第24話:寵姫達の逃避行(3)
2人は馬車を手に入れる為町中を彷徨ったが、これが中々難航した。
少女時代を田舎で過ごしたアリシアは、二頭立ての馬車までなら操れる自信はあったが、中々目的に合う馬車が見つからないのである。
王都内の舗装された道を走る個人客相手の辻馬車では、車輪が細く帝国までの舗装されていない道のりに耐えられそうにない。王都外の村々を巡る人々が乗り合う駅馬車は頑丈だが、あまりに巨大でアリシアには御する自信が無かったのだ。
しかもよくよく考えると、辻馬車や駅馬車をいきなり売って欲しいと言ったところで、すぐその場で売ってくれるものなのか? という疑問もある。
アリシアがどうしたものかと考え込んでいると、セレーナが突然彼女の袖を引っ張った。
「あれなどよろしいのではないですか?」
セレーナが指差す先に目をやると、そこに一台の馬車があるのを見つけた。一頭立てだが車輪は太く丈夫そうだし、荷台にはちゃんと屋根もある。長距離の旅にも耐えられそうだった。ただ使い込まれた感がありあまり清潔とは言えない。
お嬢様育ち、どころか国内屈指のご令嬢のセレーナがそこに目を瞑ったのは、それほど王子に会いたい気持ちが強いのだろう。とアリシアには好感が持てた。とはいえ問題もある。
荷台には干し肉や野菜などの食料が満載されており、どうやら遠い村から王都まで行商に来ている者の馬車らしいのだ。
今まさに自分が乗ってきて、帰りも乗って帰ると思われる馬車を売って欲しい。と言っても無理に決まっている。それに大量の荷物をどうするというのだ。
「あの馬車を売って貰うのは難しいと思います」
「どうしてなのです?」
「あの人は遠くから馬車に乗ってきたと思うのですが、帰りにも馬車は必要でしょう。私達に売ってくれるとは思えません」
「そうなのですか……。あの馬車なら食べ物も沢山乗っていますし丁度良いと思ったのですけど……」
「荷物ごと買うお積もりだったのですか?」
「はい。食べ物も必要と仰っていたので」
確かにそうは言ったが、アリシアが言う食料とは2人で帝国に行くまで、精々往復するのに必要な量であって、荷台いっぱいの食料ではない。アリシアには思いも寄らない発想だった。
しかし……。とアリシアは、はたと手を打った。そしてセレーナに向けて不敵に笑った。
「確かに食料は必要ですわね」
「貴方、ちょっとよろしいかしら?」
さあ、今から露天を開き荷台に満載した商品を売ろうとしていた男は、その声に顔を向けた。すると露天が立ち並ぶ街角には場違いなほど着飾った女性が立ち、その後ろには金髪をきっちりと結った地味な服装の、だが稀に見るほどの美貌の女性が控えていた。
勿論、セレーナが所有する名品の数々を身に纏ってにわかにご令嬢に扮したアリシアと、侍女を装うセレーナである。
「今日屋敷で舞踏会があるのです。その料理に使うので荷台に乗っている物をすべて売りなさい」
かなり無茶な要求である事はアリシアにも分かっている。だが、おかしいと思われてもそれは問題ではない。
男にしてみれば商品をすべて買ってくれるというならば、少しくらいおかしくてもどうでも良い。相手はお金持ちそうだ。と
「ええ。勿論よろしいですよ」と笑顔で答えた。
アリシアは、ここからが勝負。自分は喜劇に出演する喜劇役者なのだと己に言い聞かせた。自身、あまりにもおかしいと思いながらも意を決する。
「それでは、馬車ごと頂きますので、御代はおいくらになります?」
「はぁ?」
あまりの事に、何を言ってるんだ? という口調で聞き返す男に心中赤面しつつ平然と繰り返す。
「ですから、馬車ごと商品を頂きます。御代はおいくらかしら?」
理由がむちゃくちゃでも、馬車を買い取って合法的に手に入れてしまえばこっちのものである。
女2人で馬車を強引に奪う事は出来ないし、出来たとしても通報され後を追われる。素直に馬車を売ってくれと言っても、なぜなのかと聞かれて理由を説明する訳もいかないのである。
男もどうやら本気らしいと思ったが、この馬車は帰りも使うのだ。売ってしまう訳にはいかない。と、戸惑った。
「……それはいくらなんでも無理ですよ」
「どうしてです?」
「この馬車はまだ使うんです。売っちまったら帰りの足が無くなってしまいますよ」
「ならば、新しい馬車を買えばよろしいでは無いですか」
「そんな事言われても、新しい馬車を買う金なんてありやしませんし、道端で売っている物でもありやせん。依頼して作って貰うにも日数がかかるんです」
アリシアも男の言い分に内心頷く。アリシア自身、馬車を手に入れるのに日数がかかるのが嫌だからこの男に売って貰おうとしているのだ。
「では、この馬車を新しい馬車を買える金額で買い取り、馬車が出来るまでの滞在費もお支払い致しましょう。それでよろしいですわね?」
「え? よろしいんで? でも、どうしてそんなにまでしてこの馬車が欲しいんですか?」
男の言葉にアリシアは「おほほほほ」と笑う。
「だって、荷物を積み替えるのは面倒ではないですか」
積み替えるのが面倒というだけで、大金を払って馬車ごと買うなど、とてもまともな思考とは思えないが、アリシアは当たり前でしょ? という風に平然と言ってのけた。だが男は困惑した。
そうは言ってもあまりにも不自然だし、女性2人以外に馬車を操る乗り手は見当たらない。後から連れてくるのだろうか。
しかしこの馬車はまだまだ使えるが多少くたびれて来てもいる。新しい馬車が手に入るというのは悪い話ではないのだが……。
「でも、商品を買って頂けるなら荷物を積み替えなくても、私がそのお屋敷まで馬車で運びやすよ」
ちぃ! と、アリシアは内心舌打ちをした。どうしてそんな良心的な事を言うのだろう。素直に売ってくれれば良いのに!
「おほほほほ。お分かりにならないの?」
そう言って男を笑ったが、実は何も考えていない。なんと言えば良いのかと、適当な言葉で時間稼ぎ必死で頭を巡らしていた。男の方もアリシアの言葉に考え込んでいる。
アリシアは早く理由を言わないと、と焦り、それがいっそう頭を真っ白にし言葉が見つからない。すると意外にも男の方が先に口を開いた。
「もしかすると、私が屋敷に行くと何か不味いんで?」
どうやらアリシアの言う舞踏会を、秘密めいたものらしいと男は勝手に解釈したらしい。彼女も男の言葉に飛びついた。
「そうなのです。やっとお分かりになりました?」
「ええ、まぁ……」
やれやれと、ほっとため息をつきセレーナに代金を支払うように言い、セレーナは男に言われた金額を素直に払う。男は多めに代金を言ったかも知れないが、それはどうでも良いことだった。これで晴れてこの馬車は2人の物なのである。
もしかすると、変な奴が居たと噂になるかも知れないが、今はそれを気にしている場合ではない。まさか代金を受け取っておきながら通報する事もあるまい。今は、追っ手がかからなければそれで良いのである。
馬車の荷台に侍女が乗り込み、令嬢が御者台に座り馬車に鞭を入れて走り去る様を、男は呆然と見送った。
「恥ずかしかった……」
アリシアは、先ほどのやり取りを自分の記憶から消去する決意をすると、一刻も早くその場から立ち去りたいとさらに馬車に鞭を入れた。
その後一旦馬車を止めてセレーナを番に残し、水や街道を記した地図など必要な物を手に入れる。
さらに田舎娘が家の用事で馬車を走らせている。そう偽装する為、装飾品さえ外せば元々は地味な着ていた服よりさらに地味な、というより田舎者っぽい服を手に入れた。
買った店で服を着替えたアリシアは改めて馬車を走らせ、外へと通じる門をくぐり、遂に2人は王都からの脱出に成功したのだった。