第345:愚者の夢
皇都に入ったサルヴァ王子は、その翌日に皇帝主催の舞踏会に招かれた。こうして、サルヴァ王子と現皇帝カルリトスは初めて顔を合わせた。
当初、皇国側からはサルヴァ王子が到着した当日に、玉座に座るカルリトスに’謁見’するという行程を提案した。謁見とは、目上の者にたいするもの。それはランリエルにとっては受け入れられない。
「ランリエルは、貴国に対し臣従に来た訳ではありません。サルヴァ殿下は、貴国と対等な立場で和平を結びに来たのです」
ランリエルの主張は当然のものだ。それは皇国としても分かっていた。しかし、皇帝に対し跪かないなど’ありえない’のだ。とはいえ、両国の和平の調印として、片方の王がやってきているのだ。
調印は、サルヴァ王子とカルリトスとで行い、その時に顔を合わせるとしても、それを初体面とするわけにもいかないのだ。
もし、それをすれば、今度は皇国側が
「現皇帝のカルリトスが幼いとは聞いていたが、表に出てこれないほど未熟なのか」
と、侮られる元となる。
両国の役人達が頭を悩ませた挙句、思いついたが、皇帝が開いた舞踏会にサルヴァ王子を招く。という事だった。これならばサルヴァ王子が跪く必要がなく、カルリトスも形として主人としてふるまえる。
「ランリエルのサルヴァ・アルディナで御座います。本日は皇帝カルリトス陛下にお招きに預かり、光栄に存じます」
「うむ。今日は、存分に楽しんで頂きたい」
サルヴァ王子は、ランリエル皇国とは称せず、カルリトスは、サルヴァ王子を、ランリエル王とは呼ばない。という程度の配慮はなされた以外は、面白みのない型通りの台詞をやり取りし、対面するというミッションを果たしたのだった。
その更に3日後、ついにグラノダロス皇国とランリエル皇国との間で、和平の調印がなされた。まずはカルリトスが著名し、次にサルヴァ王子が著名した。
内容は、すべての戦闘は終了する事。皇国領は寸土と言えど侵されない事。大まかにいえば、この2つである。
特に、皇国領は寸土と言えど侵されない事。とは、一見、皇国側にのみ有利な内容にも見えるが、逆に言えば、皇国’が’他国を寸土も侵略しない。とも言える。
また、サルヴァ王子の弟の、サマルティ王子がアルデシア王となる事は、和平の条件とは別、という態となっている。それを和平の条件に入れれば、皇国側が実質的にサマルティ王子を人質に取っているという認識とはいえ、外交的には皇国がランリエルに対し、支配国の1つを割譲する事となってしまう。それは皇国としてはあり得ない。
こうして無事に和平の署名が行われると、瞬く間に大陸全土で対峙していた皇国軍とランリエル側の軍勢に伝えられた。
「ほう。やっと片が付いたか」
とはゴルシュタット王国で、皇国軍と対峙するカルデイ帝国軍総司令ギリス・エティエの弁である。
アルデシア王都にて、皇国軍からの攻撃を守り切ったバルバール王国軍総司令フィン・ディアスは
「どうやら、ランリエルとは長い付き合いになりそうだね」
と、甥であり弟子でもあるケネスに語った。
バンブーナ王国軍のチュエカと毎日のように茶会を開いていたドゥムヤータ王国のルヴェストル公爵は、この日もチュエカを前に茶を啜っていた。
「どうやら、かねてから話していた貿易について、関税は五分五分という事になったようですね」
その言葉にチュエカも苦笑した。
サルヴァ王子の弟で、ベルヴァース王国次期国王のルージ王子は、総司令テグネールと共に、軍勢を率いて皇国国境付近に居た。
「無事に帰れるみたいだね」
「はい。姫様もお待ちで御座いましょう」
「うん」
頷くルージ王子の顔には、笑みが浮かんでいた。
皇都に滞在するサルヴァ王子はとある伯爵の邸宅を借り受けていた。調印の後、今度は、サルヴァ王子が主催して舞踏会を開いた。さすがに皇帝カルリトスは招いて居ないが、多くの皇国の有力貴族に招待状を送り、ほとんどの貴族が参加した。当初から舞踏会を開く事を計画していた為、借り受けた屋敷は広く、多くの招待客を迎え入れても問題ない。
その場には、サルヴァ王子の外に1人の男が招待客を出迎えていた。
「ほう。あれがサルヴァ殿下の御舎弟というサマルティ王子ですか。サルヴァ殿下とは違い金色の髪と青い瞳をお持ちですな」
「アルデシア王の養子となり、その王女と婚姻して次期アルデシア王になるという事ですが……。まあ、見た目は問題ないようですな」
グラノダロス皇国と衛星国家の王族には金髪碧眼が多い。それを揶揄した貴族の会話が、端々からサルヴァ王子やサマルティ王子の耳にも入って来る。
サマルティ王子は、以前、サルヴァ王子とランリエルの王位を争った後、国王親衛隊の副将の地位を得ていた。サルヴァ王子がランリエル皇帝になってからは、勿論、皇帝親衛隊の副将だ。
ただ、今回の皇国との戦いではランリエル皇都に留まっていた。なぜならば、サルヴァ王子に跡を継ぐ男子が居ない以上、サマルティ王子が王位継承権の一位。万一サルヴァ王子が戦死した場合、次期皇帝は生き残らなければならないからだ。
だが、グラノダロス皇国との和平がなるとの報告を受け、グラノダロス皇国に向けて出発。調印後に皇都に入っていたのである。
皇国と互角に渡り合えるランリエルの皇帝。それとお近づきになるのは悪い話ではない。そう目論見、招待に応じた貴族達だが、産まれてこの方培ってきた皇国貴族としての肥大した尊厳は、無意識に他国の王族への蔑みを滲みだす。
サルヴァ王子が、有力貴族達にサマルティ王子を引き合わせ
「弟のサマルティです。今後、弟の力になって頂けるとありがたい」
と、話しかけた時には、
「勿論、喜んでお力になりましょう」
と、応えるものの、立ち去る2人の背に、
「田舎者……」
という言葉が届く。
とはいえ、そのサルヴァ王子やサマルティ王子が、皇国貴族令嬢をダンスに誘うと、その父親達が、
「前も一曲踊っていただけ」
と、娘の背を押すのは、彼らの複雑な心境を表してた。
舞踏会の後、サルヴァ王子は、改めてサマルティ王子を、仮宿の自室に招いた。
「今日の舞踏会で分かったであろう。彼らは我々を侮り、そして恐れてもいる。お前は、これ以上、我々を恐れさせないまま、侮りを払しょくさせねばならない」
単に侮られないようにするならば、ランリエルの武力を背景に強気に出れば良い。それは難しくはない。だが、それをすれば、武力を背景に偉そうに、と後々まで遺恨を残す。こちらの力が弱まった時、その反動が来るだろう。
だからと言って、侮られたままであれば、それはそれで、こちらの力が弱まれば、すべてを取り上げられる。
ランリエルという後ろ盾に頼らず、侮られないようにする。それは、サマルティ王子が、個人として、品格、人格を認めさせるという事だ。選民意識に浸りきった皇国貴族を相手にだ。
「はい。ランリエル皇帝の弟として兄上に恥じぬよう……」
サマルティ王子は、そう言うとサルヴァ王子に笑いかけた。
「ランリエル皇帝の弟という事を忘れ去り、アルデシア王として務めましょう」
「……そうだ」
ランリエル皇帝の弟という事を忘れる。それは、サルヴァ王子がサマルティ王子に伝えようと考えていた言葉だった。
それがサマルティ王子自身の口から発せられた。かつて、弟であるルージ王子が、次期国王としてベルヴァースに送り込まれた後、どうして兄である自分が国王になれないのか。ルージよりも自分を先に国王にするのが筋ではないか。そうサルヴァ王子に不満を持ち、敵対までした。そのサマルティ王子がだ。
「私も国王親衛隊の副将となり、遊んでいた訳ではありません。兄上の戦い。その軌跡を知り、私などでは到底太刀打ち出来ないと知りました。そしてルージ」
ルージなどより、自分の方が国王に相応しい。そう憤慨していたサマルティ王子は、複雑な笑みを浮かべ、目を瞑って首を振った。
「ルージの戦いも……。あれは、私には無理です」
「ああ、あれは、私にも無理だ」
それはサルヴァ王子も認めるところだ。
「どれほど劣勢の戦況でも、ルージを守る為にベルヴァース騎士は引かずに戦う。本来、他国……侵略者の王子のはずのルージの為にです。それは、ルージがベルヴァースに尽くしているからです。誰よりも」
厳密には、ベルヴァース王女アルベルティーナ・アシェルの為であるが、ベルヴァースの平安が彼女の平安である以上、実質、同じ事だ。
「私は、ルージの兄なのだから、自分が国王となるべき。その程度の考えしか無かった。もし、私がベルヴァースの次期国王となっていても、ベルヴァース騎士のただの1人も、私の為には戦わないでしょう」
そう言うとサマルティ王子は、改めてサルヴァ王子を見つめた。
「私は、ランリエル皇帝の弟である事を忘れましょう。アルデシア王国に尽くし、グラノダロス皇帝に尽くしましょう。私が、ランリエル皇帝の弟である事は、どうせ、私以外の者達が覚えている」
他国で信頼を得るには、その国に溶け込む事である。尊敬を受けるには、その国に尽くす事である。だが、それでもその国の人々は、元の国籍を忘れる事はない。
「ランリエルの王子にしては」
「ランリエルの王子にもかかわらず」
と、その評価には、ランリエルの王子が枕詞となる。
そして、それこそが皇国内でのランリエル全体の信頼に繋がるのだ。皇国の人々はランリエルとは直接関わりあわない。関わるのはサマルティ王子一人のみ。皇国の人々に取って、サマルティ王子はまさにランリエルの擬人化なのである。
むろん、サマルティ王子も多くの腹心を引き連れてアルデシア王国に入る。しかし、彼らの素行を管理するのもサマルティ王子の裁量だ。
もし、皇国内でランリエルに不満を持つ者達が多くなったとしても、サマルティが皇国で信頼されれば、
「貴公も、皇国とランリエルとの間に不穏な空気が流れているのを気に病んでいよう」
と、相談を持ち掛けられるようになるだろう。そうなれば、問題の解決にも繋がる。
サルヴァ王子は、アルデシア王となるサマルティ王子に向けて、多くの教訓となる言葉を贈る積りだった。この舞踏会も、皇国貴族が自分達に向ける感情を、経験させる為だった。
しかし、サマルティ王子に贈る言葉は不要だと察した。必要なのは、送る言葉だけだ。
「身体には気を付けろ。水が合わぬかも知れぬからな」
「はい。兄上も」
皇国との和平もなり、アルデシア王となるサマルティ王子と結婚するというアルデシア王女マティルデとの顔合わせが行われた。彼女は現アルデシア王の三女である16歳で、皇国の衛星国家の王族の常で金髪碧眼である。
彼女の上には2人の姉が居て、その2人も未婚である。本来なら長女や、それでなくても次女がサマルティと結婚しそうだが、年齢は27歳と24歳。晩婚というほどではないが、若い方が良いだろうと現アルデシア王が判断したのだ。
現アルデシア王には後を継ぐ男子も居た。しかし、今回、バルバール王国軍に王都を落とされた事から国王の座をランリエルの王族に奪われるのだ。それならせめて自らの血統をアルデシア王族に残したい。万一サマルティ王子と娘との間に跡取りが出来ず、側室の子が王位を継ぐような事態は避けたいのだ。
勿論、サマルティが側室を迎えるとしても、衛星国家の血統を途絶えさせるわけにはいかないので、王家の血を引く女性に限定されるだろうが、現国王としては自らの直系の血を残したい。
そうして、サマルティ王子とマティルデ王女とは顔を合わせたのだが、サマルティ王子の見たところ、似た者夫婦。というものか。という感想だった。一通りの挨拶の後、マティルデ王女はサマルティ王子にこう囁いたのだ。
「お互い思いかけず王座に就くのですから、仲良くいたしましょう」
驚くサマルティ王子にマティルデ王女は微笑んでいた。
どうやら、彼女は夫となるサマルティ王子について調べ、自分が国王になれないとルージ王子を妬みサルヴァ王子と諍いを起こした事を知っているようだ。そして、精々、有力貴族の元に嫁ぐ未来しかなかった自分が、思いもかけず玉座に就く事になった。
勿論、それが、幸福なるのか不幸になるのかは、彼ら次第。一つだけ分かっていることがあるのは、仲違いすれば不幸にしかならない。マティルデ王女の、仲良くしましょう。とは、それを分かっての事だろう。どうやらマティルデ王女は、賢い女性のようだ。
その後、帰国の途に就くサルヴァ王子は、その前に皇都の民衆、貴族、兵士達の前で演説する事となった。
皇国と対等に渡り合ったという国王の演説とあって、多くの民や貴族達が詰めかけていた。手の空いている者はすべて駆けつけ、その数は数万に及んでいた。ちなみに、サルヴァ王子は勿論、ランリエル皇国皇帝だが、皇国の民にとって皇帝はグラノダロス皇帝のみだ。それ故、グラノダロス皇国とランリエルとの和平文書には、苦労してランリエル皇国という名称を記載されない内容が作成されていた。
皇国のエスカサル宮殿の城壁に立ち、詰め寄せた者達に向かってサルヴァ王子が語り始めた。
「グラノダロス皇国皇祖エドゥアルド陛下は偉大だった。陛下が望むならば、この大陸全土を支配する事も可能だった。私は、そう確信している。しかし、陛下は、あまりもの広大な領土は統治しきれず崩壊する。そう唱えて、現在の皇国の支配権のみに領土を抑えた。私もその通りと考える。しかし、皇国の外を見れば、小国が群雄割拠し、戦いは続いていた。皇国に敵対しようなどという国は現れなかったが、それでも彼ら同士での戦いは続いた。この大陸から戦いは無くならなかった。そして、皇祖エドゥアルド陛下に伍するなどと、称する積りはないが、私も皇国以東の地域の大半を支配するに至った」
サルヴァ王子は、そこで言葉を切った。伍する積りはない。そう言ったサルヴァ王子だが、それを聞いた皇国の人々は、内心では伍すると考えているに違いないと、サルヴァ王子に不満の視線を向けている。
「グラノダロス皇国は強大である。我がランリエルがそれを打倒するのは不可能だろう。だが、我がランリエルも小さな勢力ではない。今回、和平がなったが、万一再度の戦いが起こったとしても、簡単には敗れぬ。両者の戦いは決着が付かぬ戦いとなる。不要な戦いだ。我らには尊厳がある。誇りがある。国にも利益があり名誉がある。人は、それを得る為、守る為に戦う。それは否定しない。だが、決着の付かぬ戦いは、何も得られず、失うばかりだ」
サルヴァ王子は、一旦言葉を切った。民衆達を再度見渡した後、演説を再開した。
「グラノダロス皇国皇祖エドゥアルド陛下は偉大だった。統治しきれぬ領地を得ようとせず、皇国内に平和をもたらした。その平和を、皇国外にも広げたいと思っている。それにはグラノダロス皇国の協力が必要だ。皇国が戦いを否定し、我らも皇国に敵対せねば、もはや、この大陸に戦いは起こらないだろう。グラノダロス皇国皇祖エドゥアルド陛下も、それを望まれるはずだ」
2大強国が戦いを否定すれば平和が訪れる。夢物語である。サルヴァ王子が語ったのは、その夢物語だ。現実的ではない。それはサルヴァ王子自身も分かっている。現実は、そのような奇麗ごとは通用しない。だが、建前にはなる。その為の演説だ。
今後、両国間で戦いが起こりそうになった時、現実的な視野を持つ者は、両国の戦いに何ら益がないと理解するだろう。その時に、奇麗ごとであろうと、開戦派を説得する一助になれば。
「皇祖エドゥアルド陛下も戦いを望まれぬはずだ」
と、皇国の開戦派を説得できるのではないか。開戦派も戦いは益がないとは考えながらも、面子、名誉の為に引くに引けなくなっている場合がある。その時に皇祖エドゥアルド陛下のお考え。は、矛を収める建前となる。
皇国では皇祖が絶対だ。故にあえて皇祖エドゥアルドを絶対の者として何度もその名を出した。ランリエルの開戦派は言うまでもない。
サルヴァ王子は現実的視線をもって、夢物語を語ったのだ。だが、夢物語を否定している訳ではない。夢物語を語るだけなのは、ただの夢想家である。現実的な処理だけをするのは実務家である。夢物語を胸に抱き、現実世界でいかにそれを近づけられるか。それを考え実行するのが為政者というものだ。
自分の馬鹿げた野心で、東方三国を統一した。その余波が西へ西へと広がり、ついには大陸全土を巻き込んでの戦いとなった。まさに愚者の行いだ。だが、それ故にその行いを無駄には出来ない。多少なりとも、戦いが起こる前よりも、マシ、にせねばならない。
サルヴァ王子の言葉を聞いていた皇国の者達も、皇祖エドゥアルドを終始持ち上げるようなサルヴァ王子の演説に、満足げに拍手を送る者もいた。それでいい。皇国以外はすべて格下。そのような者達の中に拍手をする者が居て、それを他の者達も咎めはしない。ならば、内心では拍手をした者の数の、数百倍、数千倍の者達がサルヴァ王子の言葉を受け入れている。という事だ。
こうして、サルヴァ王子の演説も終わり、ランリエルへの帰国の途についたのだった。




