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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
71/443

第44話:決戦(2):迷宮

 バルバール軍とランリエル軍が対峙してから数日。

 戦況はランリエル軍に有利と思われた。幾度かのバルバール軍の攻撃で、その度に幾つかの堅陣、軟陣は落ちるのだが、その先が続かないのである。


 攻めの途中で力尽きるというより、途中で諦める、という方が近かった。

 日が暮れると、せっかく落した陣を放棄して引き上げるのだ。互いに矢が届くほどの距離での対峙など、不眠不休で確保しなければならない。その為、日が落ちると引き上げていた。


 ディアスはそのような一見徒労の日を送りながらも、ある時を待っていた。

 連日攻め、夜は多くの篝火をたき、夜襲もあり得ると敵に思わせるようにした。実際に行わなくとも、あり得るというだけで、兵は眠れない。士官が安心して休めと言ったところで、兵士達の不安は拭えないのだ。


 その反対に、自軍将兵には出来るだけ休息を与えるようにした。陣に立て篭もり動けぬ敵に対し、篝火に照らされたその後ろに僅かな見張りを残しただけで、大半の将兵をかなり離れた場所まで後退させて休ませたのである。


 それが数日続いた後、ランリエル軍が疲れ切ったと見たディアスは、猛将グレイスを呼び寄せた。


「軟陣を縦に一気に落とし突き進んでくれ。敵本陣を目指すんだ」

「しかしそれでは、退路はどうすると言うのですか? 獲った軟陣をすぐに奪い返され、袋の鼠となると思うのですが」

 猛将である事と無謀である事は意味を同じくしない。蛮勇だけではない猛将は、当然ともいえる疑問を呈した。勿論、理性のみといえる総指令がそれを考えていない訳がない。


「分かっている。すぐに第二陣が後を追う。そして第三陣も。落した軟陣の確保は彼らに任せればいい。グレイス将軍は、前方の敵陣を落とす事だけを考えてくれ」


 その言葉に、猛将は獰猛な肉食獣の笑みを湛えた。ディアスの言葉は、波状攻撃を行うという意味ではなかった。二陣、三陣に押されるままに前に進み続けろ、と命じているのである。

「二陣の出番があるとすれば、我が隊が全滅した時という事ですか」


「左右を堅陣に囲まれている状況では、先陣と二陣を入れ替えるのは難しい。込み合ったところを狙われれば一溜まりもないからね。なに心配する事はない。隊列が長く伸びた我が軍を分断しようと、敵は左右から押し寄せる。どうせ二陣、三陣も激戦さ」

 総指令の言い草に、グレイスは思わず苦笑を浮かべた。


「それで総指令は何陣目を率いるのですかな?」

「私は敵陣地内には入らない。全軍が入れる訳じゃないし、もし私が入って身動きが取れない時に、外の軍勢を攻撃されては一大事だ。それこそが敵の狙い、とも限らなしね。私は後方に居るよ」


「よろしいでしょう。とち狂って二陣か三陣を自ら率いるなどと言ったら、押し留めるところでしたよ」

「まさか。私が打ち取られたら戦いは負けなのに、そんな危険なところに行く訳がないだろ?」

「確かに」

 総指令に気負いはなく、平常心。それを見てとって猛将は勝利を確信し、にやりと笑った。ディアスも微かな笑みをグレイスに返す。


 ディアスのこのような態度、発言に非難が少ないのは、実にグレイスの存在が大きい。バルバール一の猛将が、危険を避ける総指令に全幅の信頼を置き、従っているのである。他の諸将も納得せざるを得ない。ディアスにもそれはよく分かっていた。その為、グレイスへの信頼は篤い。


「では、出陣致します」

 そう言って軽く頭を下げたグレイスに、ディアスも小さく頷いた。



 バルバール軍は猛将グレイスを先頭に、一気にランリエル陣地群に突入した。

 堅陣に挟まれた軟陣を、瞬く間に1つ、2つと破り、まるで濡れた紙に槍を刺すかのように、さらに容易く抜いていく。

 だが5つ目。堅陣、立ち塞がった。

「ちっ! 叩き潰せ!」

 猛将が、大きく舌打ちしつつ吼えた。


 馬鹿正直に、敵本陣まで軟陣が続いている訳がない。それは分かっていた。しかしあまりにも浅い。

 敵は、もう少し懐深く先陣を引き入れる。そう予測していたのだ。これでは、ランリエル本陣までの距離が長い。


 堅陣に行く手を遮られたグレイス隊の左右から、ランリエル軍が襲い掛かった。右から冷静な指揮に定評があるムウリ将軍。左からはランリエルの虎将ララディである。


「蹴散らせ!」

 グレイスの再度の怒声に、先陣はランリエル軍に襲い掛かった。二陣、三陣も続々と突入してくる。後ろからの、その圧力に膨れるようにして左右の敵を押し返す。グレイス自身も戦棍を持って、群がる敵を討ち果たしていく。敵を叩き潰す事が目的のその武器は、多くの返り血を剛勇の猛将に浴びせ、さながら悪鬼の様相を呈していた。


「があぁぁっ!」

 虎咆を放った猛将を前に、敵兵は対する事も出来ずに逃げ惑った。その背を、猛将に付き従う兵士達が討つ。一個の巨槍と化した。敵陣を切り裂くその鋭さは、先頭を駆けるグレイスの武勇を物語っていた。


 右のムウリ将軍の隊が崩れた。右前方に向かって後退して行く。それを追ってグレイス隊が進む。ムウリ隊が陣に立て篭もった。矢を射掛けて来る。

 後ろからは、さらに二陣が押してくる。左手はララディ隊と激しく戦っている。バルバール軍の圧力は、右に流れ、つい、という風に、ムウリ隊が立て篭もる陣を落とした。ムウリ隊はさらに引く。


 この報告を本陣で聞き、眉をひそめたのはバルバール軍総司令だった。

「流されたか……」

 その呟きに、幕僚の1人が問いかけた。幕僚達が居並ぶ中、さすがにケネスは黙ってディアスの後ろに控えている。


「しかし敵陣を破り味方は前進しております。敵本陣に近づいた。という事ではないでしょうか?」

「いや、軍勢は勢いが重要だ。力を溜め、一気に敵を押しつぶす。だが、その勢いを受け流された。距離は近づいたが、今のバルバール軍に敵の堅陣を打ち破る勢いはない」


「ならばもう一度軍勢を集結させ力を溜め、その勢いを持って、敵陣を打ち破れば良いのではないでしょうか」

「確かにその通りだ。だが……」

 そこまで言って、ディアスは目を閉じた。


 堅陣の壁。軟陣の道。その二つを持って、サルヴァ王子は戦場に迷宮を作り上げたのだ。軍勢を集結し力を溜め、突撃を行ったその先々で堅陣が立ち塞がり、軟陣が受け流す。そしてその迷宮に、敵本陣へと続く正解の道筋など有りはしないのだ。


 堅陣の壁といっても、実際は各陣の間には何も無い。軍勢を進める事は可能だ。だが陣を落とさずに進めば、四方から矢を受け戦うどころではない。

 どこかで堅陣を打ち破らねば、ランリエル本陣には到達できない。


 ランリエル軍の誘導は巧妙を極めた。先陣のグレイス隊を左右へと振り回しながらも、全体としてランリエル本陣に近づいてはいる。敵本陣を突くと命ぜられていた将兵にとっては、無理に流れに逆らわず進んだ方が早いのではないか。そうも考えてしまう。そして確かに時間的な事でいえば、苦労して堅陣を落とすよりも早く、敵本陣に近づけてはいる。


 問題は、その距離である。

 先陣が一直線に敵本陣へと進み、二陣、三陣がその間を軍勢で埋めて退路を確保する。という作戦だった。だが流され、大きく迂回している。

 退路は長くなり、その確保の為四陣目も入り、すでに5陣目も敵陣地群への突入を開始していた。これ以上の軍勢を敵中に取り込まれては、外の備えが疎かになる。


「グレイスに連絡してくれ。突入した各部隊にもだ。進撃を停止し、現状確保した陣を維持するように」

 その言葉に伝令に立つべき若い騎士は、栗毛の頭を大きく振った。

「今回も日暮れを待って退却ですか……。折角敵陣深くまで攻め込んだのに残念です」

「いや違う。維持だ」

「え!? 維持……ですか?」

「そうだ。日が暮れても奪った軟陣を確保したまま、敵陣地内に留まるんだ」


 若い伝令の騎士は、相手の身分を忘れたかのようにディアスをまじまじと見詰めた。四方を敵に囲まれたままの夜営など自殺行為。そのようにしか思えないのだ。


「なに。寝ずに守りを固めていれば大丈夫だ」

「寝ずに……」

 若い騎士はまたも絶句した。


「つらいだろうが、それは敵も同じだ。今日までの夜襲の振りによって、むしろ敵の方が疲れてもいる。それにここまで敵陣深く入り込んでしまっては、今更退くのも難しい。今は軟陣の道を我が軍で埋めて退路を確保しているが、退却する隙を突かれて敵軍に割り込まれては、本当の意味で敵に取り込まれてしまう。退くにしても時間をかけ、慎重にしなくてはならない。今から日暮れまでにというのは、ちょっと難しいな」


 自分の命令が常軌を逸していると取られるとは、ディアスも理解していた。しかし、これ以上軍勢を敵陣地内に送り込ませる事は出来ない。一旦退いて、初めからやり直す事もきりが無い。日を跨いでの攻撃が必要だった。


 突入した部隊は、大きく道を迂回している為、幾重かの堅陣を挟んでではあるが、敵本陣を半包囲している。それを日をかけて徐々に絞り上げていくのだ。

 無論、そうなれば敵本陣は位置を変える、とは分かっている。ランリエル軍が我が軍を取り込んだというならば、内部から食い破り、陣地群自体を壊滅させるのだ。ならば敵本陣の位置など関係無い。


 だが、ディアスには気に掛かる事があった。ランリエル軍はバルバール軍を取り込んだのではなく、抱きかかえたのではないのか。との疑問である。



 ディアスの言葉に、それでも納得しかねる顔ながら、若い騎士はグレイスら敵中の部隊へと奔った。


「ほう。ここでこのまま敵襲に備えろと?」

「はい……。いえ、無論私も総司令には、それは危険だと申し上げたのですが、総司令は眠れないのは敵も同じだと……」

 騎士は、危険などとディアスに進言はしていないのだが、猛将で鳴るグレイスの怒声を浴びせられると怯え、ついそう言った。それでも冷や汗を掻きながら、猛獣の前の兎のように身を縮込ませていたが、意外にもグレイスは、

「確かにな」

 と、豪快に笑ったのだった。


 日が暮れると、落とした軟陣に蓄えられていた松明を焚いて辺りを照らさせ、眠れる奴は寝ておけ、とグレイスは命じた。見張りを立てておけと指示するまでもなく、この状況で眠れる者などほとんど居ないと分かっていての言葉だった。

 猛将は、柵の1つにもたれ掛かると、戦棍を抱きかかえ、すぐさま大きな鼾をかき始めた。



 静かだった。目を瞑れば、自分が世界に1人取り残されたかと思えるほど、静まり返っている。しかし現実を見れば、隣には血走った目をした戦友の顔が篝火に照らされていた。前には自軍と同じく、煌々と火を掲げる敵陣が見える。人間同士の殺し合いに、夜を駆ける獣すら、その姿を消していた。

 物音を立てれば、それが引き金となり、戦いが開始される。皆、そう考えているかのように、咳き一つ立てない。


 敵中内での夜営。狂気の沙汰である。目を閉じれば、その現実を見ずにすむ。だが目を閉じた瞬間、敵の矢が飛んで来るのではないか。二度と目を開ける事はないのではないか。その恐怖に、兵士達は目を閉じる事すら出来なかった。


 奇声が鳴った。その悲鳴とも、喊声とも取れる声にグレイスは戦棍を手に飛び起きた。

 寝ては居なかった。しかし目を瞑り、神経を研ぎ澄ませながらも身体は休ませる。その技は身に付けている。

 彼は豪胆ではあるが、無神経でも無責任でもない。敵襲の危険性がある時に、将たる者が眠れる訳がない。だが、兵士達が自分をどのように見て、どのような振る舞いに安心するかは理解している。


 幻影の敵に悩まされていた兵達は、敵襲にむしろ喜色さえ顔に浮べ、武器を手に駆けずり回っていた。現実の敵ならば、戦う事が出来る。殺す事が出来る。

「静まれ!」

 慌しく動揺する兵士達をグレイスは一喝した。改めて声が上がった方向へと目をやる。先頭のグレイスが篭る陣よりも、3つほど出口に近い陣に、敵襲があったようである。


「お前達は、ここで守りを固めていろ!」

 はやる士官、兵士達にそう言い聞かせ、数騎を伴ってその陣に向かった。陣の前後はバルバール軍が確保している。辿り着くのは容易だった。敵も全線にわたっての攻勢ではなく、その陣だけを狙っての攻撃である。

 敵も本気で陣を取り返す積もりはなかったのか、グレイスが到着して間もなく引き上げた。


「どうした? 何か敵の攻撃を誘うような事を行ったのか?」

 敵も引き静けさを取り戻すと、守備を命じていた士官に問いかけた。

「それが、どうせ眠れぬならと、今の内に軟陣の修築を行おうとしたのですが、作業を開始した途端敵が攻めてきました」

「そう言う事か……」

 軟陣を強化し堅陣に変える。敵はそれを許す気がないのだ。敵がその気ならばそれを逆手に取り、敵を誘き出す事も出来るが、今は兵士達にも余裕はない。


「夜は少しでも兵士達を休ませる事だけを考えろ」

 そう改めて命じ、グレイスは最前線の陣へと戻って行った。



「サルヴァ殿下。もうお休み下さい。また何か異変があれば、監視している士官から連絡がありましょう」

「ああ、分かっている」

 敵が軟陣を修築しようとすれば攻撃をしかけよ。そう命じていた。陣地群の中央にある本陣に喊声が聞こえ、それが消えてなくなるまで、その声が鳴る方角から目を放さなかった。

 敵を眼前にし、対峙する兵士達は眠る事は出来ない。いくつもの陣を隔てた箇所に篭る将兵すら、いつ前線の陣が破られるのかと戦々恐々とし、休めるものではない。


 それでも、自分は眠らなくては成らない。全将兵の命が、己の命令により左右されるのだ。その判断を間違わない為にも、十分な睡眠は必要だった。一兵士と同じ苦労をする最高責任者。そのようなものは自己満足、ともすれば人気取りに過ぎない。尤も前線を指揮する将ならば、それによって士気が上がる事もあるが、自分はその任ではない。


 とはいえ、気が高ぶる。バルバール軍を、フィン・ディアスをその手中に収めた。今まで何度も囲い、追い詰めたと思った。その度に包囲を食い破り羽ばたいた強敵を、遂にその手に掴んだのだ。その歓喜と、もしかして再度包囲を食い破られるかも、という不安。

 その複雑な思いを胸に、万一にと身に付けていた甲冑も従者の手によって脱がさせ、サルヴァ王子はベッドに向かった。


 横たわってすぐに、意志の力で思考を停止させ、やがて静かな寝息を立て始めた。

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