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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第24話:寵姫達の逃避行(1)

「アリシア様。申し訳ございません」


 セレーナは馬車の荷台から、御者台に座り馬車を進ませるアリシアに声をかけた。


「気にしなくて良いわ」

 と答えたもののアリシアも、内心早まったか。と思わないでもない。


 奇妙な取り合わせだがこれには事情がある。それには話を数日前にさかのぼる必要があった。



 サルヴァ王子がカルデイ帝国へ出立した後、ランリエル王国王都フォルキアではさまざまな流言が飛び交った。


 それはサルヴァ王子が、自分に反感を持つ貴族達に一喜一憂させ炙り出す為に流させたものだったが、流言に一喜一憂したのは貴族達ばかりではなかった。サルヴァ王子の寵姫であるセレーナも、貴族達以上に流言に惑わされ焦燥にかられたのだった。


 この点王子も迂闊といえるかもしれないが、寵姫の心情を慮って策略を変更したり実行を止めるなど出来ない以上仕方が無いと言える。セレーナだけには策を打ち上げておく。と言う事も、もし事が露見すれば寵姫に大事を語って策を誤ったと、歴史に残る大失態と物笑いの種である。


 王子にしてみればやむを得なかったのだが、セレーナは王子の身を案じ心を痛めた。そしてアリシアも、王子が死んでしまうと後宮が閉鎖され、年金が貰えなくなると王子の身を案じていた。


 しかもそうこうしている内に、なんとガリバルディ公爵を中心とする貴族達が挙兵し帝国との国境を封鎖してしまうという事態が発生したのだ。


「サルヴァ殿下はご無事かしら?」


 セレーナは焦燥にかられ、その胸は張り裂けるような苦しみを感じ思わず呟いた。


 その呟きを聞き逃さなかった侍女が

「きっと大丈夫で御座います」と慰めてくれたが、セレーナの不安は少しも晴れない。慰めてくれた侍女の気持ちは嬉しいが、あまりにも根拠が無さ過ぎたのだ。


 サルヴァ王子とて今まですべての戦いに勝利してきた訳ではなく、幾度かの敗戦を経験している。だがセレーナが後宮に来た年には戦いが行われず、後宮に来て2年目にして勃発した帝国との戦いにはサルヴァ王子は勝利している。


 セレーナが知る限りでは王子はいつも勝っている事になるが、だからと言って安心出来るものではない。ましてや流言では、帝国に取り残されるという事は絶体絶命を意味すると言うではないか。


「もうサルヴァ殿下とお会いする事は出来ないのかしら……」


 そう思うとセレーナの目に留めなく涙が溢れ、自室のベッドに突っぷして泣き続けた。セレーナは自分の無力を呪った。


 自分には何もする事が出来ないのだろうか。この後宮の一室で目を泣き腫らしながら待つしか無いのだろうか。でも、このような気持ちのまま王子を待ち続けるなど耐えられない。いや、待ち続けるも何も王子は帰って来ないのかも知れないのだ。


 王子が帰って来ないならば……。



 ある日の朝、セレーナは後宮の庭へと散策に出た。


 勝手知ったる後宮内であり警護も厳重で危険などありはしない。侍女達もセレーナが特にと言いつけない限り付いてはこず、この日も彼女は一人部屋を後にした。ただ、庭を散策するにしてはセレーナが多数の装飾品を身につけている事に、侍女は微かに奇異を感じたが、それ以上深く考えな無かった。


 セレーナは庭を通り過ぎ後宮の外へと通じる門に向かう。待ち続けるより、自分からサルヴァ王子に会いに行くと決意したのだった。


「殿下お待ち下さい。すぐに参ります」と思わず歩む足も速くなる。だが侍女達には内緒にした。帝国に向かうなどあまりにも危険で侍女達が引き留めるであろう事は、彼女にも分かっていたのだ。


 後宮の外へ出て身につけた装飾品を差し出して馬車を雇い、帝国へと向かう。現金は侍女達が管理している為持ち出せなかった。


 しかしセレーナが完璧と考える作戦はすぐに破綻した。後宮の外へと続く門をくぐろうとしたところで、

「駄目です」と後宮の門を警護する兵士に止められたのだ。


「でも、後宮の外に用事があるのです」


 セレーナは食い下がったが、兵士はにべも無い。


「寵姫の方々が後宮の外に出るには事前の申請が必要です。申請無き方をお通しする訳にはまいりません」

「そんな……」


 兵士に冷たく拒絶され言葉に窮した。今まで侍女達をお供に何度も後宮の外に出た事はある。だが外に出る時の侍女との

「今日は何をなしますか?」

「今日は後宮の外に出てみようと思うの」

 という何気ない会話の後、侍女達が急いで申請を出していた事などセレーナは知らなかったのだ。しかも侍女も連れずに一人で後宮を出るなど、とても見過ごしては貰えない。


 王子に会いに行く作戦の第一段階どころかはるか手前で頓挫した可憐な寵姫は、門に背を向けトボトボと庭へと戻って行く。


 歩きながらも、あまりの情けなさにポロポロと涙が頬を伝った。だがそこへ心優しきセレーナの為、神が救いの女神を派遣した。もっともこの女神はあまりお淑やかとは言えなかったが。


 セレーナとは違い正真正銘申請も行い、後宮の外へ出る許可を得ているアリシアが彼女の前からやって来たのだ。後ろには、面倒くさそうにアリシア付きの侍女であるライヤも控えている。


 本来ならばお互い無言で通り過ぎるだけの関係でしかない2人だが、セレーナの日頃の行いが彼女へ、女神から救いの手を差し伸べさせたのだった。


 涙を流し視界も霞む彼女はアリシアに気付かなかったが、アリシアは彼女に気付いた。そして前回セレーナと顔を合わせた時、彼女が挨拶をしたにもかかわらず自分は無視をしてしまった事をアリシアは思い出したのだ。


 今度は自分も挨拶をしなくては。と幾分緊張しながらアリシアは足を進ませ、セレーナとの距離を近づけて行く。


「おはよう御座います。セレーナ様」


 こわばった笑顔に微かに上ずった声でセレーナに挨拶をした。その声に反応しアリシアに顔を向けたセレーナは涙に目を泣き腫らしている。その顔にアリシアは戸惑った。何か間の悪いところに出くわしたようだ。


 目の前にアリシアが居るのに初めて気付いた彼女は、緊張の糸が切れたのか、本来敵であるはずのアリシアの胸に顔を埋めて抱き付いたのだ。


 抱きつきつつもさらに涙を流し続けるセレーナにアリシアは戸惑った。彼女が抱きついて来るなど本来あり得ない。何か事情があるに違いなかった。


「どうしたのです?」


 するとセレーナはアリシアの胸に顔を埋めながらも答えた。


「殿下が……」

「殿下?」

「はい。殿下にお会いしなくては……」


 殿下にお会いする? いやサルヴァ王子様は今帝国にいる。どうやって会うというのだろう。


「でも殿下は帝国に居るのではないのですか?」


 その声にセレーナは顔を上げてアリシアを見つめた。


「私は帝国まで行きたいのです」

「はぁ……」


 あまりの事にアリシアは呆れた声を出した。その背後で、ライヤが所在無さげに立っていた。



 とりあえずセレーナを自室へと連れて行ったアリシアはライヤには席を外させ、どうする積もりなのかと問いただした。ベッドの縁に座り問いかけるアリシアに横に座るセレーナは答え、身に付けた装飾品を差し出して馬車を雇い、帝国へと向かう作戦を説明した。


 話を聞いたアリシアは「うーん」と唸った。どこから指摘すれば良いのだろう。と。


 装飾品の真贋の鑑定など専門家でなければ出来るはずも無く、馬車の乗り手に差し出し、これで乗せて欲しいと言ったところで偽物と疑われるだけだった。


 しかも今帝国との国境は軍勢により封鎖されているのだ。帝国まで行って欲しいと頼んだところで、行ってくれる訳も無い。


 万一行ってくれると言う者が居たとしても、それこそ胡散臭すぎる。おそらく馬車は帝国には向かうまい。女一人で旅をしようとするセレーナがどのような目に合うかは容易に予測できた。セレーナの計画はあまりにも無謀だったのだ。


 あまりにも世間知らず過ぎ、これで本気で帝国まで行けると考えているなんて……。と思わずアリシアはクスリと笑った。その笑いは徐々に大きくなり遂には大笑いとなった。


「あはははははっ。いくらなんでも無謀過ぎます。諦めた方がよろしいのでは……」


 だが、このアリシアのありがたいご忠告は遮られた。突如セレーナがアリシアに襲い掛かりベッドへと押し倒したのだ。両手でアリシアの両肩を押さえつけるセレーナのその顔は、悔しさのあまり涙を流し頬を濡らしていた。


「……それほど可笑しいですか?」


 セレーナの頬を伝う涙はポタポタと滴り落ち、アリシアの頬をも濡らす。その雫をアリシアは場違いにも美しいと思った。穢れの無いセレーナの心が溶け出したかのようだった。


「……ごめんなさい」


 2人はそのまま見詰め合い、セレーナの涙はなおもアリシアの頬を濡らし続けた。セレーナの気持ちを笑ったのには反省したアリシアだったが、やはり彼女の作戦は現実的ではなく、心苦しいが指摘はせずにはいられない。


「ですが、セレーナ様のお考えになった方法では帝国には行けないのです」


 涙を流し続けるセレーナの顔がさらに悲しげに歪む。流す雫は量を増やしアリシアの胸に顔を埋めた。その胸から嗚咽が漏れてくる。


 アリシアはそっと彼女の頭を抱きかかえた。


「殿下を、愛していらっしゃるのですね……」


 後宮の女など権力者に媚を売りそのおこぼれに預かろうという者達の集まり。アリシアはそう考えていたのだ。


「……アリシア様は違うと仰るのですか?」


 セレーナがアリシアの胸に顔を埋めたまま問いかけると、アリシアは抱えていた彼女の頭を少し強く抱いた。


「ええ……違います」


 セレーナは勢い良く上半身を起し、その為彼女の頭を抱えていたアリシアの腕は弾き飛ばされた。驚いた顔で見つめるセレーナに、アリシアは苦笑を向けた。


「驚きました?」

「あ。い……いえ」


 嘘である。十分驚いていた。


 寵姫といえどすべての女性が後宮の主を慕っているとは限らない。そもそもセレーナとて当初はサルヴァ王子を好きでは無かったのだ。だが、セレーナはアリシアを王子を取り合っている敵。しかも強敵と見ていた。そのアリシアが王子を慕っていない可能性など、考えた事も無かったのだった。


「ですが……アリシア様は殿下が特別に招かれた方とお伺いしております」


 ならば特別な関係ではないのか?


 アリシアはサルヴァ王子が被っている兜について話すべきか迷ったが、彼女に嘘は付きたくはなく、誤魔化す気にはなれなかった。この娘と王子を取り合って争うなどあまりにも馬鹿馬鹿しい。それに王子から口止めされている訳でもないのだ。


 アリシアが上体を起こすと、セレーナも慌てて身を引き2人は改めてベッドの縁に並んで座った。


「殿下が最近お使いになっている兜の事はご存知ですか?」


 彼女の言葉にセレーナは戸惑った。今その兜がどう関係あるというのか。


「それは勿論知っております。殿下から直接お聞きした訳ではないですが……聞いた話では殿下のご親友の形見の物とお聞きしております」


 サルヴァ王子のご親友。ただの噂とはいえ、そう言われていると知ればリヴァルは喜ぶだろうか。いや、もしかすると恐れ多いと言うかも知れない。そう思うと思わずアリシアに顔に笑みがこぼれた。


「殿下のご親友かは分かりませんけど、私はその兜の主の婚約者だったのです」

「アリシア様が?」


 驚きの声を上げるセレーナにアリシアはまたも苦笑を浮かべた。


「ええ。そうです」


 素直に感情をあらわにするセレーナを可愛い女性だと思った。


「殿下がどのようなお考えで私を後宮に招いたか、正直私にも分かりません。ですが殿下が私の部屋に起しになったのは一度きり。セレーナ様が心配するような事は無いのです」


 実際は、兜の主の婚約者である彼女の生活の面倒をみる積もりで後宮に招いたのだが、王子のその気持ちは彼女に伝わっていない。だがそれは彼女が恩知らずという訳ではなかった。アリシアの言う、たった一度の訪問の時、王子自身が己の気持ちを台無しにしていたからである。


 そしてその一度きりという言葉にセレーナも困惑の表情を浮かばせた。それではやはり一度はそういう関係になったという事ではないのか。


 アリシアはセレーナを安心させるように抱きしめた。


「大丈夫です。殿下はセレーナ様を愛していらっしゃいますよ」


 それはセレーナをなだめる為の方便だったが、口に出した瞬間それが当たっているのではないか。アリシアはそう直感した。


 セレーナは後宮が整えられた当初からの寵姫であるという。そうなると3年近く後宮に居る事になる。3年間も欲望の対象としてだけ抱かれていた女性が、このように素直なままで居られる訳が無い。きっと王子はセレーナを大事にしていたのだ。本人に自覚があるかはともかく。


 アリシアは、後々後悔する事になるこの言葉をセレーナを抱きしめながら発した。


「ご安心下さい。私が貴女をサルヴァ殿下のところまで連れて行って差し上げます」

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