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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
423/443

第327:主戦場外での駆け引き

「武人として、世紀の大決戦に参加出来ぬのは残念ではあるが……」


 本陣の天幕で指令書に目を通したカルデイ帝国軍総司令ギリス・エティエが呟いた。傍ら立つ副官に向けたのではない完全な独り言であったが、副官も同じ気持ちなのか小さく頷いく。


 指令書の内容は、ケルディラで足止めされていたゴルシュタット王国連合軍がゴルシュタット本国に到着するため、現地に向かって統率せよ。というものだった。現在、ゴルシュタットは体制が一変し、それによって軍制も一変した。だが、軍制の改革はいまだ書類上だけなのが現実。軍隊として最も重要な指揮系統が崩壊している。と言って過言ではないのだ。


 元来、有力貴族の軍勢は、それを率いる者は将軍格としてゴルシュタット王国軍総司令の幕僚となり、小貴族達は王国が任命した将軍や他の有力貴族の指揮下に入っていた。だが、今回の改革で旧王家らが再建された。


 小貴族にまで没落した旧王家も再建されたが、それを将軍や他の貴族の指揮下には置けない。また、元々将軍格だった有力な旧王家といえど、問題が無いわけではない。その旧王家に、ゴルシュタット貴族の指揮を任せるのはおかしい話だ。


 旧王家の指揮下に入るのは、その旧王家の旧家臣。そうすれば良いかと言えば、今では、旧王家より大成した旧家臣も居る。500人の兵を率いる将軍が1000の兵を率いる者を部下にする。という事になり、それでは下になるものが納得しない。


 要するに、誰の指揮で動いて良いのか分からない部隊だらけなのである。この状況をギリスは、烏合の衆でも、鳥同士で集まっているだけまだマシ。と評した。


 だが、その烏合の衆未満の軍勢を対皇国へと向けさせる必要があった。そのためにはギリス率いるカルデイ帝国軍が必要なのである。


「しかし、牧羊犬の真似をさせられるとはな」

「なるほど。彼らは羊の群れですか」


 ギリスと副官が苦笑を浮かべた。


「ですが、皇国軍が攻勢をかけてくれば、とても戦えるものではありません。そうなれば、我らだけで戦うのですか? ゴルシュタットが動くとなれば、皇国も相応の兵を出してくるでしょう。それを我らだけで迎え撃つのは難戦となるのでは」

「まあ、そういう事になるが……。だが、彼らはゴルシュタットを警戒している。軽率には仕掛けてはくるまい」


 副官が目を見張った。軍勢とは組織的に動いてこそ力を発揮する。たとえ10万の軍勢であろうと組織的に動けなければ、その半分の数の軍勢にも勝てない。現在のゴルシュタットの総兵力はカルデイ帝国軍の2倍を誇るが、戦えば圧勝してみせる自信がギリスのはある。


 指揮系統が整っていなければ必ず弱い部分が出来る。その弱い部分に戦力を集中させれば敗走させるのは難しくはなく、指揮系統が整っていなければ軍勢の建て直しも困難。一部の敗走を全軍の敗走へとつなげるのも容易だ。


「皇国とて、こちらの内情を探っていましょう。ゴルシュタットの体制が大きく変わったことも当然、知っているはずです」

「勿論だ。そんなものを隠しようもないからな。だが、変わり過ぎた。変わり過ぎて、彼らとて理解しきれて居まい。人とは、分からぬものには警戒するものだ」


 確かにゴルシュタットの体制が変わったことはアルベルドにも既に伝わっている。そして王国連邦制という未知の政体について更に調査させている状況であり、内情を把握できていないのもギリスの読み通りだ。


 新体制を把握できていないなら、結局、過去の認識通りの対応をするしかない。つまり、ゴルシュタット軍人は優れた戦士であり、軍隊である。という認識だ。この大陸で肉体的に最も軍人に適しているのはコスティラ、ケルディラ人と言われているが、精神的に最も軍人として適しているのはゴルシュタット人だと言われている。


 彼らは寡黙で命令に忠実。日々の鍛錬も怠らない。指揮系統さえ完璧ならば、最も理想的な軍隊といえた。皇国は、そのゴルシュタットの姿しか知らず、その姿を前提とした行動を取るだろう。


「それに、皇国にとっても、こちらは主戦場ではない。南方でもドゥムヤータとバンブーナが睨みあったまま戦線が膠着していると聞いているが、こちらも下手に手を出しては来ぬ」

「来ませんか?」


「来ぬ。様子見ぐらいはするだろうがな」


 読み。ということに関して、この大陸で最も優れた総司令と評されるギリスだ。アルベルドの意図が戦争の引き伸ばしであり、最終的にはランリエル本隊との会戦で決着をつけようとしているのを見抜いていた。


 逆に言えば、他の戦線で下手に攻勢を仕掛けて敗北すれば、その計画が破綻する。故に攻撃を自重する。ギリスはそれを南方戦線が膠着状態となった時点で気付いていた。


 厳密には、バンブーナ王チュエカが実質的な主君であるアルベルドの意図に気付いているのに気付いた。ギリスはチュエカが保身の天才であるのを知っている。そのチュエカが自国の消耗を避けるために戦いを避けるのは当然にも思えるが、ギリスの見るところチュエカに我が身を危険にさらしてまでバンブーナ王国を守るという考えは無い。彼の保身は、どこまでの己自身の保身が優先だ。


 チュエカという男は保身のためならばバンブーナ王国軍全軍を犠牲にする。その彼が戦わぬなら、戦わなくてもアルベルドからお咎めなし。それどころか、戦わないことがアルベルドの意に沿う。そうチュエカは判断しているのだ。


 しかも軍勢の質としての評価はドゥムヤータよりゴルシュタットが遥かに上。敵の一番弱いところを攻めるのが軍略の基本ならば、ドゥムヤータに戦力と集中して攻撃するのが王道。チュエカに増援を送ればドゥムヤータを撃破するのは難しくないのに、アルベルドはそれをしない。そこまで辿り着けば、ギリスにとって結論は明白である。


 その先のランリエルとの決戦は不可避である。皇国が望まなくてもランリエルが望む。流石に皇国軍もそれを逃げるわけにもいかず受けるしかない。つまり、アルベルドは戦いを引き延ばした上でランリエルとの決戦を計画している。それにチュエカが気付いている。


 今回、ゴルシュタット方面に派遣される皇国軍を率いるのはチュエカのような衛星国家の王でもなければ総司令でもない。皇国本国の直属軍。バンブーナ王国軍よりも、更にアルベルドの意に沿った行動をする。まず本格的な戦いは起こらない。


「だが、やつらも馬鹿ではない。全く戦をしないという不自然な行動はとるまいな。戦線が拡大しない程度に挑んでくる。我らは、その呼吸を読み。こちらがそれを悟っていると相手に気付かれないように応戦すれば良いのだ」

「相手が馬鹿でなくて助かりますね」


 ギリスの副官は、常日頃からギリスの薫陶を受けている。その彼にギリスが時折漏らす言葉がある。


「馬鹿は何をするか分からない」


 馬鹿は、アルベルド陛下は戦線の拡大を望んでおられないが、そうは言っても勝利すれば喜んでくれるはず。と兵力差を盾に全面攻勢を仕掛けてきかねない。尤も、これはまだ分かりやすい馬鹿だ。本当の馬鹿の行動は予測不可能だ。


 マシな馬鹿でも、初めは戦線を拡大するつもりは無くとも、目の前の戦況に目を奪われ、次々と援軍を繰り出して引き際を見失い、結局は戦線が広がってしまう。という事はありえる。とはいえ、これを馬鹿と評するのは酷かも知れない。能力不足と表現すべきだろう。


 今回、ギリスが警戒しているのはこの状況だ。皇国軍の動きに注意し戦線の拡大を防がなくてはならない。しかも、ゴルシュタットの軍勢は当てにならないどころか、邪魔という状況だ。


 皇国軍の将軍が馬鹿ではなく、アルベルドの指示を厳守しようと考えていたとしても、ゴルシュタット軍の内情があまりにも酷いと知れば、軍人としての本能に勝てず、目の前に転がった勝利を拾おうとする可能性はある。


 ギリスにしてみれば、子供を背負って戦場に向かい、子供を背負っているのを敵に悟られないように戦わねばならないようなものだ。更に言えば、背負っている子供を、敵には完全武装した大人に見えるように振舞わせなければならない。


 上官を尊敬する副官からすれば、確かにギリスでなければ出来ない事だ。あくまで彼の主観ではあるが、サルヴァ皇帝は、この手の忍耐力が必要な防衛には向いておらず、ディアスも長年の対コスティラ防衛戦を考えれば、一見、向いているようにも見えるが、その思想からバルバール孤軍での動きに制限される。


 皇国軍と戦線を拡大しないように戦いながら、全く役に立たないゴルシュタット王国軍をそうと見えないようにするのは至難の業。敵である皇国軍とダンスを踊るかのように息を合わせなければならず、それが出来るのは大陸一と呼ばれる洞察力を持つギリス総司令だけと副官は信じている。


 とはいえ、ギリスも全くゴルシュタット王国軍を当てにしなかった訳ではない。全体で見れば烏合の衆でも、その中にも玉が埋もれている可能性に僅かながら期待もしていた。旧王家が復活し王国連邦制となって軍の指揮系統は崩壊した。


 そもそもゴルシュタット王国とは、小王家が群雄割拠していたゴルシュタット地方をベルガルト王家が統一したものだ。旧ゴルシュタット王家直属軍というべきベルガルト王家の軍勢だけを引き抜き使うならば、組織的に戦えるはず。そう目論んでいた。


 その僅かの期待を胸にギリスは、カルデイ帝国軍のほとんどを皇国軍への牽制に残して僅かな護衛と共にゴルシュタット王国へと向かった。


 だが、大陸一の洞察力と称されるギリスとて、それは軍略に限定される。鈍器に鉈の機能がないのを責めるのは酷だ。つまり政略は機能範囲外。ゴルシュタット王国軍総司令ヒューメルと面会したギリスは、その政略の壁に直面したのだ。


 ヒューメルは亡きベルトラムの愛弟子。ベルトラムの死にギリスらカルデイ帝国軍は関わっていないが、それでもランリエル勢の一員に違いはない。思うところはあるはずだが、それを顔や態度に出さないだけの分別はある。むしろ、高名なるギリス総司令にお会い出来て光栄です。とにこやかに握手を求めた。


 だが、その笑みを浮かべた口から出た言葉は、甘くは無かった。


「確かにベルガルト王家直属軍は、そもそもベルガルト王家直轄領の税収で維持されている軍隊です。今回の改革でも指揮系統は健在でした」

「……でした。ですか?」


 ヒューメルの説明が過去形であるのにギリスは気付いた。


「はい。でした。ギリス閣下。貴国の王家直属軍の指揮官は、どのような方々が担っておいでですか?」


 ギリスは、その問いに、自分らしからぬ現状認識の誤りに思い至った。王国連邦制などという未知の政体を皇国軍は理解出来まい。そう考えていたが、自分自身が、完全には把握し切れていなかった。現状認識が正しくなければ、読みのギリスとて正しい答えにはたどり着けない。


「王家直属軍の指揮官は名門貴族の子弟。という分けですか」

「そうです」


 ヒューメルが頷く。


「その名門貴族とは、今回、王家に復活した者達」

「そうです」


 ヒューメルがまた頷く。


「王国連邦制となれば、その者達は他の王家。他の王家の子弟に王家直属軍の指揮官は任せられない。現在の王家直属軍には指揮官不在の部隊ばかりなのですね?」

「はい。そうです」


 ヒューメルの最後の頷きは大きかった。王都に到着するまでは現状維持で通したのだが、王都にて改めて組織を見直すと、やはり、問題が続出したのである。


 太古の昔なら、軍勢の規模も小さく、将軍の

「俺について来い!」

 の怒声一つで敵に突撃する。それが可能だった。


 しかし、現在では軍勢の規模も大きく、将軍の命令を隅から隅まで伝え、動かすには部隊毎の指揮官は必要不可欠。そうしなければ、一部の部隊だけが突撃して孤立し、連携にも穴があく。戦略の基本は戦力の集中。一斉攻撃を仕掛けるはずが、足並みがそろわなければ少数ずつが各個撃破されるだけだ。それでは10分の1の敵にも負けかねない。


 そして、将軍の命令を実行するだけが指揮官の仕事ではない。


 戦いとは軍勢が全滅した方が負けなのではなく敗走した方が負けだ。そして、1つの部隊の敗走が全軍の敗走に繋がりかねない。隣の部隊が敗走しそうならば、将軍の命令を待たずに現場の判断で救援する柔軟性も指揮官には求められる。指揮官が不在だからと取り合えず誰でも良いから任命する。というものは通用せず、指揮官としての訓練が必要なのである。その訓練も一朝一夕で出来るものではない。


 つまり、現在のベルガルト王家直属軍は、見た目は健康体でも、実際は、神経のほとんどが機能しなくなり、全身麻痺を起こしているような状態なのだ。


「それでも、旧王家達の軍勢の混乱に比べれば、遥かにマシではあります。あちらは、指揮官が抜けるどころか、今まで部下だった者が上官になるような状況ですから」


 ヒューメルの説明に今度はギリスが頷くが、この現状をどうすべきかとに思案が向き、半分も頭に入っていない。それを察しているヒューメルだが、構わず説明を続けた。


「とはいえ、指揮官が全く居なくなった分けでもありませんので、指揮官が健在な部隊だけで指揮系統の整理を行っています。軍勢の一部だけならば、数日後には機能できるでしょう」


 つまり、A軍団の将軍にB軍団の師団長、C軍団の連隊長、小隊長と、指揮官が健在な部隊を継ぎ接ぎして1軍団を作ろうというのだ。


「その軍団の規模は?」


 己の思案にふけっていたギリスだが、ヒューメルの言葉に引き戻された。ギリスにとって動かせる軍勢は喉から手が出るほど欲しい。ヒューメルもそれが分かっていて説明を続けたようだ。


「およそ2千」


 今回、帰国したゴルシュタット王国軍は10万近い大軍だが、それは国内防衛用の軍勢までかき集めたもの。本来の適正数は6万程度。その内の2千である。


 いかにも少ない。だが、無いよりはマシか。いや、6万の内、ベルガルト王家の直轄軍は、その1部。2千を動かせるのは上出来と思うべきだ。


「分かりました。では、その2千の軍勢にお力を貸して頂きたい」

「はい。自分の軍勢と思い、お使い下さい」


 助力を乞うたギリスだが、自分の軍勢と思って使えとまで言われるとは予想外であり、思わずヒューメルの顔を見直した。


「実は、その軍勢を任せる将軍というのが、最近、抜擢されたばかりの者なのです。本来ならば古参の将軍から学ばせようと計画していたところに、その当てにしていた古参の者達が抜けてしまいました。出来れば高名なギリス閣下の元で学ばせてやって下さい」


 ヒューメル自身はゴルシュタット王国連邦軍、全体を統括しなければならない。その新米将軍の面倒を見る余裕はないという事だ。尤もヒューメルの言葉も額面通りには受け止められない。現在、まともに動かせる2千の軍勢は彼にとっても虎の子。面倒を見る余裕がなくとも、無理にでも手元に置きたいはず。


「分かりました。お預かりしましょう」


 ギリスがにやりと笑い右手を差し出した。ヒューメルも右手を差し出し硬く握る。連邦王国制として新たに歩みだしたゴルシュタットだが、まだまだ不安定。万一の事態に備え、ヒューメルは虎の子の2千をカルデイ帝国軍、ひいてはランリエルへと差し出したのである。


 その万一の事態とは、他の王国の叛乱。本来ならば、その叛乱に備えて2千の軍勢は必要不可欠。だが、叛乱が続出すれば2千など焼け石に水。だからこそ2千を差し出した。これでゴルシュタット王国連邦議長国ベルガルト王国は、ランリエルが後ろ盾なのではなくランリエル勢の一員。その宣言だ。


 硬い握手の後、ギリスはヒューメルの執務室を後にした。皇国軍との決戦に参加できぬと不満だったギリスだが、部屋を後にする彼の顔はどこか満足げだった。

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