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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第39話:出演者達

 バルバール軍と対峙する、ランリエル軍総司令サルヴァ・アルディナは、王都から到着した援軍一万を憮然とした表情で眺めていた。

 援軍が到着してしまっては、バルバール軍が攻めて来る事はあるまい。


 なかなか仕掛けてこぬディアスに

「決戦するのではなかったのか!」

 と憤りを感じ、不信に思って調査させたところ、どうやら反対側の国境からコスティラ軍が敵国に突入したらしき情報を掴んだ。


「まったく、余計な事をしてくれる者がいるものだな」


 気を殺がれた王子が指令室の椅子に座り投げやり気味の声を放つと、背後に立つ副官のルキノもうなだれるように頷く。いざ決戦! と意気込んでいたのは彼も同じなのだ。


 だが不満ばかりも言っていはいられぬ。総司令であるサルヴァ王子には勝利をもたらす責任があるのだ。この状況を見逃さず、自軍に有利な戦況を演出しなければならないのである。


 そしてディアスが考えている事と同じ事を王子は気付いた。つまりコスティラ軍など簡単に追い返せるのだ、と。ではどうするか?


 コスティラ軍を簡単に追い返せないようにする手は、あるにはある。コスティラはバルバールに甚大な被害を与える訳には行かないが為に、挑まれれば逃げるしかないのだ。しかしそれは、今ランリエルがバルバールを狙っているからである。


 つまりランリエル軍が引いてしまえば、コスティラは存分に戦えるという事になる。


「一旦引くか?」

 王子が呟くように言うと、

「ですが、援軍が到着すれば、敵陣への攻撃を再開するのではなかったのですか?」

 と、背後に立つ副官が反射的にという感じで疑問を呈した。


 国境の敵陣への攻撃を一時中止し、敵に休息を与えてしまったが、それでもまだ完全には回復してはいない。ルキノにしてみれば、今からでも、という思いだったのだ。


「なに、本当に引く訳ではない。コスティラ軍とバルバール軍を噛み合せさせる。その為の擬態だ。我らが居ては、奴らも居心地が悪かろう。バルバール国内で大いに羽を伸ばして貰おうではないか。客人の持て成しに、ディアスも手を砕くだろう」


「なるほど……」


 その言葉に王子の意図を察し、ルキノは感嘆の声をあげた。今は副官という地位にいるが、将来一軍を率いる将軍として見込まれた幹部候補生なのである。今は王子が手元に置き鍛えている、という状況なのだ。それだけに王子の真意をすぐに理解する事ができた。


「我が軍が引き上げ、それをコスティラ軍に教えてやれば奴らは気兼ねなくバルバール軍と戦える。海岸線の軍勢は引く訳には行かんが、それはまだ完全に安全が確保されていない為、という名目で良かろう。我が本隊は、敵から見えぬ程度の距離まで引くのだ」


 もちろんディアスは引っ掛かりはすまい。そんな事は王子にも分かっている。要は、コスティラが引っ掛かれば良いのだ。むしろ罠と見破るディアスは、国境の本隊を動かせない。そこを罠と見破れぬコスティラ軍が、手薄なバルバール国内を荒らしまわる。


 それでバルバール軍は窮するはず。国境をあける事もできず、国内防衛をしない訳にも行かないのだ。


 コスティラ軍は2万という。それに対するにはやはり2万が必要だ。そうすると国境には2万しか残らない。それでは国境は守りきれないのである。だが、王都まで落とされかねない状況となれば、国内に引くしかない。


「それでは、コスティラ軍に我が軍が引いたと伝える為、間者を潜り込ませる準備を致します」

「ああ、任せた」

 察しの良いルキノの言葉に、王子は短く応えた。敵軍が固めている為軍勢は国境を通れないが、数名の間者を潜り込ませる程度なら問題はない。もちろんランリエル軍からの使者としてコスティラ軍に出向く訳ではない。そのような事をすればむしろ、何か裏があるのでは? と警戒される。


「ランリエルとの戦争で足止めをされ、仕方なく戦いが終るのをずっと待っていた。そして、やっとランリエル軍が引いたのでこれで通れるかと思ったら、バルバール軍が警戒しまだ通して貰えなかった。もはや待っても無駄と仕方なく引き返してきた」

 間者を旅の商人にでも成りすまさせ、そう言わせるのだ。


 もちろん、コスティラ軍に直接いう訳では無い。それでは怪しすぎる。バルバールからコスティラへの道々で話を広めさせ、最後にはコスティラまで到達させてコスティラ国内でも言わせる。


 コスティラとて、ランリエルとバルバールとの戦いの情報収拾には余念は無いはず。間違いなくどこかでその情報を拾うはずであるし、そもそもランリエル軍が引く事は事実である。間者を送り込ませるまでも無く、コスティラ独自にその情報を得る可能性も高いのだ。


 しかし問題もある。コスティラ軍がその情報を得たところで、そもそも本当に引っ掛かるのか、という事だ。残念ながら、コスティラ軍指揮官の人となりまでは掴めていない。こちらの思惑を見破るほど有能な者、という事もあり得る。


 とはいえ王子は、コスティラ諸将を一段下に見ていた。今までディアスに勝ち得ずにいる事が根拠である。彼等にとっては屈辱であろうが、ディアスよりは下に違いない。そう考えているのだった。


 こうしてランリエル軍本隊は後退し、そしてその情報はコスティラ軍へと伝えられたのだった。




 バルバール王都に戻ったディアスは、ケネスを伴いさらに王城へと向かった。いくら新婚とはいえ、任務が優先である。邸宅へはその後戻る事になる。


 ケネスを待たせ国王に面会を申し出ると、側近を伴って謁見の間に国王はやってきた。


「陛下には、ご機嫌麗しく存じます」

 そう挨拶を述べた後、国王陛下に対しディアスは人払いを申し出た。側近達は何やら不満そうであったが、自らが任じた総指令を信頼している国王はそれに応じた。


 個室などには場所を移さず、広い謁見の間にてディアスと国王は2人きりになった。下手に個室などに移動しては、扉の前で他の者に聞き耳を立てられる可能性もある。内密な話をするならば、近くに他人が居ないと確認できる広い場所ですべきだった。


 だがディアスの話を聞いた国王陛下は、その配慮を台無しにするかのように、

「馬鹿な!」

 と、大声を張り上げた。


「そのような事、許されるものではないぞ!」

 ドイル王はディアスを、戦には強いが人柄としては穏和な者。そう見ていた。だが、今その穏和な者から吐かれた言葉は、殺人鬼ですらもう少し人道的なのではないか、そう思わせるほどのものだったのだ。


 ディアスは、国王の前に跪き頭を下げた。

「バルバール軍は、バルバール王国と、その民を守る為にあります」

 これこそがディアスの考えるバルバール軍の存在意義である。そして彼はその頂点に立つ男だった。それゆえに王国と民を守る事を最優先に考える。いや、考えなければならない。総司令に任じられた時、そう自身に誓ったのだ。


 国王は跪くディアスを見下ろしていた。その眼はまるで何か化け物でも見るような恐れと、そして嫌悪感を宿していた。善悪で言えば、間違いなく悪。ディアスのやろうとしている事は、そのような事なのだ。


 国王からの言葉はなく、ディアスも跪き続ける。


 ドイル国王は跪き続ける総指令を見下ろし続け、ディアスは国王陛下の言葉を待ち続けた。

 長い沈黙の後、ドイル王は呟くように言った。


「名を……汚すぞディアス」

 その言葉を発した時、王の目に宿っていたのは深い悲しみだった。


「私は、バルバール軍総司令なのです」

 ディアスは、そう言うとさらに深く頭を垂れる。そしてまた、長い沈黙が訪れた。




 国王の元から辞したディアスは、改めて軍部の執務室に入った。

 数ヶ月の間主が不在だったにも関わらず、塵一つない。だがその侍女達の苦労を、残念ながら部屋の主は気付かなかった。

 万事抜け目ないこの男が、自らの考えに没頭しそれどころではなかったのだ。


 コスティラ軍をどうするか。勿論、コスティラ軍が現在築いている要塞を完成させてはならない。そして、ランリエルとの戦いの最中に王都を攻められるのは論外である。そのどちらもさせる訳には行かないのだ。


 現在要塞を築いている以上、王都を攻める積もりはないと考えられるが、やはり曖昧に放置せず、確証が欲しいところである。コスティラ軍には、要塞を築かせず、王都を攻めさせず、そしてランリエルとの決戦に水をさされた借りも、返して貰わなくてはならないのだった。


 ディアスはケネスに命じ、外交担当の文官であるクッコネンを呼び寄せた。


 しばらくの後初老の外交官がやってくると、早速用件に入る。クッコネンにソファーに座るように勧めるでもなく、自身も立ったままディアスは応じた。

「現在、国境付近で要塞を建設中の、コスティラ軍に交渉に行って欲しい」


「コスティラ……軍で、ございますか」

 敵国の王宮だろうと平然と踏み入るこの肝の太い外交官にして、敵軍の只中に向かえとの言葉に、さすがに返事がよどむ。


 戦時中の敵国とはいえ、正式な外交の使者として出向けば即座に首を刎ねられる事もない。だが、殺気立った兵士がたむろする敵陣は訳が違う。些細な事で敵将の気に触れ殺されかねない。そして殺人を犯した敵将は、陣中の事と処罰される事もないのだ。あまりにも危険過ぎた。

 だが、確かに危険だな。とディアスも引き下がる訳にも行かない。


「確かに危険な任務だ。だが、やって貰わなくてはバルバールは窮地に陥るんだ。君はバルバールの外交を担ってるんだろ?」


 バルバール全軍を担う男は、そう言うと外交を担う男の目に視線を向けた。クッコネンは一瞬目を逸らしかけたが、堪えて視線を合わせた。覚悟を確かめ合うような、覚悟を移すかのような、視線の交わりはしばらく続いた。


 クッコネンも今まで外交の最前線に居た男である。そして普段は飄々としているディアスの真剣な眼差しに、ここが母国の正念場であるとクッコネンも察した。

「お話をお聞かせ願えませんか。私がするべき事をお教え下さい」


 ディアスは微かに笑みを湛えた。そして頷き、そのするべき事を話し始めたのだった。



 その後、ケネスを伴い新妻が待つ邸宅へとディアスは帰った。邸宅に近づくと門の前に小さな人影が見える。軍総指令が王都に戻るという事は、先行した伝令が王城へ報告してあった。それをディアス邸の人々も聞きつけたのだ。


 さらにディアスが近付くと、小さな人影は、多少は大きくなったものの、やっぱり小さなままだった。だが、この影の持主が彼の妻なのだ。


 しばらくすると、ミュエルもこちらに気付き駆け寄ってきた。ディアスが馬から降りると、妻は待ちきれないのか、下馬する為一瞬背を向けた夫に声をかけた。

「ディアス様! おかえりなさいませ!」


 結婚している以上、妻はミュエル・ディアスであり、夫をディアス様と呼ぶのはふさわしくない。

 妻も分かっているようなのだが、どうやらそう呼ぶのが好きらしい。ディアスもわざわざ指摘してまで変えさせる必要を感じず、邸宅の中ではそう呼ばせていた。


 もっとも公式の場で軍総司令夫人が夫を姓で呼ぶなど失笑ものなので、そこは気をつけさせなければならないのだが。


「ただいま、ミュエル」

 小さな軍総司令夫人に体を向けたディアスは、そう返事を返した。良い子にしてたかい? という言葉が続いて出そうになったが、慌てて飲み込む。姿は、いや年齢は子供でも、彼女は妻なのだ。大人として接する必要があった。

「家の事は、大丈夫なんだろうね?」

「大丈夫と……思います」


 夫の留守を守る妻への言葉に、ミュエルは控え目に答えた。一生懸命やっている。でも、ちゃんと出来ているかと言われると、少し自信がない。そういう感じだった。


 その様子に内心苦笑しつつ、

「それは良かった」

 と妻の頭を撫でた。だがすると妻の頬がちょっと膨らんだ。どうやら頭を撫でられた事で子供扱いされたと感じたようである。敵と戦うよりよっぽど難しい。ディアスはそう思った。


 その日の晩餐では、一品だけだがミュエルが作ったという料理が出された。今までのように手伝う、というものではなく、初めから最後までミュエル一人で作ったという事だった。


「美味しいよ」

 と、鶏肉を赤ワインで煮込んだ料理の感想を述べると妻は嬉しそうにほほ笑んだ。ケネスも同じような感想を述べ、それにも妻は微笑みを返している。そしてディアスは、その風景に微笑んだ。


 その後寝室に場を移し、2人きりとなった。とはいえ、ディアスにミュエルを抱く積りはない。正直、家の前で自分を待つ妻の姿に、目を擦る思いだった。まだまだ子供、そう思っていた妻に、間違いなく女を感じたからだ。


 この年頃の娘の成長は早い。そして出陣して、もう半年近く経っている。ミュエルの体もまだまだ小さいなりに大きくなってはいる。だがそれ以上に身に纏うその雰囲気が、少女というよりも、女を感じさせるものになっていたのだ。


 ミュエルの、立ち居振る舞いも、表情も、発する言葉も子供のものだった。だがその、子供の立ち居振る舞い、表情、発する言葉の奥に、男の無事を祈る女の想いが込められていた。


 だがそれでも、心はともかく体はまだ幼い。18歳ほどになれば、そう考え、妻にもそう言ってあった。だから今日も彼女を抱く積りはない。


 2人は寝具に並んで寝そべり、お互いの近況について、手紙で書ききれない事を話した。主にミュエルが喋った。戦場の話しても、妻が不安がる。


 ふと、ミュエルの指に火傷の痕があるのにディアスは気付いた。

「どうしたんだい?」

「あ、これは、今日お料理をしている時に、鍋に当たってしまって……。でも、大丈夫です。これくらい平気です」


 そうは言っても、ディアスにはその傷は思いの外深く見えた。あまりの熱さに、水ぶくれになるというより、指のその部分は、溝のようにへこんでいた。この傷は一生痕が残るかもしれない。バルバール一美しい。そう言われた少女の可憐な指にだ。


「本当に、大丈夫なのかい? かなり深そうだが」

「ええ、大丈夫です。これからずっとディアス様のお世話をするんですから、これくらいなんでもありません」


 その言葉に、改めて妻の顔を見つめた。彼女はもう少女ではないのだ。まぎれもなく彼の妻だった。愛している。その情熱的な言葉を万遍言われるよりも、何気ない、だが遙かに深い言葉。一生残る傷よりも、貴方が大事。その言葉に思わずミュエルを抱き寄せた。


 そして口付けたが、それはいつもの愛情を確かめ合うだけのものとは違った。情事に向けての前戯。そう言って差し支えのないものだった。ミュエルにもそれが感じられたのか、夫の背に手を回してきた。


 出陣した時は、まだまだ心も幼い。そう思っていた。だが半年。夫の無事を祈り待っていた少女は、急激に女となっていた。いや、愛する者が死ぬかも知れない。そう思い続けた半年が、少女を、少女のままでいる事を許さなかったのだ。


 男と女の、互いを欲する口付けは長く続いた。

 だが、それでもディアスは踏みとどまった。出陣の日より数ヶ月経ち、妻の体も少しは大きくなっていた。だが、それでもまだ体は幼い。そう考えたのだ。熱く混じり合っていた唇をはなし、改めて向い合うと、今日はここまでだ、そう口を開こうとした。


 しかし、その前にミュエルが先に口を開いた。13歳の少女が36歳の男に対し、子供に言い聞かせるように言った。

「ディアス様。私は貴方の妻です。貴方の子供ではありません。ディアス様。貴方は私の夫なのですか? 私の保護者なのですか?」



 翌朝邸宅を後にしたディアスは、馬上に身を置き国境の本陣へと向かう。

「いってらっしゃいませ」

 そう言って夫を送り出した幼き新妻は、何か昨日と雰囲気が違って見えた。その身に纏っているものは、自信とも、確信とも取れた。この小さな少女は、まぎれも無く人の妻なのだ。


 轡を持つケネスは、馬上の上官の様子が少しおかしいのに気付いた。何がおかしいかと聞かれれば返答に窮しただろう。強いて言うならば、何かに「負けた」ような雰囲気。そのように感じられたのだ。

「どうかなされたのですか?」


 ケネスのその言葉に苦笑するだけで返したディアスは、心の中で返答した。

「敵よりも、女の方が余程手強い」


 そしてディアスは、国境の本陣へと向かった。終幕に向けての最後の出演者に、出番を割り振る為に。

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