第44話:決戦(7):来る者、逝く者(4)
シルヴェンが振るった大斧は、ディアスの兜を掠めるようにして通り過ぎ、今まさに斬りかからんとしていた敵兵の首を跳ね飛ばした。そのまま駆け抜けたシルヴェンの後に、シルヴェン家一族の手勢が続く。
おそらくわざとであろう。土煙を上げ、ディアスを埃まみれにしてその横を通り過ぎた彼らは、そのまま帝国軍へと突撃した。数は8百程。後陣全軍で5千は有ったはず。それがシルヴェン家の手勢だけ先行してきたという事は、たまたまシルヴェンが軍令違反をし、後陣にもかかわらず追撃戦に参加しようとしたのか? ディアスはそう考えながら、傷の痛みに耐え立ち上がった。
「ディアス将軍!」
そう言って後陣に出した伝令の騎士が駆け寄ってきた。道を封鎖した帝国軍に討ち取られたと考えていたが、どうやら封鎖前に通り抜ける事が出来ていたらしい。
「敵襲があった事を後陣の将軍方にお伝えしたところ、後陣の中でも一番先頭にいたシルヴェン将軍が、すぐさま手勢を率いて飛び出してくれました。他の将軍方も間もなく参りましょう」
「シルヴェンが?」
ディアスは驚いた表情で、帝国軍に突入したシルヴェン達に目を向けた。帝国軍は合計3千。そこにディアス家の手勢5百に道々集めた軍勢が4百程。シルヴェン家の8百。数では劣るが、シルヴェン家の手勢には騎兵も多く善戦している。その中でも、大斧を振り回し敵を蹴散らすシルヴェンの姿は、ディアスなどよりも遙かに頼もしく見えた。
「あの斧を振り回す大男が敵将だ! 討ち取れ!」
帝国軍の中から声が上がった。この戦場の帰趨を制する鍵はシルヴェンと考えた様だった。目立たぬ平凡な鎧を身に付けているディアスを、まさか敵の総司令とは思ってはいないのだ。単騎逃げるディアスに追い縋ったのは、文字通り逃げたからに過ぎない。
「まずい……」
伝令の騎士に肩を貸して貰い、立ち上がりながらディアスが呟いた。騎兵の弱点はその馬を狙われる事である。巧みな者は上手く馬体の位置を変えながら戦う。ディアス自身はその巧みではないが、知識としては有していた。
腕力だけならばグレイスにも匹敵するシルヴェンだが、技量においては及ばない。馬体の位置を変えるべきとは分かっていても、技が追いつかないのか立ち止まる事が多い。今のところシルヴェン家の騎士達が、左右について上手く庇っている。
まあ大丈夫か、とディアスは安著のため息を付き、伝令の騎士から馬を借り鐙に足をかけた。討たれては成らぬ総司令として、他の者が戦っているうちに後陣に退かなくてはならない。
シルヴェン達の奮闘により、ディアス家の手勢も体制を立て直しつつある。ディアスが再度後陣に向けて馬を奔らそうとしたのを見つけたのか、ディアス家の騎士が一騎、敵軍を掻き分け近寄って来た。
「ディアス総司令!」
馬鹿が! 騎士のその声に、ディアスは我が耳を疑った。折角敵はディアスが総司令と気付かず見過ごしていたのだ。それをわざわざ敵に教えてやるとは! 一瞬その騎士に憎悪の視線を浴びせた後、急いで馬上に身を移す。
「あれが敵の総司令か! 逃がすな!」
急いで馬首を後陣へと向け駆け始めたディアスに、敵兵は今まで切り結んでいた相手をも置き去りにし殺到してきた。敵の総司令を討ち取れば、最大の武勲である。
舌打ちし、駆けるディアスに、帝国軍の十数騎が追いすがった。矢もディアス目掛けて数多く射掛けてくるが、なまじディアス1人を狙っているので避けやすい。だが、矢を避ける為に左右に蛇行して進むディアスに、一直線に駆ける帝国騎士が追いつき、槍を構える。
シルヴェン達の来援に、一度は助かったと思ったディアスをまた危機が襲ったのだ。帝国騎士が大きく槍を振りかぶる。そして槍が宙に舞う。その腕と共に。
シルヴェンの大斧が、再度ディアスを救ったのである。大斧の一閃により、にわかに両腕を失った帝国騎士は絶叫を放ち落馬した。彼をそのような目に合わせた大斧が地面に落ちる音は、その絶叫にかき消された。
総司令を救う為、武器を投げたシルヴェンは素手となったが、すぐに腰から剣を抜き放った。剣を片手に、ディアスを追う帝国騎士をさらに追う。名門の財力にものをいわせ手に入れた駿馬は、瞬く間に敵に追いついた。
敵の総司令を倒す事に気を取られていた帝国騎士を、後ろからシルヴェンは切り捨てた。さらに追い、次々と背後から切り捨てる。帝国騎士達も、仲間の数が減っていくのに気付いた。
帝国騎士達は左右に散会したかと思うと、一瞬馬の足を鈍らしシルヴェンの左右に併走する。馬上槍を構える十名を越える騎士が、剣を構えるシルヴェンを襲う。時間をかければディアスには追いつく事が出来る。ならば先にシルヴェンを始末しようと考えたのだ。
怪力を誇るシルヴェンである。尋常の戦いならば、シルヴェンを囲むどの騎士よりも強いだろう。しかし戦場においてはまず武器の間合いで勝敗が決する事が多い。そして何より数だ。剣の届かぬ距離で、右から左からと槍が繰り出される。
にも拘らずシルヴェンは善戦していた。馬の足の速さにものをいわせ、むしろ彼らを引き離すほど駆け挟撃の状態から抜け出すと、敵の左に回りこみそこで足を鈍らせて併走する。自分は利き手である右手で剣を振り、敵の死角から切りつけるのだ。
シルヴェンの馬術が巧みという訳ではなく、馬が優れているだけなのだが、確かに有効な戦術だった。帝国騎士達はシルヴェンを再度挟撃しようとするが、その動きの為ディアスとの距離は次第に広がっていった。
当主が逃げ切れそうだと判断したディアス家の手勢が、その後を追う。一旦は敵に囲まれた彼らも、シルヴェン達の来援に体勢を立て直していたのだ。シルヴェン家の者達は、自家の当主であるシルヴェンの元へと集まった。
結果的にシルヴェン家の者達が、ディアス家の後背を守る事となった。敵の総司令を逃がしてしまった、その原因がシルヴェンにあると、帝国軍はシルヴェンとその一族を取り囲んだのである。
後陣に向かって懸命に駆けるディアスの目に、ついにその後陣の姿が映った。本陣が襲撃されたとの報に、シルヴェンより遅れながらも、急いで進軍してきていたのだ。彼らの目にもディアスの姿が入る。
「ディアス総司令。良くぞご無事で!」
口々に言う後陣の諸将の言葉を遮り、ディアスは叫んだ。
「この先でシルヴェン達が敵を防いでいる! 速度を落とさずこのまま進軍する。急げ!」
総司令と合流し一安心と考えていた後陣の将兵達は、ディアスの命の元休む事無く先を急いだ。そして間もなくシルヴェン家の者達を取り囲む帝国軍の姿を捉えた。8百を数えたシルヴェン家の手勢は、すでに二桁にまでその数を減らしていた。
怒りに燃えるバルバール軍の攻撃に、帝国軍は瞬く間に突き崩され北東へと敗走する。その後には、シルヴェン家の者達の屍が累々と折り重なっていた。生き残った僅かな者達も、すべて傷を負っている。馬から下りたディアスは、シルヴェンの姿を探した。しかし立っている者の中にその姿はない。
やられたのか……。ディアスの胸に、重いものが湧き上がってきた。それは形容しがたいものだったが、強いて言えば、心を鉛が取り囲んだかのようだった。絶体絶命の危機に、一番思いもよらぬ相手から救いの手が差し伸べられ、そして死んだというのか。
その時、ディアスの耳に微かに声が聞こえた。
「ディアスか……」
声のする方に目をやり探すと、地面に仰向けに横たわるシルヴェンの姿が見えた。駆け寄って抱きかかえる。その手に、生暖かいぬめった物が触れた。
「なぜだ?」
シルヴェンは、大きく腹部が裂けていた。抱き抱えたディアスの手が赤黒く染まる。それは地面にまで伝わり、小さな血の池を作っていた。致命傷、ディアスは瞬時に悟った。
「なぜかだと?」
「そうだ。私を憎んでいたのではなかったのか?」
俯いていたシルヴェンの顔がゆっくりと持ち上がり、ディアスに向いた。憎悪に燃えた目でディアスを射抜いた。
「そこまで。そこまで俺を馬鹿にするか、ディアス! 総司令のお前が死ねば戦いは負けだ。それが分らぬほど……、俺が愚かだと言うのか!」
総司令が死ねば敗北。そんな事すらシルヴェンには分からない。自分はそう考えていたのだろうか。その思いに、ディアスは口を開く事が出来なかった。
「皆俺を馬鹿にしやがって。父すらも俺を馬鹿にしていた。だがな、お前だ! ディアス。お前が一番俺を馬鹿にしていた」
「……シルヴェン」
ディアスの呟きが聞えないかのように、シルヴェンは言葉を続けた。しかし、腹部から流れる血の量に比例し、その息は荒くなっていく。流す血を声に変えるようにして、シルヴェンは言葉を絞り出していた。
「だがどうだ。その馬鹿にしていた男に、お前は命を助けられたのだ。どんな気分だ? へっ……。お……お前が、この後どんな策を弄して勝とうが、それは……今、俺が……俺に命を助けられたからだ。俺のお陰で勝つのだ。俺が……軍功第一。どうだ! 違うか!」
「ああ、違わない。シルヴェン。お前のお陰でバルバール軍は勝つんだ。お前が軍功第一だ」
「そうだろ……う」
「そうだ」
「精々……俺の手柄の為にたたか……うんだ……な」
「ああ、そうしよう」
「は……はは……。ざまぁ……みろ……」
シルヴェンの身体から一切の力が抜け、ずしりと重くなった。最後シルヴェンは、僅かながら笑みを浮かべていた。
息絶えたシルヴィンを、生き残ったディアス家に仕える数名の小者に託した。
「本国のシルヴェン家まで、丁重に運んでくれ。だが、もし重荷になり命が危険となれば、捨てても構わない。生きている者の方が大事だ」
「いえ、命に代えましても」
「そうか……」
本当ならば、生きている者の命の方が大事と、再度言い聞かせるべきかも知れなかった。だがディアスはそうは言わなかった。ディアス家の多くの者が、シルヴェン家の来援に命を救われたのだ。
シルヴェンも死ぬ積りはなかっただろう。生き延びて、これから事あるごとに
「お前が偉そうにしていられるのも、俺が命を助けてやったからだ」
そうディアスに対し言い続け、周りにも吹聴し続ける、その積りだったはずだ。そうなるべきだったのだ。
確かにシルヴェンは能力に問題があった。だが愚かではなかった。少なくとも、ディアスが思うほどには。彼なりに国を憂い、バルバール軍の勝利を考えていた。思ったより愚かだったのは、自分の方だった。
自分の能力を認められたい。誰もが持つ自然な感情だった。そして自分の能力が発揮できる道を、皆探し求めるのだ。時には家を捨ててまでも。しかし国を代表する武門の嫡子たる自分には、その道を探す事をすら禁じられていた。そしてシルヴェンも。
自分は軍人になどに成りたくはなかった。武門の名流に生まれたがゆえに、仕方が無しに軍人になったのだ。そして幸か不幸か、軍略の才に恵まれ、総司令という地位にまで上り詰めた。
シルヴェンはどうだったのだろうか? 軍人になりたかったのだろうか? そうではなかったのだろうか? しかしどちらにしろ、国一の武門の嫡子だ。他に道はない。そして軍略の才に恵まれなかった。だがその名流の血が、才に対して不相応な地位にまで彼を押し上げた。
シルヴェンに軍略の才があれば、シルヴェンが総指令になっていたのか。自分に軍略の才がなければ、自分が名ばかりの将軍と呼ばれていたのか。
シルヴェンは、才に恵まれなかったディアスだった。ディアスは、才に恵まれたシルヴェンなのだ。
ディアスは東に目を向けた。その先に、サルヴァ王子率いるランリエル軍が居るのだ。
この戦い。必ず勝利する。シルヴェンの為という訳ではない。バルバール軍総指令として、自分にはその責任があるのだ。
しかし、味方の先陣に追いつき見えたランリエル軍は、帝国軍の来援により体制を立て直していた。追撃に向かっていた先陣も、攻める事が出来ずにいる。むしろランリエル、帝国連合の方が多勢であり、グレイスら先陣の諸将は守りを固めている状態だった。
先陣と合流したディアスもそのまま攻撃を控え、後に続くコスティラ軍の到着をまった。バルバール、コスティラ連合。ランリエル、カルデイ帝国連合は改めて対峙したのである。