第3話:総司令の花嫁
その日ディアスは叔父の訪問を受けていた。
とはいってもケネスの父親ではない。ディアスの父親は三人兄弟の長男であり、ケネスの父親は三男である。
今日訪ねて来たのは父のすぐ下の弟ゲイナーだった。武芸に励み、身長はディアスと同じ程度ながらもよほど逞しい体つきをしている。髪の色は血縁なだけあって、ディアスと同じく茶色だった。だが、武人としての風格を備えた叔父が話題としているのは、およそ軍事とはかけ離れたものだった。
「お前ももう35だ。嫁の一つも貰って死んだ兄を、いやお父上を安心させてやろうとは思わないのか?」
「二つも貰ったら重婚ですよ」
テーブルを挟み、葡萄酒を満たした杯に手も付けず熱心に結婚を勧める叔父に、ディアスはうんざりしていた。これがまったくの善意からというなら多少は真摯に耳を傾けたであろうが、叔父の心底は見え透いていた。
つい最近まで叔父は、結婚の話などまったく持ち込んでこなかったのである。それが結婚を勧めるようになったのは、ディアス邸にケネスが住むようになってからだった。
すっぱりと軍人への道を諦めて商家へと婿入りしたケネスの父と違い、ゲイナーは軍にしがみ付いていた。
もしディアスが結婚もせず跡継ぎを残さずに戦死でもすれば、武門の名流ディアス家を継ぐのは自分だ。ゲイナーはそう考えていたのだ。ところがなんと武人の道を諦め商家に婿入りした筈の弟が、息子をディアスの元へ送り込んだのである。
弟がディアス家を乗っ取ろうと目論んでいるのだと看破した。少なくともゲイナーはそう思った。そしてそうさせてはならぬと、ディアスの元へ結婚話を次々と持ち込んでくるのだった。
自分が家督を継げないなら、結婚を世話して恩を売った方がましと考えたのだ。ゲイナーにも娘はいたが残念な事にすでに結婚しているのである。
そうは言っても、軍部内では自分の上官となった甥が、素直にその恩を感じる手合いではないのは分かっている。だが、結婚する嫁の実家は十分ゲイナーに感謝するはずだった。
ディアスは、次々と持ち込まれる縁談をそれと同じ数だけ断っているのだが、彼は武門の名流の現当主にしてバルバール王国軍総司令である。まさに引く手あまたの優良物件であり、叔父からの縁談を断り続けているにもかかわらずいっこうに玉切れを起こす気配は無い。
娘の意思などより「この相手と結婚指せた方が我が家の為である」と、親が考えた相手と結婚させるのが当然の時代である。現在決まった相手が居ない妙齢の女性の親なら、誰もがディアスに嫁がせたい。そう望むといっても過言ではないのだ。
特に上流階級の者ほどその傾向は強く、ゲイナーにとって、恩を売るに足る名族を選りすぐってもまだまだ持ち玉は豊富だったのである。とはいえディアスも「自分の身分ではなく、ありのままの自分を愛してくれる女性と結婚したい」などと考えるほど純情ではない。
ちょうどディアス自身もそろそろ身を固める必要を感じ、結婚相手の女性を適当に見繕う積もりだったのだ。ではなぜ、ゲイナーがもってくる縁談を断り続けているのかと言えば、単に気に食わないからである。
ディアスが戦死すれば自分がディアス家の家督を継げるとゲイナーは考え、甥が戦死する事を願っていた。と言うことはディアスも察していた。
それをケネスが来たからと言って、今度は縁談を進めるゲイナーの魂胆に
「お前の思い通りにしてやるもんか!」という子供じみた意地になっているのである。
「お前はディアス家の当主なのだぞ! 跡取りも残さず戦死してしまってはどうする積もりだ!」
自分自身、つい最近まで望んでいた未来をあまりにもぬけぬけと言い放った叔父に、ディアスはつい笑い出しそうになった。だが葡萄酒を満たした杯に口をつける事で、何とか笑いを誤魔化した。
しかしここまで言われると断るだけでは飽き足らず、反撃をしてみたいという欲求に駆られる。このような時に行う反撃と言えば、やはり絶対に不可能な条件を突きつける事だ。ディアスは内心にやつきながら、精々神妙な表情を叔父に向けた。
「信頼する叔父上だからこそ打ち明ける事なのですが……実は私は女性の趣味が特殊でして、結婚など出来ないと諦めているのです」
「趣味が特殊だと? いやいや、お前に娘を嫁がせたいと考える者などいくらでもいる。遠慮せずに言ってみろ」
今までずっと断るばかりだった甥がやっと断りの台詞以外を言った。ゲイナーは身を乗り出し食いついた。だがディスはもったいぶり叔父を焦らせる。
「いえ……。そればかりはいくら叔父上でも言うわけには行きません」
「いやいや、いいから言ってみろ。わしが必ず世話してやろう」
「そこまで仰るなら……実は年甲斐も無く若い娘が好きなのです」
「わっははは! なんだそんな事か。お前もなかなか……。いやいや、嫁は若い方が良いものだ。安心しろわしが責任を持って縁談を紹介してやろう」
もったいぶったわりに、甥のいう特殊な趣味が他愛も無く、拍子抜けしたゲイナーは機嫌よく笑った。だが勿論ディアスもここで話を終らす気は無い。
「ありがたいお言葉ですが、叔父上は何歳くらいの娘を私に世話してくれる御積もりなのですか?」
「うーん。そうだな……。二じゅ……いや十代の……16ではどうだ? 十分であろう。いやさすがに若すぎるか? ん?」
だが自信満々で答えたゲイナーに、ディアスは大げさにため息を付いた。
「やはり……。叔父上にも無理なようですね……。もっと若い方が良いのです……」
16と言えば、お前の娘でもおかしくないのだぞ! ゲイナーは目を見開いて驚きの表情浮かべた。しかし甥の視線を意識し一瞬で表情を改めた。ここで不快な態度を見せてはお仕舞いである。
「心配するな。じゅう……4の娘を用意しようではないか」
だが甥はがっくりとうな垂れ、答える事すらしない。
「まさか12、13の娘が欲しいなどというのではなかろうな! いくらなんでもそのような話、どの親にも話を持ちかけられんわ!」
王族同士の多分に政略的意味合いの強い結婚ならば、12歳の娘と30過ぎの男との結婚も珍しくは無い。奇異に感じても人々は政略結婚なのだからと納得する。
それに人とは当然歳を取るものである。12歳の娘も10年経てば22歳であり妙齢の女性である。だが政略結婚ではなしに12歳の娘と結婚したいというなら、それは10年後ではなく現時点で12歳の少女を抱きたいという欲求であり、人の親とすればそのような変態に我が娘を嫁がせたいと考えない。なにせ娘が年齢を重ね少女ではなく「女」となれば、少女好きの変態に娘が棄てられるのは、目に見えているのだから。
ディアスがうな垂れこちらを見ていないのを幸いに、ゲイナーは自分の甥がそのような変態だったのかと嫌悪感もあらわに見つめた。
「ですから、いくら叔父上でも無理だと申し上げたのです……」
ディアスは、うな垂れたまま力なさげな言葉を吐いたが、その実ゲイナーから隠れているその顔は、まさに笑いを堪えるのに必死であり爆笑寸前だった。
「もう少し、年上で我慢する事は出来んのか?」
なだめるように言うゲイナーに、甥はうな垂れたままやはり首を振った。
「これはどうしようもない事なのです。それが可能であれば私はとっくに結婚しております」
なんとか笑いの衝動を抑えきり、神妙な表情を作って顔を上げると、ゲイナーを正面から見据えてとどめの一撃を放った。
「ですから私は、もう結婚というものを諦めているのです。家はケネスにでも継がせます」
「ケネスに継がせるだと! そのような馬鹿な話があるか!」
あまりの事に色をなして叫ぶゲイナーに、ディアスは諭すように宥めた。
「何が馬鹿な話なんです? 仕方が無いではないですか、他に継がせられる相手も居ない事ですし」
ゲイナーは二の句が継げず、強く歯を噛締め沈黙した。拳も強く握り締める。だがさすがに甥を怒鳴ることはしない。ここで感情をあらわにしては、甥と完全に決裂する。それは避けねばならない。
甥を怒鳴ることも、諭す事も出来ぬ叔父は、しばらくして不意に席を立つとディアスから背を向けた。
背を向けた叔父に表情を作る必要がなくなったディアスは、にやにやと笑いながら口調だけに気をつけ叔父の背に声をかける。
「お帰りですか?」
「……ああ」
振り返りもせず力なく答え邸宅を後にした叔父に、ディアスは自分の放ったとどめの一撃の言葉の威力に満足したのだった。
もっともディアス自身、本当にケネスに家を継がせようと考えている訳ではない。叔父が諦めて縁談の話が来なくなれば自身で嫁を探す積もりだ。そして息子が生まれればその息子に家名を継がせる。
もし息子が生まれなければ、その時こそケネスに継がせる事になるであろうが、それはまた別の話である。
数日後ディアスは新兵の訓練の視察に向かった。
コスティラとの戦いで大勝したものの、損害が皆無という訳も無い。損害を出しただけ新兵を召集し、訓練しなければならない。大昔は、雑兵など村々から徴収したばかりの者達にとりあえず槍を持たせるだけだったが、戦いの世が続き軍制、軍略などが発達してくるとそうは言えなくなってくる。
王都から7000サイト(約6キロ弱)ほど離れたところにある訓練地で、数日間新兵の訓練状況を視察した。
※1サイト=成人男性の平均的な身長の2分の1程度、1ケイト=10000サイト。
兵士に求められるのは際立った武勇ではなく、如何に統一された動きが出きるか、である。槍の穂先を並べ敵に突進し、盾を並べて敵の攻撃を防ぐ。一糸乱れぬ動きが重要であり、1人勇猛果敢に戦われては隊列に隙が出来るというものだ。
士官の号令に従い、槍を水平に並べ盾を構えて前進する新兵達の姿にディアスは満足げに頷いた。
「訓練は順調のようだな」
訓練の責任者である武官に労いの言葉をかけると、総司令直々のお褒めの言葉を賜ったその武官の面目は大いに保たれ「これからもいっそう励みます!」と力強く答えた。
その後、帰る道すがら、見事に新兵の訓練を行った武官について考えていた。
あれだけの統率力があるのならば一軍の部隊長として抜擢すべきか、いやいや新兵の訓練は重要なのだから、これからも新兵の訓練を任せるべきだろうか。と思案を重ねた。
そうしながら邸宅に戻るといつもどおりケネスが出迎えたが、その顔には困惑の色がありありと浮かんでいた。
「どうした。私が留守の間になにかあったのか?」
「それが……」
遠慮がちにケネスは口を開き、話を聞いたディアスは自室へと急いだ。
ゲイナーに放った「ケネスに家を継がせる」という一撃は、確かにゲイナーに打撃を与えた。だが与え過ぎた。ゲイナーの世間体、嫌悪感、その他諸々の常識と感情を打ち抜き通り過ぎてしまったのである。
ディアスが自室に辿り着くと、そこには腰まである長い黒髪の美少女が待ち受けていた。そう12歳くらいの。