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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第44話:決戦(3):来援

 日を跨いで再開されたバルバール軍の攻勢は、もはや敵軍の誘導には乗らず、敵本陣に近い堅陣を標的とした。

 その歩みは遅々としたものだったが、時間をかけて一つずつ落としていった。


「よし! お前達はここで敵を防いでいろ!」

 不眠不休で戦った将兵を少しでも休ませる為、堅陣を落とす度にグレイスはそう言い放つと、自身は腹心だけを伴い軟陣に立て篭もる味方の部隊へと向かった。今度はその部隊を率いて、次の堅陣へと攻撃を行うのである。


「グレイス将軍は、いったいどこからあのような力が出るのだ?」

「ああ、まったくだ。何時休んでおられるのか」

「我らも頑張らなくてはな」

 猛将の背を見送る兵士達は、そう言い合って自らを奮い立たせていた。


 軟陣への誘導にバルバール軍が引っかからなくなったと見たランリエル軍は、敵軍の長く伸びた隊列を分断する為の攻撃を激化させた。それに対し、カーニックらバルバール軍将兵はよく耐えた。一時軟陣を取り返され、分断されたとひやりとする場面もあったが、すぐに取り返した。

 ディアスも陣地群に対し、別の方面から軍勢を突入させ陽動を行い、敵をひき付ける。


 バルバール軍は、グレイスが堅陣を落とす度に軟陣から堅陣へと乗り換えた。次第に戦線の維持は易くなって行く。その反面、追い立てた敵は敵本陣周辺に集まり、守りは硬くなる。本陣の周りには堅陣のみ。しかし徐々にではあるが、戦況は確実にバルバール軍に傾いて行った。



「敵は包囲を縮め、この本陣に向かってきています。敵に悟られぬように、将旗はそのままに本陣の位置を変えた方が良いと思われますが」

 この状況に、ルキノが提案した。すべて作戦通りではある。しかしあえて危険を冒す必要はない。そう考えたのだ。

「いや、敵には悟られなくとも、味方には知れよう。そうすれば士気にも影響する。なに、むざむざ敵の包囲に取り残されるような馬鹿な真似はしない。包囲される直前には逃げる。だが、あくまで直前にだ」


 本陣が早々に逃げたとなると、士気は落ちる。不眠不休の戦いに、体力よりも気力で戦っている状況なのだ。サルヴァ王子の言葉も最もと思われた。しかしルキノは、王子に正面から堅い視線を向けた。


「ならば、味方をも騙せば良いではないですか」

「なんだと?」

「以後の作戦は、私も十分承知しております。ここには殿下に背格好の似た兵士に兜を付けさせ身代わりに置き、その後ろに私が着き従っていれば、皆はここに殿下がいらっしゃると考えるでしょう。殿下の命として、私が諸将に指示を出します。万一不測の事態が発生すれば、すぐさま殿下に伝令を出し、対応をお伺いいたします」

「いや、それはならん!」

「どうしてなのですか? それが一番安全な方法なのです」

「兎に角だ! 危険になったら退くと言っているのだ。それで問題なかろう!」


 不思議そうに問いかける副官に、サルヴァ王子は少し慌てたように怒鳴った。ルキノのその目に、王子は気付いたのだ。最後の最後、バルバール軍が本陣に突入するまで、逃げる気がないのだと。

 王子の言葉に、考えを悟られたと理解した副官は、諦めたように戦線に視線を移した。



 敵をその腹中にて消化しようとする者と内臓を食い破ろうとする者との戦いは、5日目に突入していた。尤も、それを率いる両将の意図はそれとは限らないが、兵士達はそう信じて戦っていた。


 戦いが三日、四日過ぎたころから、夜熟睡する者も多くで始めていた。状況に慣れた訳ではない。眠れるなら死んでも良い。そう考えるほどに、皆、憔悴していたのだ。


 ランリエル軍本陣まで、後三重。バルバール軍はそこまで迫っている。限界に近づいていた。後二重となれば、堅陣を落とさずとも矢の雨を掻い潜り、本陣への攻撃を開始するだろう。いや、三重を残した今でも、隙を見せれば本陣に突撃をしかねない。


 限界に近づいているのではなく、限界を超えているのではいのか。ルキノは焦れた。王子は危険になったら退くと言ったではないか。その危険な状況に、もうなっているのだ。


 大国の第一王子を前に、苛立ちを隠さない副官に対して、サルヴァ王子は弁解するように言った。

「分かっている。だが予定では今日だ。今日の筈なのだ。私とて、何も意地だけで踏み止まると言っているのではない。私が本隊と共に退けば、敵は陣地群の中心部に強固に固まる可能性もある。その時には、両軍が複雑に絡み合っている事が効果を増大させるのだ」


「しかし、殿下にもしもの事があれば、それどころではありません」

「今日一日だ。来なければ本陣を移す」

 目を逸らして言ったサルヴァ王子に、ルキノは諦めの視線を送った。こうなってはいざという時は、自分が身を呈してでも王子を守るしかない。そう覚悟を決めるしかなかった。


 疲れ果てた様相で両軍は戦い続けている。ともすれば疲労から槍を取り落し、敵を目の前にして座り込む者まで居た。余りの苦しさに槍を落とした事をきっかけに、心が折れたのだ。


 その中にあっても、猛将グレイスの存在は際立っていた。

 彼は夜もほとんど寝てはいない。寝ずとも身体を休ませる技は身に付けている。それでも、精神の負担は蓄積されていた。むしろそれにより、猛将は魔性の物に化したかのような気迫を、周囲に放っている。


 それに対しランリエルの虎将ララディは、グレイスを遠巻きにしているだけだった。一騎打ちなどもっての外、軍勢同士をぶつける事すら出来るだけ避けろ。とまで命じられていた為である。


「戦えばお前が勝つ。だが、敵を抱きかかえるのが作戦だ。それには敵に、我が陣地群内で戦えば勝てる。そう思わせる必要があるのだ。その為にはお前は勝ってはならぬ。将兵の士気を考えれば、軍勢でもって対峙し、手控えて戦った挙句負ける事も許されぬ。決戦の時こそ、お前の武勇を示す時なのだ」


 王子のその言葉に大人しく従い、ララディはグレイスとの衝突を避け、敵の退路の攻撃に手勢を向けていた。

 同じく猛将と類される者として、他国の将に剛勇の名を欲しいままに成さしめさすのは心中穏やかではないが、ここはやむを得ない。作戦を解せぬ猪武者と呼ばれるのは心外なのだ。


 もっとも王子の言葉にも多少の偽りはあった。ララディがグレイスを討てば、敵の士気は崩れ、陣地内の敵は総崩れになりそのまま勝利する事も可能だ。だが、ララディを信頼してはいるが、乱戦での一騎打ちなどは実力以外のもので勝敗がつく事も多い。ララディが討たれれば士気に大きく影響する。勝つ為の算段は立てているのだ。個人の一騎打ちに、戦いの勝敗を委ねる気には成れなかったのである。


 昼過ぎ、戦況を見守る為の本陣の楼閣から報告があった。


「バルバール軍の背後から、軍勢が近付いて来ております。およそ2万ほどと思われます」

「来たか!」

 サルヴァ王子は勢いよく椅子から立ち上がり、その反動で椅子は後ろに倒れた。それを気にした風でもなく、斜め後ろに控えるルキノに顔を向けた。


「やったぞ。ルキノ! これで我が軍の勝利だ!」

「はい!」

 サルヴァ王子とルキノは、勝利の確信に主従の隔てが無いかのように笑顔を向け合った。王子のその策とは、陣地群の迷宮にてバルバール軍を抱きかかえ、その背後を海岸線からの援軍で討つ事だったのだ。


 この戦場から、南にある海岸線防衛の軍勢までは、直線距離でおよそ13ケイト(約120キロ)。途中、谷や山、川を越える事を考えれば、軍勢ならば5日。いや、急ぎに急がせれば4日。伝令が馬を懸命にかけさせても2日はかかる。合計6日。だが、敵の攻勢を支える事を考えれば、その時間は限りなく短くせねばならない。


 狼煙を上げて伝達する事は出来ない。狼煙を上げれば、軍勢を呼び寄せたのを敵軍はすぐさま察知し、それから軍勢が到着するまでの時間を推し量り、下手をすれば撤退してしまう。

 敵味方の陣が入り組んでいる以上、急には撤退できないが、日数をかけてゆるゆると引けば、さすがに大きな被害が出る訳ではないのだ。


 そして守備隊が減った海岸線への攻撃が再開されては、民衆はまたも故郷を離れ、今度こそ戦いが終わるまで戻らないだろう。そうなれば経済力の我慢比べでランリエルは負けるのだ。

 当初の計画では、帝国から返ってきた軍勢をもって切り札と考えていたが、予想外の帝国軍総司令の対応により、それが不可能になった為の苦肉の策だった。


 サルヴァ王子は、海岸線防衛の軍勢に対し狼煙を使わずに、それとほぼ同程度の時間で、出撃命令を伝える事に成功していた。

 その方法とは、知ってしまえばあきれるほど単純。そう言えるものだった。王子が行った方法とは、言うなれば目視である。


 この劣勢の中、出撃命令を伝えるその為だけに、実に1千もの兵力をサルヴァ王子は割いていた。それで2名で1つ、500組を用意した。直線距離13ケイトと言えど、それを500で割れば精々260サイト(約220メートル強)。


 戦場から海岸線防衛の軍勢までの道々に、その500を配置したのだ。そしてバルバール軍を抱きかかえた。そう判断すると、合図の旗を振らせたのである。

 万一の見逃しを考慮し、2名で本陣を睨み続けていたその者達は、前方で旗を振られたのを確認すると、次は後方に向って自分達が旗を振るのだ。そして、これも見逃しを考慮して、力が尽きるまで旗を振り続けろと命じていた。その後ろの者達も順次、さらに後ろの者に向かって旗を振る。


 勿論、道が曲がりくねり240サイトを見渡せぬ個所もあるが、逆に大きく開け1000サイト以上を稼げる場所も数多くある。馬で行けば越えるのに数時間は掛かりそうな深い谷も、旗の一振りにより一瞬で越えられる。


 旗を振る者は500組。それぞれの僅かな遅れが大きく影響する。逆もまた然り。兵士達は旗を手にしたまま前方を睨み続け、合図が来ると全速力を持って、次へと合図を送った。

 出撃命令を今か今かと待ちわびていた海岸線では、その命が伝えられると、2万の軍勢が一気に北上したのである。


 陣地群で抱きかかえられているバルバール軍を背後から2万の軍勢で討つ。しかも、両軍の将兵は疲れ切っている。この新手の出現は、敵の士気を完膚なきまでに挫くだろう。そして味方は援軍の来援に、力を振り絞るのだ。


「よし! 陣地群内の敵は慌てて退却しようとするはずだ。隊列は大きく乱れる。それを囲む軍勢は、敵を分断し各個撃破せよ! 他の陣に籠っている軍勢は陣から出て集結し、バルバール軍の背後から迫る軍勢と呼応して、前後から挟み撃ちにするぞ!」


 多くの伝令の騎士を呼び寄せ、各将に命令を伝達させていく。

「ララディ将軍に伝えよ。敵の猛将と雌雄を決したいであろうが、今はそれよりも大きな獲物が待っている。バルバール軍総司令フィン・ディアスの首を獲って来い、とな。ムウリ将軍にはその背後を守り、支援させよ。万一我が陣地から敵勢が抜け出す事に成功すれば、ララディの背後を狙われないとも限らん」


 虎将ララディの突進力で敵を撃破し、ムウリが臨機応変に支援する。ランリエル軍、必勝の体制である。



 後方からの軍勢の出現に、バルバール軍に動揺が広がっていた。


「各隊に伝令を派遣し、動揺を抑えるんだ」

 ディアスの指示のもと、士官達は懸命に軍勢をまとめている。彼方此方で士官の怒声が鳴り響いていた。

 この状況に、ケネスも不安げな視線をディアスに投げかけた。


「ディアス将軍。大丈夫なのですか? 突然こんな……」

 だが、問いかけられたディアスは、ケネスの千分の1も不安そうでないばかりか、むしろ笑みすら浮かべていた。

「多少は混乱するのは仕方がない。来ると言っておきながら、万一来なかったら皆をがっかりさせるかも知れないからね。本当に来るまで将兵には黙っていたんだ」


「え?」

 その言葉にケネスは目を見開き、反射的に声をあげた。バルバール軍は動員できる全戦力4万を持ってランリエルと戦っている。他には一兵の余裕もない状態で、突如背後に敵軍が現れたのだ。絶体絶命と言っていい状況である。

 不謹慎な言葉を放つ事が多い上官であるが、あまりにも不謹慎すぎた。


「何を言っているんですか! この状況がどういう事か分かっているんですか! 本国ではミュエルだって待っているんです! 将軍にもしもの事があったらどうすると言うんですか!」


 ケネスの怒声に、ディアスは驚いた様子で従者に目を向けた。だがすぐに額に手をやると、口元に苦笑を浮かべたのだった。


 どうやら、我ながら少し浮かれてしまっていたらしい。説明もせずにあのように言えば、確かにケネスが不謹慎に思うのも無理はない。そう思ったディアスは、総指令を睨みつける従者に苦笑を向けたのだ。


「軍議にも、お前が私の後ろに立って控えている通常のものと、それぞれの従者すら参加させない極一部の幕僚とだけで行うものがあるのは知っているだろ? 今回の事は、その秘密裏の軍議で話し合われていたものだ。だからお前が知らないのも無理はない」


「ですが……」

 確かにそのような軍議があるのはケネスも知っている。絶対に外に情報が漏れる事が許されない、軍事機密について検討する軍議だ。だがそれと不謹慎な発言と、どういう関係があるというのだろう。どこで前もって語られ、想定されていた事態とはいえ、不謹慎なものは不謹慎ではないのか。


 だが……。ディアス総指令ともあろう者が、敵の出現を事前に察知し、それにむざむざやられるという事があるのだろうか? いや、そんな事はあり得ない。対策を打っていないはずがないのだ。


 しかしそうなると、背後から軍勢が来なかったら、皆ががっかりするとはどういう事なのか?

 そうか! ここで敵の援軍を瞬く間に叩けば、バルバール軍の士気は弥が上にも高まる。反対にランリエル軍の士気は、地の底まで落ちる。敵は敗走を始め、勝敗は決するに違いない。

 確かに、必勝の状況で敵が来なければ、皆もがっかりするかもしれない。


「ディアス将軍。すみません! 僕、早とちりしていました!」


 話の途中にも関わらずいきなり謝罪してきたケネスに、ディアスは思わず見つめ直した。

 しかしケネスが、

「確かに、あの軍勢には来て貰わないと困りますよね!」

 と言葉を続けた事に、間違いなく状況を理解したのだと頷いた。そしてならばと、バルバール軍の背後から近づいてくる軍勢に目を向け指差した。


「分かってくれたなら話は早い。お前の考えるとおり、あの軍勢は――」

 ディアスは、指を軍勢に向けたまま、顔をケネスに向けて言った。

「味方だ」

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