第330:開戦
先に動いたのはランリエル側であった。
最右翼に位置するコスティラ王国軍4万が皇国軍左翼を包囲するかのように迂回気味に行軍を開始し、その左隣のランリエルの部隊もコスティラ王国軍が孤立しないように続く。右側に触手を大きく伸ばすように動いた。
その報告を受けたグラノダロス皇国軍首脳部は、全員がほぼ同時に頷いた。
「ランリエル側から動いたのは予想通りでしたな」
「うむ。しかし、その動いたのがコスティラであったのは、意外といえば意外でしたな」
最強部隊を右翼に配置するのは定石である。大陸でもその名が轟くコスティラ兵を配置するのは当然だ。しかし、その最強部隊は、ここぞという時のために温存するのではないか。という推測もあった。
「数に劣るランリエル側は、先に動くことにより戦いの主導権を握るしか勝算はない。こちらが対応しきれぬ前に最強戦力で勝負を決しようというのではないか?」
「しかし失敗すれば、その最強戦力が戦闘の序盤で消耗する。あまりにも博打に過ぎるのではないですかな」
「我が軍の半数以下の軍勢では、博打をするしか勝機を見いだせなかったのかも知れませぬぞ」
「あのサルヴァ・アルディナがか? それは早計に過ぎるのではないか」
グラノダロス皇国軍首脳部は有能な者ぞろいだ。それだけに結論を出すのに慎重になる。彼らの意見を聞いていたアルベルドにしても、彼らの意見を否定する材料を持ち合わせていない。
とはいえ副帝としてグラノダロス皇国軍を統括する立場を保持したいアルベルドである。自ら何かしらの方針を示す必要がある。
「コスティラを動かすことにより、こちらの戦力をコスティラに集中させ薄くなった部分を突破するのを意図している可能性がある。我が方は彼らの2倍。彼らに踊らされず落ち着いて対応すれば良い」
結論としては皇国軍首脳部のものと変わらないが、ランリエル側の意図を推測して付加価値として付け加えるのを忘れない。
「はっ! 全軍に妄動せぬように通達いたします」
その通達は迅速に全軍へと伝えられた。コスティラ王国軍に対応する皇国軍左翼の軍勢は、コスティラ王国軍の動きに合わせ彼らに回り込まれないように同じく戦線を広げながら迎え撃った。
ランリエル側は最右翼のコスティラ王国軍から順次、皇国軍に戦闘を仕掛け半刻(1時間)後には全線にわたって戦闘が開始されたが、2倍の戦力を有する皇国軍は落ち着いて対応し、戦いは開始早々に膠着状態だ。
「ランリエルは、僅かながら左右に戦線を伸ばしつつ、我が方を包囲する気配は見せてはおりますが、特に攻勢を強めてはおりません。まるでこちらの出方を探っているかのようでもあります」
「攻勢に出た方が隙が出来るものです。こちらの攻勢を誘い、その隙を突く算段なのかも知れませぬな」
「ランリエルが先に動いたので、彼らから攻勢に出るかと思ったのですが……」
「先手を打ってこちらの動きを制限した上で、制限内での攻勢を誘っているのかも知れませぬな」
確かにランリエルが動かなければ皇国が先に動き、逆に皇国軍がランリエル側を包囲するように軍を動かしていた可能性はある。そうなれば兵力に劣るランリエルは劣勢に立たされていただろう。
「後手になったのは否定は出来ぬ。だが、こちらが後手になったとの焦りからの攻勢を誘っている可能性もある。膠着状態となり同程度の兵を消耗していけば数に勝る我らが勝つのは道理。軽挙せぬことだ」
アルベルドの指示を受けた皇国軍は様子見の態勢を取った。実際、アルベルドのいう通り2倍の兵力があるのだ。地形は平原で見渡しが良く奇襲を受ける心配もない。隙を見せなければ負ける可能性は限りなく低い。
「とはいえ。相手はあのサルヴァ・アルディナ。どのような奇策を仕掛けてくるか分からぬのも事実。くれぐれも油断するなと、改めて全軍に通達しろ」
「はっ!」
その日の戦いは膠着状態のまま日が暮れた。戦いとは一度始まれば終わらせるのは至難の業。いかな大軍同士の戦いとはいえ、野戦は基本的に1日で終わるのがほとんどだ。それだけ剣を切り結ぶほどの接近した状態から引くのは難しい。
剣や槍を打ち合わせるほど目の前に敵がいる状況で背を向けるのは自殺行為。しかし、味方が引くのに自分だけその場に留まれば包囲されて死が待つばかり。しかし背を向けることも出来ないのだ。
とはいえ、双方、暗黙の了解のようなものがあり、日が暮れると両軍大きな被害なく引く事が出来た。
それには皇国側にはサルヴァ王子にいかな秘策があるかと警戒し、ランリエル側にしても2倍の敵に対し不確定要素の高まる夜間の戦いを望まなかった事が理由である。
翌日は皇国軍が先に動いた。前日にランリエルが行ったのを鏡合わせのように、皇国軍の右翼がランリエル左翼を包囲するように進軍を開始したのだ。
「昨日は先に動いたランリエルに気勢を制せされたが、今日は我らが先に動く。サルヴァ・アルディナの奇策には十分警戒しつつ、ランリエルの全線に攻勢を仕掛けろ」
アルベルドの命令に皇国軍が前進を開始した。奇襲を警戒し両翼の後方に十分な後詰を配置した上での攻勢だ。戦線が乱れぬように慎重に進むその様は、2倍の兵力も相まってランリエル側を威圧した。
その日の朝、目を覚ましたサルヴァ・アルディナは朝食をゆっくりと済ませた後、本国からの報告書に目を通した。その中でも自身の指示や決済が必要なものには返答し、さらに報告が必要なものには追加の報告を催促した。
そうしている間に昼過ぎとなったので昼食を済ました後、軍首脳部のある天幕へと向かった。
「スタルッカ師団が被害甚大。救援要請が来ております! このままではコスティラ軍との連携が絶たれます!」
「隣の師団から救援を回せ!」
「それが、となりのタハティ師団の被害も大きく救援を回す余裕はありません」
サルヴァ王子が天幕に入ると、そこは怒号が飛び交う修羅場だった。出入りする伝令も多く、天幕の開閉に視線を向ける者などいない。総司令たるサルヴァ・アルディナが入って来たにも拘わらず誰一人、気づかないほどだ。
サルヴァ王子は、仕方がない。と、邪魔にならないように戦場の地図を広げるテーブルに向かう幕僚たちの背後を進み、天幕の隅にある椅子に腰を下ろした。
「前線が一か所でも突破されれば全軍が崩壊するぞ! なんとしてでも持ちこたえろと伝えよ!」
常には冷静沈着なムウリですら、怒声を発している。
外は冬の冷たい風が吹き荒れているが、天幕の中では薪が炊かれ十分に温められている。それだけに伝令が出入りするたびに入り込む冷たい空気が身体を冷やす。
「はっくしょんっ!」
と思わずサルヴァ王子がくしゃみをすると、幾人かが反射的に視線を向け思わず人物の存在に驚愕した。
「サ、サルヴァ陛下!」
「これは気づかずに申し訳ありませぬ」
幕僚たちが慌ててサルヴァ王子に声をかける。
「いや気にするな。それよりも最近めっきり寒くなった。貴公らも風邪には気を付けるようにな」
気遣ってくれているのだろうが、全軍崩壊の危機、つまり死ぬか生きるかの時に、あまりにも場違いな言葉。
唖然とする者も多く、中には思わず失笑を漏らす者さえいた。
ムウリも唖然とした者の一人であったが、その後、すぐに笑みを浮かべた。
「失礼しました。陛下。少し取り乱してしまったようです」
ムウリはそう言ってサルヴァ王子に一礼した。そして笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「現在、少し立て込んでおりまして。殿下がおいでになっているのにも気づかず、申し訳ありません」
「いや、私の方こそ忙しいところに悪かったな。邪魔になると行けないので退散するとしよう」
サルヴァ王子は、そう言うと椅子から立ち上がり天幕を後にした。とたんに冬の冷気が身体を包む。天幕を出ると、前線まで2ケイト(約3.2キロ)ほどの距離はあるにも拘わらず、戦う兵達の雄たけびが聞こえる。
戦いは激しさを増していく。しかし自分はすでにやるべき事をすべて行った。終えたのだ。サルヴァ王子は、戦う者達の雄たけびに背を向けて自分の天幕へと歩を進めた。
皇国軍の攻勢に前線崩壊の危機に陥ったランリエル側であったが、その後、ムウリら軍首脳部が懸命に手当てをし、かろうじて崩壊を免れた。しかも、攻勢の限界の達した皇国軍が後退するのに乗じ皇国軍の被害を拡大するのにも成功したのだ。
「今日の攻勢では、こちらに多くの被害が出たようだな」
戦いの報告を副官から受けたアルベルドが、幕僚たちを前に改めて現状を確認した。それに対し幕僚たちが状況を説明する。ほぼ同じような内容を副官から受けているアルベルドであったが、幕僚たちとの認識とのずれがないかを確認するのも重要だ。
「は。一時はランリエル側の戦線を突破寸前にまで追い詰めることが出来たのですが、その後弾き返され、深入りしていた分、後退するのが困難でした」
「しかし、ランリエル側も余力があるようには見えませぬ」
「確かに。サルヴァ・アルディナの奇策があるようには思えませんでしたな」
いかに勝利を得られる奇策があろうとも、それを発動する前に負けてしまっては意味がない。今日の皇国軍の攻勢にランリエルは戦線は崩壊の危機だった。にもかかわらず奇策を温存し、それで負けてしまっては意味がない。今日の危機にも奇策が発動されなかったのなら、そもそも奇策はないと判断して良いだろう。
勿論、発動する条件が重要な奇策というものもある。しかし、それならばなおのこと、その条件が揃う前に勝敗を決すれば良いという考えもある。
ゆえにアルベルドは、こう命令した。
「明日も、いや明日から毎日攻勢に出ろ。損害が増えてもそれはやむを得ない。我が軍の数はランリエルの2倍。こちらの損害が2倍を越えなければそれは負けではない」
だが、被害が多くても攻勢を続けろというのは幕僚たちも躊躇する。アルベルドが相手とは言え控えめにも反論する者もいた。
「ランリエルと同比率で損害を出し続ければ、両軍、消耗していくだけで勝つことは難しいのではありませぬか」
アルベルドは、わざわざこんなことを説明せねばならぬのかと思いながらも、その内心を僅かにも表情に浮かべない。彼は独裁者になりたいのであって、暴君になりたいわけではないのだ。不必要に幕僚たちと険悪になるのは愚か者のする事だ。
「ランリエルの後詰が消耗すれば、それで彼らは後がなくなる。最後まで付き合う必要はあるまい」
皇国軍がランリエルの2倍の被害を受けたとしても、元の兵力差も2倍なのである。結局、兵力差には変動はない。しかも、両軍、全兵力が戦闘に参加しているわけではなく後方に多数の後詰、予備兵力を残し戦っているのだ。
この場合、戦線の長さは両軍同じであり戦闘に参加している兵力もほぼ同じ。にもかかわらず数が多い方がなぜ圧せるかと言えば、疲弊した部隊を後方に下げて健全な部隊と交代させる余裕があるからだ。もし仮にこのまま皇国軍に対し2倍の被害を与え続けられたとしても、ランリエル側が前線を維持するだけの兵力まで減少したとしても、皇国軍にはまだ後詰を残す余力がある。
後詰のない軍勢と後詰のある軍勢が戦えば、後詰がある軍勢が勝つのはほぼ確実だ。後詰がない軍勢は、どれだけ部隊が疲弊しても後退する兵がなく、戦線が崩壊するのは時間の問題。
「それに仮にサルヴァ・アルディナに奇策があろうとも、徒手空拳でそれは出来まい。それを行う兵力が必要であり、我らが攻勢に出ることによりランリエルの兵を釘付けにすれば、それもかなうまい」
「なるほど。陛下のお考え、得心いたしました」
皇国軍の幕僚たちはそう言ってアルベルドに一礼した。
こうして連日の皇国軍の攻勢が始まった。ふんだんに後詰のある皇国軍は全線にわたって攻勢を行い、ランリエル側はその対応に振り回された。まさにアルベルドの意図通りに、全線にわたって後詰を繰り出し続けるランリエルには、余裕がまったくなくなったのだった。




