第2話:灼熱の王子(2)
幕僚達への指示が終わった後、サルヴァ王子は王城内にある自室へと向かったが、途中で気が変わり王城に建つ4つの塔のうち西側にある塔へ足を向けた。王城の外観は常に美麗に保たれ大国の名に恥じぬものだが、さすがに塔を昇る階段までには手が回らず、所々緑の苔がへばり付いている。
静まりかえった螺旋階段に軍靴が鳴る音を響かせ昇り、そこから西を、バルバール王国を眺めた。勿論遠く隔てたバルバール王国が見える訳は無い。いや、それどころか王都の外すら見えない。
ランリエル王国王都フォルキアは、カルデイ帝国との戦いの歴史で何度も攻められた経験から、周りを高い塀で囲んだ城塞都市である。
これは帝国も同じだったが、それももはや過去の話だ。ランリエルに屈した時にカルデイ帝都の塀はすべて撤去されたのだ。いざという時に立て篭もって抵抗されない為の処置である。
王城から西を眺めても灰色の塀しか見えないが、王子の思考は塀どころか距離すらも超越しバルバール王国へと飛翔した。
バルバールには強敵たらんとする名将が存在するのだろうか?
カルデイ帝国は征服した。だが、その戦いは接戦だった。
帝国との最終決戦時、それまでの戦闘の結果戦力は2対1にまで有利となっていた。にもかかわらずサルヴァ王子は敗死寸前まで追い込まれたのだ。しかもその戦いで帝国軍を指揮した将軍を討ち取ったかと言えば、討ち取ることも出来なかった。
帝国軍に大打撃を与え帝都の塀を突破したものの、敵将は残った僅かな軍勢をまとめ帝都の奥に位置する城に立て篭もった。戦いが終結したのは、カルデイ皇帝が劣勢に恐怖しサルヴァ王子の降服勧告に応じた為なのだ。
王子はその将軍を助命し、我が部下にならないかと誘ったが敵将は首を振った。
「ランリエルに仕えれば帝国兵士と戦う事になるかもしれない。そしてそれは出来ない事」
最終決戦時に帝国軍を指揮したその将軍に、自分は勝てたといえるのだろうか? バルバール王国にも彼に匹敵する者が居るのだろうか?
バルバールの国力はランリエルの半分ほど、いや帝国を屈服させたことによりその差はさらに広がっている。だが、油断は出来ない。バルバールにかの将軍に匹敵する者が居れば、その優位を覆される事も考えられるのだ。
サルヴァ王子の胸中には矛盾が存在した。国々を征服し領土を広げようという征服欲と、自分と匹敵、いや凌駕するほどの強敵と戦いたいという欲求がせめぎあっていた。
覇気あふれるサルヴァ王子も当初から軍人を目指していたわけではなかった。軍人を目指したのはある時期からだった。それには父、そして祖父が大きく関係していた。
父である現国王クレックスは今年40歳となった。王子は27歳である。親子は13歳差でしかない。
現国王の祖父の時代、ランリエル王国は大規模なカルデイ帝国討伐を計画し、見事カルデイ帝都を占領した。当初は成功するかとも思われたが、先例に洩れず数年間帝国内で戦った挙句撤退し、ランリエル王国は戦費の負担により経済が破綻したのだ。
その為王室は、国内で屈指の資産家のとある公爵家へ援助を依頼し、公爵は孫娘と王子の婚姻を条件に付けた。それ自体は問題は無い。王室は無条件で事がなるなど甘い考えは持っていない。だが、すでに老齢だった公爵は、孫娘が王家を継ぐべき男子を産むのを見届けねば死んでも死にきれないと、12歳のクレックス王子に釣り合う年齢の孫娘ではなく、出産に適した7つも歳上のマリセラを引き合わせたのだ。
クレックス王子は反発したが財政難は乗り越えねばならない。結婚は強行され、翌年にサルヴァ王子が生まれたのだった。
もっとも幸いな事にクレックス王子は、年上の妻に愛された。ではクレックス王子の方はと言えば、結婚前までは反発していたものの、12歳の少年が19歳の女性に手玉に取られない訳が無く夫婦仲は良好だった。現在王と王妃の間にはサルヴァ王子を筆頭に、3人の王子と2人の王女に恵まれている。
だが、王妃を愛し関係が良好とはいえ、問題はその結果ではなく過程なのだ。クレックス王も財政難の所為で臣下に結婚を強要された。という事についてはやはり納得できず不満を洩らし続け、サルヴァ王子もその父の姿を見て育った。
そしてランリエル王国を財政難に陥らせた曽祖父の時代の戦争について調べているうちに、勝気な王子が自らも軍人を目指すようになるのに時間は掛からなかった。
サルヴァ王子は15歳の時に初陣を向かえた。
初陣にもかかわらず、大隊長「格」として一隊を授けられたサルヴァ王子は「持ち場から一歩も下がらず、その場を死守した」と伝えられている。だが事実は「未熟な為まったく戦況がつかめず、いつの間にか戦闘が終っていた」のだ。持ち場を死守も何も、真実は王子の所まで敵は攻め寄せてきさえしなかった。
それを次期国王たるサルヴァ王子におもねる臣下達が、都合の良い部分だけを虚構の額縁に入れ、さらに真実を賛美の絵の具で塗りつぶし、事実を作り上げたのだ。
自らの未熟に、人知れず嗚咽を洩らした王子が真に軍人を目指したのはこの時だった。あまりにも無残な初陣を飾ったが故に、稀代の名将たらんと誓ったのだ。
領土を広げるならば強敵など居ないにこした事はない。だが稀代の名将たらんとする少年時代の誓いが、強敵を欲するのだ。弱敵に勝ったからと言ってそれがどうだというのか。だが随一の名将であるなど厳密に証明出来る訳も無い。各国すべての名将と呼ばれる武将達と同一条件で戦って勝つなど現実には不可能。だがそれは生理的欲求と言ってよいほどの渇望だった。この世に生理的欲求に抗える者が居るだろうか。
遂にランリエル王国の悲願だったカルデイ帝国討伐を成功させたサルヴァ王子だったが、その覇気は治まるどころか、さらに激しく燃え上がった。
帝国には勝利したが完勝には程遠い結果が、内包する炎を燃やしつくし昇華させるどころか、燻り、さらなる戦いを欲したのだ。だがサルヴァ王子には、領土を広げるいう欲求と、強敵と戦いたいという望み、その矛盾を超える更なる矛盾を、自ら察しながらあえて無視していた。
苦戦しない敵に、自分に完勝を許す程度の敵に勝ったところで、この炎は燃え上がりはしないという事を。
完勝せねば燃え尽きず、完勝では燃え上がらないとなれば、その先には世界を征服しきるか、それとも自分が敗死するか、どちらかの結末しかないという事を。