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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
438/443

第342:妻として

 ついにデル・レイ王都に入城を果たしたサルヴァ王子だったが、国王ユーリや王母フィデリアとの公式の対面は行われなかった。


 グラノダロス皇国の衛星国家であるデル・レイ王室と対面するならば、相手にはそれが国家元首であろうと膝間づかせねばならないが、ランリエルとしてはこちらも皇国。その衛星国家の国王に対してランリエル皇帝が膝間づくなどできはしないのだ。


 もしランリエル皇帝が衛星国家の王に膝間づくなら、それは降伏をする時。そして今回は降伏の交渉ではない。


 それでは、私的に会うという手段もあるが、公式の代わりの私的の面会の場合、暗黙の了解でその場で会話が公的な拘束力を持つ。ランリエルからの問いに対しての返答を入念に打ち合わせる必要があるのだ。


 しかし、そうなると入城させたサルヴァ王子を長期間、接待もせず放置するのか。という話になる。これはこれで礼儀として問題だ。誰かがサルヴァ王子を接待する必要がある。しかし、それをユーリやフィデリアが行う事は出来ない。どうしたものかと、デル・レイ陣営は頭を悩ませていたが、そこにフィデリアが思わぬ提案を行った。


「サルヴァ殿下は、フレンシス様に接待をして頂きましょう」


 立場という意味ではこれ以上の適任は居ない。デル・レイの王族でありながら、政治的決定権は全くないのだ。多少の失言があっても、それがフレンシス個人の不評となってもデル・レイ王国が責任を取る必要はない。だが、それ以外の問題が大き過ぎる。


「で、ですが、フレンシス様の夫は先日亡くなられたアルベルド……陛下で御座いますが……」


 アルベルドを呼び捨てにすべきか一瞬迷いながらもデル・レイ大臣の発言。それはそうだ。彼らはそのアルベルドを、皇国を裏切りフィデリアを穢したとして嬲り殺しにしたところなのだ。その立場でアルベルドを評価すれば呼び捨てるのは当然なのだが、前デル・レイ王妃フレンシスの夫という立場としてみれば、その夫なのだから敬称は当然。となってしまう。


 そして、大臣の言葉の裏には、我らが殺した者の妻が、我らの為に働くのか。という意味もある。フィデリアも、その事は分かっている。


「フレンシス様には、私から説得します。それで問題ないでしょう」


 フィデリアの断言する言葉に、大臣達、そしてリンブルクの代表として出席しているラングハインも頷くしかなかった。


 フレンシス自身は罪を問われては居ないが、反逆者アルベルドの妻として自室に軟禁状態になっている。そして、自殺などをしないように刃物も部屋からすべて撤去されていた。その部屋にフィデリアが出向いた。


 扉を開いたフレンシスは、力なく青白い顔をしながらもフィデリアを迎え入れた。そしてフィデリアを睨みつけた。


「フィデリア様。私に何の御用でしょうか。私は貴女が殺した男の妻で御座いますよ」


 フィデリアが夫を害そうとしている。それを察していた。にも拘わらず夫を守り切れなった。脱出路から夫を救おうとしたが、それも簡単に見つかってしまったのだ。もっと上手くできなかったのか。夫に信じて貰えないとしたとしても、フィデリアが夫を害そうとしている。それを伝えるべきだったのではないか。そうすれば、信じて貰えなくても頭の片隅には残り、夫ももっと慎重に行動していたのではないか。


 今更ではあるが、それらの思いがフレンシスを後悔させていた。その後悔が、言葉を鋭くさせた。


 フレンシスの言葉は、フィデリアを非難するものであったが、それはまったく効果を発揮しなかった。


「奇遇ですわね。私も、貴女の夫に殺された男の妻で御座いますのよ」


 そう言えって笑みさえ浮かべて、フレンシスの顔を平然と見返した。むしろフレンシスの方が怯む色を見せ、目を逸らしたほどだ。


 フィデリアの夫ナサリオは、皇帝暗殺の罪で処刑された。しかし、アルベルドが何か関与しているとは薄々感じていた。改めて言われても、やはり、という思いしかない。


「今日は、貴女にお願いがあってまいりました」


 そう切り出したフィデリアが、しばらく顔を背けるフレンシスの横顔を眺め返答を待ったが、彼女からの言葉はない。やむを得ないとフィデリアが言葉を続ける。


「ランリエルのサルヴァ殿下が王都に入城したのはご存じでしょう。歓迎をしなければなりませんが、ユーリも私も対応するには準備が必要です。皇国とランリエルとは立場が複雑ですから。ですけど、いつまでも歓迎せずにいる訳にもまいりません。その歓迎を貴女にお任せしたいのです」


 歓迎役を自分に。その言葉に顔を背けていたフレンシスが、フィデリアを見つめた。


「私に……ですか?」

「はい。貴女に」


 フィデリアがフレンシスをまっすぐ見つめて言った。フレンシスも更に見つめ返す。


「どうして、なのです? 私以外にサルヴァ殿下を歓待する者が居ない。という事は、私にも分かります。ですが、それでも、先日まで夫はサルヴァ殿下と直接戦い、その夫も亡くなりました。その妻がサルヴァ殿下を歓待するのは、私だけではなくデル・レイに取っても屈辱なはずです。それで良いのですか?」


 大臣達は気づかなかったが、確かにフレンシスの言う通りだ。それは大臣達がフィデリアを神聖視し過ぎる事、更に、フレンシス自身が屈辱に感じているからに他ならない。


 その言葉にフィデリアが冷たい笑みを浮かべた。女神ではなく、まるで魔女の笑み。普段の彼女を知る者は、我が目を疑うだろう。


「貴女は、前デル・レイ王妃ではなく、前デル・レイ王の王女。としてサルヴァ殿下を歓待して頂きます」

「前デル・レイ王の王女?」


「ええ。皇国の副帝となった第五皇子アルベルド・エルナデスは、皇国軍を率いてランリエルと戦ったものの敗北し、衛星国家であるデル・レイに逃げ込んだのです。ですが、彼が、ランリエルと手を結んでいた。その事実を掴んだ、デル・レイ王ユーリの手によって討たれた。そして皇国と和平を結びたいというランリエルの願いを聞き入れたユーリ王は、前デル・レイ王王女フレンシスに、その歓待を任せたのです」


 フィデリアは頭がおかしくなったの? 一瞬、そう思ったフレンシスだったが、フィデリアの顔には冷たいものが含まれているものの、理性を失ったような危うさは感じられない。しかし、それでは猶更、フィデリアがこのような事を言い出す理由が分からない。


「貴女の御父上である前デル・レイ王は男児に恵まれず、皇国宰相であったナサリオの一人息子ユーリを養子とし、デル・レイ王としたのです」


 妄想の更に裏設定を話し出したフィデリアだったが、その裏設定にフレンシスはフィデリアの意図を察した。フレンシスの父の次のデル・レイ王をユーリとし、夫がデル・レイ王という’事実’を消し去るのだ。


 アルベルドが、前デル・レイ王であるという’事実’を消し去るなら、その’王妃’も存在してはならない。私は、前デル・レイ王妃ではなく、前デル・レイ王王女。そうでなければならず、前デル・レイ王王女が、サルヴァ殿下を歓待しても、屈辱でも何でもない。


 フィデリアの気持ちも分かる。ユーリがアルベルドとの子。という’事実’など、我慢できない。ユーリはナサリオの息子それが真実。しかし、現にユーリは現実にデル・レイ王。それを両立するには、前々国王である自分の父を、前国王という事にして、ユーリはその養子。そうすれば、辻褄があうのだ。


 だがそれでは、自分がアルベルドの妻、である’事実’も喪失されてしまう。それは、フレンシスに取っては受け入れがたい。


「私は、アルベルドの妻です。その事実を忘れる訳にはまいりません」


 フレンシスの決意の言葉。だが、フィデリアは、その言葉も予想していたかのように笑みを浮かべた。


「奇遇ですわね。私も、ナサリオの妻である事を、忘れた事はありませんのよ」


 そうだった。フィデリアは、第二皇子ナサリオの妻という’事実’を消された。自分の夫が消した’事実’。それを、今更ながら思い出した。それを今度はアルベルドの妻である自分の身に降りかかるとは。


 そして、我が身に降りかかって初めて理解した、その屈辱、悲しみ、喪失感。それらを混ぜ合わせた、言葉には出来ない心を引き裂く感情。フィデリア、それに耐えてきた。息子ユーリの為に。


 そうか。夫は、決して許されない事をした。


 夫は、多くの人間を不幸にした。フィデリアだけではない。この大陸全土で多くの戦いが起こった。その全てがアルベルドの責任ではないが、かかわった戦いが多いのも事実。許して欲しい。とは虫が良すぎる話なのだ。


 そして、夫の最後の言葉。


「すべて、妻の所為だ!」


 それが、夫が自分に掛けた最後の言葉だ。その直前まで、己の保身の為にリンブルク兵を懐柔しようと夫婦の絆を語っていた。それが、絶望な状況になった途端に手の平を返した。すべてを妻の所為にする、市井の飲んだくれた駄目亭主のような言葉だった。


 あれだけ先々まで見渡せていた人がだ。


「分かりました。前デル・レイ王王女として、サルヴァ殿下を歓待いたします」



 フレンシスがサルヴァ王子を私的に接待する場を設けた。という招待状をデル・レイの使者から受け取った王子の副官ウィルケスは、その書面の宛名に首を傾げた。


 間違ってない? と、意味を含んだ視線を使者に向けると、分かった上での事。という風に使者が頭を下げた。説明はしないが空気を読んで流せ。という事だ。


 相手が分かってやっているのなら、自分は口を出せる立場ではない。招待状を、そのままサルヴァ王子の元へと手渡した。


「何か変な事を言ってきました」

 と、付け加えるのも忘れない。些細な事。であるかもしれないが、ミスではなく、わざと、ならな確かに変だ。


 ウィルケスに、怪訝な視線を向けつつ招待状を受け取ったサルヴァ王子は、何がおかしいのかと会談の場所と日付を読み進めていったが、最後の署名のところで視線が止まった。


「フレンシス’王女’か……」


 彼女はデル・レイ前王妃。このような招待状に署名するとすれば敬称は’王妃’のはずだ。


「アルベルド殿は、前デル・レイ王。それがランリエルに内通したという理由で討たれた。その妻である’王妃’と称するのは憚られたのかも知れぬな」

「なるほど。そういう事もあるかもしれませんね」


 ウィルケスな、だとすれば、変な事を言って来た。と、報告したのは軽率だったと、彼にしてはバツが悪そうな顔をしているが、そう分析して見せたサルヴァ王子自身は、自分の分析に納得しきれていなかった。


「まあ、デル・レイのユーリ王との面会は、調整に時間がかかりそうだからな。その間を埋める為の無難な王族との会談だろう。平和的な雰囲気さえ演出できれば、それ以上の意味はない。フレンシス陛下だろうとフレンシス殿下であろうと些細な事だ」


 そう断じたサルヴァ王子は、フレンシスとの私的な会合を受け入れた。ただし、その後、デル・レイ側から

「アルベルド陛下についての話題は出さないように」という注文があったが、それくらいどうという事はない。


 そして、フレンシスを王女と称する事についての違和感にも気づいた。実際はアルベルドはランリエルに内通していない。にも拘わらず、内通していたものとして、王妃を名乗るのは止めた。ならば、それをフレンシスが納得しているという事だ。


 そうして開かれた茶会に出席した。


「サルヴァ・アルディナだ。本日はお招きに預かりありがたく思う」

「フレンシス・エルナデスです。お越しいただき、ありがとうございます」


 そう挨拶して始まった茶会だったが、やはり、特に公式に記録されるような約束もなく、当たり障りのない会話に終始した。


 ただ、一つのやり取りだけが、王子の心には残った。


「陛下とグラノダロス皇国が共に平和になる事を望んでおります」

「ええ。私もその積りです。両国の間にはわだかまりがありますが、それを晴らし、共に歩んでいければと考えています」


 ランリエルと皇国との仲介をデル・レイに頼んでいるのだ。想定されたやり取りだ。


「はい。皇国も間違った道を歩んだのかも知れません」


 フレンシスの言葉に給仕をしていた執事や侍女の動きが止まった。皇国への非難など、口にしようものなら衛星国家の王族と言えどもただでは済まない。フレンシスは、夫を失い正気を失っているのであろうか。彼らはそう考えたのだ。しかし、続く言葉に胸を撫でおろした。


「ですが、それもこれからは正されましょう」


 つまり、皇国が悪いのではなく、近年、皇国を率いていた副帝アルベルド個人の問題。という事だ。これならば許容範囲。しかし、その副帝アルベルドはフレンシスの夫のはず。サルヴァ王子の接待を任されたフレンシスとしては、多少は阿る必要があるのかも知れないが、自身の夫に対し薄情ではないか。という視線を侍女がフレンシスに向けている。


「ならば良いのですが」


 サルヴァ王子は、そう応えながらも、思わずフレンシスの顔を見つめた。


 しかし、その表情からは阿るようなものは感じられない。阿る為に心にもない言葉を発したような悔しさ、情けなさ。悲しみも感じない。感じるすれば、覚悟。そのようなものが感じられた。


 更にいくつかの言葉を交わしたサルヴァ王子は、フレンシスの元を辞した。


 その5日後、サルヴァ王子はデル・レイ国王ユーリとも茶会を行った。勿論、ユーリに招かれたという態だ。公的な決め事はまったくなかったが、私的な形ではあるが、ユーリが皇国とランリエルとの仲介を喜んで行う。という言葉を交わして終了したのだった。

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