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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
436/443

第340:妻の務め

 リンブルク兵に呼び止められたアルベルドは、素直に足を止めた。城壁を目指していたが、それは密かにだ。追われながら走り込んでも意味はない。


 優れた騎士でもあるアルベルドは、背後の気配から人数を推測した。おそらく4,5名。


 護衛の者達を連れて来ていれば防げたか? いや、声を立てさせぬ間に切り倒せるならともかく、仲間を呼ばれるだけか。そもそも大人数では、ここまで来る事すら出来ていまい。


「その服装。アルベルド・エルナデスか!」

「間違いないぞ!」


 リンブルク兵達は口々に叫び、その間にも続々と人数が集まって来る。もはや、護衛の騎士達が居たとて防ぎきれない人数だ。


 ここまでか……。


 腰の剣に手もかけずに振り返ろうとしたアルベルドだが、それよりも早く、というよりフレンシスは声を掛けられた瞬間、兵士達に振り向いていたが、そのフレンシスが声を上げた。


「こ、この人は違います。わ、私の従者なのです。私は……」


 そこまで言ってから、自分がフレンシス妃である事を明かせば、余計に疑われるの事に気づいて口を噤んだ。とはいえ、リンブルク兵からすれば、どうみてもアルベルドな以上、彼女がどう言おうとも状況が変わる事はない。そもそもフレンシス自身が有名人だ。


「貴女はフレンシス妃で御座いますな。貴女に危害を加える積りはありません。どうか、後ろに下がって下さい」


 リンブルク兵は、そう言ってフレンシスを乱暴にならないよう、礼儀正しく軽く横に押しのけようとする。もっとも、軽くとはリンブルク兵の主観であり、フレンシスにしてみれば抗いがたい腕力で押しのけられたに過ぎない、


「ど、どうか、あの、この人は……違うのです」


 フレンシスは意味のなさぬ言葉を発しながらリンブルク兵達を押しとどめようとするが、もはや彼らの耳には届かない。一見落ち着いて見えるリンブルク兵達だが、冷静なのではない。、憎きアルベルドを前に、ついに復讐が果たされる。数多いリンブルク兵達のなかで、自分達が直接手を下せる幸運に巡り合ったのだ。彼らの興奮は頂点に達していた。


 だが、それだけに自分の姿を客観視もしていた。リンブルクの仇敵アルベルド・エルナデスを討ち果たしたリンブルク兵。その名は後世にまで語り継がれるだろう。騎士然とした立ち振る舞いで、この名場面を飾りたい。端的に言うと”カッコよい感じ”にしたいのだ。


「アルベルド・エルナデス殿下で御座いますな。私はカイ・ノイマイヤーと申します」


 1人のリンブルク兵がアルベルドの前に進み出て名乗ると、他のリンブルク兵達が先を越されたと歯ぎしりした。さすがに、続いて我先にと何人も名乗りだすのは”カッコ悪い”。早い者勝ちだったのだ。歯ぎしりする仲間を尻目にノイマイヤーが言葉を続ける。


「私達リンブルク兵の貴公への恨みは語る必要は御座いますまい。どうかお覚悟を。最後の姿を見苦しくな……」

「どうか。どうか。許してください! 確かに貴方がたのお気持ちは分かります。ですが……お願いします!」


 ノイマイヤーの折角の名台詞を遮り、彼に縋りつくフレンシス。名場面を邪魔されたノイマイヤーは、フレンシスを怒鳴りつけたい衝動にかられたがどうにか耐えた。なぜならば、女性を怒鳴るなど。カッコ悪い。からだ。ならば名場面に彼女も参加させれば良いのだ。


「フレンシス陛下。どうか分かってください。アルベルド陛下が貴方にとって良き夫だったのは分かります。ですが、これとそれとは話が別。どうか貴女も、アルベルド陛下の最後を見苦しいものとなされぬようにお願いいたします」


 取り乱すフレンシス妃をたしなめアルベルド・エルナデスの最後を飾る騎士。これで決まりだと、むしろ穏やかな顔を見せるリンブルク兵に、だからこそフレンシスは冷静になった。相手は激高しないようにしている。ならば話が通じるかも知れない。


「確かに貴方達に夫は酷い事をしました。ですが、だからと言って夫が殺されるのを黙ってみている妻などいません。殺すなら私を殺してからにして下さい」


 フレンシスは毅然とリンブルク兵と向き合った。そのフレンシスから命乞いをされているアルベルドは、既にある意味覚悟を決めていた事もあり、冷静に様子を伺っていた。


 とりあえずこの場は凌げそうか? ならば、時間が稼げる。その間に味方が城壁を破る可能性もある。

 このリンブルク兵は、どうやらカッコを付けたいようだ。女性であるフレンシスを殺しはしないだろう。その彼女が私を先に殺せというなら、この場は自分を殺さず捕らえるだけにする可能性がある。


「フレンシス陛下。無茶を仰いますな。身を挺して夫を守ろうとする貴女の心は尊いですが、たとえ貴女が命を捨てようとも今更アルベルド陛下の運命は変わりません。お命を粗末にするものではありません。アルベルド陛下も貴女が命を粗末にするのを良しとはなさいますまい。そうですな。アルベルド陛下」


 アルベルドにも尊厳はある。死に際して妻を道連れにはすまい。夫からの言葉であれば、この分からずやの女も従うだろう。だが、アルベルドは普通の夫ではなかった。


「いや、私は妻の意志を尊重する。妻が私と共に逝こうというなら私もその意思を尊重する」

「え? あ、いや、アルベルド陛下。そ、それでは、貴方はご自身の妻を道連れにしようというのですか」


 アルベルドの予想外の言葉にノイマイヤーが戸惑う。そして、言い出したフレンシスすらも、その言葉は意外だった。こういう場合、普通の夫婦ならば、妻が共にと言っても、妻までは犠牲にしない。と言うものではないのか。という事もあるが、夫が自分と最後を共にするという言葉も違和感がある。


 だがアルベルドには、ノイマイヤーがフレンシスを殺しはしないだろうという計算がある。フレンシスを道連れにすると言えば、自分にも手は出せないはずだ。


「ああ。私達夫婦は、運命を共にすると誓っている」


 ノイマイヤーは狼狽え同僚達に目で助けを求めるが、彼らにしてみればカッコを付けずに、有無を言わさずアルベルドを殺してしまえば良かっただろう。としか思えない。下手に慇懃な会話を始めてしまったのが間違いなのだ。


「それでは、大人しく掴まろう。どこにでも監禁すればよい。できれば妻とは一緒の部屋にして貰えればありがたい」

「いえ。そういう分けには……」


「どうしてだ? どうせ死罪になるのだろ? ならば最後の時まで、妻と共に居させてくれても良かろう」

「いや、そうではなく……」


 捕らえるのでなく、この場でアルベルドを殺したいノイマイヤーは、監禁自体を否定したいのだが、アルベルドは意図的に論点をずらし、監禁の是非ではなく、フレンシスと一緒の監禁の是非を論点とする。監禁自体は確定事項とする算段だ。


「さあ、カイ・ノイマイヤー殿。貴公の手で捕えて頂きたい」

「う、うむ」


 アルベルド・エルナデスを殺す。という名誉を失いそうになっているノイマイヤーだが、それでもアルベルド・エルナデスを捕らえた。という名誉は得られる。という事に気持ちが揺らいだ。


「それでは、こちらに」

「ああ。よろしく頼む」


 何とかこの阿呆を言いくるめる事に成功したと、内心、胸を撫でおろしたアルベルドは

「さあ。共に行こう」

 と、まるでダンスのエスコートするかのようにフレンシスの腰に手をやった。


 夫の行動に戸惑うフレンシスだが、フレンシスどうやら即座に夫が殺さる危険が去ったらしいとは理解した。


 ノイマイヤーに先導されて進み始めた。ノイマイヤー自身どころかリンブルク兵の誰もが、アルベルドを見つければ殺す事しか考えていなかった為、どこに監禁するかなど決まっていない。とりあえず裏庭の屋敷を目指す。


 アルベルドは、この後の事を考えながら歩を進めた。


 とにかく時間を稼ぐ事だ。どこかに監禁されるとして、フィデリアに面会を求めてみるか。面会が成立しなくても良い。どうせ、今更あの女と話しても意味はあるまい。それよりも、断られれば、どうか面会を。と繰り返し要請して時間を稼げばよい。あまり体裁は良くないが、命には代えられまい。


 問題は、城外の味方が城壁を破らんとした時だ。そうなれば、リンブルク兵は、私を奪還されるくらいならと、その時こそは有無を言わせず殺そうとして来るだろう。


 それまでに何とか脱出しなければ……。


「ふざけるな!」


 その声にアルベルド、フィデリア。そしてノイマイヤーが振り返る。


「ノイマイヤー! 何、簡単に言いくるめられてやがる!」


 そう怒鳴る1人のリンブルク兵。その後ろに並ぶリンブルク兵達も怒りの表情だ。


「アルベルド・エルナデスを見つければ即座に殺せ。そう命令されていたはずだ! 貴様。勝手に何をやっている!」

「し、しかし、投降する者を殺すわけにも……」


 必死で言い訳するノイマイヤーだが、リンブルク兵達は許さない。


「即座に殺せとは、相手にすれば言いくるめられるからだと分からんのか! アルベルド・エルナデスは、その手腕で副帝にまで昇りつめた男だぞ。我らが対抗出来るものか! 我らがアルベルド・エルナデスに勝つ方法は、聞く耳持たず殺す事だけだ!」


 正解だな。と、アルベルドは音声にせず呟いた。


 ノイマイヤーは、反論できず狼狽えている。怒鳴ったリンブルク兵は、立ち尽くすノイマイヤーを押しのけアルベルドへと向かう。


 アルベルド・エルナデスと会話をすれば取り込まれる。それを警戒してか、口を強く噛み締めたように閉じ、アルベルドとの会話を拒否するとの意思を表していた。無言のままアルベルドに近づき腰の剣に手をやる。


 ノイマイヤーは、狼狽えた表情のまま何も出来ずにいた。本来ならノイマイヤーが、アルベルドを討つ名誉を得るはずだった。それが、アルベルドと会話してしまった為に、その名誉を得る機会を失ったのだ。


 いくらアルベルドでも、会話をせずに相手をリンブルク兵を思い留めさせる事は出来ない。そして、アルベルドも優れた騎士でもあるが、唯一無二の豪勇を誇るほどではない。いや、現在、この大陸で一番の武勇を誇るのではないかとも言われる虎将ブランですら、この状況から1人で戦い生き残るのは不可能。眼前の敵を倒せば良いのではないのだ。目の前の敵を一瞬で切り伏せる神業でもない限り、優勢に戦えたとしても増援を呼ばれるだけなのである。


 無言のリンブルク兵。彼は名乗りすらせず腰の剣を引き抜いた。アルベルド・エルナデスを殺す事に比べれば、歴史に自分の名を遺す事などまったくの些事。その意思を表している。


 アルベルドは、己に近づいてくるリンブルク兵を冷静に見つめている。剣を抜くどころか、柄に手をかけすらしない。それは覚悟を決めているようにも、次の手を思案しているようにも見えた。


 アルベルドの目の前まで来たリンブルク兵は、無言のままアルベルドを睨みつける。アルベルドを一刀にしようと剣を振りかぶらんと、右足を後ろに一歩引いた。


「お、お待ち下さい!!」


 突然、フレンシスがリンブルク兵に縋りついた。もしかすると、また夫に何か手があるのかと事態を見守っていた彼女だが、ここまで状況が進んでも夫に動きはない。思わずリンブルク兵を止めに入った。


「お願いします。夫を助けて下さい」


 フレンシスは必死にリンブルク兵を止めようとする。足に縋りついていた彼女だが、リンブルク兵が剣を振りかぶろうとすると、その腕に縋りつく。夫を救う為に敵兵が群がる中、夫の元に駆けつけた。一時は、助かるのかと思ったにも拘わらずの危機に、彼女の思考は停止し、とにかく縋りつく以外の手立てがない。


 無言で通そうとしていたリンブルク兵だが、縋りつくフレンシスが邪魔で仕方がない。リンブルク兵も彼女が、自分たちの主、いや、女神であるフィデリアの友人という認識がある。無言で払いのけるのもはばかられる。


「フレンシス妃。どうかお下がり下さい。私達は貴女まで手を駆ける積りはありません。ですが、アルベルド・エルナデス。彼だけは絶対に許せないのです」

「お願いします! どうか。お願いします!」


 フレンシスは、リンブルク兵の言葉など聞こえていないかのように縋りつき続ける。彼女も、夫がリンブルク兵達から許されない事をした事は分かっている。だからこそ、理屈もなく縋りつき続けるしかないのだ。


 リンブルク兵とフレンシスの、

「お下がり下さい」と「お願いします」のやり取りが続き、ついに、リンブルク兵の忍耐力の限界が来た。


「いい加減になさりませ! そこまでおっしゃるなら、貴女もただではすみませんぞ!」

「か、かまいません!」


 我慢の限界に達したリンブルク兵の言葉だが、それに一歩も引かないフレンシスに、リンブルク兵も引けなくなる。


「分かりました! ならば貴女の望み通りに……」


 リンブルク兵がそこまで言葉を発した瞬間、そのフレンシスが吹き飛んだ。吹き飛ばされたフレンシスは、悲鳴を発する間もなく地面に倒れ込む。


 何事だと、それを成した者にリンブルク兵達が顔を向ける。その視線の先には、アルベルドの姿があった。フレンシスを蹴り飛ばした足が、まだ宙に浮いている。その足を地面に降ろすと共に、更に踏み込んで倒れるフレンシスに近づいた。


「お前の所為で見つかったではないか!」


 そう言って更にフレンシスを蹴る。フレンシスは蹴られた痛みに声を出せず、呻き声を漏らし、アルベルドの罵倒が続く。


「お前がもっと上手くやっていれば、見つからなかったのだ!」


 いや、そもそもこの事態を招いたのは自分の所為だろう。それを逃げ損ねたのは妻の所為だとは。フレンシスが隠し通路から助けに行ったという事情を知らぬリンブルク兵から見ても、アルベルドの言い分は理不尽だ。


 だが、アルベルドの理不尽な言葉は更に続く。


「そ、そうだ! フィデリアの事も、こいつがやれて俺をそそのかしたのだ! フィデリアとの間にユーリが産まれたのを妬んだこいつがやれと言ったのだ!」


 この期に及んで、自分の保身だけを訴えるアルベルドに、リンブルク兵の顔には呆れの表情すら浮かぶ。次に蔑みの顔。その顔のままアルベルドを追い詰める。


「すべて、この女の所為だ!」


 叫ぶアルベルドにリンブルク兵が襲いかかる。


「アルベルド! 貴様、そこまで見下げた奴だったか!」

「運命を共になどと言っておいて、その飯草は何事だ」

「やはり、フィデリア様を穢すような輩なのだ!」


 夫に暴言を吐かれたフレンシスだったが、それでも、リンブルク兵の1人に後ろから抱きつき引き離そうとするが屈強な騎士はびくともしない。


 いつの間に他のリンブルク兵も集まり、その数は増えている。その者達は、アルベルドは見つけ次第殺す。その命令にゆるぎない。群がるリンブルク兵に蹴り飛ばされたアルベルドを、更にリンブルク兵が次々と足蹴にする。呻き声すら上げず蹲るアルベルドを軍靴が踏み続けた。


「あ、ああ……」


 もはや、なすすべがないフレンシスが絶望の声を上げた。


 群がるリンブルク兵の隙間からわずかに見える夫の姿が次第に人の形を成さなくなっていく。


 巨大帝国グラノダロス皇国の副帝アルベルドは、群がるリンブルク兵達に踏みつぶされ、肉塊となり、その生涯を閉じた。

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[一言] 死因:女を見る目がなかった… ますます「女性の物語」の側面が強くなりますね
[良い点]  死んだか……。  哀れなような気もするし、相応しい最期だった気もする。  最後の行動の真意は何だったのだろう?  いずれにしても、何とも感慨深いです。    しかし、フィデリアに対して…
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