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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第37話:決断(1)

 サルヴァ王子は国境本陣の一室で、海岸線防衛に任じたロンバルドからの報告を受けた。


 副官のルキノを介して受け取った書簡に目を通し、目を瞑り大きく息を吐く。書簡を手渡した後、その背後に立っていたルキノは、あまり良い知らせではなさそうだと、王子が手にした書簡に興味深そうな視線を送った。


 その内容は、自分には1万の軍勢と領主勢だけでは、長大な海岸線を守る事は到底不可能、というものだった。


 さらに、それはすべて自分が無能の為、と書かれ、自身の処罰を望んでいる。だが、王子はロンバルドを無能とは思わない。自分を含めたランリエル軍全員がバルバール軍を、いや総司令官フィン・ディアスという男を理解していなかったのだ。


 サルヴァ王子も、バルバール軍が海上から近隣の村々に攻撃を仕掛ける、そう考えてはいた。そうでなくて何の為の制海権の確保なのか。だがその程度が、想定していたものとは桁が違ったのだ。


 調査させたバルバール軍総司令官の人柄に、残虐、非道、そういった類の項目は存在しなかった。だが報告にあるバルバール軍の行いは、サルヴァ王子から見ても、そこまでやるものなのか。そう思わせるほどのものだったのだ。


 バルバール軍に襲撃された海岸線付近の町や村は、地図から消え去った。もはや、人も建物も家畜も、すべてが存在しないのだ。


 だが、それでも人的被害は極少数に止まっている。しかしそれすらも、ディアスが聖人君主であるがゆえではない事は分かっていた。


 ランリエルを経済的に苦しめる為だ。今、海岸線の内側の村々には流民が押し寄せ溢れている。それをどうにかして食わさなければならない。だが、バルバール軍があえて村民を害さなかった為、一つの村で発生した流民は、その村の総人口と言っていいほどの数である。膨大な食料が必要となる。


 本来、バルバール軍にそれをさせない為に行っている国境の敵陣への攻撃は継続されている。海岸線への1万の援軍が到着して間もなく、この国境にも3万の増援が到着しているのだ。


 元居た軍勢と合わせ、8万で敵陣を攻めに攻めている。だが国境の狭隘な地形では大軍を展開できない。戦闘に参加出来ているのは結局5万。王子はそれゆえに、そもそも5万で国境を固めたのだ。


 浮く3万は、攻め続ける事により疲労した兵、そして死傷者との交代要員という事になる。ランリエル軍は新手新手を繰り出し、バルバール軍は連日の防衛戦により疲労の極致にあった。


 その疲れから、敵は動きにも精彩を欠いてきた。戦闘は優位に進んでいる。このまま戦いが進めば、いずれ敵の防衛線に穴があく。それで勝敗は決するはずなのだ。


 だが、バルバールによる海岸線の攻撃が激しすぎる。放置する事は出来ない。海岸線防衛に急ぎ増援を派遣する必要があった。しかも大軍をだ。牽制する。という程度では不十分なのだ。


 王子はやむを得まいと、決断した。


「王都に連絡し、海岸線防衛の兵を回させよ。だが王都で兵が整うまでの間、バルバール軍に好き放題暴れさせる訳にもいくまい。先にこちらから4万の兵を出す」


 はじめはもっともな命令と、子細漏らさぬように聞き入っていたルキノだったが、本陣から兵を割くとの言葉に耳を疑った。


「ですがそれでは、敵と同数の兵力となってしまいます! それで堅牢な敵陣に攻撃を仕掛けるというのですか?」


 今、敵が疲労の極致にあるのは、連日の猛攻により積み上げていった成果である。それを中断しては敵に休息を与えすべてが水の泡。攻撃は続けるはず、とルキノは考えているのだ。


 しかし、王子を信頼しきっているルキノの耳を疑う言葉が、王子の口から再度放たれる。


「いや、攻撃は中断する。王都からは海岸線へさらに2万を向かわせ、こちらには1万を来させる。攻撃再開はその1万が来てからだ」


 ランリエル王国の最大動員兵力は13万。王都を空にはできず1万を残し、海岸線にはすでに1万。本陣から4万と王都からさらに2万で合計7万。本陣の残りが4万で、王都から1万の合計5万。


 ランリエル軍全軍の動員となる。


 だが海岸線の7万はどうしても必要だった。流民の問題を解決する最も効果的な方法。それは彼らを自分達の村に返す事だ。流民の中には実際バルバール軍に襲われた訳ではなく、村や町を離れた者も多数いる。


 彼らは、バルバール軍に襲われる事を恐れて逃げ出したのだ。故郷に戻すには安心させるしかない。海岸線は7万の大軍で守る。だからバルバール軍に襲われる心配はない。そう宣布する必要があるのだ。


 そして実際に村を焼かれた流民達にも、当面食い繋げられるだけの支援を行い、故郷に帰す。そして改めて育ちの早い作物を育てさせ、一刻も早く自給させる。問題を解決する為にはこれしかない。


 だが、ルキノはまだ納得しかねるのか、常にない事だが王子に進言を行う。普段、彼が王子の言に逆らう事など皆無と言ってよいのだ。


「敵軍の疲労は、今限界に来ています。後少しで、敵陣は破れます。民にはもう少し辛抱させれば良いではないですか。私とて、民がどうなっても良いと考えている訳ではありません。ですが、もう少しなのです!」


 ルキノにしてみれば、王子からの怒声を覚悟の進言だった。副官が上官の作戦を否定するなど、王子は許しはしない。厳罰を受けても仕方がない。そう決意しての行いだった。


 しかし、予想に反して王子からの怒声はなく、王子は目を瞑り首を振るだけだった。そして無言で顔の前で手を振り、命令を実行するように促した。


 完全に進言を無視されたルキノだったが、王子から言葉が無かった事が逆に彼を冷静にさせた。


「失礼致しました。諸将への通達と、王都への伝令の手配をしてまいります」


 そう言って深々と頭を下げ、部屋から姿を消したのだ。ルキノの中で複雑な感情がせめぎ合い、注意力が散漫になっていたためか、その扉が閉められる時、王族がいる部屋から退室するには大きな音が鳴り響いた。


 海岸線を7万で防衛すれば、海上のバルバール軍は国境の本陣に引き上げるだろう。だがそれでも、こちらはその7万を引き揚げさせる事は出来ない。海岸線防衛の軍勢が居なくなれば、民はバルバール軍の来襲に怯え、また故郷を離れる。


 その後、再度海岸線に大軍を派遣しても、もはや彼らは、戦いが終わるまで故郷には戻るまい。民とて逃げたり戻ったりの繰り返しなど、やってはいられない。


 海上のバルバール軍が本陣に戻れば、ランリエル軍と同じく4万。兵力は互角だ。ディアスはこの時を狙って勝負に出るのか?


 現在バルバール軍は疲労の極致。こちらは無傷な者を選抜して本陣に残す。戦いはランリエルの有利に進むはずだ。それでもバルバール軍は、疲労が完全に癒えるのを待つ訳にはいかない。


 ランリエル軍が4万なのは、王都からの1万がこの本陣に来るまでの間。それが到着してはこちらは5万となる。バルバール軍が勝負に出るなら、その前に挑まなくてはならない。


 だが……。「これで良いのだろう? ディアス」王子は胸中で敵将に語りかけた。自分が敵将の思惑どおりに動いているのは分かっている。だが、あえて敵将の作った道を歩いた。


 ルキノが進言した事は、間違いではないのだ。敵も苦しい状況だ。後もう少し。敵味方、お互いがそう考えての我慢比べだった。


 後もう少しで、敵陣を破れる。そうすれば敵は国内防衛に必死となり、海岸線攻撃どころではない。

 後もう少しで、敵は根をあげる。そうすれば敵は海岸線防衛に戦力を回し、本陣への攻撃は止む。


 そういう我慢比べだった。だがその我慢比べに、自分は負けたのだ。

 バルバール側で我慢するのは兵士達だった。だが、ランリエル側で我慢しなければならないのは、兵士達ではなく、民衆だった。


 戦いは兵士が勝負をつける。兵力は互角。しかし敵は疲労の極致にあり、しかもランリエルは守勢である。条件はランリエルが有利なのだ。あとは、自分が敵将ディアスより、劣っていなければ、勝てる。雌雄を決する。


 王子は、そう決断したのだ。


 静まり返った部屋に、ルキノが遠ざかる足音がかすかに聞こえてくる。


 自分は以前よりも弱くなったのだろうか?

 以前の自分ならば、その我慢比べに勝っていたのではないのか。いや、我慢比べとも思わず、

「もう少しだから、待っていろ」

 そう言って、構わず国境を攻め続け、そして勝利していたのではないのか。

 ふと、そんな気がした。

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