第24話:寵姫達の逃避行(2)
アリシアは、少し後ろを歩くセレーナに前を向いたまま話しかけた。
「セレーナ様。落ち着いて下さい。俯いて黙ってて頂ければよろしいですから」
「はい。分かりました」
セレーナはアリシアの地味な服を借り、髪はいつものように肩に流さずきっちりと固めていた。顔を隠すならば流した方が隠しやすいが、セレーナの設定はアリシアの侍女である。髪を流す侍女など存在しない。侍女ならば髪はきっちりと結っておくべきだった。
セレーナが大量に身に付けていた装飾品は皮袋に入れて彼女が持っている。彼女に持たせるのは危なっかしいとは思ったが、今は主人と侍女である。金品は侍女が持っているもの。この設定は、せめて王城を出るまでは崩さない方が無難だった。
庭を越え後宮の門へとたどり着いた彼女達は、緊張を必死で抑えて門番へと近寄る。
「アリシア・バオリスです。外出の許可を頂いているはずですが」
門番は懐から紙片を取り出し「確かに」と頷いた。
アリシアは内心ほっとし
「それでは」とセレーナを伴い門を通り過ぎようとしたが門番は彼女達を呼び止めた。
「侍女はいかが致したのです?」
まさか寵姫付きの侍女の顔を覚えているというの? とアリシアは冷や汗をかいたが、努力して平然とした表情を崩さない。
「ここに居るでは有りませんか」
そう言いながら一瞬セレーナへと目を向け、門番に視線を戻す。
「しかし侍女の制服を着ていないではありませんか」
確かに門番も侍女の顔など覚えては居なかったが、侍女が制服を着ていない事が問題らしい。内心しまった! と思いながらも、何とか表情は平静を保った。
「それがなにか?」
「宮廷に使える侍女が傍らに控えているからこそ、恐れを抱いて誰も手出しをせず安全なのです。それを知らしめるには制服を着ている必要があります。その者が侍女ならば制服を着させて下さい」
アリシアは内心舌打ちをした。まさかそのような決まりがあるとは。しかしここで引き返す訳には行かない。
「今日くらいはよろしいではありませんか」
「駄目です」
アリシアと門番のにらみ合いは数瞬続いたが、それを続けても問題は解決しない。後ろに控えるセレーナの耳元で囁いた。
「小さい宝石を出してちょうだい」
幾分偉そうな言い方だが、万一門番の耳に届くかも知れない。セレーナは装飾品が詰まった皮袋に手を入れ、ガチャガチャとかき回し小さい宝石を付けた耳飾を一つ取り出してアリシアに手渡し、アリシアはその耳飾をそっと門番に握らせ耳元で囁いた。
「侍女の制服を着ていては入り難い場所も有るのです。お分かり頂けます?」
それでも門番は断ったが、心が揺れ動いたのか
「いやしかし……」と拒否する言葉は力ない。
もう一押しとアリシアはまたもやセレーナに声を掛けた。
「耳飾を片方だけ差し上げても仕方なかったわね。もう片方も出してちょうだい」
こうして2人は後宮の門を突破したのだった。
王城の門を通るのは簡単だった。
後宮は寵姫達に万一不祥事があってはと人の出入りに厳しかったが、王城は防衛の為入る者には気を使うが、出る者にはさほど注意を払わなかったのである。つまり2人は何の障害も無く、テクテクと普通に歩いて城門を通り過ぎたのだった。
城下町に出た2人はまず装飾品をお金に替えなくてはならない。と宝石商へと向かった。
「ようこそいらっしゃいました」
にこやかに出迎える店員に、アリシアは早速要件を切り出した。
「実は引き取って頂きたい物があるのですが、よろしいでしょうか?」
「勿論で御座います。それでどのようなお品でございましょう」
2人は個室に通されアリシアは勧められた椅子に座り、侍女であるセレーナはその後ろに立つ。
アリシアが後ろに控えるセレーナに頷くと、彼女はテーブルの上で皮袋を逆さにし宝石達をテーブルの上に山積みにした。だがこの行為に店員は驚き、怒鳴るような声を発した。
「貴方達は何をやっているんですか!」
突然の店員の大声に2人は目を丸くし、そこから店員のお説教が長々と続いた。店員にとって2人の行為は、相手が客である事を忘れてしまうほどの暴挙だったのだ。
原石ならともかく、磨かれた宝石を一つの皮袋に入れて持ち歩くなど、宝石を扱う者からすれば正気の沙汰とも思えない。ダイヤモンドは硬度が高く傷付かないと言われるが、ダイヤモンド同士をこすり合わせればやはり傷は付くのだ。
ましてやダイヤモンドと、それより硬度の低い他の宝石を一緒の皮袋に入れるとは……。だがこのような知識を貧乏なアリシアが知る訳も無く、セレーナが気を付けるべきである。アリシアは何とか店員をなだめ、傷付いた宝石とはいえいくらになるかと問いかけた。
店員は苦い表情ながらも鑑定を開始したが、またもや店員は驚きの声を上げた。
「これはカスティニオ公爵家に伝わると言う名品、アウロラの瞳ではないですか?」
「よく似ていると言われるのです。それではこれはやめて置きますわね」
慌てて店員からアウロラの瞳を取り上げた。そしてちらりとセレーナを睨む。こっそりと抜け出して帝国まで行こうと言うのに、なんと目立つ上に足が付きそうな物を持ってくるのか。
アウロラの瞳は、貧乏で宝石などとは無縁のアリシアすら名前だけは知っている有名な宝石だった。聞いた話によると光の加減で七色に光り輝くと言うが、今はその輝きを楽しむ余裕は無い。
しかしすべての宝石を鑑定した後の店員の言葉は2人を落胆させた。
「すみません。私どもではこれらの宝石達は買い取れません」
そう言って店員は肩を落としたのだ。
まさか買い取っても貰えないとは。宝石とは傷付くとそれほど価値が無くなる物なのか。と2人は焦ったがそうではなかった。
「傷が付いている事を差し引いたとしても、このような見事な宝石をすべて買い取る資金は当店には無いのです」
店員はそう言うと無念そうにため息を付く。
ランリエルでも屈指の実力者であるカスティニオ公爵が、次期国王を攻略する為にと娘に持たせた名品の数々は、一宝石商の手に負える物では無かったのである。
「……買い取れるだけで良いです」
アリシアは力なく答えた。
「上手く行きましたわね」
店を出るとセレーナは嬉しそうに言ったが、アリシアは早々に彼女を帝国まで連れて行くと言った言葉を後悔し始めていた。
結局売った宝石は持ってきた物の10分の1にも満たず、この女性は世界の果てまで旅する積もりだったのかとアリシアは思った。
しかも売らなかった宝石は、また皮袋に入れられるのかと心配した店員が一つ一つ布で包んでくれ、セレーナは次に宝石を売る時に怒られなくてすむと喜んだ。しかし今回売った分のお金でだけで十分お釣が来る。
いや、このような大金と名品の数々を持ち歩いていると知られればむしろ危険だった。
「セレーナ様、沢山お金を持っている事はあまり口にしないようにして下さいね」
「どうしてなのです? お金があると言った方がお願いし易いのではないでしょうか」
セレーナは不思議そうに首を傾げた。彼女もお金に物を言わせて無理を通すと考えている訳ではなく、御代の心配は無いですよと言った方が相手も安心するのでは? と思っているのだ。
「勿論、ある程度のお金を持っている事を示すのは当然ですけど、あまりにも大金を持っているとそれを奪おうと考える者も居て危険なのです」
「まぁそのような方がいらっしゃるなんて……」
セレーナは驚いているが、アリシアにとっては当たり前過ぎて、今後も一々このような事を指摘しなければならないのかと先が思いやられた。だが乗りかかった船である。日が暮れても2人が後宮に戻らないと騒ぎになる。出来ればその前に王都を出たかった。
「セレーナ様、急ぎましょう。次は馬車を用意しなくては。それと食べる物も必要です」
「はい!」
サルヴァ王子に会いに行く計画が着々と進み、セレーナは元気良く答えた。