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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第44話:決戦(1):硬軟の陣

 帝国から戻ったディアス率いる軍勢は、国境の軍勢と合流するとさらに進軍し、待ち構えるランリエル軍を目前にする位置まで軍を進めた。総勢4万。国境の砦には、僅かばかりの留守部隊を残すのみ。それと知った敵に国境を奪われては窮地に陥るが、それ自体が罠でもある。

 すでに彼我の戦力が逆転している敵勢が、さらに兵を割いたところをその別働隊を討てば、戦力差はさらに広がるのだ。


 ランリエル軍は数多くの陣地を構築している。

 それぞれの陣は規模も小さく数百が籠れる規模である。互いは矢が届く程の距離しか離れていない。ランリエル本陣はその陣地群の中央にあるようだった。


「随分、物々しいじゃないか。長期戦の構えだね。しかも3万は居そうだ」

 ディアスは、幕僚達と共にその光景を望んだ。


 ランリエルから帝国への援軍は、2万5千と推測されていた。そのすべてが国境のランリエル軍から出たものならば、眼前の軍勢は2万5千のはずである。しかし実際には3万。

 やはり援軍の内5千は、王都防衛の軍勢から割いたという事か。ならばそれはそれで問題はない。王都からの援軍は、無いと考えてよい。万一の事を考えて油断は出来ないが……。


「総司令。どうなさいますか?」

 相変わらずのディアスらしい言葉に若い参謀が問いかけると、猛将グレイスが横から吐き捨てた。

「どうもも何も、ここまで何の為に来たと思っておるか! 攻め潰すしかあるまいが!」


 戦いとなれば先陣は彼の役目である。気がはやり、今にも飛び出さんばかりの勢いだった。参謀の言が、その妨げに成るかのように感じたらしい。


 猛々しいグレイスの勢いに飲まれ、参謀は後ずさって黙り込んだ。ディアスはその様子に苦笑した後、改めてランリエル陣に目を向けた。


「とにかく、これだけの備えだ。むやみに攻めれば損害も多い。敵陣の隙を見つける為、一攻めしてみよう。隙が見つかれば、そこを集中的に攻めるんだ」

「は!」

 諸将は、一斉に各々が統率する部隊へと散っていった。


 バルバール軍による総攻撃が開始しされた。敵陣の隙を見つけるべく全線にわたって攻勢をかける。勿論、深くは切り込まない。敵陣地群の表面を軽く撫でただけである。


 そのようにして探った結果、数多くある敵陣に、幾重にも柵で取り巻き強固に築かれた堅陣と、それに対し軟陣、そう言っても良い程に、構えの疎かな陣が点在するのに気付いた。柵は一重で隙間も多い。

 隙を見つけるどころか、隙だらけ。そのような構えだったのだ。


「堅陣と……軟陣という物が、入り混じっているそうだが、具体的にはどうなっているんだ?」

 小手調べの攻撃を終え、改めて軍議に集まった諸将、幕僚を前にディアスが問いかけると、情報を纏める役に任命されていた幕僚がそれに応え立ち上がった。


「は! 敵は堅陣、軟陣を交互に配置しているようです。さらに遠目にではありますが、堅陣の後ろにはやはり堅陣、軟陣の後ろには軟陣と、縦に並べているものと思われます」


「なるほど……。それは結構面倒かも知れないな」

 ディアスが顎に手をやりながら呟くように言うと、若い幕僚が不思議そうな顔を総司令に向けた。


「どうしてなのですか? 硬い陣と落としやすい陣。それぞれがあるとしても、どこにどのような陣があるか分からない方が、攻め手にとっては攻め難いと思うのですが。敵が軟陣を縦に並べていると言うなら、これを幸いに軟陣のみを狙って一直線に敵本陣まで攻め寄せれば良いのでは」


「確かにそうだが、軟陣を落としてそのまま進めば、一旦は落したその軟陣を敵に取り返されてしまう。そうなれば袋の鼠だ。備えが疎かでも陣は陣。単に軍勢で持って塞がれるよりは強固だ。取り返されないようにするには、軍勢を置いて守らなくてはならないが……」


「なるほど……。そして守るとなると、今度は逆に軟陣では心もとないと言う事ですか」

「そう言う事だね。しかも左右は堅陣に挟まれている。かなり不利な戦いを強いられるだろう」


 そこに横から声が上がった。他でもないシルヴェンである。

 今回、彼の軍勢は後方に置かれていた。探りを入れる為の総攻撃にも参加していなかった。バルバール一の武門の名流だけあって、名のある騎士、一族の勇将などもそろい軍勢は名うての精鋭、そう評価しても良いものではあるのだが、問題はそれを率いる指揮官だった。


 探る為の攻勢と命じているにも関わらず、敵陣深く突撃しかねない。ディアスはそう考え、彼の部隊を後方に置いていたのだ。シルヴェンはそれを不満に思い、自分に先陣をと主張したのである。


「堅陣だろうと軟陣だろうと関係無かろう! 正面からまとめて攻め潰して行けば良いのだ。そうすれば唯の隙だらけの構えというだけではないか! 私が先陣を務め、虱潰しにしてくれる!」


 思わずディアスは、シルヴェンを見詰めた。確かに一理ある。敵陣の隙を見つけ、その隙を攻める。その考えの元探りを入れ今また検討を行っていた為、ディアスを含め皆が、ついそれに囚われていたのである。

 もっとも、シルヴェンが他より智謀に優れていたという訳ではなく、その探りを入れる為の戦いに、参加させて貰えなかった事が幸いした。という感じではあった。


「なるほど。確かにシルヴェン将軍の言う事ももっともだ」

 シルヴェンが、ディアスを見詰める番だった。言ってはみたもののシルヴェン自身、ディアスが自分の提案を素直に認めるとは考えていなかったのだ。


 だが、やはりシルヴェンは激怒する事となった。ディアスは先陣を、シルヴェンではなくカーニック将軍に命じた為である。

「なぜだ! 私の提案が認められたのだぞ! ならば私が先陣ではないか!」


 居並ぶ諸将の半数近くが、叫ぶシルヴェンに白い目を向け、別の半数近くが困り顔を向けた。そして残りの僅かの面々は、シルヴェンに対しなんと同情の視線を向けたのだった。


 先陣を務めるに足る軍勢を率いる地位にあり、提案が認められ本人も先陣を望む。このような場合はその者に先陣を任せる。軍規とまではいかないが、不文律と言えるものではあるのだ。シルヴェンの主張も無理からぬ事ではあった。


 勿論ディアスとて、シルヴェンを個人的に嫌いだからと言って、他の将軍に先陣を命じたのではない。実際攻めるとなると、そう簡単ではない。その判断があったが為である。


 堅陣、軟陣共に攻勢をかける積りでも、勢いに任せて攻めれば落し易さに引きずられ、結局は軟陣のみを次々と落していく事にもなりかねない。それをしてしまっては意味がないのだ。強い自制心を発揮し、堅陣と軟陣、それを並列に落としていく必要がある。

 また、そもそもなぜ敵が軟陣という物を置いているかも気にかかるところだった。深入りは禁物である。


 そしてディアスは、シルヴェンの自制心を信用してはいなかった。シルヴェン個人がどうなろうと知った事ではないのだが、率いる軍勢に被害が出るとなると看過出来ない。先陣が負けると、全軍の士気にも影響するという事もある。


 それに比べてカーニックは命令に忠実で「勝敗が決した後の追撃すら命令が無ければ行わない男」とまで言われる自制心を持っている。この戦いの先陣を務めるには、うってつけと思われたのだ。


 方針と先陣が決定し、皆が軍議の席を立つ。一番奥に座っていたディアスが遅れて席を立ち進むと、背後からしわがれた聞こえた。振り向くと、シルヴェンが一人椅子に座ったままだった。


「馬鹿に……しやがって……」

 ディアスが目を向けているのにも気付かぬ様子で、俯いて膝を強く握りしめ、シルヴェンは絞り出すように呪詛の言葉を繰り返していた。その姿から目を逸らしたディアスは、背を向け改めて歩を進めた。その背中にまたシルヴェンの言葉が打った。

「今に見ていろ……ディアス」




 バルバール軍の攻撃が再開された。

 ランリエル陣地群の正面、数ヶ所の堅陣、軟陣に向けての攻撃である。バルバール軍の先陣5千は、あえて軟陣より先に堅陣を落す積りらしく、特に堅陣への攻勢を強めていた。


「さすがに素直に軟陣のみを集中して攻める、という訳ではないか」

 前線からの報告に、サルヴァ王子が応じると、その背後から副官のルキノが背を屈め身を乗り出してきた。


「いかがなされますか? 堅陣をわざと獲らせる。というのも手かと思いますが」


「そうだな……」

 王子は、顎に手をやり軽く俯いて考え込んだが、すぐに頭をあげると首を振った。


「いや、あまり小細工を労すれば足元をすくわれる事もある。ここは一旦、守りを固めよう」

「しかし、落して貰わねば作戦が先に進みません」

「それはそうだが、もう少し信頼しろ」

「信頼?」

 意外な言葉に、ルキノはつい問いかけ返した。サルヴァ王子の策も、ランリエル将兵も勿論信頼している。それを今更信頼しろとは、自分の方こそが心外というものだ。


「敵を信頼しろ。我が軍をこれほどまでに苦しませるバルバール軍が、わざと落とさせてやらねば陣の一つや二つを落とせぬなど、それほど惰弱な訳がなかろう。我らが全力で守り、それでも落とされる。今相手にしているのは、そのような敵なのだ。ここで小細工をすれば、こちらの真の意図を悟られかねん」

「確かに」

 ルキノは短く答えると、屈めていた背を伸ばし、またサルヴァ王子の後ろに佇立不動となった。その表情は硬く、つまらない事を進言してしまったと、恥じているようにも見えた。




 バルバール軍が攻撃を集中している堅陣を挟む左右の軟陣から、突如ランリエル軍が切り込んできた。

 軟陣にはあえて攻撃を手控えていた為勢いを止める事ができず、突入を許したバルバール軍は劣勢に追い込まれた。辛うじて隊列は維持しているものの、大きく動揺している。軟陣からの矢による援護も受けたランリエル軍はさらに攻勢を強め、バルバール軍は徐々に押されていった。


「退け!」

 カーニックが短く命じると、先陣は後退を開始した。劣勢のまま援護もなしの後退は、敵の攻勢をさらに強める事になるが、もし敵が打って出れば後退するように、そうディアスに命ぜられていたのだ。

 そしてディアスの目論見通り、ランリエル軍は深追いをせず軟陣へと引き上げたのである。


 数多くの陣を築いているランリエル軍は、その守りに多くの兵力を割いている。自由に動かせる軍勢は虎の子であり、危険は冒せない。そうディアスは読んでいたのだ。むしろ陣地群の近くで形勢不利のまま耐える方が、バルバール軍の損害は増えただろう。


 軍勢を立て直したカーニックが再度堅陣に攻撃を開始すると、またも軟陣から出撃してくる。その対応に追われ、堅陣を落とせる状況ではない。

「やむを得ん。先に軟陣を落とすぞ。攻撃目標を左右の軟陣へ」


 カーニックは指示を出し攻撃目標を変えた。ディアスの命令は、あくまで堅陣と軟陣を並列に落とす事。大事をとって堅陣を先に攻めたが、命令違反という訳ではないのだ。


 今度は堅陣から敵が出撃してくる可能性があると警戒しながら軟陣を攻めたが、今までの苦労が嘘のように、軟陣はあっさりと落ちた。余りの手応えの無さに、自制心の優れたカーニックにしてつい先の軟陣にも攻め寄せるところだった。だが耐えた。


 敵も軟陣を死守する気はないらしく、形勢不利となるとすぐに退却し、損害もほとんど無い。

 各陣は矢が届くほどの距離。陣の左右、ましてや後ろになど回り込もうなら、敵の矢に背を晒す事になる。敵の退路を断つ事が出来なかったのだ。


 左右の軟陣を落とし、これで落ち着いて間の堅陣を攻められると準備していたバルバール軍に、今度はランリエル軍が攻勢をかけた。落された軟陣を取り返しに来たのだ。


 そして軟陣の争奪戦が、バルバール軍に余りにも不利なのにカーニックは気付いた。

 他の敵陣からの援護を警戒し、バルバール軍は正面からの攻撃しか出来なかった。にも関わらず、あっさり落ちたほど軟陣は脆い。それを逆にランリエル軍が攻めるとなると、周りの陣は味方である。正面、左右と3方向から攻める事が出来るのだ。

 軟陣を囲むランリエル軍をバルバール軍が逆包囲しようにも、その背に他の陣からの矢が襲うありさまだった。


 その不利な体勢のまま、なまじ軟陣を死守しようとしたバルバール軍は多くの損害を出した挙句、結局軟陣を取り返される事となった。


 次にカーニックは、左右の軟陣を落とした後軟陣の備えを固めず、その勢いのまま堅陣に総攻撃をかける作戦に出た。

 結果、3方向からの攻撃についに堅陣を落とす事は出来たが、その間に軟陣は取り返されていた。だがそれはカーニックも覚悟の上である。


「よし! 改めて軟陣を攻め落とす!」

 強固な堅陣を拠点に、左右の軟陣を確保し先に進む、という作戦だった。


 だがこの作戦も思い通りには運ばなかった。やはり軟陣の確保は難しく、軟陣の主は目まぐるしく変わった。そして形勢不利となるとすぐに退却する敵軍に対し、確保を目指すバルバール軍の被害が大きくなっていくのだ。先に進むどころではなかった。


 状況の報告を受けたディアスは退却を命じた。命令に忠実なカーニックは、確保した堅陣をも捨て軍を引いたのだった。


「せっかく落した堅陣を放棄させてすまないが、あのまま戦っていても我が軍に利はなかった。改めて対策を考える必要があるんだ」

「いえ、分かっております」

 諸将が居並ぶ中、ディアスの労いの言葉にカーニックは短く答えた。そして改めて軟陣の守り難さの報告を行う。


「ディアス総指令が仰ったように、いくら脆くとも陣は陣。そのはずではあるのですが、砦は数百の兵が籠れる程度の大きさでしかありません。それ以上の軍勢で守ろうと砦の外に展開すれば、他の敵陣からの矢の雨にさらされます。そこを敵軍に攻められては、到底守り切る事は出来ませんでした」


「なるほど……。何か意見のある者は居ないか?」

 そう言いながらディアスが見渡すと、1人の参謀が発言を求めた。


「いっその事、軟陣を獲ってすぐに、破却してしまう事は出来ないでしょうか?」


「敵はすぐさま取り返してきます。その作業をしながら戦うのは難しいと思われます」

「そうか……。ならば逆に修築すると言うのも難しいだろうな……」

 答えたカーニックに、ディアスが付け足すように言った。そしてそれ以降、他の者も押し黙った。


 王子が、落とし易い軟陣という物を陣地群に構築したのはこういう目論見だったのか。ディアスは、サルヴァ王子の意図を悟った。

 すべて堅陣ならば、一つ一つ落とす度にがっちりと固め、時間はかかろうとも確実に先に進む事が出来た。

 すべて軟陣ならば、一気に駆け抜け攻め潰し、速攻で敵本陣まで攻め上がる事が出来る。


 軟陣の存在が堅陣のみの場合の確実性を殺し、堅陣の存在が軟陣のみの場合の速度を潰していた。


 隙だらけの陣。そのような物ではなかったのだ。サルヴァ王子が築いた陣地群は、言うなれば緩急を織り交ぜた陣、だったのである。

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