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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
424/443

第328:欺瞞

 人馬が大地を埋め尽くした。比喩ではない。少なくともグラノダロス皇都に住む人々からはそう見えた。


 ランリエルとの決戦に向け、アルベルドが兵を動員した。それを皇都に集結させたのだ。


「なんという数……。地面が見えぬほどだ」

「分かってはいたが、いざ、目にすると凄まじいものですな」


 皇国軍100万。それは大陸全土に響き渡っている。だが、その威容を実際に目にした者はほとんどいない。むしろ、それを見るのは敵対国家の軍勢であり、皇都に住む人々にとっては、本来は見る機会がないものだ。


 あちこちで軍馬の嘶く声が聞こえる。その他の音はしない。金属製の甲冑は身動きすればそれだけでカチャカチャと音が鳴るはずだ。これだけの軍勢ならば、軍馬の嘶きの中でも、その甲冑の鳴る音が聞こえてもよさそうなものだが、まったく聞こえない。


 訓練の行き届いた兵士達は、整然と一糸乱れぬ隊列を整えていた。軍事など理解せぬ民衆すら、彼らは自分たちと違う人種であると理解した。


 実際は、100万ではなく、皇都の正門前に集結したのは、その5分の1の20万だが、それでも食料事情、輸送能力、それらの事情からこの時代、一国の都ですら人口はそう多くは無い。20万と言えば、大皇国の都バルスセルスの人口の半数に迫る数だ。


 都の人口の半数が一箇所に整然と並ぶる。その威容に皇都の民衆どころか貴族は勿論、皇族達すら畏怖した。皇族達からすれば、自分達の軍隊のはずなのだが、今、それを掌握しているのはアルベルド・エルナデス。副帝と称される男。


 皇帝ではなく副帝である彼にはある程度の制約が付く。だが、ランリエルとの戦時体制において、現在、議会の承認なしに必要な法を制定し、軍隊を動かすことが可能だ。


 効率を考えれば、ランリエルとの決戦場近くで集結すればよい。皇都に集結させるには、普段の駐屯地から遠回りになる部隊も発生する。わざわざ皇都に集結させたのは己の力を誇示するためだ。


 20万の軍勢が、そのアルベルド・エルナデスの登場を待っている。予定より半刻遅れていた。軍勢は、予定の時刻より、半刻(1時間)前に集結を完了している。20万の軍勢が1人の人間を待つ為に半刻もの間、微動だにせずにいる。その事実は、この軍勢の主人が誰なのか。人々に理解させた。単純明快に。


「陛下こちらへ」

 予定の時間になり秘書がアルベルドに声をかけた。アルベルドも

「ああ」

 と、短く答える。


 皇国全軍を支配下におくアルベルドは、軍人ではない。その為、軍規では「副官」が当たる業務は秘書が行っている。とはいえ、軍人でもない秘書に軍務の全てが理解できるはずも無く、彼には軍部から多くの補佐役が派遣されている。


 当初、軍部からは秘書と同格として、副官を派遣することを計画していたが、アルベルドの秘書達が自分達の地位が脅かされると反発したのだ。


 地位としては、軍指導部の者達が上なのは当然だが、副帝の秘書を敵に回すのは得策ではない。その為、秘書達を補佐する人材の派遣という要求を飲むしかなかったのである。アルベルドとすれば馬鹿馬鹿しい話だが、彼からすれば、職務に問題が発生しさえしなければいい。下らないことに口を挟む気にすらならなかった。


 アルベルドは天幕から出て壇上に立ち20万の軍勢を前にした。思わず声が漏れそうになるのを抑えた。その威容にではない。この軍勢を率いる地位にまで上り詰めた己に対してだ。だが、指導者たるもの多少の演技は必要。大軍に平然と目を向ける指導者。というものを兵士達は望むものだ。


「兵士諸君。待たせてすまない」


 ’予定通り’半刻遅刻したアルベルドは、開口一番、そう述べた。皇族、しかも、現在では皇帝をも上回る権力を持つとすら言われるアルベルドの謝罪に兵士達がどよめく。アルベルドからすれば、20万の軍勢を待たせる。という行為で皇都の住民に誰が支配者か印象付ける。という効果を得さえすれば良く、それ以上の傲慢は蛇足だ。


 それどころか、兵士達は、あの副帝アルベルド陛下が、我らに謝罪してくれた。という事で、馬鹿馬鹿しいことに感激すらしている。半刻も待たされたという被害を受けたにもかかわらずだ。


「我が皇国に反旗を翻す者が現れた」


 アルベルドはそう演説を開始した。聡い者が居れば、その言葉に違和感を覚えたであろう。反旗とは配下の者が裏切ることであり、グラノダロス皇国の支配下にないランリエルが皇国と敵対しようと反旗を翻す。とは言わないはずだ。だが、それを指摘する者もまた居なかった。


 その後、どれほど感動的な演説がなされるかと期待した者は多かったが、驚くほど型通りのものだった。反逆者を討つ。というただそれだけの内容だ。


 その理由は明白だ。少なくともアルベルドと、彼の意図を知る秘書達にとっては。皇都の人口の半数に匹敵する数の軍勢を皇都の貴族と臣民に見せ付ける。アルベルドには、それが出来る。という事を見せ付ける。それが目的であり、それだけ済めば後はどうでも良いのだ。


 勿論、人心を操る事に長けるアルベルドである。将兵を感動させる演説は彼にとって得意分野。だが、人は何事にも慣れるものだ。将兵を感動させ士気を高めるのはランリエルとの決戦の時。今、将兵を感動させるのは’もったいない’。


「我が愛する将兵よ。反逆者を討つため、出陣せよ!」


「うおぉぉぉっ!!」


 アルベルドがそう締めくくると、20万の将兵が歓声を上げたが、それもどこか空々しく響いた。


「軍勢は、このまま出発しますが、何せ20万の大軍。最後尾の兵の出発は明日となります」


 演説の後、城内に戻ったアルベルドにそう報告したのはコルネートだ。他には軍の高官、大臣。アルベルド政権を支える者達がいる。


 このメンツならば、行軍の報告など軍関係者の担当が行うべきだが、独裁体制の常として権限の曖昧さがある。独裁体制においては、独裁者の一介の秘書官と大臣が廊下ですれ違った時に、大臣の方が道を譲る事も珍しくはないのだ。そして、それはアルベルド体制においても変わるところはない。


 政治体制のあるべき姿からすれば、後退と見られアルベルドなど知者でもなんでもなく、なんと前時代的な人物か。そう評する者もいるだろうが、それは、神の視点を持つ者の政治的進化を前提とした歴史的な線の見解であり、この時代の点として生きるアルベルドにそれを求めるのは酷だ。


 尤も、もし、アルベルド自身が、神の視点を持ち線としての知識を持っていたとしても、彼の行動に変わりはない。


「私は、人類の政治的進化の為に権力を握っているのではない。自分の為に権力を握っているのだ」

 と。さらに

「独裁の独裁たるゆえんは、法や制度を超越し、独自に裁決を行えるからゆえの独裁なのだ。法や制度に縛られる独裁など、ありはしない」

 と。


 独裁に必要なのは、この人に逆らっては行けない。この人には強大な権力があるのだ。との、皆の認識だ。その意味でも、アルベルドの最腹心と見られるコルネートに、職責を超えて取り仕切らせるのも重要な演出。それは、サルヴァ王子が、ランリエル皇帝の権力を見せつける為、副官のウィルケスを、明らかな贔屓でテッサーラ王に仕立て上げたのと似ている。


「民の心に陛下が軍勢の主と植え付ける為、アルベルド陛下にご搭乗頂く馬車は、皇都を出る時には軍勢の先頭を進ませます。その後、皇都から離れたところで軍勢の中頃まで後退し、軍勢に守られながら行軍を続ける予定です」


 コルネートの説明が続く。だが、神経質な者ならば、彼の説明がアルベルドに対して不敬だと眉を潜めたに違いない。陛下がお乗りになる馬車に対して、進ませる。とは何事かと。尤も、その者が真実を知らなければだ。


「そう信じた貴族どもがどう出るかだ」


 軍の高官であるベラスケス。独り言にしては大きな声で呟いた。軍部の者を差し置いて行軍日程を説明するコルネートに対しての精一杯の自己主張と言ったところだ。


 この者が何を言っているかと言えば、つまり、軍勢と共に皇都を出発する馬車にアルベルドは乗らず、密かに皇都に留まるという事だ。


「なに。これは陛下の不在に万一貴族達が何ぞ企んでいないかとの万全を期すための処置。恐らく、実際に行動を起こす貴族など居りますまい」


 別の軍の高官が、異論を呈した。この者は、軍部にあり、しかもコルネートより制度上では上位者でありながら、コルネートに媚びへつらう道を選んだ者である。


「それは分かっておる。だが、備え。とは、それが起こると想定する心構えこそが肝要だ。起こるはずがないという心構えでは、いかな備えも、ないのと変わらぬ」


 ベラスケスの反論に、コルネートに媚びる者が

「で、ですが、アルベルド陛下に逆らおうという者など……」

 と、更にアルベルドに媚びようとした時、当のアルベルドが口を開いた。


「その言は正しい。流石は軍の重鎮と言われるベラスケスだ。怠惰な見張りが案山子と変わらぬように、起こらぬと信じる備えなど無きに等しい」


 面目を施されたベラスケスが、どうだ! と媚びる者に視線を向け、その後、ちらりとコルネートにも視線を送る。コルネートは肩を竦めるのを我慢しつつわずかに視線を反らした。


 アルベルド陣営の中で最古参に属するコルネートは、主人であるアルベルドの人心掌握術をある程度は理解している。優遇の反対は冷遇である。コルネートを軍部より優遇しているならば、軍部を冷遇していることになるのは当然。


 アルベルドにとってベラスケスが発言した内容は、確かに正解だが、むしろ当たり前過ぎて口に出すまでもないようなものだ。それを態々褒めてやったのは、ベラスケスをこちらになびかせる為。やくざな男が女をものにする時に、わざと冷たくした後、やさしくしてやる。という技法を使うというが、それと似たようなものだ。


 男と女の色恋沙汰も、組織の人心掌握術も、人の感情を操るものである以上、そう変わる事はないのである。


 そうして、腹心、幹部達との会議を終えたアルベルドは皇都でしばらくの隠遁生活を送る事となった。ちなみに幹部達には軍勢に5日遅れて出発すると伝えてあるが、実際には7日遅れで皇都を出る予定だ。


 そのアルベルドの真の予定を知っているのは最腹心のコルネート、および、皇国内の信奉者。アルベルドにしてみれば、信頼できる極一部の者達だけに打ち明けていた訳だ。


 決戦を前に、アルベルドは万全の対策を立てていた。


 反乱を起こされて問題なのは、軍権を掌握される事であり、アルベルドが不在の時に反乱を起こされたところで、今、軍勢を握っているのは彼だ。その意味では、アルベルドが不在の皇都の占拠を成功させても、アルベルドが率いる軍勢が反転してきて、瞬く間に奪還されるだろう。だが、世の中には思いがけない行動をする者がいるのだ。


「皇都に残る皇帝の身柄さえ確保すれば、どうにかなると考える馬鹿が出ぬとも限らぬしな」

 というのがアルベルドの懸念だ。


 この懸念を払拭するには、皇帝も一緒に連れていくことなのだが、それをすると名目だけとはいえ、軍勢を率いるのは皇帝ということになる。


 ランリエルを打倒し、その功績を我が物とせんとするアルベルドにとって、名目でも実質でも己が軍勢を率いる必要があるのだ。


 現在、皇都を守るのは近衛兵2万。彼らは、皇帝の身柄を確保した者の言いなりになるだろうが、それはアルベルドが不在ならばだ。皇帝の身柄を奪われても、アルベルドが姿を表せば、近衛兵はアルベルドに着く。今のアルベルドにはそれだけの力があった。


 こうして欺瞞だらけの会議は進んでいったのだった。



「そうですか。アルベルド陛下が皇都を出発するのは7日後ですか……」


 そう呟いたフィデリアの前でコルネートが跪いていた。アルベルドとの会議の後、フィデリアの屋敷に直行したのだ。


「もしアルベルド陛下の御身に何かあれば、この子はどうなりましょう」


 フィデリアは、少し膨れてきたお腹を摩りながら不安げな声を出した。勿論、コルネートにアルベルドを裏切っているという意識はない。フィデリアが夫であるアルベルドの事を知るのは当然。という意識すらなかった。フィデリアの性技の虜になったコルネートは、もはや、フィデリアに聞かれたから答える人形。思考停止の状態だ。


「はい。軍勢と一緒に出発した馬車にアルベルド陛下は乗っておらず、5日後に皇都を密かに出発する馬車にも陛下は乗っておりませぬ。7日後に皇都から出て、1000サイト(約8キロ)先に待機させてある、精鋭と合流して軍勢を追い。先発する馬車に追いつけば、そこから馬車に乗る計画で御座います」

「そうですか……」


 律儀に事細かく報告するコルネートに返答したフィデリアではあったが、ほとんど聞き流していた。彼女にしてみれば、そんな細かい事は実際どうでもよく、アルベルドがいつまで皇都に居るかが重要だった。報告など不要と言わなかったのは、そのように言えば、今後、本当に必要な報告までされなくなる弊害を恐れたからだ。


 その後、フィデリアから’ご褒美’を与えられたコルネートは、満足げに屋敷を後にした。


「後、もう少し……。もう少しで全てが終わる」


 高まる鼓動を抑えるように、自らの胸に手を置いた。決戦。それが近づいていた。皇国とランリエルとのではない。自分とアルベルドとのだ。


 事態は、すでに動き出している。自分が動かしたものもあれば、他者が動かしたものもある。それを止めるすべはもはやない。


 ランリエルとの決戦に向かうアルベルドが、それに勝利するかは彼女には予測できない。


 だが、彼女には一つだけ分かっている事がある。予言ではない。確定事項だ。勿論、他者から見ればただの妄想である。未来など、どんな知者でも完全には予測できない。知者なればこそ、未来を完全に予測する事など出来ないと知っているだろう。その意味では、彼女は愚か者だ。


 だが、こうも言える。成功しないかも、という不安がある者は、その事業が無駄かも知れないと途中で投げ出すが、絶対に成功すると確信している者が、事業を投げ出すことはない。


「アルベルド。お前は絶対に殺す」


 フィデリアの呟きには、その確信があった。


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