5千。東軍であるランリエル、カルデイ帝国連合軍は3万5千である。戦場の北側でバルバール軍とランリエル軍が対峙し、南側ではコスティラ軍と帝国軍が向き合っていた。


 戦いは戦力に勝る西軍からの攻勢で始まった。東軍はよく防いでいたが、それを率いる両総司令は西軍の動きに首を捻った。バルバール軍は単独でも東軍の全兵数を超える戦力を有する。それがまったく精彩をかいている。積極的に攻勢に出るコスティラ軍に対し、あまりにもその動きは愚鈍だった。突出したコスティラ軍は、バルバール軍が後に続かないのに気付いて、慌てて後退する有り様である。


 この状況に、帝国軍を率い指揮を執っていた帝国軍総司令ギリスは、ランリエル軍本陣に自ら馬を走らせた。


「サルヴァ殿下。バルバール軍の動き。どのように見ますか?」


 険しい表情で戦況を眺めている王子の前まで進んだギリスは、馬から降りつつ問いかけた。視線を前に向けたままその声を聞いていた王子は、その問いに答えず沈黙し前を見続ける。


 予想以上にコスティラ軍は精強だった。バルバール軍に対し敗北を重ねてきた事から、コスティラ軍をどこか甘く見ていたサルヴァ王子には誤算である。負け続けでも歴戦の戦士達。そういう事らしい。先年戦いが起こるまで、しばらくの間戦いがなかったランリエルや帝国とでは場数が違ったのだ。


 しかしその精強なコスティラ軍に対し、東軍は優勢に戦っていた。バルバール軍がほとんど戦闘に参加していない為である。コスティラ軍2万に対し、東軍はそれを遥かに超える軍勢で迎え撃った。コスティラ軍と対面する帝国軍だけではなく、ランリエル軍も防衛に参加していた。


 長い沈黙の後、サルヴァ王子が口を開いたが、やはり視線は前に向けたままだった。

「我らとコスティラとを戦わせ、疲れた時を狙って動く気かもしれん」

「しかし、立場的にはバルバールの戦いにコスティラが助力している。その関係のはずです。それを捨石のような役割をさせては問題がありましょう。コスティラが唯々諾々と承知するとも思えませんが」

「確かにそうだ。そうなのだが……」


 言い澱む王子に、ギリスも視線を王子から戦場に向けた。

「確かにそうでないのなら、バルバール軍は敢えて勝機を逃している事になりますな」

 帝国軍は柵を張り巡らせ陣を構えてコスティラ軍を迎え撃っているが、敵は帝国軍の2倍である。しかも予想以上の精鋭だった。ランリエル軍からの支援が無ければ相当の苦戦を強いられる。


 ここでバルバール軍が全軍を持って攻勢をかければ、ランリエル軍は帝国軍への支援をする余裕がなくなる。それだけで敗北する訳ではないが、現在より遥かに劣勢に立たされる事になるはずだ。この機を逃し、コスティラ軍が疲弊してから参戦しても戦力の逐次投入でしかない。


 今までの戦いを見ている限り、バルバール軍総司令フィン・ディアスは相当な人物のはず。何か裏があるのだろうが、その裏が読めない。


 敵将の思考を追う為戦場を眺めていたギリスは、不意に妙な気分に襲われた。この前の大戦では、戦場を眺めれば自分の視線の先にサルヴァ王子が居て、サルヴァ王子の視線の先に自分が居たのだ。それが横に並び、同じ敵将へと戦場を眺めているとは。


 あの時戦場には、さらにベルヴァースの老将グレヴィも居た。圧倒的な戦力差にサルヴァ王子を討ち取るしか手はないと考え、王子の策略を逆手に取って攻勢に転じたが、グレヴィの参戦により王子を取り逃がした。それが今、グレヴィの代わりに自分が王子の傍にいる。あまりに皮肉な状況に、帝国軍総司令は思わずそれに相応しい皮肉な笑みを浮かべた。


「どうした?」

 いつの間にか戦場からギリスへと視線を移していた王子が、訝しんで問いかけた。とても笑っていられる状況ではないはずなのだ。鋭い視線を向ける王子に、ギリスは隠す必要を感じず、素直に思っていた事を答える。


「いえ。この前の戦いでは、殿下と私は敵同士でした。それを思い出し、今の状況を考えると、つい」

 そう言ったギリスはやはり笑みを浮かべたままだった。王子も苦笑を返す。

「そういえばそうだったな。帝国を攻めた時、我が軍は10万を超え帝国軍はその半分。それが貴公に危うく敗北するところだった。情けない限りだ」


「あの時、殿下一人を倒せば良いと、必死でしたので。それに運も私に味方しました」

 運が味方したという言葉に、嘘はなかった。少なくともギリス自身はそう考えていた。ギリス一人では成し得ぬ様々な要因があって、サルヴァ王子の策を見破る事が出来たのだ。


 サルヴァ王子は帝都を攻めた時、その防壁の下まで長大なトンネルを掘らせ、そこに川の水を流し込む事により防壁を突き崩し、帝都に突入する策を立てた。


 その工事を偽装する為、音楽をかき鳴らす遊船を川に浮かべるなどをしたのだが、たまたまその音楽に関心を持ったランリエルからの亡命貴族が存在するなど王子には思いも寄らぬ事であり、遊船の柄に注目する兵士が居た事は、想像の埒外だった。ギリスはそれらの者達からの情報でサルヴァ王子の策を見破ったのである。


 その事を思い出し、改めて感慨に耽っていたギリスの耳に、サルヴァ王子の呟きが届いた。

「そうか……私を殺したいのか」




 コスティラ軍参謀イリューシンは、バルバール軍本陣へと馬を乗り入れていた。この戦場で最大戦力を持つバルバール軍のあまりにも緩慢な動きに、痺れを切らし怒鳴り込んだのだ。


「ディアス殿。一体どういうお積りか! この戦場は貴公らのものであろう。我らは客人に過ぎん。それを客にばかり働かせ、主人が居眠りしているとは、どういうご了見か!」


 取次すら無視し本陣に怒鳴り込んできたイリューシンを前に、ディアスは2、3回ほど咳をし、時間を稼ぎつつ返答を考えた。イリューシンの言い分はもっともだった。最大戦力を持つ主力が戦わず、その半分ほどの戦力の援軍が積極的に戦うのは、確かに奇異な状況である。


 コスティラ軍の方こそ客なのだから、もっと大人しくしておけば良いのだ。ディアスはそう考えていたが、コスティラの王弟はここで目覚ましい武勲を立てようと張り切り、果敢に軍勢を突撃させているのだった。


「我らとて、コスティラ軍に戦いを任せようなどと考えている訳ではありません。ですが、戦いはまだ始まったばかりです。じっくりと攻め敵の弱いところを見つけ出し、そこに戦力を集中させるのです。王弟殿下に軍勢を下げるようにお伝え頂く訳には行きませんか」


「いや殿下は、バルバール軍も参戦すれば、このまま敵を敗走させる事が出来ると仰っておられる。バルバール軍も軍勢を前に進めて頂きたい」

 そう言ってディアスの提案を退けたものの、王弟の御守り役である参謀は、自身の言葉に内心うんざりしていた。確かに戦力で勝っているのだから全力で攻めれば勝てる。その理屈は間違ってはいないのだが、自身の能力に自負があるイリューシンにしてみれば、芸が無いとも言えるし、被害が増える戦い方ともいえる。


 特に急ぐ必要がないのなら、戦力が多いからこそじっくりと攻め、手堅く被害が少ない方法で勝つ。イリューシンとしてもそうしたいのだが、王弟が司令官の職権を盾に譲らないのである。司令官の方針を変えられない以上、参謀としては、その方針に沿っての最善の計画を立てざるを得ないのだった。


「何が起こるか分からないのが戦場というもの。敵が何か手を打ってくる前に、勝てるうちに勝つのが肝要。それも手であると。お考え頂きたい」

 イリューシンは自身すら欺くため、精一杯のもっともらしい言葉を述べた。そして意外にもその言葉は、述べたイリューシン自身よりもディアスの心に届いていた。むしろ言われるまでもなく、そう考えていたとも言える。


 敵はランリエルのサルヴァ王子に、カルデイ帝国のギリス総司令。同兵力ならば、その片方にすら簡単には勝てぬ相手である。それが二人そろっているのだ。勝てるうちに勝つ。本来ならば、ディアスこそがそうしたいところだったのだ。


 しかしこの戦いは、勝つ事自体には意味が無いのである。サルヴァ王子の首を取る事が重要であり、たとえ軍勢としての戦いが負けでも、王子を倒す事さえできれば良い。そういう戦いなのだ。


 その為ディアスが目指しているのは、圧倒的な大勝か、敗北寸前の辛勝だった。敵を完全に撃滅しそのまま王子をも討つか、最後まで勝ち目があると考え、戦場に踏みとどまっている王子の首を取るか。その二つなのだ。


 王弟が主張する方法でも勝つ見込みは高いが、いうなれば単に勝つだけ。敗走する軍勢と共に王子は引き上げてしまう。それでは意味が無い。


 とにかくここは言いつくろって、イリューシンには引き上げて貰うしかない。ディアスが口を開こうとしたその時、それを遮るようにして、前線から伝令の騎士が駆けてきた。


「帝国軍が敗走しました! ランリエル軍はまだ踏み止まっておりますが、敵はもはや我が方の半分以下。ロジオン殿下率いるコスティラ軍は、すでにランリエル軍への攻撃を開始しております。我が軍も早く総攻撃を!」

 騎士は気負ってそう進言し、まるで自分が帝国軍を退けたかのように胸を張った。


「では、ディアス殿。よろしく頼みますぞ!」

 自分が不在の時にコスティラ軍が帝国軍を敗走させたとの言葉に、イリューシンは慌てて馬に跨り、戦場へと駆けた。ディアスからの返答すら待たなかった。勝利するその時に参謀が不在とは、あまりにもの失態である。一刻も早く本隊に合流しなくてはならない。


 そしてディアス配下の幕僚達も、勇んで総攻撃を主張する。

「総司令。早く我らも追撃を!」

「そうです。ここでコスティラ軍にのみ手柄を立てさせては、この後どれだけ多くの要求をしてくるか。国境付近だけでは飽き足らず、やはりバルバール西部の領地もと、言ってくるやも知れません」


 しかし逸り立つ幕僚達を前にして、ディアスは目を瞑り思案に耽った。バルバール軍がほとんど参戦していない以上、戦力的には敵が優勢だったはずだ。それが突然帝国軍が敗走するなど不自然である。敗走と擬態しての後退、そう見るべきだった。

 問題は誰に対しての擬態か、である。


 帝国軍はあくまで援軍。サルヴァ王子と運命を共にする理由はない。戦況が不利ならば引いてもおかしくはない。無論、不利だから引くというならば、初めから来ては居ないとも考えられる。しかし、まさかこちらにコスティラからの援軍があるとは、帝国軍も考えていなかったはずだ。

 本国を出発した時には想定出来なかった勝算の低さに、戦場に到着してから気付いた。だからランリエル軍の手前、敗走と擬態し引いた。それで理屈は通る。


「ランリエル軍の様子はどうだ? どれほど動揺している?」

「さすがに敵も一筋縄ではいかず、ランリエル軍は落ち着いて帝国軍が抜けた穴を塞いでおります。ですがその為戦線は広がり、陣容は薄くなっております。今こそ攻める時かと!」

 目を開けたディアスは改めて問い、伝令はまたも分を超えて攻勢を進言したが、それについては聞き流し、再度目を閉じ思案を続ける。ランリエル軍の動揺が少ないという事は、サルヴァ王子も帝国軍が敗走するのを知っていたという事ではないのか。


 ディアスは決断し、目を見開いた。

「敗走した帝国軍は擬態だ。ランリエル軍も引いた時、追撃する我らに伏兵として待ち構える積りだ。軍勢を3つに分ける。まず一軍を持って戦場を迂回し、退路に伏せている帝国軍に対する。もう一つも戦場を迂回し、これはランリエル軍の退路を断つ。それぞれ7千と3千だ。残る軍勢はこのまま正面から攻める。急げ! 帝国軍の準備が整う前にランリエル軍の退路を断つんだ。準備が整ってしまえばランリエル軍は退却を始める」


 別働隊は合わせて1万。十分な戦力とはいえないが、あまり多くの軍勢がこの戦場から消えては敵に気取られる。1万でもぎりぎりの数だった。

 ディアスは別働隊の動きを敵に察知されない為も含め、陣形を大きく変えた。現在コスティラ軍は、南側で対峙していた帝国軍が敗走した為、ランリエル軍を南西方面から攻めている。それに対し北側で西からランリエル軍と対峙していたバルバール軍は、さらに北西へと翼を伸ばした。コスティラ軍と合わせ、北西から南西へとランリエル軍を半包囲する体勢である。


 その北西に伸ばした翼の陰に隠れ、バルバール軍の別働隊が北に飛び立った。そのまま戦場を北に迂回し退路を断った後は、狼煙を上げるように命じていた。その時ランリエル軍も退路を断たれた事を察するだろうが、もはや手遅れ。逃げ道がなくなったと動揺する敵を、一気に突き崩し袋の鼠とするのだ。そうなればサルヴァ王子を打ち取れる可能性は高い。


 ディアスは合図を待ちつつ、北西に伸ばした翼をさらに北に伸ばして行った。それはランリエル軍を包囲しようとする動きであり、ランリエル軍もそうはさせまいと迎え撃つ。無論、別働隊で退路を断とうとしている以上、本来ここで敵を包囲する必要はない。ここで包囲しようとする事で別働隊の動きを察知されない為の、一種の搖動である。


 北側での両軍の攻防は激しく行われた。コスティラ軍も南西から突撃を繰り返している。この時両軍の戦力は西軍が約4万5千。ランリエル軍は約2万5千である。ほぼ半数の戦力で劣勢に立たされたランリエル軍の戦線は、徐々に乱れていった。


「まだか……」

 この戦況に、ディアスは焦れたように呟いた。それに対しディアスの後ろに立ち従っているケネスが口を開いた。

「そうですね。ランリエル軍もなかなか崩れません。もう少しとは思うんですが。やはりディアス将軍を手こずらせるだけあって、サルヴァ王子も凄いですね」

「いや、違う。そうじゃない、ケネス」

「え? 違うって何がですか?」

 少し俯き首を振りながら言うディアスに、ケネスは驚いた声を上げた。


「ランリエル軍にはまだ崩れて貰っては困るんだ。むしろもう暫くは持ち堪えて欲しい。今我が軍は、敵の退路を断つ別働隊を出している。その合図の前に、ランリエル軍が敗走してしまっては元も子もない」

「あ……。そうですね」

 ケネスは、つい目の前の勝利にのみ目がいってしまう事に恥って俯いた。ディアスはそれを気に留めた風もなく、さらに言葉を続ける。

「それまで戦いを長引かせなくてはならない。ランリエル軍を包囲しようとする北の攻防は、その意味もあるんだ。しかしコスティラ軍はこちらの意図を知らない。敵本陣をめがけ一直線に突撃を繰り返している。このままではランリエル軍の戦線を突き崩してしまう」

 焦燥にかられた総司令の声に、少年従者は答えるべき言葉を持たず沈黙したのだった。



 ディアスの心中を知らず、コスティラ軍の攻撃は激しさを増していた。

 4ヶ国が参加する大戦で、早くも帝国軍を敗走させるという武勲を立てた王弟は、意気盛んに大声を張り上げた。

「突き進め! 帝国軍に続いて、ランリエル軍も我れらが打ち破ってくれる!」


「しかし殿下。あまり強引に突撃を繰り返せば、被害も増します。戦いは味方が優勢。無理な攻めを続ける必要は無いのでは」

 参謀のイリューシンには、暴走する司令官を抑える役目がある。あくまで援軍なのだから、無理をする必要が無いという事もあるが、イリューシンはこの戦いの後も考えていた。


 戦後、バルバールには援軍を出した事による契約の履行を求めなくてはならない。それには実質的な力も必要である。バルバール軍に出来るだけ戦力を消耗させ、コスティラ軍は温存しなくてはならないのだ。しかし王弟の行いは、その正反対である。


 王族に生まれ、人は自分に従うのが当然と考えているからなのか、契約は守られるのが当たり前であり、戦果を挙げれば更なる要求も求めて当然と考えているようだった。そして自分のいう事を聞かぬ参謀に対し、帝国軍の敗走時に不在だった事をあげつらった。

「お主など居なくとも、戦いには勝てるのだ! むしろ、いまだランリエル軍を打ち破れぬのは、お主が居るからではないのか? ん?」


 この侮辱に、イリューシンは怒りと屈辱に蒼白となった。人心への配慮など知らずにやにやと侮蔑の笑みを浮かべる王弟に、ならば好きにせよ! と、内心言い放ち進言する事を放棄した。その後ろに黙って立っているだけの役割を自らに命じたのだった。



 ついに、ランリエル軍の戦線に綻びが生じた。それでも全軍潰走とはならず、戦線を縮小しながら徐々に後退していく。この動きに、ディアスは判断を迫られた。敵の背後に向かわせた軍勢からの合図は、今だ無い。どうすべきか。しかしその迷いは一瞬だった。


 サルヴァ王子の首を取る。それがバルバール軍にとって最大の命題な以上、逃げる王子を追わないという選択肢はないのだ。サルヴァ王子が逃げれば、バルバール軍は追うしかない。


 バルバール軍は追撃を開始した。コスティラ軍も負けじと前に突き進む。2ヶ国の軍勢の猛攻に、整然と後退していたランリエル軍も、その速度を次第に増していく。それに伴い戦いの場は、東へと移動していった。


「おかしい」

 戦場がある地点を超えた時、ディアスが短く言った。敵軍の背後に向かわせた軍勢が、退路を断っているべき場所。それを通過したのだ。ディアスの背に冷たいものが流れた。


「前衛に伝令。警戒せよ。敵の伏兵が居る可能性が高い」

 総司令の突然の命令に、伝令の騎士は懸命に駆けた。騎士は味方の軍勢の中を縫うようにして駆け抜けたが、前衛へと到着する前にそれは現実のものとなっていた。


 サルヴァ王子を殺す。それを狙うならば正面からランリエル軍を破るだけでは不確実。必ずや退路を断とうとするはず。帝国軍総司令ギリスはそう考え、バルバール軍の別働隊を警戒していた。そして別働隊が二手に分かれて進軍している事に気付いたのだ。


「我が軍の敗走が偽りである事を、見抜いていたのか」

 敵将の読みの鋭さに背筋に冷たいものが走ったギリスだったが、一瞬後には冷静さを取り戻していた。二手に分かれた別働隊を時間差で各個撃破したのだ。


 先ずランリエル軍の背後を突こうとしていた軍勢3千の側面を襲い壊滅させ、そのまま突き進んで帝国軍の伏兵に対しようとしていた軍勢7千の背後を襲ったのである。その後予定よりは遅れたが、計画通り想定退却路の道々に軍勢を伏せさせたのである。


 ランリエル軍を追撃し、隊列が長くなったバルバール、コスティラ連合の西軍は、各所で帝国軍による伏兵に合い分断された。それを引き返してきたランリエル軍が各個撃破していく。撤退してきた道を逆進し、数部隊に分かれ敵を分断していた帝国軍とも合流した。


 次々と敵軍を打ち破るランリエル軍は、ついに帝国軍が敵を分断する最後尾まで突き進んだ。ここで敢えて、取り囲んでいた敵の退路を開けた。逃げ道が出来た敵兵は、命拾いしたと味方の軍勢へと駆けていく。ランリエル、帝国の東軍もそれを追う。バルバール軍は、逃げてくる味方に向かって矢を放つ事もできず、味方が駆けこんでくる為、隊列をも乱した。


 そこに東軍が突入し、散々に打ち破る。敗走した敵兵は、後ろの味方に逃げ込んだ。次の部隊でも同じ事が繰り返された。一度敗走を始めた軍勢が、体勢を立て直すのは困難なのだ。つい先ほどまでとは逆に、東軍が敗走する西軍を追う。


「やられたか……」

 険しい顔で言葉を漏らしたディアスは、本陣の予備兵力を迂回させ向かわせ、追撃する東軍の側面を突くように命じた。正面から向かっては、敗走する味方に巻き込まれる。


 側面からの攻撃に、東軍は追撃の勢いを減速させた。やっと西軍が体制を立て直した時、東軍は戦闘が開始されたのとほとんど同じ位置で、整然と陣を構えていたのだった。


 その様子に、ディアスは負けを認めざるを得なかった。おそらくサルヴァ王子は、自分の作戦の根幹が何であるかを読んだ。王子の命を狙っているという事を。


 サルヴァ王子を殺さなくては敗北。それはディアスにとって、重い足枷だった。王子を倒さなければいけないという、その制約により、ディアスは能力のすべてを発揮する事が出来ない。王子が逃げれば危険を承知で追わざるを得ない。罠がある事など分かっているだろう。そう言われても追うしかないのだ。


 しかしそれを当の王子自身に見抜かれたとなれば、もはや手はない。命を狙われていると分かっていて、むざむざ討たれるサルヴァ王子ではない。今後も王子が逃げれば、こちらは追わざるを得ない事を逆手に取り、罠を仕掛け続けるのだ。それでもバルバール軍は追うしかない。戦い続けるならば。


 サルヴァ王子。貴方の……ランリエル軍の勝ちだ。胸中ディアスは呟いた。罠と分かっていての追撃など、犬死でしかない。さすがにそれは出来ない。戦いをこれ以上続ける訳には行かなかった。だが、それでもバルバール軍は勝たねばならないのだ。




 日も暮れ、敵の夜襲を警戒しつつ陣を固めたランリエル軍陣中で、ランリエル軍総司令とカルデイ帝国軍総司令は明日の対応を協議していた。作戦立案能力に長けたサルヴァ王子と洞察力に定評があるギリス。得意とするところは違えど、それぞれがバルバール軍総司令に匹敵する能力を有している。その2人が揃った今敵はない。そう思われた。


 さらにディアスの作戦の根幹が、サルヴァ王子を討ち取る、という事を見抜いた今、状況は圧倒的に有利だった。極端な話バルバール軍は、中途半端な状況では勝つ事すら禁じられているとも言えるのだ。両総司令は机に広げた戦場の地図を見下ろし、その事も含めて協議を重ねていた。


「やはりフィン・ディアスは停戦を求める。ないし撤退を開始する。そう言う事か?」

「恐らくは。今日の戦いでも我が帝国軍の敗走が偽装である事を見抜いておりました。相当な人物と思われます。だからこそ、我が方が彼の意図を見抜いた事も察しているでしょう。そしてそうなればもはや勝ち目が無い事も。危険を冒してでもやらねばならぬ事と、無謀は違います。あれだけの者がその違いも分からぬとは思えません」

「確かに……」

 ギリスの分析にサルヴァ王子も首肯した。


 しかしその後ランリエルとしてはどうすべきか。この戦いの後、こちらが敗北し撤退する事があれば改めてバルバールと交渉し、逆に手を組みコスティラに対する。そうも考えていた。だが現在の状況は、そのバルバールとコスティラこそが組んでいる。


 小国であるバルバールにランリエルを攻める力はない。コスティラに背後を狙われているならなおの事。そう考えていたがコスティラと組んだとなれば、ランリエルのへの侵攻も可能かも知れない。何よりバルバール、コスティラには、ランリエルを凌駕する海軍があるのだ。たとえランリエルがその国力を挙げて海軍を整えても、バルバールだけならともかく、2ヶ国には敵わない。


 勿論そうなれば、バルバールはコスティラの属国の地位に甘んじる事になるが、バルバールの総司令は征服されるぐらいならばそれも已む無しと判断したというのか。苦戦させられた相手ではあるが、そこまで追い詰めてしまったのかという思いもある。


 そこに衛兵が1人現れた。両総司令の会話に黙って控えていたサルヴァ王子の副官ルキノが対応する。


「どうした?」

「バルバール軍総司令フィン・ディアス殿からの書簡が送られて来ました。これです」

 そう言って差し出された紙片をルキノが受け取り、改めて王子に渡した。


「ギリス将軍。貴公の言うとおり停戦の申し入れらしいな」

 サルヴァ王子が帝国軍総司令の洞察に感嘆の視線を向けると、向けられたギリスも微かに笑みを浮かべ小さく頷いた。


 だが書かれた内容を読み進める内に、サルヴァ王子の顔に驚愕の表情が張り付いた。予想に反し、ギリスの洞察は外れていた。バルバール軍は停戦を申し入れて来たのではなかったのだ。そして読み終えた後、あまりの衝撃に、地図を広げてある机に上体を支えるように手を付いた。


 バルバール軍総司令はなぜこのような提案をしたのか? 今までも予想外の行動を取り続けていた。非道、残虐。そうとも言える事もしてきた。しかしそれも小国が大国に勝つ為には仕方が無い事。アリシアはそう言っていたが、その彼女ですらこの行為は弁護しないのではないのか。


 このような事をしてバルバールに何の得があるというのだ。これでは自分に、ランリエルに利するばかりではないのか? これが実行されれば、今後戦況はどうなるというのか? いや、この戦場だけではない。すべての状況が変わる。バルバール、コスティラ、そしてランリエル。その力関係はどうなるというのか。


「酷い男だな……。お前は酷い男だ。ディアス」

 この提案により、3ヶ国の力関係が変わればどうなるか。それを読み、サルヴァ王子は低く呟いた。王子のただならぬ様子にギリスも関心を隠せない。

「失礼します」

 と書簡に手を伸ばし読み進めた。


 ギリスの目に先ず信じられぬ言葉が映った。それは停戦ではなく、降服の申し入れだったのである。しかしサルヴァ王子が衝撃を受けた内容はその先だった。降服の条件が書きつねられていた。停戦などを含めた常識的な事柄が並ぶ中、その最後の一文にギリスは絶句した。これは卑劣と言うべきなのか、鬼畜の所業と称するべきなのか。


 低俗な小悪党ならば、むしろやるかも知れない。しかし一国の総司令にまでなった男がする事ではない。書簡の最後に書かれていた一文。それはバルバール軍からランリエル軍に差し出すものとして、こう書かれていたのである。

『コスティラ軍将兵2万』

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